エメラルドの檻 ─番外編─【オリジナル夢】
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陽が傾き始めた風車の街・ミルヴァレン。石畳の道の両脇には、音楽の香りが漂うように、古びた楽器店やカフェが並んでいた。窓からは時折、アコーディオンの音が漏れ、街角では子どもたちが即興のリズムで手拍子をしている。
その中の一軒、少しだけ古びて、けれど丁寧に手入れされた木枠の看板を掲げた楽器店の前で、レオとサリスは足を止めた。
「これは……ギターか?」
ウィンドウ越しに飾られた楽器を指さして、レオが首を傾げる。
「いらっしゃい、お客さん!」
中から陽気な声が飛んできた。現れたのは、白髪混じりの巻き毛にベレー帽を被った店主だった。口元には葉巻の香りが残り、目尻には音楽を愛した者特有の笑い皺が刻まれている。
「それはね、“アイリッシュ・ブズーキ”っていう楽器さ。北の国で生まれた、ちょっと変わり種の弦楽器だよ」
「アイリッシュ……ブ、ブズーキ……?」
聞きなれない言葉に、レオは眉をひそめた。だが店主は構わず、目を輝かせて続けた。
「お兄さん、手先が器用そうだし、試しに弾いてみたらどうだい? この街じゃ、音を鳴らさないと陽が沈まないって言われてるんだ」
レオは手を振って断ろうとした。楽器に触れたのは、シトロン村に住むローレンスのギターを借りた時くらいだ。まともに演奏できるとは思えない。
「いや、俺はちょっと――」
「レオ、試しにやってみたら?」
隣でサリスが微笑んだ。栗色の髪が風に揺れ、瑠璃色の瞳がやわらかくレオを見つめている。その笑みに、レオは思わず肩の力を抜かれた。
「……うーん。じゃあ、一回だけな。下手でも笑わないでくれよ、サリス」
「もちろん、笑わないわ。……たぶんね」
くすりと笑うサリスに、レオは肩をすくめながら店先の椅子に腰を下ろした。店主が差し出したブズーキは、見た目よりも軽く、どこか温もりがあった。
レオは弦を軽く弾いて音を確かめ、ゆっくりとチューニングを始める。音階の感覚はまだ覚えていた。音の高低、指の押さえ方──何度もローレンスのギターを横で聞いていた記憶が、今になって役に立つ。
静かに、弦をなぞる。
やがて奏でられたのは、レオの故郷で聞いた、ローレンスがよく歌っていた懐かしい曲。
穏やかな風の中を駆け抜けるような、優しくも切ない旋律。
音は確かにまだ拙いが、その分だけ、真っ直ぐであたたかかった。
サリスは微笑みながら、そっとその音に耳を傾ける。
やがて――
「……わぁ」
「誰だろ、あの人」
いつの間にか、店先には人だかりができていた。子どもたちが手拍子を始め、大人たちが静かに足を止めて聞き入っている。
レオは一瞬戸惑ったが、サリスがそっと目を閉じて頷いたのを見て、微笑みながら歌を続けた。
それは、ミルヴァレンの街の午後にふさわしい、ささやかで、けれど忘れがたい風景だった。
──彼の旋律はまだ拙い。
でもその音は、確かに誰かの心に届いていた。
それこそが、レオという旅人の持つ“力”だったのだ。
────
曲が終わると、しばしの静寂の後──
「すごくよかったよ、兄ちゃん!」
「優しい音だったわ」
「もう一曲弾いて〜!」
あちらこちらから拍手と歓声が上がった。レオは顔を赤くして、照れたように苦笑いを浮かべながら頭をかいた。
「こ、こんなに人が集まってたなんて……」
「ふふ、レオ。素敵だったわ」
サリスはそっと近づき、レオの手をとった。
「不思議ね。音って、こんなにも優しくて、胸に響くものなのね。……あなたが奏でると、まるで風が歌ってるみたい」
「……それは、褒めすぎだろ」
「ほんとうよ?」
そう言ってにっこり笑うサリスの笑顔は、花が咲くように柔らかかった。
「──お客さん、なかなか筋がいいじゃないか。見たところ、ほとんど素人ってわけでもなさそうだが?」
店主が目を細めてレオに近づき、親指を立てた。
「よければ譲ってあげてもいいが、どうする? 旅の途中なら荷物になるかもしれんが、音を連れていく旅ってのも悪くないぞ」
レオは楽器を見下ろす。ブズーキの木の表面は、どこか温もりがあり、まだ指先に残る音の余韻が消えきっていなかった。
「……ちょっと、考えさせてくれ」
「もちろんさ。音との出会いは恋と同じ、一目で決まる時もあれば、少し距離を置いた方が長続きすることもある」
「はは……奥が深いな」
「ふふ、ねぇレオ。もしその楽器を持って旅をするなら、時々、私のために弾いてくれる?」
「それは……」
しばし考えたあと、レオは目を細めた。
「……ああ、悪くないな。お前の歌と一緒にやれたら、きっと、いい音になる」
その言葉に、サリスの頬がふわりと染まる。
「じゃあ決まりね。音の旅人、誕生ってわけ」
「誰がそんな詩的な名前を……」
「レオのことよ?」
「……はいはい」
夕暮れの陽が赤レンガの街に長い影を落とし、店先の人々も少しずつ散っていく。
サリスとレオは、もう一度、店先を振り返った。
「また来よう、いつかここに」
「ええ。次は、ふたりの曲を作りましょう?」
そう言って微笑み合うふたりの背中を、優しい風が追いかける。
新しい風を運ぶミルヴァレンの街には、今もどこかで誰かが音を奏でている。
─Fin
