小さな家族ごっこ
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午後の光が傾きはじめ、街角にできる影が少しずつ長くなっていた。
柔らかな風が白い綿毛を運び、噴水の水面にさざ波を立てる。
三人は買ったばかりのアイスを片手に、噴水の縁に腰かけていた。
ピーターはすっかりサリスの膝を“特等席”に決めたらしく、今も嬉しそうにそこに座っている。
サリスは彼の髪をなでながら、優しく微笑んでいた。サリスはその向かい側で、目を細めて様子を見守っている。
「お前、もう食ったのか?」
「うん、パパありがとう!」
「パパ言うなって……」
そう言いつつも、レオの声に怒気はなかった。
少しむくれたような顔でそっぽを向いているが、その口元にはほんのわずか、笑みが浮かんでいる。
サリスの横顔もまた、やわらかくて、穏やかだった。
陽射しが彼女の銀糸のような髪に降り注ぎ、まるで風の女神のように見えた。
それはレオにとって、とても静かな幸福のひととき──
──その時だった。
「ピーター!!」
風を裂くような声が、遠くから響いた。
三人が振り返ると、通りの向こうから、ひとりの女性がこちらへと駆けてくる姿があった。
まだ若いが、どこか疲れた様子で、乱れた髪を気にすることもなく、息を切らして走ってくる。
その目は真剣で、必死だった。
「ピーター!!やっと見つけた……!」
彼女は噴水のそばまでたどり着くと、膝に手をついて、肩で大きく息をしていた。
ピーターは驚いた顔で彼女を見つめる。
「……ママ……」
「もう……どれだけ探したと思ってるの……!」
女性はピーターをぐっと抱きしめると、ようやく安堵の表情を見せた。
サリスも思わず立ち上がり、微笑みながら声をかける。
「もしかして、ピーターくんのお母さん……?」
「はい……この子がご迷惑を……!」
女性は申し訳なさそうに頭を下げたあと、サリスたちに向かって、少し戸惑いながらも感謝を述べた。
「ありがとうございます、この子に優しくしてくださって……」
レオは少しだけ目を細めながら、問いかける。
「こいつ、さっき“ママもパパもいない”って言ってたんですけど」
その言葉に、女性ははっとして、困ったように笑った。
「……ごめんなさい。嘘をついたんですね……この子、最近よくそういうことを言うようになってしまって……」
サリスは黙ってピーターを見た。
ピーターは視線を伏せ、小さく唇をかんでいた。
「……ごめんなさい。この子の父、つまり主人が──数か月前に亡くなって、それからなんです。ときどき、家を飛び出してしまったり、“ひとりぼっちだ”って言ったり……」
言葉を選びながら、でもどこか疲れた声音で女性は続けた。
「……本当は、私がもっと強くならなくちゃいけないんですけど。まだ慣れなくて。主人を失ってから、いろんなことが変わってしまって」
サリスの目に、少しだけ影が落ちた。
彼女もまた、父と離れて生きることの重さを知っていた。
「……お母さんを困らせちゃ、ダメよ」
サリスがそっと言うと、ピーターはサリスのスカートの裾をぎゅっと握って、震える声で言った。
「だって……ママ、いつも悲しそうな顔するから……。ボクがいても、きっと……パパみたいには……ならないし……」
その声は、まだ幼いのに、どこか大人びていて、胸が締めつけられるようだった。
その時だった。
レオが立ち上がり、ピーターの正面にしゃがんだ。
「……ピーター」
低く、けれど優しい声で彼は言った。
「お前には、ちゃんとお前を大事に思ってくれる“ママ”がいる。いないなんて、嘘つくな」
ピーターは目を見開いた。
レオはその小さな肩に手を置いて、言葉を続ける。
「……お前のママは、必死になってお前を探してた。お前がいないってわかった瞬間から、たぶん、心の中は真っ暗だったと思う」
「……でも」
「寂しいのは、お前だけじゃない。ママだって寂しいんだ。パパがいなくなって、どうしたらいいか分かんねえ日もある。でも──だからこそ、お前がそばにいてやるんだろ」
ピーターの目に、ぽろりと涙がこぼれた。
「……レオ……」
サリスが、彼の名をそっと呼ぶ。
それは、彼の言葉の強さと優しさに打たれた声だった。
ピーターは両手で目をこすりながら、母親の方へと歩いていった。
「……ごめんなさい、ママ。……ほんとは、大好きなんだ」
母親は涙ぐみながら、ぎゅっとその小さな体を抱きしめた。
「うん……ママもよ。ずっと、大好き」
****
街角の空が、ほのかに茜色を帯びはじめていた。
夕暮れ前の静かな光が、石畳の道や建物の影を長く引き伸ばしている。
ピーターは母親と手をつなぎながら、時折名残惜しそうに振り返った。
その視線の先には、レオとサリス──ふたりが並んで、広場の噴水の縁に腰かけていた。
「……ありがとう。ピーターと、一日一緒にいてくださって……本当に」
母親は何度も頭を下げ、感謝の言葉を繰り返した。
「いえ……大丈夫です。私たちも、楽しい時間でしたから」
サリスが静かに微笑むと、母親はどこか安心したように頷き、ピーターの手を引いて去っていった。
小さな足音が遠ざかっていく。
それと同時に、広場の空気がふたたび静けさを取り戻す。
──もう、そこには三人ではなく、いつもの“ふたり”だけがいた。
サリスの隣で、レオは腕を組んだまま黙っていた。
目を閉じると、風の音と、噴水のせせらぎだけが耳に残る。
「……なあ」
「ん?」
「お前……あいつが嘘ついてるって、最初から気づいてたろ」
サリスは、そっと目を細めた。
「……ええ。最初に目を見たとき、ほんの少しだけ迷いがあったから。私、ああいう“嘘”は、なんとなく分かるの」
レオはちらりと彼女の顔を見やった。
サリスの長い栗色の髪が、夕暮れの風にゆらりと揺れていた。
陽の光を受けて、まるで琥珀の糸のように輝くその髪が、ふわりと頬にかかる。
「……だったら、どうして言わなかった?」
「レオも、分かってたでしょう?」
「まあな。けど、お前は──優しすぎる」
「優しすぎるのは、あなたもよ」
サリスは、ふと微笑んで、静かに言った。
「放っておけなかったんでしょう? あなた、途中からちゃんと“お父さんの顔”になってた」
「……またそれ言うかよ」
「だって、事実でしょう?」
サリスの肩が小さく揺れる。レオは照れ隠しにため息を吐いた。
「……なんだかな、俺も歳食ったのかもな。子どもを見て、あんなに感情動かされるなんて思わなかった」
「そうじゃないと思う」
「……じゃあなんだよ」
「あなたは変わったの。人を守りたいって、ちゃんと思えるようになった。昔のレオなら、ピーターにあんな風に言えなかったと思う」
レオは言葉を失った。
だが、心の奥で何かが静かにうなずいている気がした。
そう──彼は変わった。
サリスに出会ってから、ひとつひとつ、少しずつ。
誰かを想うということを、教えられた。
「……家族、か」
レオがぽつりとこぼした。
サリスはそっと彼の手を取った。
「いつか……本当に、そうなれたら素敵ね」
レオは一瞬、驚いたように彼女を見た。
だがその目はすぐに、穏やかにほころぶ。
「おう。……そのときは、今日の“練習”が役立つかもな」
「ふふ、そうね。レオ、ちょっとだけ父性が垣間見えたわ」
「やめろ、まじで」
ふたりは笑い合った。
けれどその笑いの奥には、言葉にしなくても伝わる、温かな未来のかたちが見え隠れしていた。
空を見上げると、いつの間にか小さな風船が、ひとつふわふわと浮かんでいた。
ピーターが手放したものだろうか。
それは夕暮れの空へと、ゆっくりと昇っていく。
「……あいつ、忘れていったな」
「でも、きっと覚えてる。今日のこと」
「……そうだな」
風が吹いた。
サリスの髪がふわりと舞い、レオの肩にも、そっと寄り添う。
誰かの優しさが、風にのって、誰かの心をほどいていく。
そんな一日が、確かにここにあった。
春の街に、静かに夜が訪れようとしていた。
──to be continued...
