松永殿と恋煩い
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「うちらの舞っちゅうんは、神さんに捧げるもんどす。半端な気持ちで舞うんはあきまへん」
昔、師匠が言った。
きらきらと舞いながら、多くの観衆を魅了する師は未だ私には遠い存在である。
何人も触れられぬ魅力。
どんなに上手だと褒められた弟子であろうと師匠を超えることはない。
舞とは武。
人を美しく殺すために培われてきた、と師は言った。
故に舞台とは舞手に取っての戦場である。
「うちらの舞は人にとっては甘い蜜。そして人を狂わせる毒……。やるならば真剣に、全うするんが肝心どすえ」
見た者の魂を抜き去り空ろに出来るものが真の舞手である。
彼女の舞を見たものはまさにそれであった。
はんなり、と彼女は微笑み、老若男女問わず俗世の苦しみや痛みを取り去る。
かと思えば舞一つでその人の感情へ揺さぶりを与え、誰かに死を給う。
師は情を操る天才であった。
「良いこと、教えましょか」
記憶を手繰り寄せる。
師が遠い昔に教えてくれた基本である。
「逆境が来た時ほど笑うんどす。そうすれば神さんもあんさんの味方になってくれますえ」
微笑む師匠の真似事をする。
柳生殿が大層驚いた顔をして目を見開いた。
信長を前にして上の空だった私が信じられぬのだろう。
もしくは信長の前で急に微笑したのに絶句したのだろう。
時間にしたら瞬き五回程度の短い時間だとしても、彼にとっては信長とは命のやり取りをする相手らしく気を抜けないのだろう。
しかし女の成りをしたその魔物はただ目を細めているだけだった。
それと同じく久秀さまの視線も私に「舞え」と命じている。
私は柳生殿の短刀を抜刀すると、信長に突き付けた。
柳生殿の顔色が変わる。
「御所望の通りに」
それと同じくして久秀さまが軽快にまた笛を鳴らした。
魔物が楽しみを期待するように微かに口元をあげて身を翻した。
私は柳生殿に目配せした。
こうなっては勢いに乗るしかあるまい。
酔いのせいか恐ろしさの裏返しか。
「私がやります」と私は啖呵を切っていた。
言っても聞かぬだろうと諦め気味に溜め息をつく柳生殿。
ただし、しずしずと退場するかと思いきや楽隊の太鼓を奪い、久秀さまの横に鎮座した。
苛立ったように柳生殿を叱咤する久秀さまが視界に入った。
信長は面白い玩具を見つけた餓鬼のようににんまり笑むと、退場し舞台を明け渡した。
一一一構えよ。
最初に鳴ったのは太鼓の音だった。
私は激流にさらわれた葉のように身を任せる。
その音に合わせて体を伸ばし、くねらせ、回る。
何度か韻の調子を確認し、その拍子で固定した。
奏でる柳生殿と視線を交わして頷いた。
以前は笛を吹いてくれたが多才であると今更感心する。
次に笛の音が重なる。
どこで私の好みを知ったのか、久秀さまは私の好きな曲を奏でてくれた。
沈みては浮かぶ、血生臭いほどの音の羅列。
清廉を主としない、まるで彼の劣情をそのまま反映しているようだった。
相当な苛立ちと怒りが滲んでいる。
自分を見ろ、と視線が私に訴えて来た。
まるで私が久秀さまだけのものだと言うように彼は威嚇している。
その勢いにたじろいだ。
その執着に背筋がぞくりとした。
まるでこの人に抱かれているようだ。
笛の音が私を支配する。
しかし驚くほどに我が身に心地良かった。
体に馴染む音に悟った。
私は今からこの人のものとなるのだ。
鋭い視線に心で喘いだ。
久秀さまが私を離さない。
大勢の観客がいる前で私はこの人に犯されている。
恍惚の表情を作ると観客の男が何人か「ほう」と声を漏らした。
指先を尖らせ、昇天する真似をすると舞台の際にまた何人か集まり近く寄る。
もっとよく見ようと、期待を込めて男たちは私の中の女が行き果てるのを期待している。
一一一色狂だ。
それを確認する間もなく、怒り狂った音を叩きつけて牽制する久秀さま。
ならば、と私は人形のように体をくねらせる。
散々弄ばれた仕返しとでも言うように男どもに媚びを売って微笑むなどしてみると、観客は魂を抜かれたように動かない。
師匠が授けた技はまだ私の中で健在なようだと確かめた。
まるで情婦のように淫靡で鄙猥で、蠱惑的に振る舞うと男たちは次々に立ち上がり虫のように引き寄せられる。
視線は彼に置いたまま、唇を濡らし瞳を潤ませて乞うように反り返るとまるで女が果てた後の様ではなかろうか。
初夏の生ぬるい風が首筋を撫でる。
暑いがひんやりとした汗が額を伝う。
仕上げとばかりに楽しげな太鼓の音は益々激しく、怒り狂った笛の音は甲高く叫ぶ。
私は円を描くように舞台で回転する。
しなるように、空気を裂くように。
握りしめた短刀は日射しを受けてキラリと光り、反射する。
構えた先はここに私を引きずり込んだ魔物。
不意に視線が合わさり交わった。
笑っていたのでそれとは判らぬ様に睨み付けた。
このような児戯などさっさと終わらせて、自分の居場所に帰るのだ。
さて音が止まり、終局を迎えた。
しんと静まり返った場内。
その後、割れんばかりの拍手喝采と歓声。
口笛なども吹かれ、思っていた以上の反応によろめく程だった。
その中には羽柴殿と前田殿が指差して顔を見合わせていた。
大方、あのときの女だ、とでも話し合っているのだろう。
礼をしながら、息を整えた。
酔いも合わさり身が持つのも時間次第だと思った。
舞台袖に下がると、真っ先に久秀さまが肩を抱いた。
きつく抱き寄せられた。
かいがいしく手拭いで汗を拭いてくれたりといつも以上に世話を焼き、心配そうにこちらを見る久秀さまがいた。
一一一こま、すまない。
唇が動いた。そんな彼の唇に視線が釘付けになった。
そのようなことを言わないで欲しいと思った訳でもない。
しかし不確かで場違いな感情が今せり上ったのは確かだった。
(何故かしら……)
鼓動が早鐘の様にうるさいからだからかも知れない。
心はそれどころでは無いのに、体が一瞬にして燃え上がったような、まるで今までのこと全て荒唐無稽に等しかった。
「まったく……こんなところ、早々に退場しよう。お主を誘った我輩が悪かった。宗矩、お前も帰るぞ」
「はいはい、今行くよォ」
皆がこちらを凝視している中久秀さまは男どもを掻き分けて退場する。
私は久秀さまに腕を取られて、その後を追った。
しかしあるとき久秀さまは急に立ち止まり、私は些かその背に鼻をぶつけた。
前方を見ると女装を解いた信長がいた。
傍らには音に聞こえた美男子、森蘭丸が控えている。
近くで見ると益々の美少年振りである。
まだ元服も済まさぬうちから信長に可愛がられて、自分には価値があると言う自負や誇りが目の光に宿っている。
故に妬み嫉みに似た視線もこの少年の内から私へ向けて放たれているのも痛く感じた。
さて久秀さまは跪き低く頭を垂れる。
頭を上げることを許された久秀さまは問いかけた。
「何かご用ですかな、信長様」
「久秀、うぬに褒美を取らす」
「恐れ多い。我輩は何もしておりませぬ」
「ならば傍らに控えたその小姓にくれてやろう」
ちらりと視線を向けると、信長は私を見ていた。
やはり面白い玩具を見つけたように楽しげに品定めしている。
久秀さまはそれに気が付くと私をそっと背に隠した。
主君の登場とあって織田家の家臣や外様の面々はじっと私たちのやり取りを見ている。
久秀さまは面倒くさげに小さな嘆息をした。
おもむろに信長公が下知した。
「久秀の小姓と従者に宋銭五百貫を取らす」
「なんですと?」
信長が言った。
余りにも平然と言うので一瞬耳がおかしくなったのかと思った。
私だけじゃない。
柳生殿も目をぱちくりさせている。
それに他の織田家の家臣らもだ。
久秀さまだけが苛立ちを押さえきれぬ様子でぎりぎりと歯を擦り合わせる。
「不服か? ならばもう一差し舞え。さすれば更に二百貫上乗せしてやる」
余りにも破格な報酬に私と柳生殿は目を見合わせた。
素晴らしい額だ。
この額があれば暫くは遊んで暮らせる。
しかし同時に恐ろしくもあった。
たかが舞ごときに手厚すぎる報酬。
私は久秀さまの袖をちょんと引いた。
久秀さまは頷いた。
「信長様。若輩者の我が連れどもへの御厚情、感謝のしようが御座いませぬ。しかし、ご無礼ながらこの様な破格の褒美は己の力量を見誤り兼ねませぬ。それに宴の席の見世物です。褒美ならばどうか私どものような外様ではなく、直臣の方々へ御分配くだされ」
久秀さまはちらりと私と柳生殿を見た。
回りの野次馬らは五百貫を蹴るとは正気かと目を見張っている。
もしくは久秀さまを高尚で清廉など勘違いし始めたものや、傍らの美しい少年などは、信長様の好意を無下にするなど如何と目をつり上げて憤っている者もいる。
しかし少なからない古参の者や、古くから織田家に従う家の者らは納得した様子で事の成行を見守っていた。
動じない久秀さま。
それに引き換え、傍らの柳生殿や背に控えた私などは汗水が頬を伝うほど張り詰めていた。
信長は少しばかり考える素振りをすると周りを見渡す。
そして小さく頷いた後、得心言ったように呟いた。
「……で、あるか。久秀」
「はっ」
「分かった」
「ご理解を賜り、感謝の言葉も御座いませぬ。屋敷で家内が待っておりますので、これにて失礼申し上げまする」
久秀さまは深々と頭を下げた。
私たちは倣うように更に頭を下げる。
私はちらりとその御仁を盗み見る。
瞳は鋭く、笑ってはいない。
声を出して笑ってはいるがどちらかと言えば「嗤う」だった。
「うぬには追って人を遣わそう」
「ありがたき幸せ」
信長は美少年を引き連れ、優雅に翻った。
私たちはそれを平服したまま見送ると、久秀さまに乱暴に腕を掴まれ足早に岐阜城を後にした。深緑が風に揺れている。生ぬるい嫌な風に、背中の汗が冷やされぞくりとした。
「あんなことしちゃって良かったのかい? あれじゃ信長に喧嘩売ってるようなもんだよ」
柳生殿が久秀さまに苦言を呈した。
大仰な溜め息まで付加して「ねぇ、どうなの?」と問いかける。
「うるさい。そもそも先に喧嘩を吹っ掛けて来たのはあやつだ」
「でも五百貫なんて、早々拝めるものでも無しだよォ」
「我輩が九十九茄子を買ったときは一千貫だ」
「それだって今や信長のでしょうよ」
「だまらっしゃい。いちいち古傷を抉るでないわ」
そう言われて、柳生殿は気の無さそうに「ふぅん」と吐息する。
久秀さまは苛立ちを隠そうともせず発言する。
「そもそも、あれは断ろうと受け取ろうと我輩の首を締める」
「そうかい?」
「直臣を差し置いて、新参の我輩が手厚い褒美を貰えば織田の家臣どもの反感を食う。かといって断れば信長の小姓のように其を崇拝するものから反感を食う。どちらに転んでも敵を作るなら害の少ない方が良い」
「つまり天秤にかけたと?」
久秀さまが大きなため息をついた。
そんな大層なものでは無い、と言いながら空を仰ぐ。
「苦渋の選択と言うやつだ。我輩だって五百貫は惜しいわ。だが受け取ったらあれしろ、これしろと当たり前の様に要求されかねん。あやつは、あぁやって人を餌にして他人の感情を無為に煽る。まるで若い頃の我輩のようにな」
そこまで言って、久秀さまは大袈裟にくしゃみをした。
大分冷え込んできたようだった。
柳生殿が心配そうに手拭いを手近にいた私に渡した。
私は彼の首に巻いてやる。
巻きながら呟く。
「久秀さまは悪党だからいくらでも怨みは買ってるでしょう。今さら背に一つ二つ負ったところで大差ないですよ。可哀想なのは久通様です」
私の言葉に柳生殿が大きく頷く。
それには久秀さまも納得のようで、悩ましげに目を閉じる。
どうやらその点では内省しているようである。
本人がもて余しているとは言え息子は息子。
しかも親に似付かず淡全とした青年に火の粉が降りかかる可能性に彼は溜め息をついた。
「駄目な親を持つと哀れだねェ」
「我輩をダメ人間みたいにいうな」
ぴしゃりと言いつつも、その言葉に棘がない。
何だかんだと言いながら、それなりに自覚があるからだと思った。
屋敷につく頃には夕暮れ時となり、柳生殿もそのまま泊まった。
次の日は何もせぬまま一日が過ぎた。
***
宴会から二日後の朝、飛脚が来た。
それはそれは大量の文をお持ちになってきたので、私は仰天した。
しかもその宛名が見たかぎり全て「松永久秀殿の近習殿」となっているので何事かと私はおかしな汗を垂らした。
合間合間に久秀さまへの書状もあるが比する量が違う。
よもや先日の宴で何か粗相をしでかしてその苦情とかではあるまいな。
一人あれやこれやと悩んでいると久秀さまが私の後ろに立っていた。
声を掛けられたので、その文を後ろ手に隠して朝の挨拶など済ませる。
いかにもあやしい動きに久秀さまは目敏く気付いたか、私の直ぐ側まで寄る。
額がくっつくのではないかと思うほど顔が近づく。
目が泳ぐ。
「こまちゃん」
とても爽やかな笑みで私の名前を呼ぶ。
私は下を向いたままだったが、久秀さまが掌を開いて「寄越せ」と命じるので、祈る思いで後ろに隠した文の束を彼に差し出した。
理由は何にせよ遅かれ早かれ多分文の内容を問い質されるだろうから。
「素直でよろしい」
差し出すと、そう言葉が帰ってきた。
久秀さまは差出人の名前を興味深く眺めた。
「…随分と織田の将どもから届いたものよ。
羽柴秀吉、滝川一益、丹波長秀、佐々成政、池田恒興。信長の小倅二人と、おや……光秀まで文を寄越しておる。女からも来てるな?ほう、山城殿の小娘と、ははっ……お蘭の方まで」
「お蘭の方などあの場所におりませんでした。山城殿の娘とはどなたです」
「濃姫と森蘭丸だ。一々口を挟むでない」
その後も名を知らぬ数々の差出人に目をやり、それが終わると今度は私を見た。
少しばかりそれが私を責め立てるようであった。
そして呆れと若干の優越感を含んだ溜め息をついた。
「お主を連れていった我輩が悪いのは承知で聞こう。我輩の知らないところでいつ色目など使いおった」
「使いません。ずっと側にいたではないですか」
「じゃあ、なんだ。この文の数は?」
「分かりません」
私は少し緊張している。
怒られる、と思った。
しかし文の内容すら分からないのに、何故この人は「色目」などと言葉を使うのか。
私は久秀さまの命により、確かに男となって宴に同席したはずなのに。
そうこうしているうちに久秀さまは勝手に内容を読みあさり、そのうちの数枚を残して破り捨ててしまった。
残ったのは宛名のみ。
「何をなさっているのですか」
「お主も自分の美相をそろそろ自覚すべきよ。男に化けさせてこれとは、少々抜かったわ。だから舞台に上がらせたく無かったのに」
溜め息と舌打ちをして久秀さまは肩を落とす。
「お褒め頂き大変恐縮ですが、破り捨てる意味が分かりません」
「意味か?この前教えてやったと言うのにお主は我輩より痴呆の気があるな。戦場に女を連れ込めぬ男がどうやって己の肉欲を癒すか知らぬのか?」
「という事は……」
「こいつらは我輩があとから礼をしておくから気にするな」
「はぁ……」
言葉を紡ごうと思ったがやめた。
凄みのある表情だったので俯いてやり過ごした。
破られた文の中に先日ここに訪れた羽柴殿の文を見つけた。
彼と前田利家殿は私を女と知っているが、その上での文だろう。
変な人ではあるが、悪い人では無さそうだと思ったのに残念だ。
「我輩のものなのだから我輩の命に従え。もっとも、我輩の女になるなら従わずとも笑って許してやるぞ?夜中にたっぷり可愛がってやるがな」
「朝っぱらから何を仰る」
「こう仰る。それにしてもお主もなかなか折れないな。何をしたら我輩と同禽してくれる? 女になってくれる?」
「そんなの、言えません」
随分自分の欲望に正直な物言いだ。
人の文を勝手に破るなんて言語道断なうえ「女になれ」なんて、あの宴会で外堀を埋めておいてよく言える。
『屋敷で家内が待っておりますのでこれにて失礼する』
織田の家臣だけならともかく、ご子息の久通様がいらっしゃる場所であんなことを言われてはたまったもんじゃない。
その時屋敷にいない私は久通様の視界から外れているだろうが、父を見る息子の目はさぞ驚愕していただろう。
大変なことだ。
柳生殿から妻や愛人などと揶揄されてもそれはこの邸宅でのほんの些細なままごとに過ぎない。
尽くすことがまんざらでは無いにしろ、公と私は分ける性分である。
これは私の感覚が毒されたせいかも知れないが、この人に取って口吸いくらいならば挨拶みたいなものだから最近は馴れて気にも留めぬ。
遊び上手な久秀さまであるから真に受けてしまって後悔するのも目に見えている。
「なぁ、どうしたらいい?」
「歴戦の手練れが私みたいな小娘に執着なさらないで下さいよ」
「なら、お主が寝ている隙にしてしまうぞ?」
「次の日には裳抜けの空ですが宜しいのですか?」
「え〜 そんなこと言っちゃいや」
口を尖らせていじけたように振る舞う。
その仕草が幼子のようで可愛らしいと思う私も異なものである。
分かっている。
久秀さまは優しい。
本人も口ではあぁだ、こうだ、と言うものの一度たりとも無理強いされたことなどないのも事実だ。
「ゆっくり待つなど性に合わん」
「何も無ければ逃げませんからご安心を」
「尻もダメか?」
「もっとダメです」
恥ずかしさで気が参りそうだ。
この人は分かっていてからかって来る。
破られた文を片付けるため箒を持って来る。
「ヒドイ。ねぇ奥さん、我輩浮気しちゃうよ?」
「奥さんが沢山いるなんて羨ましいですね。私もそろそろ旦那さんを見つけないと」
「絶対だめ! こまちゃんは我輩だけのだもん」
駄々をこねる久秀さまに私は、はにかんで笑んだ。
彼は不機嫌そうな恨めしそうな表情でいながらに、それから「腹が減った」と奥へと引っ込んでしまった。
まっすぐ台所へと行ったので今日は久秀さまが作ってくれるらしい。
(あ、今日は白いお米だ…)
子供のような駄々をこねて嫌だとか、雑事が増えて面倒だと思うこともままある。
しかしそういった思いをかき消すように、脳裏には噛めば噛むほど甘い、茶碗いっぱいの米の像が浮かんだ。
私は背後で囁いた。
「私、大好きですよ」
「え、本当に? 我輩のことが?」
「久秀さまの料理が」
「ちっ、紛らわしい事を言うな」
とは言いつつも、出来た料理がいつもより豪勢だった。
彼をちらりと見ると照れたように目を背けられた。
依古地な人だと思ったことを気取られぬようにひっそりと笑った。
20180112
20180128