人魚姫のお守り
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春の終わり、風がやわらかくなってきたある日。
俺たちは、旅の途中で立ち寄った小さな浜辺にいた。
白い砂が敷き詰められた、評判のビーチ。
季節外れのせいか、人影はほとんど見当たらず、聞こえるのは遠くで鳴く鳥の声と、寄せては返す波の音だけ。
まるで、世界にふたりきりになったような静けさだった。
「ふふ……っ」
砂浜に着くなり、サリスは軽やかに靴を脱ぎ捨て、足を波に浸す。
その栗色の髪が潮風にふわりとなびき、太陽の光を受けて、耳元のバレッタ──アクアマリンと真珠の飾りがきらきらと輝いた。
「ああ……やっぱり、海って落ち着くわ」
嬉しそうに瞳を細め、そっと波打ち際を歩くその姿を見て、ふと胸の奥がぎゅっとなる。
そうだ。
この人は、海の姫だったんだ。
「はしゃぎすぎて、また転ぶなよ」
軽口のつもりで言った俺の言葉に、サリスはぴたりと足を止めた。
それからこちらを振り向き、むくれたように頬をふくらませる。
「もうっ!いつの話をしてるのよ!」
──あぁ、ごめんごめん。
可愛いからつい、からかいたくなる。
思わず笑みがこぼれそうになるのを堪えるが、たぶん抑えきれてなかった。
サリスはぷんすかと怒ってるようでいて、しばらくしたら照れたように笑って、再び波に足を滑らせていく。
やがて、水辺で遊ぶ彼女と目が合い、手を振ってくれた。
その笑顔に、心がゆるりとほどけていく。
……ああ、幸せだなぁ。
ほんと、それだけで。単純だな、俺も。
「レオ、見てこれ!」
しばらくして、サリスが何かを大事そうに抱えて戻ってきた。
その手のひらには、色とりどりの小さな貝殻。
「これ、アクセサリーにしたら売れるかしら?」
意外と庶民的な発言に、俺は思わず吹き出した。
「姫らしからぬ発想だな」
「元・姫ですっ」
そう言いながら、彼女は砂浜に腰を下ろし、拾った貝を並べてはじっと見つめる。
「これはアサザルガイでしょ、こっちはサクラガイ。あ、これシャコガイね。ホタテに、マクラガイに、アカネソデボラ……」
学者のように真剣な顔で一つ一つ教えてくれる。
正直、貝殻なんてこれまでまるで興味なかったのに、サリスが話すと不思議と全部面白く感じてしまう。きっと何時間でも聞いていられる。
「……それで、最後はこれね」
手のひらに載せて差し出されたのは、少し大きめの白い貝。
「それは?」
「ホネガイっていうの。別名、ヴィーナスの櫛」
そう言って、サリスはその貝を櫛のように持ち、髪を梳くような仕草をしてみせた。
「どうかしら? 本当に櫛みたいでしょう?」
「……ああ。サリスによく似合ってる」
潮風に吹かれ、ほほえむその姿は──まるで絵画の中の海の女神。
俺はまた、言葉にならないくらい、胸がいっぱいになってしまった。
「貝殻ってね、魔除けの効果もあるんですって。水の精霊の加護を宿した貝は、旅のお守りとして昔から使われてたの」
「へえ。じゃあ、俺にも効くかな」
「もちろん! 私が見つけたんですもの」
自信満々に笑うその顔が、なんとも頼もしくて。
俺は素直に「頼りにしてるよ」と返した。
「もうちょっと拾ってきてもいい? まだきっと、綺麗なのがあると思うの」
「ああ、行ってこい」
貝殻の入った小さな袋を俺に預け、サリスは再び、砂浜を軽やかに駆け出していった。
その背中を見送る時間すら、俺にとっては幸せなひとときだ。
──きっと、ずっと前から。
俺はこうやって、海辺で彼女を見つめていたような気がする。
今世での出会いが“はじめて”だったのかさえ、時々分からなくなるくらい。
彼女が振り返って、また手を振る。
俺も、ゆっくり手を上げて応える。
──何も起きない、ただ穏やかな時間。
だけど、それが何よりも愛おしかった。
────
自分のマントを広げて砂の上に敷くと、俺はその上に腰を下ろし、波打ち際ではしゃぐサリスの姿をぼんやりと眺めていた。
海風が涼しくて心地いい。彼女の笑顔を眺めているだけで、疲れなんて全部吹き飛んでいく気がする。
──春の終わり、潮の香り。
旅の途中に立ち寄った、ほんの小さな寄り道だったはずなのに、どうしてこんなにも愛おしいんだろう。
ふと、サリスがこちらに向かって駆けてくる。
裸足の足が砂に沈み、彼女は嬉しそうに両手で何かを抱えていた。
「レオ!やっと見つけたわ!見てっ!」
息を弾ませながら差し出された手のひらには、一つの巻き貝──いや、貝殻のようでいて、石のような質感を持つそれ。
「これはね、シェルアゲートよ」
「シェルアゲート……アゲートって、瑪瑙のことか?」
「あっ、覚えてたのね!前に港町のアクセサリー屋さんで見たでしょ?あのとき私、きれいって言ってたの」
「覚えてるよ。そりゃ、忘れるわけない」
そのとき彼女が、じっとショーケースを覗き込んでいた横顔も、手を組んで感嘆の声を漏らした様子も、全部ちゃんと覚えてる。
「さっきね、浜辺を歩いてたら……呼ばれてるような気がしたの。何かに。きっとこの貝だったのよ」
そう言って微笑む彼女の横顔は、神秘的で、どこか神話の中の巫女のようだった。
呼ばれるようにして見つけるって、お前は本当に只者じゃないな。
そのうち、ダイヤモンドかサファイアか、何かもっと凄いもん拾ってくるんじゃないか?
「シェルアゲートはね、何百万年もかけて貝が化石になる過程でつくられるの。
きっとこの貝も、私が生まれるより遥か昔に生きていたものなのよ」
遠い目をしながらそう語る彼女。
その瑠璃色の瞳は、まるで過去を映し出す水晶のようだった。
「それにね、ヒーリング効果もすごいの。治癒魔法の媒体としても使われてたくらいなのよ。……怪我しやすいレオにはぴったりでしょ?」
「おい、そっちこそ人のこと言えないだろ。こないだ寝起きでドアに頭ぶつけてたのおれ、見てたからな」
「……っっ、見てたの!?」
ぼっと顔を赤くするサリス。
額を両手で隠しながら、明らかに動揺してるのがもう、まるで小動物のようで、こっちは思わず笑いそうになる。
「あぁ、見てたさ。何もありませんでしたけど?って言いたげな澄まし顔してけどな?あのあと街へ買い物行っただろ。おでこ、赤いままだったぞ?」
「も、もぉー!なんで教えてくれなかったの!?わたし……っ、誰かに見られてたらどうするのよ!」
軽く俺の胸をぽかぽか叩いてくるけど、まったく痛くない。
むしろ心がくすぐったい。
「悪かったって。可愛くて言えなかったんだよ」
「ほんと、調子いいんだから……」
ぷいっとそっぽを向いた彼女。
だけど、数秒後にはふわりと微笑んで、手のひらの貝を俺の胸元にそっと押し当ててくる。
「……でも、いいわ。これ、レオにあげる」
「えっ?」
「シェルアゲート。きっと、これからもレオのことを守ってくれるはずだから。
宿に帰ったらブレスレットにしてあげる。私、そういうの得意なのよ?海底でも評判だったんだから!」
鼻を高くして胸を張るサリス。
それが妙に誇らしげで、俺は思わず目を細める。
「そっか。じゃあ、頼りにしてる。……大事にするよ、サリス」
”守護の牙”のペンダントに、”人魚姫のお守り”のブレスレット。
聖なる盾なんかより最強の加護だな。呪いとか魔法とか全部跳ね返せるんじゃないか?
「うん。世界に一つだけのお守り。レオ専用のね」
その一言が、胸の奥にじんわりと染みていった。
きっとこの先、どれだけ遠くまで旅をしても、この浜辺で交わした小さな贈り物の記憶は、ずっと俺の中に残り続ける気がする。
日が傾き、空がオレンジ色に染まり始めた。
二人で砂浜に並んで座り、寄せては返す波を眺めながら、静かな時間が流れる。
肩が少しだけ触れる距離。
彼女の指先が、そっと俺の手に重なる。
「……レオ」
「ん?」
「ありがとう。今日、来てよかったわ。すごく、楽しかった」
「……俺も。こんなに幸せな気持ちになるなんて思わなかったよ」
──きっと、これが当たり前なんかじゃないことは分かってる。
いつかまた、大きな波に飲まれる日が来るのかもしれない。
けどそれでも、今だけは。
彼女のそばにいられる、この一瞬を、何よりも大切にしたかった。
──Fin
