恋煩いのコンテ集
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私の名前は「こま」
松永殿に何の因果か半ば強引に登用され、屋敷に連れていかれた。
彼は私の前を歩いているが傍目にわかるほど浮き足立っている。
それほど私を得たのが嬉しいのか?
詳細は分からないが私の素性を知っているようだし警戒は解けない。
知らぬであろうとたかを括っていたが、これは下手に動けない気がする。
「来たまえ、我が姫ぎみ。見るが良い、我輩自慢の屋敷を」
両手を広げ、まるで役者か何かのよう振る舞う。
音の鳴らぬ、何やら当事者の間にだけ聞こえる効果音がしたかと思うと、目の前には質素な屋敷が現れた。
それはそれで驚いたものだ。
大名の屋敷ともなると絢爛豪華かと思われたが、むしろ向かいの商家の方が豪華に見えた。
長屋と言うまで狭苦しくはないが、一国の主の住む邸宅としてはあまりに狭く感じた。
況(ま)してや、実質の天下人であった三好長慶の重鎮である人が手狭を良しとするとは意外という他なかった。
「案外こじんまりとされていますね」
「それが良いのよ。あんまり広いと掃除は出来ぬし、暖を取るにも暖まらぬ。
なにより出入りする人間が少ないのに、間取りを広くする必要はない」
「ご自分で掃除を?」
「料理もするぞ。むっふっふ~、我輩が後で食わせてやる。まぁ、まずは中に入れ」
付いてこいと促され、目の前の客間ではなく何故か奥の間に通された。
板間があり、その奥に土間と庖厨が見えた。
通された部屋は客間の後ろの襖を開けて、板間に入ってすぐ左隣だ。
八畳ほどの部屋で長持(ながもち)などが有るゆえ、寝所だろうか。
しかし、側に掛かっている着物は見るからに女性ものである。
「この部屋はなんですか?」
「我輩の女房が使ってた品を保管している場所だ」
松永殿はたんすから着物を取り出して私に寄越した。
「これはなんですか?」
「お主にやろう。着てみろ、きっと似合うぞ」
「今ここでですか?」
「うむ」
「…松永殿は出ていって貰ってもよろしいですか?」
「恥ずかしがり屋め~。仕方がない、出来上がったら呼ぶのだぞ」
松永殿を追い出してから、着物に袖を通す。
ご丁寧に高価な口紅まで置いていく辺り、紳士なのかただの世話焼きなのか。
いつもの着物とは違う上質な肌触りに松永殿の審美眼をかいま見る。
「綺麗…」
それも含め、何よりも美しい反物に思わず溜め息が出てしまう。
深い夜を思わせる艶の有る群青の生地に、光沢の有る糸で一針一針丁寧に縫いあげられた、純白の無数の菊。
余程の腕の職人達が作り上げたのだろう。
このような代物今まで見たことがない。
使った形跡が見えるが、帯もまた素晴らしく色は黒で型崩れもせず優雅な光沢を放っている。
紋様は格子。
帯と同色を使う辺り地味だがとても趣味が良い。
このような代物がまだこの屋敷には有るのだろう。
悔しいが、これらの持ち主の品格を肌で感じた。
「そろそろ良いか」
松永殿が襖の向こうから声をかけた。
私は急いで身支度して答える。
「ただいま参ります」
「よいよい、我輩が参る。…ほ~、思った通りよく似合っておる」
そう言うと松永殿は満足そうに「うむうむ」と頷いた。
私は美しい着物の袖を見ながら問うた。
「これも奥様のですか?」
「これか? まぁ、そうだな。
これは我輩が昔、女房にやったものだ」
「そうだったのですね…」
「といっても、着たのはほんの二三回程度だろう。
我輩と死んだ女房は趣味が合わなくてな。
まぁ、上司の娘との政略結婚な上、何か贈る度に文句を言うような女傑だったからな。
悔しいから死んだと同時にやったものをここに移した」
「悔しい…?」
くくくっと皮肉そうに笑う男。
自分の妻を女傑などと表す辺り、とても気の強い方だったのだろうか。
しかしこの着物も元の持ち主に愛着が有るからこそ綺麗に保管されているのであって、やったものとは言え情がなければ、ここまで大切にはされまい。
宣(のたま)う松永殿に私は「ヘえ」と感心して頷いた。
「松永殿は女性を大事になさるのですね」
「…ん? まぁ、な」
私はそう思ったのだが、しかし松永殿の心中は何処か違ったようだ。
しばし間があり、私は何か彼のいけない琴線に触れたかと思って顔を伏せた。
「…申し訳ありません」
「いや、良いのだ。―――それより」
松永殿の指先が、襟元を滑る。
思案するように目を細める御仁に私は小さく声をかけた。
「松永殿」
「何でもない。本当に良く似合っている」
そしてニッと笑って見せる。
ここは感謝の言葉を述べるべきなのか。
松永殿が先に口を開いた。
「…気に入ったならとことん尽くす。それが我輩の流儀よ」
「私は気に入られるような事をした覚えは無いのですが」
「分からないならそれで良い。
……昔から我輩の回りには自らを擲(なげう)ってまで寄ってくる女は数いたが、女運はあまり無くてな。
心からと願う女はお主だけだった」
松永殿はそう言うが、本当にこの人との接点を思い出せずに困惑する。
松永殿は襟元にやった指を今度は私の首筋から頬へとかけて滑らせる。
「だからお主のことはとことん愛したいと思っておるのだがなぁ…」
蛇が舐めるような何処と無く冷悧な視線にぞくりとする。
私は身を正し背を向ける。
半歩下がり、その御仁から距離を取る。
あくまで微笑は絶さずに。
「出会って間もない者にそのように言うなんて」
「お主が忘れているだけで我輩はお主を知っている。
そうは思わぬのか? こまよ」
また「こま」と呼ばれた。すかさず反論する。
控えめに、作り笑いをして否定する。
「お戯れを。ですから…私は「こま」などと言う名前では…っ」
しかし途中で遮られた。
着物の帯を無理矢理ほどかれた。
さながら舞台の上の出来事のようで思わず叫びそうになる。
跪くように松永殿の前に崩れる。
見上げると、獲物を狩る者の視線に気付いた。
口元は上がっているが、目は鋭く私を問い詰める。
その恐ろしい気配に素早く身を返そうとしたが松永殿が覆い被さるほうが早かった。
他人の重みに、怖さを感じた。
「何を」
「まだ嘘を貫く気か? 何故お主に我輩が執着すると思う」
「分かりかねます」
鼻と鼻が擦れ合うほどの近さ。
見え透いた嘘だと言うように彼は吐息を吹かすだけで笑う。
松永殿は私の顎を持ち上げて言う。
とてもキザで、不敵で、若い男にはない圧倒的な魅力。
魅惑的な恐怖がのし掛かり、思わず言葉を失った。
「それはな、お前さんが美しいからだ。特に舞う姿は格別よ」
「……」
松永殿の言葉に息を飲む。
この人は私を知ってる。
けど、それならば余計に知らぬと言い続けなければ。
でなければ何をされるか分からない気がした。
嘘をつくか。いや、ダメだ。
しかし全てを明かすには余りにも危険だと思った。ならばと私は意を決する。
こう言う時、女は胎が座る。真実を孕む嘘は時として、真っ赤な嘘よりも相手に信用を持たせる嘘となり得る。
私は覚悟を決めた。
これは人につく嘘ではない。
自分につく嘘だ。
「確かに私は一座で旅をしながら路銀を稼いでおりました」
「あぁ、そうとも」
たった一言。
それを認めると松永殿は漸く納得して私から離れた。
それから何かを思い出したように、うっとりとした眼差しを私に向けて呟く。
「…あどけない顔に化粧を施して、別人になり、男どもを魅了するお主に我輩は素直に「欲しい」と思った。
……気持ち悪いか?
だがな、男が女を欲しがる欲求を甘く見てはならんぞ。
その上我輩は群を抜く変態だ。
情報網も有る。
だからこそ前の飼い主との縁が切れる今、お前さんをものにしたのだ」
懐から文を取り出して、ちらちらと私に見せる。
それは以前の雇い主の寄越した文だと分かった。
花押も有る。
指先をぎゅっと握る。
その反応を察したのかニヤリと笑ってそれを握り潰す男。
私の稼ぎとなっていた人物との縁がその瞬間に潰えた。
「…私は誰にも飼われていません」
嘘だった。
それで今まで生きてきた。
各地に出向き、まるで忍のようにあらゆる情報を主人にもたらしてきた。
それがどのように利用されるかなど知らぬままに。
「そうか。だが、安心せい。
我輩は若者と違って血気に逸ることもない」
「あなたに飼われるつもりもありません……」
今度は真だった。
実際私は忍ではない。
ただ、ひたすら芸事だけを磨いて来た。
これ以上誰かに命じられて生きるのはうんざりだった。
そう、うんざりなのだ。
覚悟を決めればなにも怖くはなかった。
「私からもお聞きします。私はあなたに何をすれば良いのですか」
しかし返ってきたのは意外だった。
「何も…。ただ我輩の側に居て、我輩の世話をし、時たま愛玩されればそれで良い」
「愛玩…」
「お主は我輩の夢の残り香なのだ」
意味が分からず首を傾げる。
そう言うと彼はニヤリと笑い、今度はほどけた着物を直し始めた。
それも実に楽しそうに。
「着物というのは、脱がせるから楽しい。それも豪華で有るほどな…しかし」
手を取られ、立たせられた。
彼は手際よく裾野を纏める。
さらにきゅっ、と帯の締まる良い音がした。
呆気に取られていると松永殿は舌舐めずりしながら言った。
「今はまだ取って置こうか…」
「……」
独り言を呟いているのか、同意求めているのな分からない口調でそう言う。
私は俯いてまた半歩下がった。
すぐ後ろの壁に背がついた。
警戒を隠さずにいると、松永殿は苦笑した。
「さて、腹も減ってきた。
我輩が何か作ってやろう。
我が愛しの姫ぎみ」
また剽軽(ひょうきん)者のように、あっという間に何事もなかったかの様に振る舞われる。
腕は松永殿に奪われ、私はただその後を付いていく。
不意に彼が言った。
「お主の名はなんと言う?」
「…答えたくありません」
「ふふっ…そうか。
なら、お主の名前が「こま」で無いならば名前はなんとする?
お主は既に我輩のものだ。
呼び名がなければ勝手につけるが、ポチではあまりに犬臭いから、コロかミケにするか。
それともタマでも良いぞ。
あぁ、そう言えば光秀の娘はタマだったな」
まるで嫌味のように刺さる言葉の棘に苛立ちを感じながら思う。
既に名は露見している。
己の真名を明かすのが屈辱と思う日が来ようとは思わなかった。
「……こまとお呼びください」
「では遠慮なく」
言うや否や松永殿は即答した。
「あぁ、それと我輩のことも名前で呼んで良いぞ。
試しに言ってみろ。
「久秀さま」とな」
「遠慮します」
「つれないな~。
おじさん泣いちゃう」
「……」
初対面からこのような無礼な扱いを受けるのは初めてで、もはや言葉にならない。
きっと、彼との相性は最悪だ。
何が悲しくてこんな変態に仕えるというのだ。
自分の判断に自責の念に駆られる。
松永殿の鼻歌が愉快そうなのと対称的に、私は深い谷底に落ちたように意気消沈した。
20171216
改訂20180116