護衛任務と、離れて初めて気付くもの
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濡れた石畳の道を踏みしめながら、レオは城下の南門近くにある広場へと向かっていた。
街はようやく雨の帳を抜けたばかりで、空はまだ重たい灰色を残している。
遠くで鐘の音が一つ、二つ。
依頼の集合時間が近づいていた。
「……たかが数日だ。すぐ終わらせて、帰る」
自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
だが、胸の奥に残っているのは、サリスの笑顔と――柔らかなキスの余韻だった。
彼女の指先が背を押してくれたのに、未だに名残惜しさが抜けない。
それほどに、彼女という存在が心に染みついている。
*
広場に着いた頃には、すでに数人の男たちが集まっていた。
背中に弓を背負った青年、肩幅の広い剣士、そして長杖を抱えた年配の魔術師。
中央には、白馬に跨った上等な衣服の男――今回の護衛対象である貴族の姿があった。
「あんたがレオか? 依頼を見て来たってのは」
声をかけてきたのは、剣を腰に下げた体格のいい男だった。二十代半ば、快活そうな目をしている。
「そうだ。……よろしく頼む」
「俺はハルト。そっちの軽装がアッシュで、あの爺さんがメルキオって魔術師だ」
「最後が……えーっと、あっちの気取ったお坊ちゃまが今日の“お荷物”だな」
「おい、ハルト。あまり品のない言い方はやめたまえ」
そう口を挟んできたのは、馬上の貴族――薄金色の髪を後ろで結い、整った顔立ちをした青年だった。
年齢は二十五を越えるかどうか、といったところか。
しかしその佇まいと、飾り気の多い上着からは、明らかに貴族の匂いが漂っている。
「私はアーノルド・スフォルツア。スフォルツア家の次男坊さ。
我が兄の政略婚に出席するため、隣国へ向かう道中なのだが……護衛が必要だと言うのでね。いささか大げさだが、身の安全には代えられないからな」
「つまり、山賊が出るって噂を聞いて怖気づいたってことだろ」
「うるさいぞ、そこ!」
そのやり取りに、レオは思わず小さく笑った。
雰囲気が悪いわけではない。むしろ、妙な親しみすら感じる。
「……案外、悪くない奴らかもな」
レオの目が自然と仲間たちを見渡す。
ハルトは気さくで勢いがあり、隣のアッシュは痩せ型ながら俊敏そうな目をしている。
魔術師のメルキオはほとんど無口だが、ただならぬ空気を纏っていた。
こういう者が本物の“実力者”なのかもしれない。
「旅は四日ほどかかる。二泊三日で戻る予定だったが、雨で道がぬかるんでいるだろうしな…
だから無理はしない。だが、油断もできん」
ハルトがそう告げると、全員が頷いた。
彼らもまた、何度かこうした依頼に就いているのだろう。
いざという時の目の鋭さは、軽口とは違って真剣なものだった。
「……そんじゃあ、行くか」
それぞれが背の荷を確かめ、腰の剣や弓、杖を軽く握る。
レオもまた、背中にサリスから預かった包み――昼食を納めた布包みがあることを一瞬、思い出した。
あたたかな手のぬくもりと一緒に。
*
街を出て、最初の一日は比較的穏やかだった。
舗装された街道を抜け、緩やかな丘陵地帯へと入っていく。
土はまだ湿っていて、馬車の車輪が時折ぬかるみに取られる。
それでも、魔物の気配は感じられず、警戒こそ怠らなかったが空気にはどこか余裕があった。
「なあ、レオって剣の流派はなんだ?」
「……特にない。自己流みたいなもんだ」
「へえ、でも体の使い方が無駄なくていいな。戦士崩れかと思ってたが、違うんだな」
「……そんなとこだよ」
ハルトの問いに、レオは曖昧に返す。
名乗れる家も、肩書も、剣の師の名さえ、今となっては風に流れたものだ。
唯一残っているのは、あの無骨な兵士――ベルトホルトがくれた名前“レオ”だけ。
「旅してんのか? 一人で?」
「いや、相棒がいる。……今は、街に置いてきてる」
「ふーん、女か?」
「……ああ。歌い手だ。すげえ歌声でな。きっと、聞いたら忘れられねえと思う」
それを聞いたハルトが、やけに楽しそうに肩を叩いてくる。
「なんだ、そういう奴がいるのか! そりゃ帰りを急ぎたくなるな!」
レオは、照れくさそうに口元をゆがめた。
だが心の中には、サリスの歌う声が静かに響いていた。
広場の石舞台、夜の月、そして風に乗って届くあの旋律。
たった数日とはいえ、あの声を聞けないことが、これほど寂しいとは思わなかった。
(大丈夫でいてくれよ。……あんまり俺がいない間に、無茶すんなよ)
誰にともなく、心の中でそう願う。
夜になれば、焚き火を囲み、仲間たちと交代で見張りをしながら眠る。
初日は何事もなく過ぎた。
……けれど、その静けさが破られるのは、そう遠くない未来だった。
*
出発から二日目の朝。
日が昇り切る前に、彼らは小さな山間の道へと足を踏み入れていた。
雨の名残が森の葉を濡らし、雫がひとつ、またひとつと落ちて地面を打つ。
空は晴れていたが、湿った土の匂いが鼻をかすめる。鳥の声は少なく、空気が妙に静かだった。
「……この辺りだな。魔物の目撃があったって話は」
ハルトが周囲を見渡しながら、低くつぶやく。
レオは剣の柄に手を置いたまま、さりげなく隊列の中央にいたアーノルドを前へ出ないよう制し、視線を巡らせた。
足跡がある。
蹄ではない。
……四つ足。しかも、大型。
(来るな)
森の奥、風が一瞬止んだ。
その瞬間、茂みががさりと揺れた。
「全員、下がれ!」
レオの声が鋭く響いた刹那――
――木々の合間から、それは飛び出してきた。
全身を黒い毛で覆われた、異形の熊。
肩までの高さはレオの胸を優に超え、片腕は人の胴ほどもあった。
口を開けば鋭い牙がいくつも光り、瞳はまるで火を宿したような赤。
「“ブラッディ・ベア”だ……!」
メルキオの低い声が響く。
通常の熊の数倍のサイズを持ち、凶暴さと再生力で知られる魔物だ。
「後衛、結界展開! 弓は頭部狙い、足止め優先! 剣士は左右から回り込め!」
即座に指示を出したのは、レオだった。
その声は確信に満ち、刹那の迷いもなかった。
彼の指揮に、誰も異を唱えない。
それほどに、その声には“場数”の重みがあった。
*
矢が一本、ブラッディ・ベアの眼前に飛び込む。
それに気を取られた瞬間、ハルトとレオが左右から斬り込んだ。
刃が分厚い毛皮を裂く音がした。
だが、想像以上に肉厚だ。
一太刀では仕留めきれない。
「こいつ……硬ぇな!」
「急所を狙え! 腹、関節、耳の下だ!」
レオは怒声と共に熊の横腹へ踏み込む。
一瞬の隙を突いて、後脚の腱を狙って剣を振り抜いた。
黒い体が大きく傾ぎ、咆哮とともに森が揺れた。
その隙に魔術師メルキオが魔法陣を描き、地面から拘束の蔦が熊の脚に巻きつく。
「今だっ!」
ハルトとアッシュが左右から喉元に剣を突き立て、
最後、レオが熊の顎下へ深く剣を差し込んだ。
――魔物は、悲鳴のような呻きを残して崩れ落ちた。
*
「はぁ……っ、なんとか、仕留めたな……!」
ランスが肩で息をしながら笑う。
ハルトは血のついた剣を地面に突いて、レオの背をばしっと叩いた。
「お前、やっぱ只者じゃねぇな! さっきの指揮、完璧だったぞ!」
「昔ちょっとだけな。……兵士をしてた頃がある。中隊の指揮も任されてた」
「やっぱりかよ! あの指示の出し方、素人じゃねぇと思ったぜ」
火の粉が舞うような笑いの中で、ハルトが言った。
「なあレオ。お前、冒険者にならねぇのか?」
唐突な問いだった。
だが、きっと彼らの中では自然な流れだったのだろう。
実力はある。判断力もある。人望も得られる。
なら、冒険者になってギルドに所属すれば、名声も金も手に入る――
だが。
─柔らかな栗色の髪、澄んだ瑠璃色の瞳が脳裏に浮かぶ。
「いってらっしゃい」と微笑んだ唇のやわらかさ。その手が、背を押してくれた感触。
レオは、焚き火の火に薪をくべながら、少しだけ目を細めた。
「……冒険者になる気はねぇよ」
「なんでだ? もったいねぇ!」
「俺は、勇者になりたいわけじゃない。ただ――大切な奴と、気ままに各地を旅してたいだけだ」
ハルトはきょとんとして、少し笑った。
「気ままって、あれか。女か?」
「……ああ。栗色の髪に、瑠璃色の瞳。歌の上手い子だ。今は宿で留守番してる」
その名を口に出さなくても、胸の奥で響いていた。
サリス。俺の心を灯す、たった一人。
「冒険者は、命を預ける仕事だ。毎日が戦いで、昨日の仲間が今日いない。
明日、生きて帰れるかもわからねぇ」
レオは火を見つめたまま、少しだけ声を落とした。
「……俺が、突然帰れなくなったら。あいつを、ひとり残してしまったら。
……そう思うだけで、胸が張り裂けそうになるんだ」
森の闇は深く、焚き火の明かりがぽつりと揺れていた。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
でもそれは、ただの沈黙ではなかった。
ハルトがぽつりと言った。
「……そっか。そりゃ……最強の理由だな」
レオは小さく笑った。
そしてその笑顔の奥に、誰にも見せぬ祈りのような想いがあった。
(俺は戦える。けど、戦わない自由も持っていたい。
あの歌を、笑顔を、日常を――何があっても守れるように)
