恋煩いの短編集
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洗濯の最中、背後に気配を感じた。
気配の主は肩に腕を乗せてぴったりとくっついて来た。
「久秀さま? 言いたくないけど邪魔ですよ」
「その干してるものは我輩の服だ。別に皺になっても構わん」
「後で文句言われるのは嫌ですからお仕事させてください」
ため息を吐き、後ろから重みをかける御仁に退けるように促す。
素直に退いたが、その前に一頻り胸をや尻を揉まれた。
「久秀さま! お止めくださいっていつも言ってますよね」
「むっふふぅ。それよりこまちゃん、おっぱいおっきくなった? 弾力が増したような……」
下卑た笑みを浮かべて楽しげな口調で喋る久秀さま。
その上、あれこれ人の体について文句をつける。
しかも「乳房が程よくなったから次は臀だな!」と高笑いと共にそう高らかに宣言したものだから私は恥ずかしくて押し黙った。
いつもは何をされてもするりと躱していたが今日は虫の居どころが悪かったらしい。
「……久秀さま」
「んん~? なんだい我輩の可愛いこまちゃん」
「本日限りでお暇を頂戴したくございます」
振り返って真顔で言った。
「またまた~」と本気にしなかったので、洗濯を終わらせて与えられた部屋から、数少ない私物を整理し持ち出した。
荷物と共に久秀さまの前に陳(ちん)として畏まると私は頭を下げた。
「今までお世話になりました」
「え、ちょっと待ってマジなの?」
「マジもマジ、大真面目です」
そのまま振り向きもせずに私は玄関を出た。
しかし、久秀さまは私の後をどこまでも、どこまでも追いかけて来た。
ペタペタと草履を鳴らして「こまちゃん、こまちゃん」と呼び掛けられたが、もう殿でも何でも無いので無言を貫いた。
「ゴメンって、ねぇ? こまちゃん? ねぇ! おじさんを置いていかないで~」
そしてついに市場や長屋通りに差し掛かった辺りで痺れを切らしたのだろう。
泣き出した。
良い大人が泣き出したのだ。
「あぁ、こま~! 我輩が悪かったよ~。
分かってる、我輩の稼ぎが悪いから出ていくんだな……。
こんな年寄りだもんな……お前みたいに美人は他の若くて稼ぎの良い男に鞍替えするのは当たり前だよな。
でも行かないでくれよぉ………!」
私はパッと背後を振り返った。
何を言ってるんだ、この人は。
しかし大の男が人目を憚らずえんえん泣くのに興味を示さぬ者は居ないわけで、私と久秀さまを取り囲むように聴衆がざわざわと騒ぎ立てる。
仕舞いには町の者が泣いている久秀さまに同情などして「あんたも大変だねぇ」などと声がけなぞするものだから、さすがに堪忍袋の緒が切れた。
こうなりゃやけだ。
私は久秀さまを厳めしく凝視した。
「何言っとう! あんたが甲斐性無しななんは、一緒に住んだときから知っとと!
人様の前で恥ずかしい! 女々しくしよって、しっかとせぇ!
うちの事よりあんたの方が知らん女んとこに通うとるの、うち知っとるとね!
年寄り言うなら少しは慎まんか!
あんたらもや! さっさと散らんかい!
ったく、この駄目亭主! メソメソ泣くな!」
公道ですがり付く久秀さまの耳を引っ張って、来た道を逆戻りした。
にやっと彼の口元が笑っているのを見つけて結局してやられたと思った。
私が折れた形になってしまったが事の事情など露ほど知らぬ町人の者が「おぉ、怖い嫁」などと言っていたのがとても遺憾であった。
後日、滅多に命令など下さない久秀さまから下知があった。
「こまちゃんは今日から我輩が良いと言うまでこれをつけてくださいっ! つけなかったらお給金無しです!」
「首輪……」
「うん、凶暴な嫁さんの手綱はしっかり握っておきたいしね!」
「……嫁じゃありません」
「ちゃんと我輩の事旦那って言ってたもん。
こまちゃんって怒るとあんな感じなのね。
怒られてるのに我輩、ちょっとときめいちゃった」
エヘッと言いながら首を傾げて、更には拳を作って軽く頭を打ってみる。
その人を打ちのめしたい衝動をなんとか抑えて、私は問いかけた。
「本当に付けなきゃ駄目でしょうか、これ」
「だってこまちゃんがまたいなくなったら困るもの。
寝てるときも我輩の部屋で寝るんだぞ。
ちゃんと柱に繋いで置かないとな」
「給料などいりません。やっぱり出ていきます」
「むぅ! じゃあ繋ぐのは止めとくからっ!」
そう言う問題じゃない。
しかし意外と変なところで頑固なものだから装着しないとまた公道で喚くと、おかしなわがままを宣った。
渋々その戒めを受けとるととても満足した表情をした。
「……面倒な」
「聞こえてるぞ~」
「それは申し訳ございません」
「それとな、こま」
「はい」
「我輩、お主と住んでからしばらくずっと童貞だぞ。
これからお主としかしないと決めたからな。
これでも我慢しておるんだぞ?
お主がお許しを出してくれないと苦しいくらいだ」
「そんなこと言われても……」
「とにかく、あの台詞には誤りがある。
我輩の目にはこましか写っとらんからな」
にこりと微笑んだ久秀さまを前に、私は顔を背けた。
よくもぬけぬけと女心をくすぐるような言葉を並べ立てるものだ。
小娘相手に容赦ないのが困りものであった。
「よし、じゃあ早速つけてみよ~」
「久秀さま」
「なんだ? 邪魔立ては許さんぞ」
苦笑した。
もはや付けたくてウズウズしてる人がちょっと邪魔されたくらいで諦めるとは思えなかった。
「どうして私なんです?」
「さぁ、好きになるのに理由がいるか?」
「一時だけの感情じゃなくて?」
「我輩は自分に嘘ついて不自由するのは嫌いだ」
真面目な顔で人の首をゆるゆると締め上げて行く久秀さま。
昨日の今日でこれが準備されているのも不可思議で、よもや最初からこうしたくて手元にあったとしか思えなかった。
来客時にまでつけさせる気らしく、犬のように粗末なものでは流石に久秀さまの感性が許さなかったのだろう。
特注と思われる首輪は作りが確りしている。
パッと見ではこれは、かぶきものと呼ばれる者らのお洒落にも見えた。
そうではないが、そう思うようにした。
「はい、出来上がり~。
これでこまちゃんは我輩のものらしくなったな。
あとは名実ともにお主が我輩を受け入れさえすれば完璧であるっ」
グリグリと本当に犬のように頭をかきむしられた。
それを気が済むまで黙って受け入れていると、調子に乗ってまた空いた手が胸をまさぐった。
無論はたき落とした。
「何かね?」
「少しは反省してくださいませ。これでは久秀に体を預けようとは思えませぬよ」
「ということは少しは我輩と番いたいと思っていると言うことか?」
にやにやしながら問いかけた久秀さま。
私は負けじと頷いた。
「でも、まだ先のようです」
意地悪のつもりだった。
それでも目の前の御仁の瞳はきらきらと輝いていた。
そのように見つめられては困ってしまう。
私は首輪をそっと撫でて、好みに合うように調整しながら呟いた。
「だったら態度を改めよう。手始めに我輩にどうして欲しいか言ってみろ」
「特段ございません。ただ気長にお待ちくださいませ」
「またそれか? じゃあ改善点を言ってくれ」
「それもご自分でお考えください。では、仕事に戻りまする」
「え、それってちょっと酷くない? 待ってよ、こまちゃんっ」
すたすたと彼のそばから離れていくとまた情けない声がした。
どうせ夜には一緒の部屋でしばらく寝るのだから少し焦らして良かろう。
私は夜中にきっと驚くであろう彼を想像してくすりと笑った。
女心とは何で動くか本当にわからない。
あの情けない表情を見て、この人に情を感じたなどとは決して言えない事だった。
夜半、宣言通り嬉々とした久秀さまの隣で二人分の夜具を敷いた。
久秀さまが寝静まったことを確認してから私はそっと、その懐の中へと忍び込んだ。
寝息など立ててはいるが、きっと起きているだろうな、と思った。
私はその唇を自分のと合わせた。
拙いながらも舌など入れてみた。
久秀さまの眉間が少し動いた。
足を股の間に滑らせ上下に遊ぶ。
急に沸騰したように下腹が猛る。
目にはしたことが有るが初めて触れたそれを、遊女よろしく優しくなでた。
あまり強く擦るといけないのだよ、と昔一緒に働いた姉さんらの卑猥な戯れ言が今役に立っていると思うと複雑でもあった。
「起きていらっしゃるのでしょう?」
「……寝ておるわい。昼間に悶々とさせて置いてヒドイ」
「気長に待った甲斐が有りましたね」
「お主が寝た後に顔を見ながら弄ろうと思ってたんだぞ。懐紙も沢山準備してな」
「二人で使いましょう? そんな切ないことせずに」
「生意気言うな。こんな風にされたら嫌でもするに決まってるだろう」
反転した。
天井が見えた。
手前には大きく久秀さまの頬があった。
唇を吸われて舌は掬いとられた。
のし掛かる重味が心地よかった。
「くそ、これではどちらが犬か分からんわ」
「やはり犬だと思っていたのですか」
「あぁ。従順で可愛いが時々手を噛む」
「可愛いだけではこの世は生きづらいのですよ」
私は囁いた。
着物ははだけ、私は久秀さまの丹念な愛撫を静かに受け入れた。
もつれ合い、朝方まで優しく操縦されて心地よさの中で私は眠った。
あれほど装着をしつこく要求された首輪は気が付けばなくなっていた。
視線を向けると久秀さまは照れて笑った。
20180221