歌声と小さな命
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朝の陽射しはやけに柔らかく、まるで雲の毛布越しに届いてくるみたいだった。
ふと目を覚ますと、いつもなら俺の隣で寝息を立てているはずの彼女の気配がなかった。
「……サリス?」
寝ぼけた頭をかかえながら、ぐるりと部屋の中を見渡す。
毛布は乱れていないし、彼女のぬくもりもまだ残っている。きっと遠くへ行ったわけじゃない。だけど、サリスが俺より早起きするなんて──
旅を始めてから何度目だろうか。年に数回あるかないかの、わりとレアな現象だ。
すると、微かに──ほんの微かに、声が聴こえた。
透き通るような歌声。言葉にはならないけれど、旋律に意味を感じる。
耳を澄ませながらゆっくりと歩を進める。声の主は、窓辺にいた。
白く差し込む朝の光のなか、サリスが静かに歌っていた。
栗色の髪がそよ風に揺れて、その先に差したアクアマリンと真珠のバレッタが、光を受けてきらめく。
そして──彼女の肩には、黄色や青、黄緑の小鳥たちがちょこんととまっていた。
その白く細い指先には、赤い羽根の小鳥が一羽。つぶらな瞳で、サリスの旋律にあわせるように小さく囀っていた。
……まるで、童話の一場面みたいだった。
信じられるか?
こんな光景が、今この世界に、本当にあるんだ。
彼女は、歌っている。
精霊語のような、古い言葉。人魚だった頃に口ずさんでいた旋律だろうか。
どこか懐かしくて、胸の奥をやさしく撫でられるような響き。
俺はただ、そこに立ち尽くしていた。
眩しさのせいで瞬きを繰り返す視界の中、彼女はゆるりとこちらを振り向いた。
「あら、レオ。おはよう! ……ごめんなさい、起こしちゃったかしら?」
「いや、そんなことない。むしろ……最高の目覚めだった」
本気でそう思った。夢の中から呼び起こされて、現実の方が綺麗だったなんて──そうそうない。
サリスは照れたように微笑みながら、そっと指先にとまる小鳥の頭を撫でる。
「この子がね、今朝、窓の外からお花を持ってきてくれたのよ。小さな白いの。だからお礼に、歌ってあげたの」
「へえ……贈り物か。随分とモテるな、お姫様」
くすっと笑う彼女。
「ねぇ、この子、レオに似てると思わない?」
「え? 俺が? どこが」
「ふふ、羽の色よ。くすんだレンガ色……レオの髪の色にそっくりなの。私、あの色、好きよ」
その言葉が、何気ないようでいて、やけに心に残った。
まるで、朝の風がそっと心を撫でてくれたみたいな──そんな感じだった。
「お前は本当に動物に好かれるんだな。そのうち牛とか羊とか、旅について来るかもな」
「ふふ、それなら大所帯ね。きっと馬車に乗り切らないわ」
笑いながら、彼女は肩にとまる小鳥たちを順番に撫でていく。黄色の子はくすぐったそうに身を揺らし、青い子は首を傾げ、黄緑の子は彼女の髪にちょこんと潜り込む。
「でもね、レオだって愛されてるわよ? この間の馬だって、あなたがすぐに落ち着かせたじゃない」
「ああ……あれな」
あのときは本当に肝が冷えた。
街道を馬車で走っている最中、前を引いていた馬が突然暴れ出した。
サリスを守るため、俺は飛び降りて手綱を取り、あちこち確かめて──
結局、小さなトゲが蹄の裏に刺さっていたんだっけ。
「たまたまだよ。偶然にすぎない」
「ううん、違うわ。動物たちも、レオの優しさを知っているのよ」
そう言って、サリスは俺にビスケットの入った小さな袋を差し出した。
「ね、よかったら……この子たちに、ごはんあげてみない?」
赤い小鳥が、まるで言葉が分かるように、ぴょんと跳ねた。
──あぁ、今日という日は、とびきりいい朝になる気がする。
それは予感ではなく、確信だった。
*
「……じゃあ、少しだけな」
ビスケットの袋を受け取って、俺はサリスの隣にしゃがみ込んだ。
膝の上にそっとクッションを敷くと、気づけば小鳥たちがこぞってこちらに視線を向けている。
肩の上の青い子が、ぴょんと跳ねて一歩前へ。
栗色の髪のなかに隠れていた黄緑の子が、小首を傾げて俺を見つめる。
「……まるで審査されてるみたいだな、これ」
思わず呟いた声に、サリスがくすっと笑う。
「大丈夫よ。レオは合格してるから」
「……何の?」
「“優しい人かどうか”の審査」
さらっと言って、また笑う。まったく、どうしてこの人は、
照れ臭くなるようなことを、そんな当たり前みたいな顔で言うんだろう。
俺は袋の口を開き、小さく割ったビスケットを掌に載せた。
「ほら、欲しいやつ」
赤い小鳥が真っ先に飛んできて、ぴょこんと俺の指先にとまる。
つぶらな黒い瞳で俺を見上げたあと、ぽり、ぽり、と器用にくちばしで齧る。
「……なんか、器用だな」
「この子、頭もいいの。今朝も、私の髪飾りを落としたらすぐ拾ってくれてね、しかもちゃんと角のほうに置いてくれたのよ?」
サリスの語り口が優しい。
この人は、人にも動物にも、どこまでも丁寧で、まっすぐ向き合うんだ。
「ほら、君たちもどうぞ」
サリスが少しだけビスケットを砕いて、手のひらに乗せる。
青と黄緑の小鳥が、躊躇いがちに近づいて──そっとその指にとまった。
風がそよぎ、朝の光がまた一段と暖かくなった気がした。
小鳥たちが囀るなか、俺たちはしばらく静かな時間を過ごした。
手の上の温もり、小さな羽ばたきの感触。ビスケットを食べる控えめな音。
……そしてその合間に、サリスがまたそっと歌を口ずさむ。
今度は、精霊語ではない。人の言葉。けれどどこか懐かしいメロディ。
旅の道中、どこかの村で覚えた子守唄だったかもしれない。
「なぁ、サリス」
「うん?」
「お前の歌声って、すごくあったかいな。聞いてると、妙に安心する」
「そう……? 嬉しい」
サリスは小さく微笑んだ。その横顔を、俺は静かに見つめていた。
「昔、海の底でも、こうして歌っていたのか?」
「ええ。よく歌っていたわ。海藻の揺れる音や、魚の群れの波に合わせて……。
海底はね、とても静かだったの。だから、誰にも聞こえなくても歌ってた。……でも、今はね──」
彼女はふと、目を伏せて、小さく囁くように続けた。
「今は、レオがそばにいてくれるから、聞いてくれるから……もっと歌いたくなるのよ」
その言葉に、心の奥がじわっと熱くなった。
俺は手にとまっていた赤い小鳥をそっと撫でた。
細くて温かくて、あのときの彼女の指のようだった。
「……今度、もっとちゃんと聞かせてくれよ。夜の星空の下ででもさ」
「ええ、喜んで」
またひとつ、優しい笑顔。
俺はその笑顔が、この世界のなかで一番好きだ。
しばらくして、ビスケットが空になり、小鳥たちは満足そうに羽を震わせながらそれぞれの枝へと戻っていった。
赤い子だけは、名残惜しそうにサリスの肩に残っていたが──
やがて、風に乗るようにふわりと舞い上がり、空へと還っていった。
「ありがとう。また遊びに来てね」
サリスは指を振って見送った。
その姿もまるで、森の女神か、花の巫女か──とにかく、人間離れしてるほど綺麗だった。
「さて……朝ごはん、作るか」
「ふふ、もう? ビスケットのおかげで、私は少し満たされてるかも」
「だめだ。それは小鳥用だったんだから。お前の分は、ちゃんと俺が作る」
「……ふふ。わかったわ。じゃあ今日は、レオの得意なパンケーキがいいな」
「よしきた。朝から甘いので満たしてやるよ」
「昨日買ったラズベリーのジャムがあるの。あれも使いましょう!」
甘くて、優しくて、ほのぼのした朝。
小鳥たちと歌と、君の笑顔。
この小さな一日の始まりを、俺はきっと──何年経っても忘れないだろう。
──それが、旅の記憶に咲いた、小さな奇跡のような朝だった。
──Fin
