Bite -memory-
*
『この駅の近くに職場があるから、
時間が合えば、飯でも行かない?』
その後、しばらく彼と他愛もない話をして
その誘いに頷いた私に、彼はまた微笑んだ
『じゃあ、また連絡する』
そんな言葉を残して、
リクは改札をくぐり、駅の中に消えて行った
彼が立ち去った後も、
その場にわずかに漂う、彼が残した空気
昔と変わらない、香水の匂い
目の裏に残る、穏やかな笑顔
去り際に優しく私の頭を撫でた掌
そのどれもが、懐かしくて
鼻を掠める雨の匂いに包まれながら
訳もなく、その場に立ち尽くしていた
-------------
「… ただいま、」
いつもよりも2時間も遅く、その部屋の扉を開く
水たまりを踏みつけたヒールを脱ぎ、
明かりの漏れるリビングへ足早に入る
雨のせいで、爪先がわずかに湿ったストッキング
それを脱ぐ前に、リビングに足を踏み入れたけれど
視界に広がる空間に、人影は存在しなかった
… あれ、
「… サクヤ?」
人気のない空間に、そう呼びかけると
ガタン、と廊下の方から音がする
それに気付いて振り向けば、
ちょうど脱衣所から、彼が出てきた
… どうやら、シャワーを浴びていたらしい
白いタオルでその濡れた黒髪を拭いながら
ゆっくりとリビングに入ってくる彼に、声をかける
「…… サクヤ、」
名前を呼べば、
少し俯いていた彼が、ふと顔を上げて
その真っ黒な瞳と、視線が絡む
… けれど
次の瞬間、
彼は私からふいっと目をそらして
そのまま真っ直ぐ、寝室に入っていった
… 少し、驚いてしまった
今までも、
彼が私の言葉に反応しないことはあったけれど
今のように、明らかに故意に
私の存在を拒絶するかのように、
彼が目をそらしたのは、初めてで
反射的に、
彼が姿を消した寝室の方に、視線を向ける
彼が揺らした空気に残る、淡い石鹸の香り
… どうしたんだろう、
そうは思いながらも
やはり私には、
それ以上彼に踏み込む勇気はなくて
寝室に向けていた視線を下げて
雨に濡れたストッキングがフローリングに残した足跡を見つめてから、脱衣所に向かった
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『この駅の近くに職場があるから、
時間が合えば、飯でも行かない?』
その後、しばらく彼と他愛もない話をして
その誘いに頷いた私に、彼はまた微笑んだ
『じゃあ、また連絡する』
そんな言葉を残して、
リクは改札をくぐり、駅の中に消えて行った
彼が立ち去った後も、
その場にわずかに漂う、彼が残した空気
昔と変わらない、香水の匂い
目の裏に残る、穏やかな笑顔
去り際に優しく私の頭を撫でた掌
そのどれもが、懐かしくて
鼻を掠める雨の匂いに包まれながら
訳もなく、その場に立ち尽くしていた
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「… ただいま、」
いつもよりも2時間も遅く、その部屋の扉を開く
水たまりを踏みつけたヒールを脱ぎ、
明かりの漏れるリビングへ足早に入る
雨のせいで、爪先がわずかに湿ったストッキング
それを脱ぐ前に、リビングに足を踏み入れたけれど
視界に広がる空間に、人影は存在しなかった
… あれ、
「… サクヤ?」
人気のない空間に、そう呼びかけると
ガタン、と廊下の方から音がする
それに気付いて振り向けば、
ちょうど脱衣所から、彼が出てきた
… どうやら、シャワーを浴びていたらしい
白いタオルでその濡れた黒髪を拭いながら
ゆっくりとリビングに入ってくる彼に、声をかける
「…… サクヤ、」
名前を呼べば、
少し俯いていた彼が、ふと顔を上げて
その真っ黒な瞳と、視線が絡む
… けれど
次の瞬間、
彼は私からふいっと目をそらして
そのまま真っ直ぐ、寝室に入っていった
… 少し、驚いてしまった
今までも、
彼が私の言葉に反応しないことはあったけれど
今のように、明らかに故意に
私の存在を拒絶するかのように、
彼が目をそらしたのは、初めてで
反射的に、
彼が姿を消した寝室の方に、視線を向ける
彼が揺らした空気に残る、淡い石鹸の香り
… どうしたんだろう、
そうは思いながらも
やはり私には、
それ以上彼に踏み込む勇気はなくて
寝室に向けていた視線を下げて
雨に濡れたストッキングがフローリングに残した足跡を見つめてから、脱衣所に向かった
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