護衛任務と、離れて初めて気付くもの
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ブラッディ・ベアとの戦闘を終え、森の静寂が戻ってきたのは、日が傾き始めた頃だった。
空の端がわずかに赤く染まり、湿った風が枝葉を擦らせていく。
その音が妙に耳に残った。
先ほどまでの怒号や咆哮が嘘のような静けさだった。
「……傷は?」
レオが問いかけると、アッシュが軽く片腕を押さえながら答える。
「俺はかすり傷程度だ。けど……メルキオが、ちょっとやられた」
焚き火のそば、木の根元に座らせた老魔術師の腕が血で濡れていた。
肩口に大きな裂傷。皮膚の下の肉が覗いており、決して軽くはない。
「……くそっ、無理をしたか」
息を荒くしながらも、メルキオは文句一つ言わなかった。
ただ、傷口に染み込んだ魔力の逆流が激しく、治癒魔法の通りも悪い。
「傷の封止は俺がやる。薬草はあるか?」
レオは冷静だった。
布を裂いて水で湿らせ、出血を抑える。
魔力の逆流を避けるため、直接の治癒魔法は避け、応急処置に徹する。
その動作に、アーノルドが思わずつぶやく。
「……お前、本当にただの剣士か?」
「戦場で部下の手当くらい、嫌でも覚えるさ」
短く返すレオの手は、確実だった。
彼の所作からにじみ出る“指揮官”としての気配に、仲間たちは自然と従っていた。
*
夜になった。
森の中に篝火を一つ焚き、彼らは交代で見張りを立てながら野営を始めた。
メルキオは眠りについたが、傷の痛みでときおり眉をしかめている。
アッシュは静かに水を汲みに向かい、ハルトは剣の手入れをしながら焚き火を見つめていた。
アーノルドは相変わらず、「虫が多すぎる」「湿気で髪が乱れる」と文句を言っていたが、
その顔には昼間の怯えがまだ残っていた。
そんな彼らをよそに、レオは少し離れた倒木に腰を下ろしていた。
サリスの作ってくれた昼食の包みが、鞄の奥にあった。
この混乱で手をつけられないまま、時間が過ぎていた。
静かに、布を開く。
少し潰れてしまったパンの間から、野菜と卵がのぞいていた。
すでに水気を含んで柔らかくなってしまっていたが、香りはまだ残っている。
その瞬間、胸の奥がぎゅう、と締めつけられた。
(……帰りたい)
不意にそう思った。
ほんの数日前まで、あの小さな部屋で二人分の朝食を並べていた。
彼女は、何も言わずにカップを差し出してくれて、微笑んでいた。
あの穏やかな空間が、今は遠く感じられる。
(……無事に帰らなきゃ)
燃え尽きた焚き火の炭を見つめながら、レオは思う。
魔物との戦闘。仲間の負傷。
それは、旅を続けていればいつか必ずぶつかる壁だった。
だが――
「……俺だけなら、どうにでもなる。でも……あいつを巻き込むわけにはいかない」
この旅のなかで、幾度となく危険はあった。
でもサリスは、決して弱いだけの存在ではなかった。
力も、意思も、そして優しさも持っている。
それでも、もし彼女が今ここにいたらと思うと、
レオは、立っていられないほどの恐怖を感じた。
ふと、胸元のペンダントに触れる。
サリスが贈ってくれた“守護の牙”の銀の飾り。
旅の安全を願ってくれた、彼女の祈り。
その想いを、今ほど強く感じたことはなかった。
夜の風が、レオの髪を撫でる。
「……あいつ、今ごろ何してんだろうな」
ぼそりと、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
広場のベンチに腰かけて、歌っているかもしれない。
宿の窓際で、編み物でもしているかもしれない。
あるいは、少しだけ不安になって、月を見上げているかもしれない。
……そう思うと、いてもたってもいられなかった。
「早く、終わらせて帰る。笑って、話をして…一緒に飯を食うんだ」
それが今のレオにできる、たった一つの願いだった。
*
護衛の一行は、三日目の夕方――ようやく隣国セヴェーロの国境都市に辿り着いた。
街の門は高く、衛兵たちが立ち並ぶ城壁の影に、旅の疲れがじんわりと沁みた。
「ようやく着いたな……!」
ハルトが大きく息をつき、肩を回す。
レオもまた背中の剣を下ろし、首をゆっくりと回した。
魔物との戦闘で傷を負ったメルキオは、すぐに治療院へと運ばれた。
幸い命に別状はなく、あとは安静にすれば回復するとのことだった。
それを聞いて、レオはようやく深く息を吐いた。
アーノルド・スフォルツアはというと、到着の翌朝に使者に迎えられ、街の上層へと早々に姿を消した。
報酬の支払いもきちんと済み、金貨入りの袋が各人に手渡された。
「お前の取り分、これだ。けっこうな額だろ?」
ハルトが笑いながらレオに袋を渡す。
ずしりとした重み。だが、レオの心は別のものに向いていた。
「……ありがとな」
そう言って受け取ると、彼はその足で郵便所へと向かった。
*
店の奥、薄暗いカウンターの前。
簡素な便箋とペンを受け取り、レオは手紙を書き始めた。
文字を書くのは得意ではない。
それでも、彼はゆっくりと、言葉を紡いでいった。
────
サリスへ
無事に目的地の街に着いた。
任務はほとんど終わったから、明日の朝にはこちらを出て、三日以内には戻れると思う。
こっちは天気もよくて、食事もまあまあ。……でも、お前のスープが恋しい。
旅には慣れてるし、ひとりで歩くのも昔は平気だったはずなのに、
お前がいないだけで、やけに静かだ。
ああ、そうか。これが“寂しい”ってやつなんだな。
もうすぐ帰る。ちゃんと“ただいま”って言えるように、無事に帰る。
レオ
────
書き終えると、便箋を折り、封をし、宛名を書く。
宿の女将の名前を借りて、街の宿に届けてもらうよう手配した。
数日後には届くだろう。遅くとも、自分が戻るより先には。
「……これで、少しでも安心させてやれりゃいいが」
レオは郵便所を出たあと、夕暮れの街の中をゆっくり歩いた。
西の空が茜色に染まり、石畳の道が赤く照らされている。
孤独には、慣れていた。
生まれてこの方、いつも一人で歩いてきた。
誰かを待つことも、待たれることも、なかった。
でも、今は違う。
「……あいつがいないってだけで、こんなに空気が冷たく感じるもんかよ」
どこか遠くで笑い声が聞こえた。
旅人たちが宿に集まり始めている時間帯。
小さな広場の噴水から、夜の灯りがちらちらと揺れていた。
レオは、仲間たちの泊まっている宿に戻った。
*
「おーい、レオ! 遅かったじゃねぇか!」
扉を開けるなり、ハルトの明るい声が飛んできた。
中にはアッシュの姿もあり、すでに大きなジョッキを傾けていた。
宿の食堂には地元の人間も交じっており、賑やかな夜の気配が広がっている。
「郵便か? ああ、なるほどな~。例の“栗色の歌姫”にお手紙か?」
「……うるせぇ」
顔をしかめるレオに、ハルトとアッシュがにやにやと笑いかける。
彼らの間に悪意はなかった。
むしろ、戦いを共にした者同士の、屈託のない仲間意識があった。
「ったく、あんなに腕の立つ剣士が、恋文書いて赤くなってるとはな」
「いいじゃねぇか。強い奴に限って、そういうところでギャップ出すんだよ」
「……今度やかましかったら、ぶっ飛ばすからな」
ぼそりと返しながらも、レオの口元はどこかゆるんでいた。
無意識に、くすぐったさを感じていた。
茶化されることに慣れていない。
でも、こうして笑い合える仲間がいること――それもまた、悪くないと感じていた。
ジョッキを一つ受け取り、レオは席に腰を下ろす。
湯気の立つ料理の香りが、腹の底を刺激する。
サリスの作った昼食は、少し潰れてしまっていたけれど、
あれがあったから乗り越えられたと、本気で思っていた。
もうすぐ帰れる。
この任務が終わったら、また彼女と――
ただ、隣で目を覚まし、朝のスープを分け合う日々に戻れる。
そう思うと、喧騒の中にいても、心はふしぎと穏やかだった。
