焔と鉱脈を宿す者たち
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空は薄曇り。灰色の雲が低く垂れ込め、山道には風のうねりが吹き込んでいた。
レオとサリスは、険しい鉱山地帯へ続く山路を黙々と歩いていた。
「……このあたり、空気が変わったわね」
サリスがふと立ち止まり、周囲を見渡す。
彼女の瞳は、淡い瑠璃色の光を宿していた。かつて海と共に在った彼女は、目に見えぬ気配の変化を敏感に察する。
「空気が乾いてきた。湿度が減ってるな」
レオは周囲に目を光らせながら、背負った荷の中の水筒を軽く叩いた。
「この先はもう“水”の領域じゃない。火や土の民が好む気候だ。……無理すんなよ?」
「大丈夫よ。私、もう水だけの存在じゃないもの」
サリスは微笑むが、その声には一抹の緊張も混じっていた。
この地は、かつて彼女が決して近づけなかった“火の地”――精霊たちの相性という、太古の記憶が肌を刺す。
──そのときだった。
「動くなッ!! 荷を置け、女もだ!!」
唐突に、岩陰から数人の影が飛び出した。
布を顔に巻いた男たちが、刃を突きつけながら道を塞ぐ。
「野盗か……!」
レオはサリスの前に出て、腰の短剣に手をかけた。だが――
「そいつだ、あの女……見ろ、銀の留め具に、宝石までついてるじゃねぇか!」
「ふふ、金目のものも一緒だ。ふたりとも、運が悪かったな──」
――どうやら、狙いは最初から“サリス”と“装飾品”。
それが人身目的なのか、ただの欲かは定かでない。
「下がってろ、サリス!」
レオは剣を抜き、地面を蹴った。
二人の野盗が斬りかかってくるが、彼は素早く一歩を踏み込み、そのうちの一人を肩口から制して地面に叩きつける。
「レオ!」
「大丈夫だ、来るなら来いよ……っ!」
だが、数の差は歴然だった。
数人の野盗が一斉に襲いかかると、レオの短剣が一瞬、金属音とともに軋んだ。
ガキィィン!!
「……ッ!?」
振り下ろした刃が相手の剣にぶつかり──瞬間、柄に近い部分で大きくヒビが走った。
そして、次の一撃で刃の半分が欠け、金属の破片が宙を舞った。
「くそっ……!」
「レオ、下がって!」
サリスが叫ぶ。その眼差しは、怒りに揺れていた。
一人の野盗が彼女に手を伸ばそうとした瞬間──彼女は素早く足を踏み込む。
「……やめなさいッ!!」
身体を捻り、護身術で教わった動きで野盗の腕を払いのける。
小柄な身体のどこにそんな力が、と目を見開いた男がふらついた隙に、彼女は地を蹴って後退した。
「人の命をなんだと思ってるの……! 奪って、お金に換えて、それで満足なの!?」
その声は、怒りよりも痛みに近かった。
人魚だったころ、命を大切にする文化の中で育った彼女にとって、こうした無意味な暴力は許せない。
やがて、激しい抵抗に驚いた野盗たちは、次第に混乱をきたし、やがて一人が叫んだ。
「ちっ、撤収だ! こいつら、ただの旅人じゃねぇ!!」
次の瞬間には、彼らは瓦礫の隙間に紛れて逃げ出していた。
残されたのは、刃の折れた短剣と、荒い息を吐くふたり。
──沈黙。
やがて、レオが地面に膝をつき、壊れた短剣を手にとった。
かつて、シトロン村で出会った老鍛冶職人・ローレンスが、彼のために打ってくれた唯一の剣。
あの時のことが、脳裏に甦る。
──”これは、お前だけの剣だ。戦うためじゃない。守りたいものができた時のために使え”
「……ごめん、ローレンス」
剣にヒビが入っただけで、こんなにも心が揺れるのは、それがただの武器ではなかったから。
「レオ……」
傍らに腰を下ろしたサリスが、そっと彼の肩に手を置いた。
彼女もまた、この剣がどれほど大切かを知っていた。
「この山の奥に、“ドワーフ”の村があるはずよ。伝説の鍛冶の民……きっと、修理できるわ」
「ドワーフ……か。聞いたことはあるが……」
「行きましょう。……彼らなら、きっとこの剣を見てくれる」
彼女の声に、レオは静かにうなずいた。
「そうだな。ローレンスの想いを、ただの鉄くずにはしたくない」
───
高地の風は冷たいはずだった。
だが、ふたりの前に広がる山道は、どこかじんわりと熱を帯びていた。
「……土が、温かい」
サリスがそっと膝をつき、地面に手を触れる。
粘土質の岩肌の下、微かに赤みを帯びた熱が息づいていた。
「生きているのね、この山……火の精霊が棲んでいる」
「つまり、この先にいるんだな。ドワーフたちも」
レオは欠けた短剣を布で包み、腰のベルトに戻すと、前を見据えた。
「足場が崩れやすい。気をつけていこう」
灰色の岩肌が続く峠道を、ふたりは慎重に進んでいく。
空はなおも雲に覆われていたが、霧がかった空気の下には確かな熱の気配があった。
ときおり、山肌の裂け目から白い蒸気が立ち昇り、金属のような匂いが鼻を掠めた。
「……あまり深く吸いすぎないで。ここは火山性の地質だから、変な成分も混じってるわ」
「へぇ、詳しいな」
「昔、本で読んだの。人間の世界に憧れてた頃に……」
サリスの頬に、微かに笑みが浮かんだ。
だがその笑みも、歩を進めるにつれて、徐々にかすれていく。
「この感じ……懐かしい、というより、ちょっと苦手かも」
「やっぱり……火の精霊の領域か?」
レオがサリスの横顔を覗き込む。
彼女は静かにうなずいた。
「人魚だった頃は……火の気配に近づくのが難しかったの。体の水分が吸われるようで、意識が遠のいていったこともある」
「でも、今は違う」
サリスはそう言い切ると、胸の前で小さく手を握った。
「人間になった今なら、乗り越えられるはず。レオと一緒だから、ね」
その言葉に、レオの心が静かに温まる。
ふたりの旅は、こうしていくつもの壁を乗り越えてきた。
ならば、火の山もまた──ただの通過点にすぎない。
*
昼を過ぎた頃、岩の裂け目の向こうに、小さな影が見えた。
「……あれは、門……?」
赤茶けた岩の奥に、鉄で縁取られた重厚な門がぽつりと存在していた。
外からは見えないよう巧妙に作られており、近づいて初めて“入口”とわかる。
門の周囲には、風化した金属製の彫刻が施され、古代語で何かが刻まれていた。
「ドワーフ語……?」
サリスが眉をひそめる。
「読めないけど……ここから先が、彼らの領域なのね」
「入ってみよう。ここまで来たら、引き返す理由はない」
レオがそっと門に手をかけようとした、そのとき──
「止まれ、外の者よ」
低く、唸るような声が響いた。
門の上部。岩棚の陰に、ひとつの影が現れた。
ずんぐりとした体躯、煤に汚れた分厚い皮の前掛け。
肩からは火山岩のような装飾が下がり、太い腕には筋肉が刻まれている。
──ドワーフだった。
「ここは“フェラヴルク鉱山”。通りすがりの旅人には開けぬ門だ。目的を述べよ」
レオは腰の布を外し、欠けた短剣を見せた。
「修理をお願いしたい。……この剣は、俺の命と共にあった武器だ。失いたくないんだ」
ドワーフは一瞬、目を細めた。
そして──目を見開いた。
「その柄……印は“蜜柑”……!」
「知ってるのか?」
レオが問いかけると、ドワーフはゆっくりと門を開いた。
ギギィィ……と鉄が軋む音が山にこだまし、中から熱と金属の匂いが吹き出した。
「入れ。話を聞かせろ。……その剣が“あの子”のものならば、話は別だ」
*
ドワーフたちの集落は、山の内側──火山の空洞に築かれていた。
まるで洞窟そのものが生きているかのように、熱と鉄が脈打つ。
岩を削り出して作られた階段や橋、天井から垂れる赤い結晶の照明。
炉の奥では、幾人ものドワーフたちが金槌を振るい、鉄を打っていた。
「すげぇ……まるで、山が町になってるみたいだ」
レオが圧倒されたように口にすると、案内役のドワーフ──白髪交じりの老人が低く笑った。
「山と共に生きる我らは、山の鼓動と共に家を築くのだ。炉は心臓、煙は息吹。
─よく来た。儂の名はトルガン。お前達を案内しよう」
やがて、彼はふたりを鍛冶工房の奥へと案内した。
「さて……その剣を見せてくれ」
レオが短剣を差し出すと、トルガンは柄の部分をそっと撫でるように触れ、目を細めた。
「やはり……間違いない。これは“ローレンス”の打った剣だ」
「ローレンスを……知ってるのか?」
「知っておるとも。あの若造がまだヒゲも生え揃ってなかった頃、この鉱山で我が弟子だった」
そう言って、トルガンは短剣の柄に刻まれた小さな印を指さした。
「この“蜜柑の葉”は、あいつの遊び心じゃ。火山地帯では見られん果実の葉を印にするとは、変わり者だったが……腕は確かだった」
「……あの人が、そんなところにいたなんて」
レオの胸に、遠い日のローレンスの笑顔が蘇る。
──無骨で、頑固で、でも静かに優しい老鍛冶職人。
その血と心が、ここに繋がっていた。
*
そのとき、工房の奥から別のドワーフがやってきた。
彼はサリスの姿を見るなり、ぴたりと動きを止めた。
「……あの娘」
鋭い視線。
すぐに他の者たちも、彼女を一斉に注視する。
「水の……気配だ」
「まさか、海の民か?」
ざわめきが走る。
サリスは一歩だけ前に出る。
その表情に怯えはなく、静かな覚悟だけが宿っていた。
「ええ、私はかつて海に生きた者──人魚の一族でした。でも、今は違うわ。人間として生まれ変わり、この山を訪れています」
その声は、山の空気に吸い込まれるように響いた。
沈黙のあと、一人の若いドワーフが呟いた。
「……だが、不思議だ。この熱に晒されても、倒れぬとは。あの頃の“水の者”とは違う」
鍛冶の老人が、ふっと口元を緩めた。
「火は、ただ敵ではない。正しく向き合えば、鍛えてくれる。水もまた、しかり。お前さん……火に挑む覚悟はあるか?」
サリスは真っ直ぐにうなずいた。
「ええ。レオと共にある限り、どんな炎にも向き合うわ」
老人は深くうなずき、レオに向き直る。
「気に入った。よし、その短剣──打ち直してやろう。だがな……お前の“想い”も、この炉に叩き込め。
儂の名前はマグネス。火の民─ドワーフ一族の長だ」
