短編(金カム 男主)
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仙次郎が十六、妹が九つの時だった。
仙次郎が知り合いの店の手伝いから帰ると、いつも出迎えてくれる妹が、いなかった。
妹はかくれんぼが得意だったので、どこかに隠れているのだろうと思い、家中を探した。襖の中や天井裏、終いには釜をひっくり返すまでしたが、妹はどこにもいなかった。
「最近不審者の目撃が多発してるらしいから戸締りはしっかりするんだよ」
帰り際にかけられた店主の言葉が、仙次郎の頭の中でぐるぐると渦巻いていた。仙次郎は右手に持っていたまかないを玄関に放り投げ、裸足のまま家を飛び出した。『まずは大人に相談を』だとか『どこから探せばいいのか』だとかそういうことは思いつきもしなかった。
飛び越えた水たまりが、夕日に照らされきらめいていた。
仙次郎の母親は妹を産んだあとすぐに体調を崩し、他界した。その後、男手一つで育ててくれた父親も、数年前の戦争で母親の元へ旅立った。仙次郎にとって妹はたった一人の家族であり、両親の形見のような存在でもあった。
妹がいつも遊んでいる広場から町の外れにある賭場まで、さまざまなところを探し回ったが妹を見つけることはできなかった。
西の方にいたはずの夕日がいつのまにか東から顔を覗かせていた。それに気づいた時、仙次郎は一度家に戻ることにした。妹が帰ってきているかもしれないという淡い期待と、それに縋ることで二度と会えないかもしれないという、湧き出ては止まらない不安を押しころすためだ。
ふと、足の裏に違和感を覚えた。確認してみると、ところどころ切れて血が滲んでいた。それを一瞥した仙次郎は、やっぱりなと思っただけで、不思議と痛みはなかった。
今日のまかないは店長特製の竜田揚げだ。半月に一度、在庫の整理のため余った食材を全て揚げてしまうのだ。妹はこれが大好きだった。朝、仙次郎を見送る時もとても嬉しそうにしていたのだ。
その妹の顔を思い出した途端、仙次郎の目からはポロポロと涙が零れ落ちた。それを境に、仙次郎の目からは涙が堰を切ったように溢れ続けた。途中、軍服を着た男とすれ違ったが、まだ辺りも薄暗かったのでその男が仙次郎の様子に気づくことはなかった。
ようやっと家にたどり着いた仙次郎は、玄関の前に立ち、きっちりと閉められているそれを見つめた。まるで己の心の内のようだなと涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をより一層歪ませた。ぽた、と涙を受け取った足が、ようやく痛みを訴え始めた。
――が、そこではたと小さな引っかかりを感じた。
「玄関が、閉まっている」
口にすればすぐに違和感は確信に変わった。仙次郎は昨晩妹が帰っていないことに気づいてすぐ、玄関を飛び出したのだ。その上、草履を履くのも忘れるほどに気が動転していた。玄関をきっちり閉めるなんて余裕はあっただろうか。
仙次郎が閉め忘れた玄関。そして今目の前で閉ざされている玄関。その意味を確かめるため、仙次郎は小刻みに震えている己の右手を引き戸に掛けた。
開けた視界の先で真っ先に目に飛び込んできたのは、綺麗に揃えられた妹の草履であった。
仙次郎はドタドタと大きな足音を鳴らしながら、昨夕と同じように一部屋一部屋確認していった。
三つ目の部屋、いつも仙次郎たちが寝起きしている部屋に妹はいた。布団の中でこれでもかというほどに身体を丸め、すやすやと寝息を立てていた。
安堵によるため息をつくと共に身体の力が抜け、仙次郎は妹の側に腰をおろした。見たところ、怪我はなさそうだった。
「良かった……。本当に良かった……」
仙次郎の呟いた声が聞こえたのか、妹が寝返りを打った。その拍子に妹がずっと抱きかかえていたであろうものが目に入った。手にとってみると、浅葱色の上衣であった。襟元に書かれた文字を見るに獄衣であることは明白だった。
「なぜここにこんなものが??」
妹から話を聞いたのはそれから更に半日が過ぎてからであった。
家に帰る途中話しかけてきた男を不審に思い、その場を離れようとしたところを連れ去られた、ということらしい。
「目が覚めたら真っ暗な場所にいて、それでわたし、もう帰れないんだ、お兄ちゃんにもう会えないんだって思って……」涙ぐむ妹の小さな身体を仙次郎は思わず抱きしめた。
無事に帰ってきてくれてよかった、と仙次郎が告げると妹は涙を拭いながら再び話し始めた。
「あのね、助けてくれた人がいたの。その人が一緒に逃げようって、そこから連れ出してくれたの」
妹の言う『助けてくれた人』があの服の持ち主だったのだろうか。そこで仙次郎はふと、最近脱走を繰り返している厄介者がうちにきたと常連客が愚痴をこぼしていたのを思い出した。名前は確か──
「……白石、由竹」
「そう!よしたけくん!!よしたけくんがおんぶしてくれて、わたしつい寝ちゃったんだわ。どうしよう、お家まで運んでくれたのにお礼言えてない」
よしたけくん、よしたけくんと頬を染める妹の姿を見て、仙次郎は何度目かわからないため息をついた。
「今度会えたらお礼を言わなくちゃいけないね」
仙次郎が放り投げた竜田揚げと作り置きしていた握り飯。そしてこの数年間ずっと片付けられずにいた父の軍服が、綺麗さっぱりなくなっていた。
白石由竹とはいつかまたどこかで巡り会える。そんな予感が仙次郎の胸を満たしていた。
仙次郎が知り合いの店の手伝いから帰ると、いつも出迎えてくれる妹が、いなかった。
妹はかくれんぼが得意だったので、どこかに隠れているのだろうと思い、家中を探した。襖の中や天井裏、終いには釜をひっくり返すまでしたが、妹はどこにもいなかった。
「最近不審者の目撃が多発してるらしいから戸締りはしっかりするんだよ」
帰り際にかけられた店主の言葉が、仙次郎の頭の中でぐるぐると渦巻いていた。仙次郎は右手に持っていたまかないを玄関に放り投げ、裸足のまま家を飛び出した。『まずは大人に相談を』だとか『どこから探せばいいのか』だとかそういうことは思いつきもしなかった。
飛び越えた水たまりが、夕日に照らされきらめいていた。
仙次郎の母親は妹を産んだあとすぐに体調を崩し、他界した。その後、男手一つで育ててくれた父親も、数年前の戦争で母親の元へ旅立った。仙次郎にとって妹はたった一人の家族であり、両親の形見のような存在でもあった。
妹がいつも遊んでいる広場から町の外れにある賭場まで、さまざまなところを探し回ったが妹を見つけることはできなかった。
西の方にいたはずの夕日がいつのまにか東から顔を覗かせていた。それに気づいた時、仙次郎は一度家に戻ることにした。妹が帰ってきているかもしれないという淡い期待と、それに縋ることで二度と会えないかもしれないという、湧き出ては止まらない不安を押しころすためだ。
ふと、足の裏に違和感を覚えた。確認してみると、ところどころ切れて血が滲んでいた。それを一瞥した仙次郎は、やっぱりなと思っただけで、不思議と痛みはなかった。
今日のまかないは店長特製の竜田揚げだ。半月に一度、在庫の整理のため余った食材を全て揚げてしまうのだ。妹はこれが大好きだった。朝、仙次郎を見送る時もとても嬉しそうにしていたのだ。
その妹の顔を思い出した途端、仙次郎の目からはポロポロと涙が零れ落ちた。それを境に、仙次郎の目からは涙が堰を切ったように溢れ続けた。途中、軍服を着た男とすれ違ったが、まだ辺りも薄暗かったのでその男が仙次郎の様子に気づくことはなかった。
ようやっと家にたどり着いた仙次郎は、玄関の前に立ち、きっちりと閉められているそれを見つめた。まるで己の心の内のようだなと涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をより一層歪ませた。ぽた、と涙を受け取った足が、ようやく痛みを訴え始めた。
――が、そこではたと小さな引っかかりを感じた。
「玄関が、閉まっている」
口にすればすぐに違和感は確信に変わった。仙次郎は昨晩妹が帰っていないことに気づいてすぐ、玄関を飛び出したのだ。その上、草履を履くのも忘れるほどに気が動転していた。玄関をきっちり閉めるなんて余裕はあっただろうか。
仙次郎が閉め忘れた玄関。そして今目の前で閉ざされている玄関。その意味を確かめるため、仙次郎は小刻みに震えている己の右手を引き戸に掛けた。
開けた視界の先で真っ先に目に飛び込んできたのは、綺麗に揃えられた妹の草履であった。
仙次郎はドタドタと大きな足音を鳴らしながら、昨夕と同じように一部屋一部屋確認していった。
三つ目の部屋、いつも仙次郎たちが寝起きしている部屋に妹はいた。布団の中でこれでもかというほどに身体を丸め、すやすやと寝息を立てていた。
安堵によるため息をつくと共に身体の力が抜け、仙次郎は妹の側に腰をおろした。見たところ、怪我はなさそうだった。
「良かった……。本当に良かった……」
仙次郎の呟いた声が聞こえたのか、妹が寝返りを打った。その拍子に妹がずっと抱きかかえていたであろうものが目に入った。手にとってみると、浅葱色の上衣であった。襟元に書かれた文字を見るに獄衣であることは明白だった。
「なぜここにこんなものが??」
妹から話を聞いたのはそれから更に半日が過ぎてからであった。
家に帰る途中話しかけてきた男を不審に思い、その場を離れようとしたところを連れ去られた、ということらしい。
「目が覚めたら真っ暗な場所にいて、それでわたし、もう帰れないんだ、お兄ちゃんにもう会えないんだって思って……」涙ぐむ妹の小さな身体を仙次郎は思わず抱きしめた。
無事に帰ってきてくれてよかった、と仙次郎が告げると妹は涙を拭いながら再び話し始めた。
「あのね、助けてくれた人がいたの。その人が一緒に逃げようって、そこから連れ出してくれたの」
妹の言う『助けてくれた人』があの服の持ち主だったのだろうか。そこで仙次郎はふと、最近脱走を繰り返している厄介者がうちにきたと常連客が愚痴をこぼしていたのを思い出した。名前は確か──
「……白石、由竹」
「そう!よしたけくん!!よしたけくんがおんぶしてくれて、わたしつい寝ちゃったんだわ。どうしよう、お家まで運んでくれたのにお礼言えてない」
よしたけくん、よしたけくんと頬を染める妹の姿を見て、仙次郎は何度目かわからないため息をついた。
「今度会えたらお礼を言わなくちゃいけないね」
仙次郎が放り投げた竜田揚げと作り置きしていた握り飯。そしてこの数年間ずっと片付けられずにいた父の軍服が、綺麗さっぱりなくなっていた。
白石由竹とはいつかまたどこかで巡り会える。そんな予感が仙次郎の胸を満たしていた。
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