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青藍と天鵞絨

【秘密の庭で二人】

許されない恋をしている。
教師と教え子という関係のみならず、自分は傭兵で、彼は貴族だ。
何より、同性同士という壁もある。
この恋を口に出せる日は、恐らく来ないのだろう。
この世には、秘密にしておかなければいけない想いというものがある。
それでもベレトは、リンハルトが好きだった。





*****





ベレトからの提案に、リンハルトは、やっぱりというべきかなんというか、物凄く面倒臭そうな顔をした。
「先生……確かに僕は、理論上は踊れますけど、踊れるとは限らないんですよ?」
そう言いながらも、結局頷きはしてくれたのだから、これで良かったのかなとも思う。

12月。白鷺杯の代表選出である。

代表がリンハルトに決まったことに、学級内の生徒達は様々な反応を見せたものの、「先生が選んだのなら」と、最終的には納得してくれていた。
自分がいつの間にそんなに信頼を得ていたのか不思議ではあったが、文句らしい文句が出ないのなら、やはりこれで良かったのだろう。
しかし、親友が代表となったと聞いたカスパルが「俺が特訓してやる」と張り切り出したせいで、当のリンハルトはあちこち逃げ回っている。
マヌエラから教わった指導内容を伝えるため、ベレトは彼を探し回っていたのだが、なかなか見つけられずにいた。
「……本当に、どこに行ったんだ」
大広間で、一人呟く。
ガルク=マク大修道院は広い。赴任してから半年以上経つが、よく知らない場所も多かった。
どうしたものかとベレトが考え込んでいると、
「あら、先生」
声を掛けてきたドロテアに、ベレトは困ったような表情を向ける。
「リンハルトを見なかったか?」
「リンくんですか?いいえ」
ドロテアはあっさりと首を横に振り、ベレトは「そうか……」と肩を落とした。
「まあリンくんのことだから、またどこかで昼寝でもしてるんでしょうけど……あ、もしかして、白鷺杯の件ですか?」
「ああ」
ベレトは頷いてから、困ったように眉尻を下げる。
「マヌエラ先生から聞いた指導内容で、伝えておきたいことがあったんだが……」
「そういうことなら、あたしが一緒に探しましょうか」
「いいのか?」
ドロテアはにっこり笑って頷いた。
「困った時はお互い様ですよ」
ベレトはほっとした。この広い修道院を一人で探していたら、きっと日が暮れてしまうに違いない。
「助かる」
「先生は居場所の検討、付いてるんですか?」
「いや……いそうな場所は探してみたんだが……」
首を振るベレトに、ドロテアは「そうねえ……」と、ちょっと考えるように首を傾げてみせた。
「もしかして、あそこかしら」
「心当たりがあるのか?」
「ええ、まあね。でもちょっと……」
ドロテアは辺りを憚るように様子を伺ってから、ベレトに近づき、声を落とした。
「……誰にも言っちゃ駄目ですよ?」
ベレトはきょとんとしながらも、こくりと頷いてみせた。





***





ドロテアの言う"心当たりのある場所"というのはどうやら奥まったところにあるらしい。
ベレトはドロテアに、直接そこまで連れて行ってもらうことになった。
聞けば何やら、いわゆる生徒たちの『秘密の場所』に当たるらしく、騎士団員や教師には明かさないのが暗黙の掟だという。
「俺は良いのか?」
「先生は特別ですもの」
ドロテアの言葉の意味を理解しかねていると、「深く考えなくていいんですよ」と、ドロテアは小さく笑う。
「あ、そうだ。ねえ先生、聞いてもいいですか?」
「どうした?」
「どうしてリンくんを白鷺杯の代表に選んだのかしらって思って……」
ドロテアの質問に、ベレトははたと気付く。白鷺杯に関して、ドロテアはかなり乗り気でいてくれたのだ。そんな中、自分はリンハルトを代表に選んだわけで。
「……ええと」
「あ、誤解しないでくださいね?」
ドロテアがすかさず言った。
「自分が選ばれなかったから拗ねてるとか、そういうんじゃないんです。ただ、純粋に気になっただけ」
そう言ってウインクしてみせるドロテアに、ベレトは少しほっとする。
だが、理由を問われると、言葉にするのは難しい。
ドロテアと並んで歩きながら、暫く考えて、ベレトはようやく口にする。
「リンハルトが踊ってるのを、見たかった……から、だろうか」
「リンくんが、ですか?」
思いがけない返事だったのか、ドロテアは何度か瞬きしてから、
「うーん……それって先生にとって、リンくんが魅力的に見えるってこと?」
ぎくり。
と、思わず身体が、一瞬強ばる。
その表情を見て、ドロテアは悪戯っぽく笑った。
「あら、先生ってそんな顔もするんですね」
「…………」
口を固く引き結んでしまったベレトを見て、ドロテアがその顔を恐る恐る覗き込む。
「……ひょっとして、怒ってます?」
「いや……そういうことを言うつもりでは、なかったんだが」
「違うんです?」
ドロテアに何と答えるべきか迷っていると、不意に彼女が「待って、先生。こっちです」と腕を引いた。
見れば、巧妙に隠されてはいるものの、生垣の隙間に、人一人が通れそうな道がある。
ドロテアがその隙間に身体を押し込むようにして入っていき、ベレトもその後に続いた。
生垣の向こうには、寂れた四阿と、手入れがされていない草木の広がる庭があった。
恐らくは、見えづらい位置のために、修道院の人々からも忘れられ、放置されているのだろう。
それを良いことに、生徒たちがこっそり使っているのだと、何となく察しがついた。
今は人の気配はほとんど無いようだが、四阿の奥に、見慣れた濃い緑色の髪が見えた―――リンハルトだ。
「リンくん、やっぱりここで寝てましたね」
ドロテアは小声でそう囁いてから、魅力的なウィンクをベレトに投げ掛ける。
「じゃあ、私はこれで」
「ありがとう、ドロテア」
ベレトがほっとしたのも束の間、ドロテアは笑顔で言った。
「今度詳しく聞かせてくださいね?さっきの話。気が向いたらで構いませんから」
「………」
ベレトは何とも言えないまま、ドロテアを見送った。
何となく、ベレトの抱える感情を見抜かれているような気はするが、彼女なら周りに言い触らしたりはしないだろう。
そう信じることにして、ベレトはリンハルトへと歩み寄った。
彼は本を胸に載せたまま、すやすやと眠っている。
何となく寝顔に見蕩れかけるも、そんな場合ではないと頭を振った。
気持ち良さそうに眠るリンハルトを起こすことに躊躇いはあったが、ここまで来てそうしないわけにもいかない。
せめてもの情けにと、ベレトはできるだけそっと、身体を揺らしてやった。
「リンハルト。風邪を引くぞ」
「……んむ」
リンハルトは酷く眠たそうに目を開き、大きく欠伸をする。
「ふぁあ……せんせい……?」
「俺だ」
リンハルトは暫くぼんやりとした表情でまばたきしていたが、やがて諦めたような表情で、ゆっくりと起き上がった。
「先生にここが見つかるとはなあ……」
ドロテアに教えて貰った、とは、言わない方がいいかもしれない。
「起こしてすまない」
「いえ、それはいいんですけど」
リンハルトは目を擦りつつ、ベレトを見て首を傾げた。
「……もしかして、先生も特訓させに来ました?」
「伝えたいことがあったのは確かだが」
そう言ってから、ベレトは何となく不安になる。
「……嫌なら、辞めるか?」
自分の一存で決めてしまったとはいえ、嫌がる生徒を無理矢理出場させようとも思わない。
そう考えての一言だったが、リンハルトはぱちぱちと何度かまばたきすると、眠たげな、何を考えているか分からない表情で「うーん」と唸った。
「……先生となら、してもいいですよ」
おや、と、ベレトはリンハルトからの意外な返答に、目を丸くする。
「カスパルは手加減してくれないけど、先生なら手加減してくれるでしょ」
リンハルトはそう言って、ふにゃりと笑った。
「あんまり厳しくしないでくださいね 」
「……努力しよう」
一瞬、その笑顔に見蕩れて返事を忘れそうになったが、ベレトは何とかそう返した。





***





寂れた庭に、オルゴールの音が鳴り響く。
課題曲の練習にと渡されたそれは、古いながらも良い音をしていた。
人気がないのを良いことに、二人はそのまま、隠れた裏庭で練習に励んでいた。
「……先生、ちょっといいです?」
曲の途中で、不意にリンハルトが足を止めて、ベレトに声を掛ける。
「どうした?」
「いや、上手く感覚が掴めないところがあって……あ、そうだ」
と、リンハルトは名案を思いついたと言いたげに、顔を輝かせる。
「先生も一緒に踊ってください」
ベレトは一瞬、耳を疑った。
「……俺がか?」
「特訓に付き合ってくれるんでしょう?」
当然と言わんばかりに頷くリンハルトに、ベレトは戸惑った表情を浮かべる。
「だが、俺で練習相手になるのか……」
「大丈夫ですよ」
リンハルトは妙に自信ありげだ。
「先生、僕よりちょっとだけ背が低いですし、女役でも問題ないですよ。合わせてくれるだけで構いませんから」
密かに気にしていることを言われたのは、少しだけ切なかったが、確かに付き合うと約束したのは自分だ。
ベレトは致し方なく頷いて、オルゴールの螺子を巻き直してから、恐る恐るリンハルトの前に立った。
「こういうのは、あまり慣れてないんだ」
「形だけでいいんですよ」
リンハルトはそう言って、ベレトの手を取り、向かい合わせになった。

―――近い。
そう気付いた途端、身体中の血が騒ぎ始めたかのように、頬が熱くなる。
本来なら、親しい者同士しか、許されないはずの距離。
恋をしている相手が近くに居る時、人はこんなにも緊張するのかと、ベレトは改めて思い知った。

「先生?」
リンハルトに促されて、ベレトははっとする。
オルゴールはもう鳴り出している。
込み上げる感情を何とか堪えながら、ベレトは見様見真似でリンハルトに合わせ始める。
彼の足を踏まないように、慎重に。だが、踊りが止まらないように、素早く。
「結構上手ですね」
何故だかリンハルトは嬉しそうだった。
まさか自分が褒められるとは思ってもみず、ベレトは思わず
「そ、そうか?」
と、素っ頓狂な声を出す。
「白鷺杯、先生が出ても良かったんじゃないですか?」
「いや……それはどうだろう……」
エーデルガルト辺りに、しょっぱい顔をされそうな気がする。
そう呟くと、リンハルトは声を立てて笑った。
そうやって他愛ない話をしながら、踊る。音楽に合わせて。互いの手を握り、身体を支え合いながら、踊る。音楽に合わせて。
ベレトにとって、誰かとこんな風に踊るのは初めてだった。
リンハルトはそれを聞いて、「じゃあ、僕が先生の初めての相手ってことですね」と、興味深げに言った。
やっぱり何だか嬉しそうに見えたのは、自分の錯覚だろうかと、ベレトは頭の片隅で何となく思った。
そうしているうちに、やがてオルゴールは余韻を残して止まった。
音楽が止むのと同時に、二人の足も止まる。
二人で踊っている間、時間はやけに長く感じられたのに、終わってみるとあっという間だった。
既に足は止まっているのに、何故かリンハルトはベレトから離れようとしなかった。
「……先生」
ふと、リンハルトが碧玉の色をした瞳でベレトを見つめながら、囁くように言った。
「曲、終わってますよ」
そう言われて、ベレトはようやく、自分がずっとリンハルトの手を握っていたことに気付く。
「……! す、すまな、」
慌てて離そうとするも、何故かリンハルトは、逆にベレトの手を握った。
「いえ、いいんですけど」
相変わらず、何を考えているか分からない表情で―――けれど真面目な顔で、リンハルトは言った。
「僕ももう少し、こうしてたいんですけど、いいですか」
ベレトは一瞬、何を言われているかわからず、きょとんとしてしまう。
リンハルトは小さく肩を竦めて、
「ほら、貴方を独り占めできる機会って、なかなかないじゃないですか。普段、色んな人に囲まれてますし」
そう言って、リンハルトが微笑む。
「だからもう少しだけ、二人でいたいなぁって」
少年らしい、わがままめいた口調の真意は、やはりベレトには読めない。
けれど―――けれど。
どうしても口角が上がるのは、抑えられなかった。
ベレトは、自分があまり嬉しそうに見えていないといいと思いながら、頷く。
「……なら、もう少しだけ踊ろう。時間が勿体無い」
嘘だ。本当は、自分がリンハルトの近くにいたいだけだ。
仕方ないなあ、と付き合ってくれる姿勢のリンハルトに、内心後ろめたさを感じながらも、やはり嬉しい気持ちの方が勝っていた。
オルゴールは鳴らさないまま、どちらからともなく、先程と同じように舞踏を始める。

もう少しだけ。
あとこのまま、もう少しだけ。





***





特訓の甲斐あってか、白鷺杯ではリンハルトが優勝し、彼は「踊り子」の資格を受け取ることになった。
とはいえ、本人は今のところ、全くやる気がないらしい。
ベレトも推薦したとはいえ、生徒の希望に沿わない職を無理矢理勧める気はなかったので、特に何も言わなかった。
彼の舞う姿を見たかったのは、確かだけれど。
「いいんですか?リンくんの踊る姿見なくって」
と。
ドロテアにつつかれ、ベレトは素知らぬ振りをしてみせる。
「本人が乗り気じゃないなら、無理に勧めない方が良い」
「あら、見たかったのは否定しないんですね」
「………………」
「ふふっ、ごめんなさい。だって、先生ってば分かりやすいんだもの」
そんなに分かりやすかっただろうか。
何とも言えない顔をするベレトに対し、ドロテアはくすくすと笑ってから、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ、誰にも言ったりしませんから」
「……助かる」
ベレトはついに観念することにした。
こと色恋に関しては、ドロテアの方が敏いはずだ。最早誤魔化しようもないだろう。
「それにしても先生、最近は何だかずっと機嫌が良かったみたいですけど」
と、ドロテアがさっそく探りを入れてくる。
「何か良いことでもありました?」
ベレトは少し考えてから、軽く目を伏せた。
「……気が向いたらな」
勿論、言う気はなかった。





あの時間は、二人だけの秘密だ。
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