Bite -the past-
*
「ただいま…」
その日の仕事を終えて、アパートに戻り
いつものようにその部屋の扉を開くと
玄関には
今朝はなかった、白いスニーカーが置かれていた
… 帰ってきたんだろうか、
雑に脱ぎ捨てられたそれらを揃えて端に寄せ
私もヒールを脱ぎ、リビングに向かう
昨日とは異なり、煌々と電気の灯る部屋
その空間に小さく響く呼吸の音を辿れば
彼はソファに身体を預け、目を閉じていた
わずかに左に傾いた頭
穏やかに伏せられた長い睫毛
薄く開いたその赤い唇
そんな彼の姿を見れば、
自然と、身体から力が解れていくような気がした
「…おかえり、サクヤ」
座ったまま眠る彼にそう声をかけて、
寝室から毛布を持って来て、その身体に掛ける
それからソファのへりに手をつけば
彼の方に手を伸ばし、
その瞼にかかる前髪を分けて
その穏やかな寝顔を、ぼんやりと見つめる
… 一体、いくつなんだろう
ふと、
そんなことを考えた
顔だけを見れば、まだあどけなさが残るし
私やリョウよりも、かなり年下のようにも思える
… けれど
その身体は完成した"男性"そのもので
私とそこまで変わらないのかもしれない、とも思う
そう、
彼は、矛盾だらけなのだ
彼が含有する、それらの相反する事実のせいで
もともと秘められた彼の真実は、余計にその影を潜めて
知ろうとすればするほどに、遠ざかる気さえする
… まあ実際、私は彼のことを知らないし
私の思考の中に正解は存在しないのだけれど
ただ、ひとつ確かなのは
彼の精神は、明らかに幼いということ
彼には、自制能力が欠如している
まるで小さな子供のように
自分の欲望をうまく抑制することが、出来ないのだ
彼の脳はきっと、
どこかの発達過程で、その成長を止めてしまっていて
彼の心は今も
幼稚で、未熟で、脆いまま
… それなのに、
その身体は、成熟し切った"大人"で
『性行為』なんてものまでしっかりとマスターしているのだから、驚いてしまう
… おそらく、
彼の思考能力を置いて
その身体だけ、
年月と共にどんどん成長して行ってしまったのだろう
いや、むしろ
『彼の脳が成長を拒んでいる』と言った方が、適しているかもしれない
とにかく、彼の心は幼く
そしてきっと、
今でも、"傷"だらけなのだ
.
「ただいま…」
その日の仕事を終えて、アパートに戻り
いつものようにその部屋の扉を開くと
玄関には
今朝はなかった、白いスニーカーが置かれていた
… 帰ってきたんだろうか、
雑に脱ぎ捨てられたそれらを揃えて端に寄せ
私もヒールを脱ぎ、リビングに向かう
昨日とは異なり、煌々と電気の灯る部屋
その空間に小さく響く呼吸の音を辿れば
彼はソファに身体を預け、目を閉じていた
わずかに左に傾いた頭
穏やかに伏せられた長い睫毛
薄く開いたその赤い唇
そんな彼の姿を見れば、
自然と、身体から力が解れていくような気がした
「…おかえり、サクヤ」
座ったまま眠る彼にそう声をかけて、
寝室から毛布を持って来て、その身体に掛ける
それからソファのへりに手をつけば
彼の方に手を伸ばし、
その瞼にかかる前髪を分けて
その穏やかな寝顔を、ぼんやりと見つめる
… 一体、いくつなんだろう
ふと、
そんなことを考えた
顔だけを見れば、まだあどけなさが残るし
私やリョウよりも、かなり年下のようにも思える
… けれど
その身体は完成した"男性"そのもので
私とそこまで変わらないのかもしれない、とも思う
そう、
彼は、矛盾だらけなのだ
彼が含有する、それらの相反する事実のせいで
もともと秘められた彼の真実は、余計にその影を潜めて
知ろうとすればするほどに、遠ざかる気さえする
… まあ実際、私は彼のことを知らないし
私の思考の中に正解は存在しないのだけれど
ただ、ひとつ確かなのは
彼の精神は、明らかに幼いということ
彼には、自制能力が欠如している
まるで小さな子供のように
自分の欲望をうまく抑制することが、出来ないのだ
彼の脳はきっと、
どこかの発達過程で、その成長を止めてしまっていて
彼の心は今も
幼稚で、未熟で、脆いまま
… それなのに、
その身体は、成熟し切った"大人"で
『性行為』なんてものまでしっかりとマスターしているのだから、驚いてしまう
… おそらく、
彼の思考能力を置いて
その身体だけ、
年月と共にどんどん成長して行ってしまったのだろう
いや、むしろ
『彼の脳が成長を拒んでいる』と言った方が、適しているかもしれない
とにかく、彼の心は幼く
そしてきっと、
今でも、"傷"だらけなのだ
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