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青藍と天鵞絨

【恋に名を付けた日】

恋とは、どこからやってくるものなのだろう。

「母さんのどこを好きになったか、だあ?」
ジェラルトはわざわざ復唱してから、照れくさそうに自分の頭をがしがしかいて、「そんなん素面で言えるかよ」と、ベレトの頭を小突いてきた。
父らしくも珍しい反応に、ベレトがちょっと驚いていると、ジェラルトは怪訝そうな顔をして、
「いったい何だってんだ、急にどうした」
と、問い掛けてきた。
「……人を好きになるというのは、どういう感覚なのかと思って」
ベレトは素直に答えた。
それを聞いたジェラルトは、びっくりしたような顔をして、
「誰か気になる奴でもいるのか?」
と、何故だか焦ったように聞いてきた。
「気になるやつ…………」
確かに、気にはなっている。
でも。
「……よく、わからない」
呟くようにしてから俯くベレトを見て、ジェラルトはやれやれと言いたげに笑った。
「お前をここに連れて来て、良かったのかもしれんな」
ジェラルトは、何故だか嬉しそうだった。



人は人を好きになると、目が離せなくなるものらしい。
会いたくなるし、近くにいたくなる。
触れ合っていたくなるし、口付けもしたくなる。
胸が高鳴り、苦しくなって、どうしようもなく切なくなる。
……のだと、本にはそう書いてある。
書庫から借りてきた本を自室で読みながら、ベレトは何となく考え込んでしまった。
胸が高鳴る経験は、少なくともしたことがない。
「なんじゃおぬし、恋物語なんぞ読みおって」
似合わないのう、と、ソティスが不思議そうに言う。
ベレトはページを繰る手を止めて、困ったような顔をしてみせた。
「……ソティス、恋ってしたことあるか?」
「覚えているわけがなかろう」
思った通りの返事だった。
「が、おぬしが何を思い悩んでいるかは、とっくにお見通しじゃぞ?」
ソティスはふふん、と楽しげな顔をして、
「あの小童のことであろう」
どの小童だ。いや、どの生徒のことだ。
ベレトの物言いたげな表情に、ソティスはぱちくりとまばたきしてみせる。
「なんじゃ?あの者じゃろ、緑の髪を束ねた、よく居眠りをしておる」
「………………」
図星を刺され、思わず黙るベレトに、ソティスはにんまりと笑う。
「やはりな!ここ最近どうもぼうっとしていると思っておったら、恋煩いであったか」
「…………」
「……どうした?ベレト」
確かに最近、ベレトはリンハルトのことが、どうにも気になって仕方なかった。
でも。
だがしかし。
「……この感情は、恋なのか?」
自信なさげなベレトの言葉に、ソティスは呆れたような顔をした。
「おぬし、自分のことであろう。しゃんとせんか」
「そう言われても……」
ベレトは小さく首を振る。
「恋なんて、したことがなかったから……」
どうすればいいのかわからない、というベレトに、ソティスは毒気を抜かれたような顔をして「……仕方のないやつじゃのう」と呟いた。

気になり始めたのは、いつからだったか。
気付けば目で追うようになっていたし、彼と話す時間は楽しかった。
教師という立場上、生徒を特別扱いするつもりは無かったが、無意識の視線は止められない。
……それに。
「あ、先生」
視線に気が付いたリンハルトが、欠伸を噛み殺しながら軽く手を振ってくれるのが、嬉しくなかったと言えば、嘘になる。
「また寝不足か?」
「はい……」
リンハルトは眠たげな目を擦りつつ、また欠伸を漏らした。
「この間、先生から貰った紋章図解あるじゃないですか。あれが面白くて……」
ベレトは少し驚いた。喜んでくれているのは知っていたが、そこまで読み込んでいたとは思わなかった。
「つまりは俺のせいか」
「そうですよ」
ベレトの言葉に、リンハルトは悪戯っぽく笑う。
「だから、講義で居眠りしてても見逃して欲しいなって」
「それとこれとは話が別だ」
「ええー」
唇を尖らせるリンハルトに、ベレトは思わず小さく笑った。
やはり彼と話していると、とても楽しい。
心の奥にじんわりと温かいものが広がり、それでいて、何となく落ち着かない気持ちになる。
けれど、この時間が長く続けばいいと思っている自分もいるのだ。
これが、果たして恋なのだろうか?

「先生?」

―――不意に。
ふわりと、心地の良い香りがして、気付けばリンハルトが自分の顔を覗き込んでいた。
「何ぼーっとしてるんです?」
近い、と、気がついた瞬間。
血の巡りが、酷く早くなったような気がした。
相変わらず胸が高鳴るようなことはなかったが、彼にもっと近づきたいという衝動と、そんなことをしてはいけないという理性に一瞬で挟まれて、ベレトは困惑する。

これが恋だと言うのなら、何と厄介な感情だろう。
触れたくても触れられず、抱き締めたくても抱きしめられない。

なるほど、と、ベレトは一人で納得した。
だから世の中の恋をする人々は、それを許されるため、自分もまた、愛して欲しいと願うのか。
「……すまない。なんでもないんだ」
沈黙の後、ベレトはそう嘘を吐いて、視線を逸らす。
「なんでもなくない顔してましたけど」
流石に不自然過ぎるのは、ベレト自身もわかっていた。
けれどリンハルトは、「まあいいですよ」とそれ以上は追求せずに、興味深げに言う。
「先生のそんな顔見れたのは、悪くないですしね」
「……待ってくれ。俺は今、どんな顔を」
「ふふ」
リンハルトは笑うばかりで、何も教えてはくれない。
ベレトは何かを言いかけるも、自分がその笑顔に見とれていることに気付き、諦めた。

認めよう。自分は、恋をしているのだと。
恐らくきっと、どうしようもないくらいに、とっくに恋に落ちていたのだと。

「教えたら講義中に居眠りしてても構いませんか?」
「駄目だ」
「ええー……」
リンハルトの反応に、ベレトはまた、小さく笑った。
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