恋煩いのコンテ集
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庖厨より、とんとんと軽快な音がしたかと思うと、次第に鼻腔をくすぐる良い香りがした。
一嗅ぎごとに甘味、酸味、辛味を連想させる。
料理を作る御仁の後ろ姿を眺めつつ、何を作っているのかと思い描く。
呟きが聞こえた。
「う~む、少し張り切り過ぎたかの」
松永殿の少し困った顔が見える。
ちらりと盗み見ると、膳には庶民ではなかなか目にかかることの出来ないような食事が並ぶ。
砂糖を入れた甘い玉子焼き、艶々と照り輝く角煮、牛乳と野菜をふんだんに使った味噌汁、香辛料を利かせた鶏の手羽先、おまけに南蛮菓子まで有る。
先ほどの無礼など忘れ逃げようと考えていた算段など何処へやら「ぐぅ」と腹がなる。
振り返った御仁と目が合う。
それを聞いていた松永殿がニヤリと笑った。
茶碗に麦飯をよそいながら言う。
これもまた垂涎させる。
「どうだ、うまそうだろう。
我輩の料理はうまいぞ。食べてみろ」
歯を見せて笑む松永殿。
手招きされ、板間に座布団を敷き、その前に膳を置いた。
座れと促され、箸を渡される。
おかしな薬でも入っているのではと警戒もしたが芳ばしい香りには逆らえず、促されるまま箸をつける。
「…頂きます」
ご飯を受け取って、食べてみる。
米の炊き方も凄く上手だ。
おかずも良い味付けで箸が止まらない。
最初こそ警戒したが胃に物が入れば後は、済し崩しの要領でいくらでも頬張った。
「美味しい…」
一つ皿が空けばまた一つ空になる。
普段あまり食は太い方ではないのだが、このときばかりは与えられればいくらでも入ったのが不思議であった。
「うむうむ、それは良かった」
私が言ったことに対し、松永殿は微笑した。
そちらも膳に盛り付けた食事をゆっくりと頬張っている。
ちらりと表情を盗み見ると、とても満足気で穏やかであった。
まるでさっきとは別人みたいに見えたから、私は少し心が乱れた。
この人の本心と行動は実はちぐはぐなのではないかと邪推したりもした。
こちらが本当で世に言う「悪党」とは仮面ではないかとすら思った。
しかし簡単に相手を信用してはいけない。
笑顔に騙されてはいけない。
何せこの人は松永久秀なのだから。
(それにしても美味しい)
無言のまま食べ進めて行くと、松永殿も口を開いた。
茶化すように声をあげて笑う。
「気に入ってくれて何より、お姫様」
「その「お姫様」という呼び方はやめてください。
私はそんなに高貴ではありません」
「良いではないか。
我輩はお主に惚れているのだ。
好きに呼ばせよ。
それよりも、口のわきにタレが付いておる。
我輩が舐めて取ってやろうか?」
「結構です!」
ごしごしと拭き取ると、松永殿は「おや、残念」と冗談交じりに笑った。
「ご馳走さまです。とてもおいしかったです」
「そうか? お主に喜んでもらえたら、おじさんも満足だ」
「またそのような…」
「我輩の本音だ」
苦笑すると松永殿は真面目な顔をした。
その表情の変わりように、驚く。
百面相とはこう言うことかと思う。
笑っては怒り、しょぼくれては思案する。
「我輩は嬉しい。お主と同じ飯を食えることがな」
「それは…ありがとうございます」
「信じとらんな? 本当だぞ?」
「別に疑っているわけではありません」
困りはしているが、何もなければ好かれて嫌な気はしない。
ただ、そこまで惚れられる理由も入れ込む理由も分からないだけだ。 仮に私を知っているとして、それだけでこんなに尽くしてくれるだろうか。
俸禄を貰いながら何もしなくて良いなどと言う破格の条件には戸惑う。
認めたくないし、不可抗力だが一応主君なのに。
「そう言えば、この家には家臣や給待の方はいないんですか?」
「あぁ。ここは我輩だけの屋敷だからな。
家臣団の屋敷はまた別だ。
我輩の見栄っぱりぐあいがよく出てて豪華だぞ。
今度見に行くか?」
「いえ、そうでは無くて…」
私は少しためらった。
こんなこと言うのはなんだか憚られるような気がしたから。
私はちらりと松永殿を見る。
私の直感は当たらないとは思うものの、寂寥感なるものを感じた。
しかしきっと考え違いだろう。こんな人を食うようなことを平然と出来るのだから。
でも、やはりなんとなく気になってしまうのは、この人の作るご飯が美味しいからか。
餌付けされるなんて、と己の卑しきを誰にするでもなく恥じた。
卑しさを払うように首を振る。
さっきの身の危険をすぐに忘れてる。
それよりも家臣一人もいないのでは、ますます私の身が危ない。
誰も助けに呼べないではないか。
それとも不幸中の幸いと思うべきか。
彼一人なら逃げ出すことも容易いか。
「どうした、黙りこくって。
食い過ぎて腹が痛いのか?
我輩が見てやろうか?
さぁ、さっそく脱いでみろ」
「違います」
「何を考えているか知らんが、心配は無用だ。
さぁ、今こそ我輩に身を委ねよ」
「遠慮します」
「なんだ、つれない」
冗談なのか本気なのか分かりかねる口振りに、私は頭痛がした。
いや、この程度で音を上げていては先は長くないだろう。
私は溜め息をついた。
ちらりと彼の方を見ると、そちらも食事が済んだようだ。
「私、下げて参ります。
台所はあちらですね…」
「うん? お主がしてくれるのか?
これは助かる。
我輩、作るのは好きだが片すのは嫌いでな。
あとで良いものをやろう」
にかっと笑い「ありがとう」と茶を啜る松永殿。
台所を案内されながら思った。
私は袖を捲る。
(ありがとう、か)
背後の御仁の何気ない言葉。
今までの主君や同輩はかけてくれたろうか。
使われるのが当たり前の環境しか知らぬ私に、こんな小さなことで感謝し礼を言う人。
何となく、それが新鮮だった。
「どうした? こま」
「いいえ」
私はなんとも無い振りをして冷たい水に手をさらした。
改訂20180116