現代人の松永さん
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暑い夏と感じる季節。相も変わらず生理が来ない。
ずいぶん前からあったような無かったようなという波を往き来し、ハッキリと無いと自覚してから、かれこれ二ヶ月も待っているのに一向にその気配が訪れない。
さすがに体調も崩れてきて、冷えなのかストレスなのかと対症療法も一向に効果が出ず、私は近くの婦人科へと足を運んだ。
近所でも有名で中々腕が立つらしい。
「松永産婦人科」
昔からあるが、行ったのは初めてだ。エントランスは白と淡い緑を基調とした居心地の良い雰囲気である。
最近改装されたのだろう。
独特の新しい匂い、取り分け薬品に混じって木の香りがした。
「佐藤さん、佐藤ゆきさん。診察室へお入りください」
若い看護婦が私を呼んだ。
診察室に案内されると、丸眼鏡を掛けた初老の医師がカルテを眺めながら何やら思案している。
整えられた白髪交じりの髪から、薬品とは違う柔らかな整髪剤の香りが微かにした。
医師が私に気付いた。
「初めまして、佐藤さん。院長の松永です。
生理不順とのことですが……二三質問させていただきますがよろしいですかな?」
「はい、お願いします」
医師は私に問診し、舌診や聴診器を当てて心音、呼吸音をそれぞれ見た。
たかが生理不順で大仰な事だと思ったが、きちんと見てくれるから評判が良いのだろう。
知り合いのおばちゃんは肩凝りですらここに世話に来るらしい。
以前、腰痛で訪れた際は拳大の子宮筋腫を見つけてもらったそうだ。
医師も医師でそう言うことが無きにしも非ずゆえ、こういった基本を確りと施すのだろう。
そう思うのも近ごろ触診どころか問診すら適当な医者が多いと思うからだ。
この初老の医師はその慢心がない。
全て一通りこなしてから異常無しと言われた。
「次に触診させてもらうんだが……ちなみに君はセックスはしたことはあるかね」
実に言いにくいと言う風に医師は言葉を掛けた。
「まぁ……それなりに」
「そうか。なら良いんだ。
触診と言うのが、特殊な機械の上で行うのだが、足を開いてもらった上で私が君の膣のなかに指をいれる。
レントゲンを取るわけには行かないから大体二本か三本、こうグッと力を込めて入れるから痛いと思う。
処女だと尚更ね。
要するに器質的に問題が無いか調べるためだけど辛いときは言ってください。
この職業の辛いところは、君みたいなうら若い患者さんが来ても優しく性器に触れられないところだ。
セクハラになってお縄を頂戴するのは避けたいのでね」
「はぁ」
「前もって痛いという事と、恥ずかしいという事は伝えたのでよろしくお願いします。
うちのナースも隣にいさせるから何か不都合が起きる心配もありませんのでご安心を」
そう言うと松永医師は、大勢の患者にしてきたように私を処置台に促す。
下着を脱ぐとうっすらと白い愛液と黄ばみがついていて、医師とはいえ初老とはいえ、男の人の前にこの手入れされていない陰部を曝すのが途端に恥ずかしく感じた。
しかし医療に従事する人間は私の羞恥など塵ほどのものとしか考えていないはずだ。
覚悟を決めて処置用の椅子に上がる。
「お願いします」
声をかけると若い看護婦が目の前を布で覆い隠した。
エコーが隣にあるがこれは使うのだろうか。
問いかけると、看護婦は微笑んで「妊娠されたらそのエコーで子宮の胎児の様子を観察します」とだけ答えた。
松永医師が私を呼んだ。
「佐藤さん、今から入れるから痛い時は言ってくださいね」
「はい」
私は小さく答えた。隙間から医師の手が見える。
ラテックスの手袋をして、私の性器に指先を当てる。
濡れてもいないし、絶対に痛いのは分かっている。
医師は淡々としている。
そのまま力任せに指を奥までいれてきた。
「――――いたい」
一瞬呼吸を忘れた。
唇を噛み締める。太股に力が入る。
しかし痛いのは織り込み済みであるから、私はゆっくりと吐息して力を抜く。
まるで初めてを奪われるかのような痛みだ。
医師の指が奥まで入り、探る。顔が見えないぶんまだましだ。
一通り膣内をぐりぐりなで回してからその指がやっと去っていった。
「ごめんね、痛いねぇ。でも、器質的には問題は無さそうです。
ただ、ちょっと他の人より内蔵が冷えてる感じだからちゃんとお風呂に入って暖まった方が良いですよ」
「そう言えば最近忙しくてシャワーばかりでした」
「ご飯は食べてますか? お米はまぁ、糖質だから置いておいても、体も血液も蛋白質です。
お肉や大豆、牛乳でも構わないので蛋白原を取ってくださいね」
「はい」
手袋を剥がしながら医師は言う。
私の生活の一部を見られていたかのような指摘に暫し呆気にとられる。
食事に関してもそうだ。
最近はおざなりになっていた。
コーヒーを牛乳に変えるくらいで調子が良くなるなら安いものだ。
豆腐と肉もついでにスーパーで買って帰ろうと思った。
「ところで痒みはない?」
「いいえ、特には」
「じゃあオッケーだね。見た感じ爛れてもいないし、赤みもないからカンジタっぽくも無いかな。着替えたら診察室に戻ってくださいね」
そう言うと松永医師は診察室に戻った。
私は看護婦に促されて処置台から体を起こす。
「着替えたら診察室に戻ってください」と医師と同じ台詞を言って彼女は処置室の片付けを始めた。
診察室に戻ると医師はカルテに何か記載していた。
私は一声かけると彼は椅子に座るように促した。
「見たかぎり問題は無さそうですが、きっと冷えと食生活の乱れ等要因は様々でしょう。
ビタミン剤と一ヶ月分のピルを出しておきますので、毎日飲んで下さい。
飲み終わっても月経が来ない時はまたこちらにいらして下さい」
「ピル……」
「えぇ。佐藤さんの場合は月経困難症という病名が付きますから保険も適用になります」
医師は他に何か聞きたいことは無いかという視線を向ける。
私はピルという初めて使う薬に戸惑いを感じながらも保険が使えるという点で妙な安心感を覚えてしまっていた。
「あとはゆっくり体を休めることですな。ではお大事に」
「ありがとうございます」
診察室を後にする。薬品と木の香りが私の鼻をくすぐる。
暫く待ち合い室で時間が過ぎるのを待つと受付が私の名前を呼んだ。
保険証と診察券、そしてビタミン剤と一ヶ月分のピルを受け取った。
保険が効くといいながら思ったよりもお金が掛かった。
この小さな粒に私は半日以上の時給を割いたと思うと情けなく感じた。
病院を出ると日が傾いていた。
早い人なら、そろそろ晩御飯の時間だろうか。
私は医師に指示された通り、蛋白質を摂取するためにさっそくスーパーに向かった。
「牛乳とお肉と豆腐……麻婆豆腐かな」
まだ下腹部に残る痛みに少し違和感を感じながら、私は歩を進めた。
*
最初の一週間、ピルを飲み続けていると、少しずつ体が変化し始めたような気がした。
まず、夕方ごろの浮腫みと眠けだ。
慣れない薬――しかもホルモン剤――を使っているせいなのは百も承知だが仕事の最中でも容赦なく眠気に襲われるのは勘弁して欲しかった。
私の仕事場は居酒屋である。
と言っても洋風テイストだから、どちらかと言えばバーという扱いなのだが、ここの店主は「飯と酒を出していれば居酒屋」と頑なである。
店名を「長谷堂」という。
私は料理はからきしで主に配膳や掃除をしているが他の厨房のスタッフより楽を出来るとは言えいつもの二倍三倍辛かった。
「ゆきさん、大丈夫ですか?」
声を掛けてくれたのは副店長だった。
いつもはクールな印象を放つ男性であるがこのときばかりは、私が目に余ったのだろう。
動けないわけではないのだが、文字通り顔が死んでいるのだ。
いつもは突っ慳貪(つっけんどん)であぁしろこうしろと指図する係りで有るのに、珍しく心配してくれた。
「ありがとうございます、片倉さん。でも大丈夫です。今飲んでる薬の副作用なので」
「そうですか。しかし店長も心配していましたよ。あなたは彼のお気に入りなので」
苦笑する。彼の言葉は大概真面目で冗談など殆ど言わないからだ。
しかし、そんな冗談にも笑顔を返せないほどの眠気がまたしても襲う。
店長が厨房から出てきたところで目があった。
心配そうな視線を感じた。
「佐藤、今日は客も少ないから帰れ。わしと小十郎もおるし、あと少ししたら幸村も来る。
その顔で接客なんぞさせたら厚労省から文句も言われかねん」
店長は何の躊躇いもなく私のおでこに掌を当てた。
手を洗ってきたのだろう。
ひんやりとしていた。
いつもならば、それがきっと心地よく感じられたろうに冷たさが過ぎた。
私は冷気に身悶えした。
片倉さんが「熱はないですよ」と横から言ったら少しばかりムッとした様子だった。
「厚労省? まだ根に持ってるのですか、居酒屋禁煙政策」
「当たり前だ!
毎日厨房でニコチン摂取してから飯作るのがわしの日課だったのに、客席は百歩譲ってよしとしても裏方まで文句つけるとは腹立つわ!
わしの舎弟を総動員して今の禁煙政権を打倒してくれるわ」
「なら私は賛成派なので今の政権を支持します。
それよりゆきさん、外まで送りますから着替えて来てください」
「よし、佐藤。わしが送ってやる」
「政宗さんはまたオーダーが入るかも知れませんからここに居てください」
店長は、副店長にそう言われてしゅんと項垂れた。
いくら店長の座はこの人にあると言えど、年齢でいったら片倉さんの方が年上なのだからしょうがない。
その上親戚同士と来た。
私はその様子を眺めながらロッカー室に向かった。
バッグから処方された薬が覗く。
体に合わないとこう言った不調が現れると聞いた。
もう一度、あの婦人科に行こうかと思ったが名前を呼ばれたら、その事も瞬く間に忘れてしまった。
「ゆきさん、大丈夫ですか?」
「なんとか」
無理矢理笑顔を作ったら片倉さんに「やめなさい」と叱られた。
そのまま腕を杖代わりに差し出してくれた。
「政宗さんもですが、あなたも具合が悪いのを無理矢理隠すのはいただけません。
ゆとり世代ってみんなこうなのですか?
幸村君もその傾向が有ります。
正直、馬鹿の集まりだと思っていた私は予想を裏切られましたよ。
いや、むしろあなた達の方が異端なのでしょうかね」
この場にいない者まで槍玉に上げて片倉さんは溜め息をついた。
「どうなんでしょうね。
学生の頃は馬鹿の集まりの一人でしたよ。
大人になって我が儘が通用しなくなったせいですかね。
頑張らないと大人って後ろ指指すじゃないですか」
「それは一部の者に対してです。
タクシーは拾ってあげますからちょっと待っててください」
そう言うと近くのベンチに座らされた。
お尻が寒い。ひんやりしたものに局部近くが刺激されて、腹が痛いようなそんな気がした。
少しでも温まろうとうずくまったりしてみるものの、焼け石に水ならぬ水風呂に松明である。
凍えるほど空気が寒い訳でもないのに、むしろ都会の熱帯夜に晒されていると言うのに体だけが異常に寒さに敏感だった。
「君、大丈夫か?」
ぐったりしていると、通りがかりの人にまで心配される始末。
しっかりしないと。
泥酔してると勘違いでもされたら何をされるか分からない。
「はい、大丈夫です……お気遣いありがとうございま――」
しかし、そこまで言って止まった。
顔を見たら見覚えのある人だった。
私は色々文句を言いたいところを飲み込んでその人の名前を呟いた。
「松永先生……」
「んん~? 私を知ってるのかね?」
松永医師は当然白衣ではなく私服であった。
高そうな仕立ての良いスーツを着こなして重そうなキャリーケースを引っ張っている。
私は会釈すると「先週伺った佐藤ゆきです」と、答えた。
じっと私の顔を見る医師。
上から下まで観察されてるようなそんな視線とかち合うと、途端に笑顔を返されて彼も私の隣に腰かけた。
「患者さんでしたか、これは失礼。
新しい方は中々覚えきれなくて。
年ですな。ところで、辛そうですがどうされました」
「……いえ、ただの副作用です。ピルが合わないらしくて」
「副作用ですか。可哀想に……。お一人で帰れますかな?」
「今、職場の人がタクシー拾ってるんです」
「ならタクシー代は払いますので御一緒してください。
私も院に戻るので、薬も新しいのと取り替えましょう。
その後は私が御自宅までお送りします」
一人で帰るのは子供じゃないので可能だが、新しい薬というのは急遽必要な気がして、私は頷いた。
片倉さんが戻ってきた。松永医師を見ると「誰だ」という表情をした。
「ゆきさん、こちらは?」
「この人は―――」
「伯父です。姪がいつもお世話になっております」
私は松永医師を見た。
何を言ってるんだと視線を投げ掛けたが、見向きもしない。
勢いよく顔をあげたかったが無理だった。具合が悪い。
片倉さんは疑いもせずに挨拶など交わしている。
松永医師は笑顔で答えた。
「仕事帰りにたまたま見掛けたら今にも倒れそうだったのでね。
姪のためにタクシーを拾ってくれたんですね。ありがとうございます」
「いえ、では後はお任せします。ゆきさん、お大事に」
「えっと……はい、ありがとうございます」
片倉さんは一言そう言うと店に戻った。
私は傍らの人に視線を向ける。
にこやかに謝られた。
「すまんね、説明するのがめんどくさくってな」
私は片倉さんが連れてきてくれたタクシーに松永医師と乗り込んだ。
酒でも飲んできたのだろうか。
微かにアルコールと煙草の匂いがした。
医院に着くと、松永医師は背広を脱ぎ捨ててシャツのボタンを緩める。
私を待ち合い室の長椅子に寝かせてから受付の後ろにあるカルテ棚へと向かった。
「君、名前なんだっけ」
「佐藤です」
「佐藤さんなんかいっぱいいるでしょ?
下の名前は?」
「ゆきです」
私が答えると医師は「あった」と呟いた。
ページをめくる。
唸ったり何か考え事をしている。
「先生?」
「ああ……すまん。情報が少なくて。処方した薬も一番低用量のやつだから、他にうちに有るのだとあと二種類か。
一応違うのも出しておくけど、今は大丈夫かね?」
「……寒いです」
「寒いか。遠赤でも当てるかな……」
医師は処置室の隣にある仮眠室に案内してくれた。
簡易ベットに横になり、遠赤外線を出す機械を当ててくれた。
それのなんと心地の良いことか。
私は毛布を渡され、その中に身をくるむと薬の効果も有って簡単に眠りに落ちてしまった。
「佐藤さん?
寝たか。困ったな。
んん~……我輩は、どこで寝れば良い」
医師の声が遠退いていく。
固有名詞を我輩と呟いた医師に思わず「猫」と思った。
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