恋煩いのコンテ集
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「ご機嫌麗しゅうございます。信長様」
「面を上げよ、久秀。余は先日の褒美を取らせに来たにすぎぬ」
「ご厚情、感謝いたしまする。殿にご足労させるとは面目御座いませぬ」
そう言うと、久秀さまは私に客間の準備をするように命じた。
私は直ぐ様、命に従い逃げるように家の中に入り込んだ。
私の心臓は跳ねていた。
恐ろしいほどに早鐘がなっていた。
冷や汗が流れる。
あの瞳に食われるかと思った。
準備をしていると久秀さまが背後にいた。
彼は動揺している私に「落ち着け」と一言添えてさらに命じた。
「着流しでは礼に欠ける。
小袖でも構わぬから狩衣と合わせて着付けてくれ」
「はい」
私は急いで、久秀さまの長持を開ける。
いつもの調子でてきぱきと出来ているだろうかと心配になったがどうやら大丈夫そうだ。
耳元で彼が囁いた。
「安心しろ。
奴なら取り次ぎで待たせておる」
「畏まりました」
「腕を握られていたな」
「はい」
答えると頭上から舌打ちが聞こえた。
どうやら琴線に触れるものがあったらしい。
私はそれ以上語らず彼の身なりを整えた。
「なぁ、こま」
「なんでしょう」
「しばらく外に出ておれ。
家臣団の屋敷にいろ」
「ですが……」
「若造の相手くらい一人で出来るわ」
そう言うと、彼はつまらなそうに欠伸をした。
準備が済むと、私は取り次ぎで待つ織田家の当主を客間に促した。
「お待たせ致しました。
主人の支度が出来ましたので、こちらへどうぞ」
「分かった」
簡易に答えたその人はもの珍しげにこの家の内装を見ていた。
柳生殿ほどの背丈は無いにしろ、低い天井は手を伸ばせば届いてしまうだろう。
平服のこの人は一目見ただけではただの町人にしか見えない。
玄関で声をかけたのもこの人だとしたら普段の姿はこちらなのかとさえも思う。
さらに私は、この方はお一人でここまでいらしたのだろうか、などと考えていた。
御自分の領内であるから共も連れずにふらふら出来るのかと呆れもした。
しかし仮にも久秀さまの主君である。
下克上の世の中でころころと主君が変わると言えども先程礼を欠いたのはとても痛い失敗であった。
その心中を知ってか知らずか、信長様がさきに口を開いた。
「#2#……と、もう一人の者が言っていたが、さっき久秀はこまと言っていたな」
「はい。それが何か」
「いや」
武士であれば主君に名を覚えられるというのは大変な誉れであろう。
何せそれによって、一生分の食い扶持が出来るのだから。
それ故、武士はその本分以上の働きを常に気構えし、戦に駆り出される百姓は武士に負けぬ功を競い落武者狩りなども平然と行う。
だが、あいにく私は女であるし武士の栄華など興味は無い。
戦に生きればいずれ没落するのは必然だと思っている上、三好家などその良い例である。
あれほど華美を誇った一族が、今や影すら失っている。
だから私には久秀さまのような飄々とした遊び人が性にあっている。
野蛮な戦よりも遊びに熱中する人は、誰よりも息が長い。
「お連れ致しました」
さほど長くもない廊下を渡りお伝えする。
小さな茶室にも変わるその部屋では、茶釜が火鉢にくべられている所であった。
出迎えた久秀さまの表情は年の功とやらで柔らかな笑みを湛えていた。
うまいものだ、と心中で思った。
「信長様、お入りください。
こまは下がってよい」
「畏まりました」
「それと、御使いを頼まれてくれ。
茶菓子が足りなくてな」
「はい」
私はそのまま短く答えて客間をあとにした。
私は信長様が客間に入るのを見届けると、静かに家を出て柳生殿のいる家臣団の屋敷に走った。
*
一方、久秀と御客人のやり取りは静かに行われていた。
「わざわざ尋ねて来られるなど驚きました。
それほどあの娘が気に入りましたかな」
「やはり女である、か。
うぬの趣味で女の成りをさせているのかと思ったが逆か」
「えぇ。器量良し故大人数の人前ではあの成りで出させました。
そういえば、信長様の小さき御子息様から、あの者への求婚の手紙が届きました」
「であるか。
子供には男も女も無いようだ。
本質を見抜いておる」
「えぇ」
煮立った湯を抹茶に注いで行く。
鮮やかな緑を更に濾して口当たりを柔らかくさせる。
あら熱が冷めるまで優しく溶かせば、さらに美しい春の新緑のような色になる。
今は真夏であるが、この部屋は風が通るから涼しい。
木陰を通り抜け、厳つさを失った柔らかな風が二人の静けさの中に微かな音をもたらした。
さきに口を開いたのは久秀だった。
出来上がった茶を差し出して、外の景色を眺めながら。
「信長様、我輩と家臣団は京へ帰ろうと思うのです。
元々あちらの水に慣れているものですから、そろそろ恋しくなりました」
「いきなりだな。何故」
「さぁ……殿より二回りも年ですからな。
世間で言うならもう老人です。
若い頃より死を身近に感じるのですよ。
妻とのふとした会話にも己の衰えを感じます」
「……妻」
信長の呟きに、久秀はゆっくりと視線を落とす。
自嘲気味に言うと己の分の茶を客人よりも適当に拵える。
茶を入れた器も信長のよりも小さくて寂れていた。
「えぇ。あれは我輩の妻です」
「であるか。俺よりも若いな」
「年甲斐もなく、自分の方から惚れましてな」
くすくすと久秀は笑った。
そこには梟雄と言われた面影は殆どなく、好々爺のゆるりとした雰囲気が何気なしに漂う。
張り詰めては緩む、この空気が信長は嫌いではなかった。
信長自身、久秀を嫌ってはいなかったというのもある。
茶器や城に関わらず、生き方に至るまでその人の道の上には、今で言うアウトローという者らへの憧れが根強くあった。
故に彼は古典においては平家物語をこよなく愛し、平清盛を崇拝したし、近く関わる者では義父である斎藤道三や松永久秀といった武士の表の華々しさよりも、血生臭く生きる者らへの近親感が強かった。
故に苛烈と人は言うが、実際のところ元来優男であったという説もある。
それを拭い去るために憧れが肥大し、その人の血肉となったような節もあるがその辺りは不明だ。
策略かどうかは預かり知らぬが、うつけの振りをしながらも家督争いの折りには、弟を誅殺するといった背景もそのようなものであると考えられる。
その上、風流好みの信長は久秀がこの茶室という特別な空間を貶すことは無いという確信を抱いていた。
個性の強い似た者同士で憎み合うというのはざらだが、似た者同士であると言うよりも、信長にとって久秀とはひとつの憧れである。
憧れが作り出す空間を無下に出来ようもなかったし、己にへつらう者らには決して出せぬ居心地の良さを感じていた。
要するに信長は久秀を好いていた。
「うぬの目利きは動かぬ物ばかりに留まらぬのだな」
「自慢では無いですが、あれは良い女です。
この年寄りに良く尽くします。
望むものは何でも叶えてやりたいが、本人は何も言わぬのですよ」
「だから帰るのか」
「まぁ、男のわがままに付き合えば女も箍(たが)が外れるものですから」
にやりと面白そうに笑った久秀に信長は「なるほど」と頷いた。
実際濃姫などは元来の優しさを置き去りに魔王の妻を見事に演じ、今やそれが馴染みつつもあった。
心を閉ざしているともとれたが、あれは自分への当て付けとも最後の抵抗とも取れなくもない。
濃姫のたおやかさや淑やかさに、人をいたぶって楽しむ等という残虐な思考は本来は似つかわしくないと感じつつ、それを望んだ自分がいた。
魔王の横にはそれに相応しい残酷さが必要だと思っていた。
馴れ初めの頃のあどけない少女は今やいない。
懐かしんでも、きっと戻れないだろうと信長は思った。
自分のぎこちない愛情を素直に受け入れてくれた優しさを思いながら、信長はそれを強制した自分に苦笑した。
「箍を外すか……」
「えぇ。しかし女は愛されて花を咲かせますが、男は愛してこその花です。
愛すべき者が居なければ何になりましょう。
栄華を極めようと、天下に名を馳せようとすべては泡沫。
諸行無常です」
目の前の久秀は肌身で感じていても良く分からぬ「感覚」というものをいとも容易く言葉に置き換えて表現して見せる。
それは己の未経験の境地を先に越した者が出来る事だと思えた。
実際久秀のよく知る三好長慶や足利幕府の者共は栄華を極め事実上の天下人であった。
しかしそれももはや無い。
「殿はまだお若い。
女遊びを慎めと言う輩は多いでしょうが大いに楽しんだ方が良いですぞ」
「……その言、分かりかねる」
「身を持って分かれば良いのですよ。
女は素直で可愛い。
しかし欲深い。
愛しただけ自分が大事にされるが、裏切れば死よりも恐ろしい制裁が待っている。
あぁ、これは我輩の死んだ妻の話です。
若い頃は苦労しましたよ」
さらりと自らの体験を聞かせ、暗に苦労しろと宣う久秀に信長は小気味良い何かを感じた。
口の端に笑みを浮かべて信長は呟いた。
「余は濃や他の側室らで手一杯だ」
「ほう……愛妻家で結構ですな」
「……」
出された茶を啜った。
信長は思った。
久秀の妻とやらはとても魅力的である。
欲しい、とあの宴の席で思ったからあの様な暴挙に出たのだ。
それは男だろうが女だろうがもはや関係なかった。
今回も褒美を取らせるという名目を出しておいて久秀から九十九茄子よろしく掠め取ろうと言う浅はかな魂胆もあった。
あれほど分かりやすく挑発したのだから久秀とて分かってはいる。
しかし、室に通され、この者が作り出す空間に居座り茶など啜っている自分はもはやその事など、どうでも良くなっていることに気がついた。
(俺はこの男のものだと思ったから欲しいと思ったのか。
欲しいと思ったのは果たして女だったのか、それとも目の前の男か)
信長は考えた。
男色の根強いこの時代においてそれ自体は悪いことでも何でもないのは先に述べた通りだ。
しかし腑に落ちないのは自分の欲心に対してであった。
何が欲しいのか分からぬというのは、この男にとって少なからず衝撃であった。
漠然と天下が欲しいともがいた若かりし時と、望めば全てが手に入る今、確りと欲しいものとは何であろうか。
それに答えるように久秀が答えた。
「欲しがらぬというのも良いことです。
それは自分が満たされているという証でも有りますからな」
信長はその時ハッとした。
二杯目の茶はどうか、と久秀が問いかけた。
この得心を与えた人物に熱い視線を投げ掛けて「よくぞ教えた」と手を握りしめたい衝動がうなじまで差し掛かった。
しかしおくびにも出さずゆっくりと手の中の茶器を差し出した。
久秀は信長が何を考えているかなど微塵も興味が無いように、当たり前ながら茶器を受けとり無心に丁寧に茶を点てた。
「久秀」
「何でございましょう」
「許す」
「何をでございましょうか」
久秀は信長に視線すらよこさず器の中の茶に集中している。
信長も窓の外の景色をぼんやりと眺めて溜め息混じりに呟いた。
「うぬは京に帰るのだろう。
信長はそれを許そう」
惜しいと思ったが言ってしまってから「やはりダメだ」とは生粋の武家の棟梁らしくはないなと、揺れる木々の枝を見つめた。
いっそのこと久秀も久秀の女も手に入らないのなら燃やして仕舞おうかとさえも脳裏に過ったが後始末が大変そうだと思って考えるのをやめた。
久秀は信長の言葉が聞こえなかったかのようにただ黙々と手を動かすばかりだ。
返事が無いのは焦れったい。信長は更に付け加えた。
「宴の褒美もついでにつけよう。
五百は多いと恒興に叱られたゆえ、百貫を褒美で取らす」
はぁ、と溜め息が出た。
そこまで言って久秀は漸く手を止めた。
鮮やかな緑がまた器に出来上がった。
久秀はまるで困ったようにくすくすと微笑んでいた。
「ありがたき幸せ」
食えぬのはお互い様だが、満面の笑みに思わず信長は赤面した。
そして出来たばかりの茶を一気に飲み干して帰っていった。
一方で久秀はやっと肩の荷が降りて安堵していた。
「もう来てくれるなよ、信長」
そんな風に若い者へと毒を呟いた。
20180219
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