Bite -prologue-
*
「お疲れ様でした」
定刻に仕事を終え職場を出ると
外は小雨がちらついていた
分厚い雲のせいで、薄暗く染まった空
そこから降ってくる雨粒に悠太くんの言葉を思い出しつつ、駐車場まで小走りで向かう
… 確か、あの日も
"彼"に出逢った日も
こんな風に、帰り道だけが雨で
買ったばかりの真新しいヒールで、
駐車場まで走ったような記憶がある
… たった数ヶ月前のことのはずなのに
はるか昔のことのように思うのは、どうしてだろう
それくらい、
私の半分の生活が
彼に蝕まれている証拠だろうか
--------
私が家に着く頃には、
それまで弱かった雨も本降りになっていた
アパートの駐車場から入り口までの短い移動でも
髪の先からはわずかに水滴が滴る
いつもより早足で部屋の前まで行き
鍵を開けて、扉を開けば
見えた室内には、電気が灯っておらず
陽の落ちた外の色が
そのままその空間にまで溶け込んでいた
「… ただいま、」
ひとまずそう呟きながらリビングに入ると
視界に映り込む、窓際に佇むひとつの影
カーテンの開いた薄暗い部屋の中で
彼は窓に指を這わせながら、雨模様の外界にぼんやり視線を向けていた
カタ、
私が通勤鞄を床に置いた音で、彼は振り返って
その憂いを帯びた漆黒の瞳が、私を捉える
「… ただいま、」
同じ言葉をもう一度繰り返すと
「…… おかえり」
彼はそう呟いて、また窓の外に視線を向ける
… 雨の日はやはり、
彼も何か、思うところがあるのだろうか
窓から射し込む微かな光に照らし出される、その無表情な横顔を見つめながら、そんなことを考える
血が通っているのか疑いたくなるほど
冷たく、透き通った皮膚
それに相反する、真紅に染まった唇
見るもの全てを反射する、
虚ろで真っ黒な瞳
"彼が何を考えているのか"
その答えはいつも闇の中にある
彼は基本的に言葉を発さないし
心の内を表に出すことも滅多にしない
声をあげて笑うこともなければ、
泣くことも、怒ることも、何もない
喜んでいるのか、哀しんでいるのか
そんなことすら、よく分からない
… 彼の心の中にあるのはきっと
"孤独"とそれから、"孤独への嫌悪"
その2つだけを抱えて
彼は今もこの世界で、息をしているのだ
.
「お疲れ様でした」
定刻に仕事を終え職場を出ると
外は小雨がちらついていた
分厚い雲のせいで、薄暗く染まった空
そこから降ってくる雨粒に悠太くんの言葉を思い出しつつ、駐車場まで小走りで向かう
… 確か、あの日も
"彼"に出逢った日も
こんな風に、帰り道だけが雨で
買ったばかりの真新しいヒールで、
駐車場まで走ったような記憶がある
… たった数ヶ月前のことのはずなのに
はるか昔のことのように思うのは、どうしてだろう
それくらい、
私の半分の生活が
彼に蝕まれている証拠だろうか
--------
私が家に着く頃には、
それまで弱かった雨も本降りになっていた
アパートの駐車場から入り口までの短い移動でも
髪の先からはわずかに水滴が滴る
いつもより早足で部屋の前まで行き
鍵を開けて、扉を開けば
見えた室内には、電気が灯っておらず
陽の落ちた外の色が
そのままその空間にまで溶け込んでいた
「… ただいま、」
ひとまずそう呟きながらリビングに入ると
視界に映り込む、窓際に佇むひとつの影
カーテンの開いた薄暗い部屋の中で
彼は窓に指を這わせながら、雨模様の外界にぼんやり視線を向けていた
カタ、
私が通勤鞄を床に置いた音で、彼は振り返って
その憂いを帯びた漆黒の瞳が、私を捉える
「… ただいま、」
同じ言葉をもう一度繰り返すと
「…… おかえり」
彼はそう呟いて、また窓の外に視線を向ける
… 雨の日はやはり、
彼も何か、思うところがあるのだろうか
窓から射し込む微かな光に照らし出される、その無表情な横顔を見つめながら、そんなことを考える
血が通っているのか疑いたくなるほど
冷たく、透き通った皮膚
それに相反する、真紅に染まった唇
見るもの全てを反射する、
虚ろで真っ黒な瞳
"彼が何を考えているのか"
その答えはいつも闇の中にある
彼は基本的に言葉を発さないし
心の内を表に出すことも滅多にしない
声をあげて笑うこともなければ、
泣くことも、怒ることも、何もない
喜んでいるのか、哀しんでいるのか
そんなことすら、よく分からない
… 彼の心の中にあるのはきっと
"孤独"とそれから、"孤独への嫌悪"
その2つだけを抱えて
彼は今もこの世界で、息をしているのだ
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