【人魚伝説に溺れる男】Part2
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「東方か……」
コーヒーの湯気がゆらゆらと立ちのぼる中、
サリスが語ってくれた“八百万の神々”や“竜宮城”の話は、
まるで夢物語のようで、けれど不思議と現実味があった。
東方──この大陸のさらに遥か向こう。
言葉も文化も異なるその地には、霊と対話し、舞で祈る巫女たちや、
陰陽を操る道士、そして「ブシ」と呼ばれる戦士たちがいるらしい。
そして、俺の心には、ひとつの記憶が静かに呼び起こされていた。
「……実はな。俺、一度だけ“武士”ってやつに会ったことがある」
「えっ……?」
サリスが目を丸くしてこちらを見る。
「旅に出て、まだ間もない頃だった。……もう何年も前のことだ」
あの時の風の匂い、木々のざわめき、血の生ぬるさ。
全部、今も忘れられない。
「山中で、魔物に襲われた。……今思えば、俺らしくなかった」
俺は剣を握っていたはずだった。
戦場では数えきれないほどの命を奪ってきた。
返り血を浴びるたび、自分が冷たい怪物になっていくのを感じていた。
敵の首を斬るたび、
(誰かに討たれるなら、それでも構わない)
そんな覚悟もとうにできていた。
──なのに。
「その時だけは……剣が、震えた」
それは、明確な“死”だった。
言葉にできない恐怖が、体の芯を凍らせた。
目の前の魔物は、まるで死神の化身だった。
(──ああ、もう、いいか)
なぜかそう思ってしまった。
それまで生き抜いてきたはずの意志が、
そのときだけ、すうっと遠のいていった。
「剣は握ってた。けど、動けなかった。……いや、動かなかったんだと思う」
あの時、俺はきっと──
誰かに罰してほしかったのかもしれない。
──獅子の名をくれた、ベルトホルト。
血のつながりはなくても、俺にとっては、父と呼べる存在だった。
無骨で厳しくて、けれど一度も俺を否定せずに鍛えてくれた男。
そして、見ず知らずの流れ者だった俺を迎え入れてくれた、ローレンス夫妻。
温かな家、温かな食事、夜に灯る蝋燭の明かり……
すべてを与えてくれたあの夫婦。
「……救ってもらった命だったのにな」
どうして、あの時だけは──
それを自分から投げ捨てようとしていたのか。
(死ねば、楽になれる?)
そんなことを、心の奥底で考えていた。
「右肩を切り裂かれて、短剣を落とした。
崖際まで追い詰められて──そこで、現れたんだよ」
──一人の男が。
独特な鎧と兜。
暗闇でも鈍く光を反射する、細身の長い刃。
見た目は自分とそう変わらない年のはずなのに、
佇まいも、気配も、何もかもが自分とは違っていた。
「……武士だった」
たぶん、あれが本物の“武士”ってやつだったんだろう。
彼の剣の動きは、水のように滑らかで、風のように速くて──
魔物をたった数手で斬り伏せると、俺を一瞥し、こう言った。
「──未熟者め」
ただそれだけだった。
名も名乗らず、背を向け、夜の森へと消えていった。
「……何も知らないはずなのにな。
でも、あの人は……俺の迷いや恐れを、感じ取ってたんだと思う」
心の奥の“死にたい”を、
“生きる価値がわからない”を──
見透かされた気がした。
サリスは、静かに俺の手にそっと触れてくれた。言葉を挟まない。目も逸らさない。
そのやさしさに、思わず笑みが漏れた。
「……冗談のつもりで言うけどさ」
と、軽く茶化してみせる。
「もしその“武士”にまた会っても、頼むから惚れたりしないでくれよ?」
言った瞬間、ちょっとだけ後悔した。
俺はまだ、時々こうして、くだらない不安を口にしてしまう。
でも──
「私が好きなのは、レオだけよ?」
即答だった。
何の迷いも、照れもなく、まっすぐに。
その言葉が、胸に染みる。
ちくしょう、お前は……そういうところだよ。
「今はもう、大丈夫?」
その声が、胸に落ちてくる。
「死にたいって、今も思う?」
俺は少しだけ目を閉じ、そして、首を横に振った。
「……いいや。生きててよかったって、つくづく思うよ」
これほど心から、そう思ったことはないかもしれない。
隣で微笑む彼女が、いるから。
──俺の命はもう、俺だけのものじゃない。
