護衛任務と、離れて初めて気付くもの
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夜半まで降っていた雨はようやく上がり、地面にはまだ小さな水たまりがいくつも残っていた。
石畳の道はしっとりと濡れていて、通りを歩く人々の足元には、くすんだ朝の光が反射していた。
ここ数日、街はずっと悪天候が続いていた。
その影響もあってか、サリスのもとに届く歌の依頼もぐっと減っていた。
雨の日に外で歌うことは難しく、広場に集まる聴衆もいない。
加えて、旅芸人の仕事は“晴れ”に強く依存する──
レオたちの路銀は、知らず知らずのうちに底をつきかけていた。
「……仕方ないよな」
レオは、いつもの癖で短剣の鞘を軽く叩いた。
刃の手入れは昨日の夜に済ませてある。革の手袋、外套、靴……すべて、任務に備えての準備は万全だった。
それでも、彼の足取りは重かった。
宿の一階の窓辺には、サリスの姿があった。
栗色の髪を柔らかく編んだまま、彼女は静かに、穏やかに、コップの中の花に水を足している。
まるで、どこかの貴族の家に住む、新妻のような佇まいだった。
彼女の表情は明るく、心配している様子は見せなかった。
むしろ、レオの方が、どこか浮かない顔をしていた。
「レオ、そろそろじゃない?」
サリスは、そう言って小さな包みを差し出した。
香ばしい香りと、やわらかな甘みが鼻をくすぐる。
「これ、お昼に食べてね。サンドウィッチと、りんごのコンポート」
「……ありがとな」
包みを受け取りながら、レオはサリスの手をそっと取って、そのまま抱きしめた。
彼女の身体は、いつもより少しひんやりとしていて、でもどこまでも柔らかかった。
数日だけの別れ。それでも、彼は名残惜しくて仕方がなかった。
「大丈夫よ、心配しないで。宿の女将さんもいるし、何かあればお医者様のところにも行けるから」
サリスは、レオの胸に顔を預けながらそう言った。
まるで、見送る側なのに、彼の方を気遣うように。
レオは言葉を飲み込んだ。
「危ない任務なんだ」「やっぱり断ろうか」──そんな言葉が喉まで出かかったが、彼女の瞳を見てやめた。
瑠璃色の瞳がまっすぐに彼を見つめている。
不安を押し殺した、信じる者の目だった。
「あったかいスープ作って待ってるわ」
「…楽しみにしてる。焦がすなよ?」
軽口を交わすその一瞬さえ、惜しいと感じる。
別れというには短すぎる。でも、心の奥がひどくざわつく。
彼女と、こうして数日間離れて過ごすのは、もしかすると初めてだったかもしれない。
だからこそ、なおさら。
「……いってくる」
「いってらっしゃい」
唇に触れた、やわらかで、ぬくもりのあるキス。
彼女の手がそっと背中を押した瞬間、レオはようやく重たい足を前へと踏み出した。
外に出れば、朝の街の空気は湿っていて少し冷たかった。
遠くで荷馬車の音が聞こえる。鳥の声もまだまばらで、世界はまだ半分眠っているようだった。
レオは一度だけ、振り返る。
宿の窓には、サリスが立っていた。
手を振るその姿は、まるで夢のように美しく、そして現実のようにあたたかかった。
「……すぐ、帰ってくるからな」
小さくそう呟いて、彼は歩き出す。
心に、彼女の匂いと、柔らかな唇の感触を残したまま。
今日から数日間、彼は彼女のいない時間を生きる。
それが、どんなに重たいものなのか――
このときのレオは、まだ知る由もなかった。
