焔と鉱脈を宿す者たち
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夕暮れ時、ドワーフたちの集落にかかる巨大な鉄骨の橋の上に、火の明かりが灯され始めた。
それはただの灯ではない。祭壇のように岩肌に刻まれた炉からは、赤々とした焔が静かに立ち上り、宵の山に色を添えていた。
マグネスは高らかに言った。
「……今日は“魂打ち”の前夜。火の民にとって大切な夜だ。
見送る者と、打ち直される者に、祝杯を捧げる」
─そうして、宴が始まった。
広場の中心に設けられた大鍋からは、香ばしい肉とハーブの匂いが立ち上る。
焼かれた根菜と岩塩のスープ。硬いパンに、溶岩チーズと呼ばれる発酵乳の塊。
そして、忘れてはならないのが、真紅の壺に満たされた──火酒。
「これが……火酒ってやつか」
レオは杯を持ったまま眉をしかめた。
琥珀にも似た液体は、注ぐだけで鼻を刺すような芳香を放っている。
「ただの酒じゃないぞ。火の精霊に捧げられた神聖な酒だ」
隣に座っていたドワーフのひとりが笑いながら言う。
「だがまぁ、一杯くらいなら死にはせんさ! ほら、飲め!」
ぐいと杯を傾ける。
「ぐ……っ、なんだこれ……火を飲んでるみたいだ」
喉が焼けるような熱に襲われ、レオは思わず咳き込んだ。
だが次の瞬間、身体の芯にじんわりとした温かさが広がっていく。
手先がほのかに痺れ、心の重しがふわりと浮くような感覚。
「ふふ……もう顔、赤くなってるわよ」
サリスがからかうように囁いた。
「……うるさい」
レオはむすっとした表情で杯を持ち直し、再び一口。
けれどその口調も、どこか間の抜けたような、力の抜けたものだった。
*
時間が経つにつれ、レオの頬は火照り、瞳には微かな潤みが差していた。
ふだんは凛々しく、騎士のように振る舞う彼が、今は座布団に崩れるように腰を下ろし、ぐてっとしている。
「なぁ、サリス……」
「……なに?」
「おれ、ほんとはそんなに……カッコよくないんだ……」
「え、ええ……?」
いきなりの告白に、サリスは面食らう。
「だってさ……“正義”のために剣振ってたのに、最後はわけわかんなくなって……命令に逆らって、逃げて、仲間も置いて……」
彼の声はゆっくりと、呟くように続いた。
「……ベルトホルトは、俺なんかを庇ったせいで……死んだんだ」
名前を口にした瞬間、レオは手のひらを見つめた。
その指先は震えていた。
「なにが正義だよ……なにが守るためだよ……。結局、俺には何も守れなかったんだ」
焔の揺らめきが、彼の瞳に影を落とす。
普段は見せない弱さ。
レオは、ずっと自分を責めていた。誰にも言わずに、心の底に沈めて。
サリスは静かに彼の隣に座り、そっと手を添えた。
彼の震える手を包み込み、ゆっくりと、語りかける。
「……あなたがどれだけ苦しんできたか、私は知ってるわ」
「……」
「でも、誰もあなたのことを責めたりしない。
あなたが生きていてくれて、私は……ほんとうに、嬉しいのよ」
その言葉は、レオの胸の奥に、じわりと染み込んだ。
彼女の瞳は、まるで母なる海のように澄んでいて、何もかもを受け入れてくれるようだった。
「……なぁ、サリス、」
「なに?」
「……キス、してくれ」
「…………っ!!」
突然の言葉に、サリスの頬がぱっと赤く染まる。
「な、なにを言って……人前よ……!?」
「いいじゃねぇか、ちょっとくらい……」
レオは酔った勢いのまま、身を寄せる。
ふにゃりとした表情で、どこか拗ねたように、サリスを見上げて。
「……ほら、お願い。……なぁ、頼むよ……サリス」
そんな様子を、周囲のドワーフたちが見逃すはずがなかった。
「おいおい! 人間の若造、なかなかやるじゃねぇか!」
「いいぞ、いいぞ! キスのひとつくらい、火酒の供物だって言うんだぜ!」
「おーい、サリスちゃん、決めてやれよ!」
口々に茶化す声が上がり、サリスは顔を両手で覆った。
「もう……!」
──けれど、ふと横を見ると。
レオは、頬を赤らめ、やや潤んだ瞳で、じっとこちらを見つめていた。
酔っているとはいえ、そこに偽りはなかった。
彼はただ、愛する人の温もりを求めていたのだ。
弱いところをさらけ出して、素直に甘えている、ひとりの青年として。
(……まったくもう、しょうがないわね)
サリスは深呼吸をひとつし、恥ずかしさを堪えて、レオの頬にそっと口づけた。
──それは、ほんの一瞬。
けれど、レオの目が見開かれ、嬉しそうに緩むのを見て、サリスは思わず苦笑する。
「……ねぇ、レオ。あんまり人前でベタベタしないでよ。……そういうの、私、弱いんだから」
レオは酔ったまま、とろけるような笑顔で呟いた。
「……好き……」
その言葉に、サリスの顔はまた真っ赤に染まるのだった。
焔の明かりが揺れ、火酒の香りが夜に溶けていく。
騒がしくも、温かなドワーフたちの笑い声と、寄り添うふたりの影。
この夜は、きっと忘れられないだろう。
──夜明け。
鉱山の空は、いつもと変わらず灰色だった。
だが、その灰の向こうで、ふたりの運命を映す火が、じわじわと燃え始めていた。
「レオ、起きて」
サリスの声に、寝床代わりの毛皮の上で、レオがぼさぼさの頭を抱えてもぞもぞと起き上がった。
「……う、頭が割れそうだ……」
「言ったじゃない、あの火酒、強いから飲みすぎちゃダメって」
「え……おれ、飲みすぎたのか……?」
レオはあくび交じりに呟きながら、頭を抱え込んだ。
「うわ……なんかすっごく変な夢見た気がするんだけど……」
「夢……?」
サリスは口元を引き結んでそっぽを向く。
「……あのね、レオ。宴のときのこと、何か覚えてる?」
「え? いや……ぜんっぜん……。ただ……身体があったかいっていうか、なんか……お前がいて……」
「…………」
サリスは静かに立ち上がり、支度を始めた。
──昨日の夜。酔っ払って絡んできたレオは、まるで別人だった。
いつも冷静な彼ではなく、傷つき、誰かに甘えたかったただの青年。
あの夜、レオは泣きそうな顔で「キスしてくれ」と言った。
周囲の茶化しを受けて、サリスは、恥ずかしさを堪えて応えたけれど……彼は何も覚えていない。
ほんの少しだけ、胸が痛んだ。
「……あなたって、ほんと、もう……」
けれどその声には、あたたかな優しさが混ざっていた。
*
その日の朝。
鍛冶炉の前に、再びふたりは立っていた。
赤黒く燃える火の中で、鉄の塊がじりじりと溶けていく。
それは、レオの短剣の“再鍛造”の始まりだった。
マグネスが重厚な鍛冶槌を持ち、レオの前に立つ。
「さあ、打て。お前の手で、想いを宿せ。
これはただの鉄ではない。過去を焼き払い、明日を切り拓くための剣だ」
「……ああ」
レオは、炉から取り出された真紅の鉄を見つめた。
握った槌は重く、火花が飛ぶたびに彼の心の奥が軋んだ。
けれど彼の中には、強い決意があった。
(これは、人を殺すためのものじゃない)
レオは槌を振り下ろす。
──ガン!
それは、過去の自分を断ち切る音。
(これは、守るための剣だ。名前をくれた、あの人のように)
ガン!
──ベルトホルト。
かつて、名もなく盗みに手を染めていた幼い少年を拾い、剣を教え、名前を与えた男。
”『レオ』、獅子って意味だ。小さくても、牙を持って、諦めねぇ奴に似合う名だろう”
──あのとき、ベルトホルトは言った。
レオはその名を抱えて生きてきた。
ずっと己を責めていた。
彼は反逆者となった自分を庇ったせいで死なせてしまったと。
けれど今なら──
(……あんたの教えた剣で、今度は、誰かを護るよ。
名前をくれて、ありがとう。俺、生きてるよ)
焔が揺れた。
それを見守っていたサリスは、静かに瞳を閉じた。
──かつて、レオから一度だけ聞いた名。
「ベルトホルト」という響きに込められた、彼の“根”のような記憶。
それが、今ようやく昇華されようとしているのを、彼女は肌で感じていた。
ドワーフたちは誰も口を挟まず、槌の音だけが鳴り響いた。
ガン……ガン……ガン!
熱と想いが溶け、形を成していく。
やがて、再び刃の形が生まれたその瞬間。
炉の中で、わずかに火の精霊の気配が揺れた。
それはまるで──
「見届けたぞ」とでも言うような、静かで、力強い焔の呼吸だった。
*
夕刻。
工房の奥で、鍛え直された短剣が布に包まれ、レオの手に戻された。
「……形は、前と似てる。けど、ずっと軽い」
「鉄も魂も、磨き直したからな。……それに」
マグネスが、刃の根元を指差す。
「柄の中に、“蜜柑の葉”と、我らの印を入れておいた。ローレンスの“弟子”としてな」
レオはしばし無言でその刃を見つめた。
そして、静かに鞘へと収める。
「ありがとう……」
そう呟いたレオの顔は、どこか穏やかだった。
昨日の彼とは違う、けれど昨日の弱さを乗り越えた今の彼。
そしてサリスは、その横顔を見つめながら、心の中でそっと囁いた。
──あなたは、もう大丈夫。
あなたはもう、自分を責めなくていいのよ。
誰よりも不器用で、真っ直ぐで、優しい人だから──
*
その夜。焔の祭壇の灯が静かに消えたとき、
ふたりの背には、新たな短剣の重みと、過去を越える光があった。
