松永殿と恋煩い
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久秀さまが視線を集めるように、すっと人差し指を上げた。
指差す先は他の者より一段高い壇上。
私より少し年長と思われる男がいた皆の前で座しておられた。
予想よりもはるかに若く、巷で流行っている茶筅髷なる頭髪をこさえているが、そこらの者共より太く結われている。
まず一言で言うなら立派である。
目元涼しく、端整なる顔立ち。
堂々とした凛々しい若君である。
それの隣に控える者々も皆、立派な風格である。
であるから余計に偉大な者という目で見てしまう。
「……あれが織田信長。我輩より二回りも若造の癖して、天下に一番近い。その上あの容姿と来た。あぁニクイ」
最初は信長を誉めるような皮肉るような、どちらともつかぬ台詞だったものがいつの間にか物騒な物言いに変わる。
それが更に本人の中で熱を帯びて来たらしく久秀さまは歯軋りをする。
いつもの悪い癖と分かりつつも私と柳生殿は目配せしてお互い困惑気味に肩をすくめる。
会場の端の端、壁際であっても、曲がり成りにもここは織田家の本拠である。
もしこのような言を吐かす者をがいたなら即刻引っ捕らえられて打ち首などに処させるだろうに。
この御仁と来たら堂々と言ってのけるから、あな恐ろしや、と私たちは宙へと視線を向ける。
いや、私たちより久秀さまの御子息である久通様にご迷惑が掛からないかとても心配だ。
直接私はお会いしたことは無いが柳生殿曰く、久秀さまと違って御子息はとても気立てが良く、忠義に厚い上、家臣への気配りも怠らぬらしい。
唯一似ているのは久秀さま譲りの端正な顔立ちくらいで、計略、謀略、暗殺、裏切りなど悪事を悉く成し遂げてきた父親とは似ても似付かない程の好青年なのだとか。
柳生殿は私を中指で小突く。
表情が私に何とかしろと言っていた。
私が何とかしたくらいで止まる訳など無いのにだ。
「柳生殿が相手をしてくださいよ……」
「えぇ…? 嫌だよォ。おじさん、めんどくさい事は嫌いだもの」
ぷいっ、と無表情のままそっぽを向く柳生殿。
そのまま掌で久秀さまの前に押しやられた。
もちろん抵抗した。
ならぬ、ならぬ。
わざわざこんなに目立たせるな。
私とて面倒は御免なのだ。
なのに体格差と言う圧倒的な壁と、その人の剛力がものを言わせぬ。
そのまま私は自分の世界に没頭する久秀さまの肩に触れた。
「あぁ~! こまちゃん!我輩は思うのだ、我輩とて才能はあるのだ。ただ、才能の質が違うと思わぬか。あやつはどこかおかしいのだ」
仮にも主君であるはずの人間を指し示すではなく、完全に指差してとても不機嫌そうな表情をする久秀さま。
後ろを見ても我関せずを頑として貫こうとする柳生殿はわざわざ菓子と酒を取りに織田の小姓の案内に付いていく。
その小姓は主君である信長を貶されているにも関わらず可哀想な者でも憐れむかのように一瞥し、明らかに久秀さまの使いと分かっている柳生殿へはにこやかな笑みを向けると人の群れに溶けていく。
私は久秀さまが余所の小姓にその様な素振りされるのが居た堪れ無かった。
それと同時にその様な素振りをしたくなるのも「分かる気がする」と溜め息をついた。
巨躯で目立つとは言え、柳生殿はすでに声をかけても届かぬ距離。
仕方なく私は久秀さまに向き直った。
丁度近くに腰かけるのに丁度良い一角があったのでそこに座し、久秀さまを手招きした。
私はともかく、このような壁際に座らせるなど一応主君である人に失礼かもとは思ったが久秀さまは特段気にしなかった。
「信長を認めるのが悔しいと言うことですか。一一一ちなみにこまじゃありません。生駒です」
「あぁ、そうか、今日は男か。……ちなみに悔しくないもん。我輩もう年だし、おっさんだし」
「おっさんかどうかは関係ありませんよ。ただ大きな声で信長公を責めるのはお止め下さい。私も柳生殿も、まだ打首になりたく御座いません。それに……容姿なら負けてないと思いますよ……」
言い淀みながら適当に言葉を繕う。
久秀さまの信長への無駄な足掻きとも取れる対抗心を宥めるには自尊心を満たせば何とかなるだろうかと。
下手におだてて逆上されても困るが私に出来るのはこれぐらいしかない。
至って浅慮で近視的である。
が、しかし、そこは久秀さまである。
「……お、そうか?むっふふぅ、可愛い、可愛い! 我輩の小姓はなんと可愛い事か!」
「お褒めに預かり嬉しゅうございます」
とても乗せやすい御仁で良かったと思うと同時にこう言う所は単純なのかと掌で頭を押し潰されながら思ったものだ。
嬉しそうな久秀さまとは対照的に私は悪目立ちしているのではと妙に気を張らせていた。
その内、柳生殿が頬を食べもので膨れさせて戻ってきた。
柳生殿と目があった。
一一一お気の毒に。
そんな風に目が慰めてくれたが助ける気はさらさら無いようだ。
所詮私に対して好きだのなんだの言っても他人事か。
助ける気の無い柳生殿に内心怒りの種火を付けた。
「久秀さま……そろそろ」
「んん~? 我輩の愛はこれぐらいではすまんぞ~。もっと良い子良い子してやる。帰ったらたっぷり可愛がってやるしな」
ご機嫌な久秀さまだがその可愛がりようは我に取って少々苦しい。
人前とあって抗えぬ自分が悪いのであるが遠慮を知らぬ。
こんなことなら褒めなければ良かったと舌打ちしたい気分である。
「あー……松永殿ォ。拙者が口出しするのもなんだけど、生駒殿が苦しがってるよォ?」
「嘘をつけ。嬉しくて紅潮しとるだけだろ。な?」
「じゃあ、そうかもねェ。でもくびれて死にそうだよ」
人目も憚らずに頬擦りする久秀さま。
信長の話を家臣団のものたちは真剣に耳を傾けて聞いていると言うのにこの人は意に介さない。
この態度には魔王と呼ばれる壇上のお人よりも、梟雄の底知れぬ意地悪い何かを感じとる。
私たちの近くにいる織田の家臣らは白い目で見ている。
相手が松永久秀とあって極めて秘そめているが、そうでなければ嫌みの一つも飛んでこようと思われた。
そうでないのは裏切りを許さぬ魔王にして唯一許された御仁だからであろうか。
だが今は、そんな事より誰でも良いから久秀さまを窘めて私を解放させて欲しいと願うばかりである。
だが唯一の当てに出来る人物は我関せず。
(柳生殿の役たたず!)と、巨体の癖に知らぬ振りを貫く男を睨むので精一杯であった。
その内に壇上にて楽団やら舞手が
飛び入りで、以前顔を見せた羽柴秀吉殿もどじょう掬いなど披露している。
羽柴殿が前田利家殿も呼び寄せ、猿と犬の物真似などして周りを楽しませている。
やっと解放された私をちょんと隣に置いた久秀さまが、酒を飲まれながら呟いた。
「あれが披露すべき芸か? 若造らがあぁやってくれるなら我輩も我輩の生駒も舞台で恥をさらす事も無いな」
「松永殿の頭の中に拙者は入ってないのかい?」
「安心しろ。お前は目立つから嫌でもご指名が入る。その間、我輩と可愛い生駒はさっさと家に帰ってしっぽりと洒落込もうとしようかな~。なーんて」
酔っ払いは人にじゃれつくのがお好きなようだ。
何とか首もとの絞まりは回避出来たものの、久秀さまにまたまたがっしりと肩を掴まれる。
「男の友情ごっこ」とか言いながら着物の合わせ目からしっかり掌が入り込んでくる。
軽口のように言っておきながら冗談にならない身の危険である。
それとなく身を離そうとするものの今度は逃がすものかと腰を抱かれた。
悲鳴を堪えるも背筋がゾッとした。
久秀さまの中に執念めいた色狂を感じた。
それに笑顔で彼の体を押しやったがびくともしなかった。
細身に見えるしお年も召しているがやはり歴戦の武士なのだとこう言うところで思い知らさせる。
それに柳生殿が居てくれるからこの程度で済んでいるのだろう。
が、それでも十分心臓が破裂しそうだ。
私は諦め気味に訴える。
「もう、いい加減……放して下さいませ」
「やだやだー。だって生駒が可愛いんだもん。おっさんは執拗こくてなんぼって言うじゃない。一時たりとも離れたくないんだもんね」
「酔っているのでしょう。少し酒はお控え下さい」
「こんな量で酔えるものか」
まるで駄々っ子のように拒む素振りを見せ、にこやかな笑みで答える久秀さま。
そのまま後ろから彼の唇が私の耳を噛んだ。
柳生殿だけじゃない。
大勢の人間が目の前にいるにも関わらず、だ。
歯を立てず、唇のふわりとした感触が耳全体を撫でる。
時折意地悪く舌が触れると、途端に体が反応して下半身がじんわり熱くなる。
それと同じく亀裂が走るような鮮烈な悪寒に小さく身悶えした。
幸い柳生殿は久秀さまの私に対する悪戯を見慣れ過ぎていて気付かれないが、それを施す本人は当然の如く目敏く、にんまりと小さく笑んだ。
範囲は掌よりも小さいと言うのに、こんなに感じる場所があるのか。
黙っていても顔が熱い。
「お、どうした生駒。お主も飲め飲め? 我輩の酒が飲めぬとは言わせぬよ」
そこに更に無理矢理背後から酒を勧められる。
他者のいる前で主人の盃を断ることも出来ず飲み下す。
「おお、良い飲みっぷり〜。どぉれ、ご褒美じゃ」
と、背後で囁き、こっそり耳や首筋に舌が這う。
「ひっ……!」と空気を飲む。
そして今まで知らなかった感覚が気持ち悪く戸惑う。
これは本当に良くない。
こんな屈辱的で羞恥心を煽るような感覚は手に負えない。
そして私の戦意はそこで完全に折られてしまった。
人目に分からぬ程度に小さくて早い吐息をして俯く。
視界が白くぼんやりとし、くたり、とそのうち訳が分からぬまま脱力したら久秀さまがにんまり意地悪く口の端を上げた。
柳生殿がそれにやっと気付いて止めに入ってくれたがもう遅い。
「ちょっと飲ませすぎじゃない?」
「おや……若い癖にだらしないのう。しょうがないご主人様の胸で少し休むが良いぞ〜。むふふっ」
「いや、離してやりなってば」
「嫌じゃ」
背後から体重をかけずに覆い被さられたまま、久秀さまは柳生殿と下らぬ話で盛り上がっている。
その間も耳を弄られ、首筋を舐められ悪寒とも快感ともつかぬ感覚に妙な疼きばかりが増していった。
まるで子供が大人に気付いてと言うように、私は久秀さまの袖をちょんと引いた。
「他人の目も気にしましょ……こんなに部下とベッタリしてる人は今、周りにいないでしょう」
「ふふん。息が荒いな……感じるのか?可愛いお姫様」
「もうやめましょうよ……」
「こんなに酔ってるのに放っておけぬなぁ?」
そして今度は「さっき達したであろう?」と人を小馬鹿にしたように呟く。
驚いてしまい、顔が熱いままだったが振り替える。
すると、そこには悪魔がいた。
楽しそうな瞳と目が合った。
「こまちゃんには刺激的すぎたかな?」
「はい……」
「にゃっはっは。酒は素直にさせるなぁ。あぁ、今すぐ抱いて犯したい」
「戯れはなりませぬ、殿……」
「はてさて戯れで終われば良いがのう。それに良く見てみろ?あの物影一一一」
耳元でそっと囁く。
久秀さまは私たちのすぐ近くにある厠をそっと指差した。
チラチラと動いている何かが見える。
久秀さまが指先を縦に上下させるせいで談笑していた柳生殿もつられて視線を投げ掛ける。
すると「あぁ」と呆れたように頷いた。
柳生殿はできるだけそちらを見ないように視線を外した。
「してるねェ、男同士で。しかも一人はここの小姓かァ」
柳生殿がのんびりと呟く。
まるで猫の交尾がその辺で行われてるように、淡々と話すので面食らう。
久秀さまは意に介した様子もなく視線で同意を求める。
「ほらな? この日ノ本で男を抱かぬ武士はおらんよ。ま、我輩は戦があっても女の上でしか腰を振る気はないがな。
しかし、周りから見ればこうやって小姓に堂々と拒絶の意思を与えられる主人というのは「その者とは出来てますよ」という表れでもある。
恋人でなければ部下の反抗など認めぬからな、普通。な、宗矩?」
「拙者に隠れて何の話してたか知らないけど、まぁ、そんなもんだねェ。ご愁傷様、生駒殿」
だから周りから白い目で見られていたのだろうか。
確かに私はハッキリと久秀さまの悪口を聞いて嗜めたがまさかそれがいけなかったとでも。
ということは白い目で見られていたのは久秀さまでなくて私だったのだろうか?
あがけばあがくほど、泥に沈む我が身を哀れに思う。
「……うそ」
「嘘なものか。さっきからお主を抱きたくて仕方ない若造どもがちらちらと視線を向けてきよる。一人にさせるなど心配で堪らんわ。それでも、疑うならあの舞台で宗矩と踊ってこい。笛は吹いてやる」
その言葉は完全に脅しだろう。
実は守ってやってるんだぞ、と匂わせ他の男の元に行かせぬ代わりに底意地悪くいじめ抜く。
欲情を内に秘めて楽しげに笑う目の前の御仁。
柳生殿も何を思ったか小さく笑って「ならおじさんも参加しようか」と意気込んでおられる。
しかし今の私はいつ誰に手込めにされるかと気が気でない。
そんな時ばかり意気込む巨漢に嘆息する。
それに誰でも、そんな事を言われた後であの目立つ舞台で舞う気など起き無いだろう。
いや、やれと言われればやる。
ただ中々それに対する熱意は米粒程度ではなかろうか。
少し悲しくなる。
ため息がこぼれて、さっさと帰して欲しいと澄み切った明るい空を眺めた。
が、さすが色恋に関して百戦錬磨の久秀さまであろう。
すぐにとんがった目元を正し、むしろ優しく垂れさせて微笑んだ。
「ふふ、冗談だ。お主の困り顔を見たかっただけだ」
「……やりすぎです」
私は少しだけきつく責め立てる。
久秀さまは更に猫なで声で「すまぬ」と私の頭を押し付けるように撫でた。
何度も言うが、背が縮みそうだ。
「え~? 拙者はすっかりその気だったよォ。それより人を差し置いて後ろに花をちらつかせるのはやめてよねェ」
「そりゃあ、我輩はこまちゃんが大好きだからの~。それよりお主は目立つからさっさと舞台に上がれ」
「今は生駒だろ~? まったく松永殿のいけず。ま、興業も兼ねて行ってくるかなァ。丁度美人が手招きしてるし」
見ると、壇上で美しい女が待っていた。
久秀さまは柳生殿にさっさと行くように促す。
柳生殿は渋々といった素振りを見せながらも目の前の美人にほいほい釣られて行ってるようにも見える。
まるであの女は有能な漁師だ。
足取り軽く、見世物用の木刀など携えている後ろ姿は彼の枕詞である【飄々】そのもの。
しかしおかしな事が起きた。
舞台に上がったところで柳生殿の足取りが急に止まった。
そして顔が一気にこわばった。
参加者の皆が不審がっていた。
「アンタ……もしかして」
「ふふふ」
何がおきたのか大の男が狼狽え、その目の前の女は艶やかに微笑みを浮かべる。
明らかな動揺など柳生殿にしては珍しく、私と久秀さまは目を見合わせた。
その内、柳生殿の視線が私と久秀さまへと向けられる。
そうすると、織田の小姓がどこからか現れて息なり私の手を取る。
驚くばかりで何も出来ぬ私を代弁するように久秀さまが小姓の腕を掴み「何をする、小僧」と凄んだ。
その形相は見たことの無い怒気を孕んでいた。
「信長様がお呼びです」
「この者を? まさかあそこに立たせるとでも?」
「はい、この方はお連れいたします」
気圧されて萎縮気味の小姓は用件だけを延べて、一礼する。
何と言うことか、恐れていた事が起こった。
頭を抱え爪を噛む久秀さま。
歯軋りがこちらまで聞こえた。
小姓に連れられ私は壇上の柳生殿の横に並んだ。
目の前には美女。
彼女は低い声で呟いた。
とても低く女とは思えぬ。
凛々しい瞳、人を食ったような尊大さを放つ者。
「久秀の従者、だな。舞を所望する」
そこで私は気が付いた。
この女、只者ではない。
柳生殿が呟いた。
瞳は鋭い威嚇を宿していた。
ニヤリと口の端をあげて私に、短刀を渡した。
「御宅とは、はじめまして、だねェ。一一一織田
私は目を見開いた。
この方が久秀さまの嫉妬の対象者か。
思わず足がすくんだ。
そこで剣幕を掻き消すように楽隊の一人が笛の音を高らかにあげた。
しかし私の体は反射的に構えた。
本能か、職業病かそれだけで私の意識が切り替わる。
まるで交わう前の男女のように体が火照り動き出そうとするのだ。
「久秀の小姓ども、予を楽しませよ」
「はっ」
宗矩殿が頭を下げた。
つられて低頭する。
目の前の御仁が嬉しそうに微笑んだ。
ところが彼の瞳の深淵が私を飲み込もうとしているような錯覚に襲われる。
思わず久秀さまを探した。
そして目が合った。
何と言うことか、先程の笛の主は彼であった。
睨み付けるように目の前の御仁、信長公を見つめている。
私の視線に気付くと、その険しさが幾分和らいだように見えた。
そっと唇が動いた。
一一一案ずるな。
久秀さまが片目を瞑った。
先程のおぞましい色狂いな獣は、今や頼りがいのある指揮者である。
おかしなものだ。
恐ろしいはずなのに、私は思わず主人のその変わり身に苦笑してしまった。
20180122