死の神との出会い
夢主(あなた)の名前
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真っ白な世界。
頭の中に響く声。
す
「ーーい、おい、大丈夫かい?」
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、私を見下ろす優しいお爺さんの顔。
「……ここ、は?」
「貴方は…旅の者か?この国の人間ではないだろう?」
「たびの…もの…?この国…?」
繰り出された質問に思考が追い付かず、ひとまず身体を起こした。身体の節々が痛むがどうやら柔らかいベッドの上に寝かされていたようだ。私を起こしたお爺さんは、法衣を纏っていた。教会の方だろうか。
「言葉は通じるようだね。行き倒れたかと思っていたが息があって良かった…夜は野盗が出るからね」
「あの………」
私は勇気を出してお爺さんに聞いた。
「あの……私、何も覚えてないんです。ここは何処なんでしょうか?」
「なんと…………」
お爺さんは一瞬目を丸くしたけれど、優しく私に微笑んだ。
「何日かはここに居なさい、こんな場所でも旅人は頻繁に訪れるからな。手がかりが掴めるじゃろう。」
「ありがとうございますっ」
こんなにあっさり居場所を提供してくれるなんて、少し罪悪感と怪しさを感じてしまう。そして自分の身に起きていることすら分からない。考えれば考えるほど頭が重くなりそうだった。
「名前も覚えていないのかい?」
「なまえ…………」
その時、心にぼんやりとある単語が浮かんだ。
「夢子…」
「………夢子、珍しい名前じゃな。まあしばらくはここにいるといい。その代わり、簡単な手伝いをしてくれるかい?」
「勿論です。お手伝いさせてください。」
こうして、私は神父さんのお手伝いをする代わりに教会にしばらく留まることになった。危険に晒されたら逃げればいいのだわ。鎖で繋がれているわけでもないのだから。
静寂に包まれた空間で、私は祭壇をみつめていた。私は実際に神様の存在を体感したわけではないけれど、助けてくれた神父さまの考えを否定することに躊躇いを感じてしまう。何よりも神父さまが私へ対し慈愛を持ち接してくれることの根底に神様への信仰が存在するならば神様の実在は問題ではない。この場で衣食住を提供して貰っている私も教会へ来る人々に対し神父さまのように愛を持ち接していきたい。そして、日々の平穏を願い正式なシスターではなくても祈りを捧げているのだ。その時、静寂に包まれた教会に深みのある優雅で冷たい声が響いた。
「お前はこの教会の者か?」
「…!…どなたですか?」
低く響いた声に私は思わず振り返った。
「神に仕える者か…恩寵の中で生きていることを忘れていないようだな。最もお前たちの信仰する神にもよるが、な。」
「……なっ」
失礼な方…なんて無粋なことを。しかもまるで自分が人間でないような口ぶりだった。どうやら法衣を着ているように見えることから、神父さまの知り合いなのだろうか。
「あの…失礼ですが何かご用でしょうか?神父さまをお呼びしましょうか?」
早くこの場から離れたくて立ち上がると、彼は「待て」と私のもとへ近づいてきた。先程の言動といい雰囲気といい彼は不思議な雰囲気を纏っていた。不安のあまり伏し目がちになりながら彼の顔を見上げた私は思わず息をのんだ。長い睫毛と深い色の瞳…端正で美しい顔の青年が私を見つめていた。しかしながら彼のもつ背筋を凍らせるような冷たい雰囲気に私は怯えを隠しきれなかった。
「……あの、私はもう行かなければならないので…失礼しますね。」
「震えているな。何に恐怖を感じている?」
青年に行く手を阻まれ、私は言葉に詰まりますます頭が真っ白になっていった。そんな私の様子を黙って見つめていた青年は、徐に背を向け扉へ向かい始めた。
「…お前の魂はこの世界と馴染んでいないか。精々祈り続けろ。救いを求める哀れな人間らしく、な。」
魂が馴染んでいない……?どういうことなの?
「あ、あのっ…待ってください!」
縋るように声をかけた私を一瞥し、彼は夜の闇に紛れていった。後には月明かりの差し込む静かな空間と私だけが残される。私は今でも感じられる恐ろしく美しい青年の雰囲気に震えながら、その言葉の意味を考え続けていた。
月明かりの差し込む教会で、一通りの祈りを捧げ終わった後私は信徒であるおばあさんに教えていただいた編み物に取りかかろうと立ち上がった。シスターのお姉様方と一緒に孤児院へ行く時に編み物を贈ってあげたい…そんな私のエゴだけれどもこの世界で生きるうちに私は次第に自分の置かれた環境が奇跡に近いものであると感じていた。確かにお手伝いは大変だけれども、僅かながらでもご飯を食べ人々と楽しい時間を過ごすことができる。そんな事をぼんやりと考えていると不意に頭が重くなり私はしゃがみこんだ。その時、ゆっくりとこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。何とか首をそちらに向ければ、あの夜の青年の姿が視界に入った。
(また、あの方……)
あの端正な顔立ちに胸の高鳴りを感じつつ私は恐る恐る問いかけた。
「……今晩は、神父さまにご用でしょうか?それともお姉様方に?」
青年は黙ったまま私へ近づき、残酷な言葉を告げた。
「やはりな…かねてよりお前の魂を測っていたが異なる世界の人間も塵芥に過ぎぬか。ヒュプノスに伝えておこう。」
異なる世界の…人間?この前から何を言っているのだろう。
「お、仰っていることがよく……っ」
「もうお前に用はない。この俺が出向く必要もなかった。」
とても失礼なことを言われた気がする。世界がどうとかよく分からないけれど、その不躾な言葉に私は少しの反論を試みた。
「あの…私は異なる世界なんてよく分かりません。でも私はこの世界が大好きです。みんな優しいもの…あなたも神父さまなのでしょう?」
私の知る神父さまとは異なる印象をもつ彼の法衣に目をやりながら、私は彼の顔を見つめた。彼は冷たく私を見遣り唇を開いた。
「人間の優しさというものなど幻想に過ぎない。皆が我が身可愛さにお前を迫害しても同じことが言えるか……?」
「な、何を言って…」
私が言葉を言い終える前に、彼はいなくなっていた。
数日後、私は森の草木を掻き分けた先にある小屋の扉を叩いていた。今日も編み物を教えてもらうためにおばあさんの小屋を尋ねたが、返事がない。
(どうしたのかしら…お買い物かな?)
いつもこの時間に通っているため彼女が町へ買い物へ出向くことは考えにくかった。それとも体調が悪いのかしらと一抹の不安がよぎり、窓から様子を伺うことにした。しかし窓のそばへ近づいた私は言葉を失った。無造作に転がった毛糸玉に、煮えたぎる鍋…そして倒れた椅子のそばへ散らばった食器。
「ジョイアさん!私です、私よ!夢子です!どうかなされたの?!」
私は大きな声で呼びかけたが、家におばあさんがいる様子は感じられない。その時数人の足音が聞こえた。
「お前も魔女か!修道女のふりをしているようだが魔女なんだな?来い!」
「っ…な、きゃ!」
強く手を引かれ、私は男の人たちに引きずられるようにして歩き出した。
「ま、待ってください!私、私は「黙れ!!!」」
恫喝され恐怖を感じたまま何も言えなくなってしまった。しばらく歩いた後に連れて来られたのは小さな村の広場だった。そこで私の視界に映ったものは人々の憎しみの込められた目に囲まれた戸惑うおばあさんの姿だった。
「……ジョイアさん!!何で?」
「来てはいけないよ!この子は何の関係もないっ。そして私は何も知らないんだよ…信じておくれ!同じ信徒だろう?」
何のことか分からなかった。
「ばあさん…最近俺たちの子どもが森で消えてんだ。このご時世に信じたくはないがよ…あんたのせいだろう」
「そうだ!信徒のふりをしやがって子どもの品定めでもしてたんだろうが!!」
「あんな山奥に住んで怪しいったらないわ。教会にもあの女を潜り込ませていたのね!魔女の手先を!」
「隣町で起きた大火事も関わってんじゃないのか!?」
「あの女は確か神父さまが拾ってきたらしいわよ。神父さまは騙されたに違いないわ!」
指さされた私へ皆の視線が次第に集まり、私は広場へ突き飛ばされた。
「待ってください!!待っ………」
私の言葉は野次に掻き消され、直後鈍い痛みが背中を襲った。
(な、何で…おばあさん!おばあさんは…)
目が覚めた時、私は身体の痛みに顔をしかめた。
「………っ」
ゆっくりと起き上がり辺りを見渡せば、どうやら自分に宛てがわれたいつものベッドに寝かされているようだった。不意に部屋の扉が静かに開き、シスターのお姉様が入ってきた。
「……落ち着いて聞いてね。まずジョイアさんは救えなかった、ごめんなさい。」
「え………」
「そして隣町の大火事が起きた時に……神父さまはそちらに出かけていたの。行方不明なのよ。」
あまりにも衝撃的なことを告げられ、どう返事をしていいか分からない。
(おばあさんはただ子どもを亡くしていたからこそ教会に通って祈っていただけなのに………や、優しい神父さまも……)
人々の悪意に大好きなおばあさんの命が奪われて。優しい神父さままでも……
私は止めるお姉様に「少し風に当たって落ち着いてきます」と告げ、よろよろと教会の方へ向かった。
(やっぱり神様なんていない。優しい神父さまやおばあさんの命がこんな形で奪われるなんて…)
扉を開けると美しい月の光がいつものように差し込んでいた。じわりと溢れる涙を感じながら私は呟いた。
「この世に神様なんていない。もしも神様がいるとしたら…死神だわ。」
信じていた人々の優しさへの猜疑心がさらに自己嫌悪に陥らせ、全てどうでも良くなってくる。
「随分と厭世的になったものだな。」
「…!」
あの青年の声が背後から聞こえた。
「人間の感情など脆いものよ…人間同士で死を与え合うさまなど滑稽だろう?死は全ての人間に神から与えられるものだ。」
「神からの…?死が?」
「本来死が畏れ敬うべきものであることを忘れた人間など愚か。永遠に冥府の間で苦しめば良い。」
青年の優雅で低い声で紡がれる言葉が、私の疲弊した心にじんわりと染み込んでいく。
「………私は夢子と申します。ずっと、思っていたんです。あなたは……あなたは誰、なの?」
自らが「死を司る神タナトス」だと、彼は確かにそう告げた。
「からかって…いるのですか?」
「フ……熱心に祈っていた割には神の存在を否定するのか。」
「…それは…貴方がまさか…」
「俺は人間を好かぬ。だがお前のように毎日神に祈っていた女が絶望する顔を見るのも一興だったぞ。」
美しく含みのある低い声で彼は嗤った。今までの彼と変わらないはずなのに冷たい気配を纏っていて…死を連想させるような…
やはり、彼は死の神様なのだろうか。
「意地悪です…人間くさい、タナトス様…」
その言葉に、彼は眉を顰めた。「人間くさい」という言葉が癪に触ったのだろうか。
「お前達人間にはいずれ死が与えられる。それまで偽りの神にでも祈りながら震えて待つのだな。」
彼が背を向けた瞬間、私は叫んでいた。
「待って……!!」
「何だ」
私は彼の袖に触れた。
「ついて行っては…いけませんか?」
この機会を逃したらもう彼には会えないと感じた。
神父さまもおばあさんも天に召されてしまった。私もいっそ……
「死は畏れ敬うべきものなのでしょう?ならば私は畏れ敬いながら享受します。だから私を」
「自惚れるな。俺がこの場で手を下すまでもない。」
タナトス様は冷たく言い放ったけれど、私はこの美しくおそろしいかみさまの傍にいたかった。
「……お願いします。わたしを…一人にしないでください!」
自分でも口をついて出た言葉に驚いた。「一人にしないで」という言葉に。こんな情けない言葉が出てしまうなんて…。ずっと心の奥底で感じていた寂しさが神父さまとおばあさんの死により弾けてしまったのかもしれない。何よりも人間の反転性に恐怖を感じてしまった。そんな私も、反転しているのかもしれない……こんなに、死の神様に縋っているのだから。寂しいから一人にしないでほしい、と縋ってしまっているのだから………。でもこれが反転だというのなら、一体何が正しいのかしら?だって正しく生きようとしてもそれは曖昧な概念でしかなく、人の優しさは保身のためなら脆くなってしまうのでしょう?
タナトス様は私の顔を綺麗な瞳にしばらく映した後、私へ静かに告げた。
「…良いだろう。お前はどのみち世界に馴染まぬ哀れな魂よ。駒として置いてやろう」
その言葉を聞いた私は、晴れやかな気持ちで彼の袖に頬を寄せたのだった。
頭の中に響く声。
す
「ーーい、おい、大丈夫かい?」
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、私を見下ろす優しいお爺さんの顔。
「……ここ、は?」
「貴方は…旅の者か?この国の人間ではないだろう?」
「たびの…もの…?この国…?」
繰り出された質問に思考が追い付かず、ひとまず身体を起こした。身体の節々が痛むがどうやら柔らかいベッドの上に寝かされていたようだ。私を起こしたお爺さんは、法衣を纏っていた。教会の方だろうか。
「言葉は通じるようだね。行き倒れたかと思っていたが息があって良かった…夜は野盗が出るからね」
「あの………」
私は勇気を出してお爺さんに聞いた。
「あの……私、何も覚えてないんです。ここは何処なんでしょうか?」
「なんと…………」
お爺さんは一瞬目を丸くしたけれど、優しく私に微笑んだ。
「何日かはここに居なさい、こんな場所でも旅人は頻繁に訪れるからな。手がかりが掴めるじゃろう。」
「ありがとうございますっ」
こんなにあっさり居場所を提供してくれるなんて、少し罪悪感と怪しさを感じてしまう。そして自分の身に起きていることすら分からない。考えれば考えるほど頭が重くなりそうだった。
「名前も覚えていないのかい?」
「なまえ…………」
その時、心にぼんやりとある単語が浮かんだ。
「夢子…」
「………夢子、珍しい名前じゃな。まあしばらくはここにいるといい。その代わり、簡単な手伝いをしてくれるかい?」
「勿論です。お手伝いさせてください。」
こうして、私は神父さんのお手伝いをする代わりに教会にしばらく留まることになった。危険に晒されたら逃げればいいのだわ。鎖で繋がれているわけでもないのだから。
静寂に包まれた空間で、私は祭壇をみつめていた。私は実際に神様の存在を体感したわけではないけれど、助けてくれた神父さまの考えを否定することに躊躇いを感じてしまう。何よりも神父さまが私へ対し慈愛を持ち接してくれることの根底に神様への信仰が存在するならば神様の実在は問題ではない。この場で衣食住を提供して貰っている私も教会へ来る人々に対し神父さまのように愛を持ち接していきたい。そして、日々の平穏を願い正式なシスターではなくても祈りを捧げているのだ。その時、静寂に包まれた教会に深みのある優雅で冷たい声が響いた。
「お前はこの教会の者か?」
「…!…どなたですか?」
低く響いた声に私は思わず振り返った。
「神に仕える者か…恩寵の中で生きていることを忘れていないようだな。最もお前たちの信仰する神にもよるが、な。」
「……なっ」
失礼な方…なんて無粋なことを。しかもまるで自分が人間でないような口ぶりだった。どうやら法衣を着ているように見えることから、神父さまの知り合いなのだろうか。
「あの…失礼ですが何かご用でしょうか?神父さまをお呼びしましょうか?」
早くこの場から離れたくて立ち上がると、彼は「待て」と私のもとへ近づいてきた。先程の言動といい雰囲気といい彼は不思議な雰囲気を纏っていた。不安のあまり伏し目がちになりながら彼の顔を見上げた私は思わず息をのんだ。長い睫毛と深い色の瞳…端正で美しい顔の青年が私を見つめていた。しかしながら彼のもつ背筋を凍らせるような冷たい雰囲気に私は怯えを隠しきれなかった。
「……あの、私はもう行かなければならないので…失礼しますね。」
「震えているな。何に恐怖を感じている?」
青年に行く手を阻まれ、私は言葉に詰まりますます頭が真っ白になっていった。そんな私の様子を黙って見つめていた青年は、徐に背を向け扉へ向かい始めた。
「…お前の魂はこの世界と馴染んでいないか。精々祈り続けろ。救いを求める哀れな人間らしく、な。」
魂が馴染んでいない……?どういうことなの?
「あ、あのっ…待ってください!」
縋るように声をかけた私を一瞥し、彼は夜の闇に紛れていった。後には月明かりの差し込む静かな空間と私だけが残される。私は今でも感じられる恐ろしく美しい青年の雰囲気に震えながら、その言葉の意味を考え続けていた。
月明かりの差し込む教会で、一通りの祈りを捧げ終わった後私は信徒であるおばあさんに教えていただいた編み物に取りかかろうと立ち上がった。シスターのお姉様方と一緒に孤児院へ行く時に編み物を贈ってあげたい…そんな私のエゴだけれどもこの世界で生きるうちに私は次第に自分の置かれた環境が奇跡に近いものであると感じていた。確かにお手伝いは大変だけれども、僅かながらでもご飯を食べ人々と楽しい時間を過ごすことができる。そんな事をぼんやりと考えていると不意に頭が重くなり私はしゃがみこんだ。その時、ゆっくりとこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。何とか首をそちらに向ければ、あの夜の青年の姿が視界に入った。
(また、あの方……)
あの端正な顔立ちに胸の高鳴りを感じつつ私は恐る恐る問いかけた。
「……今晩は、神父さまにご用でしょうか?それともお姉様方に?」
青年は黙ったまま私へ近づき、残酷な言葉を告げた。
「やはりな…かねてよりお前の魂を測っていたが異なる世界の人間も塵芥に過ぎぬか。ヒュプノスに伝えておこう。」
異なる世界の…人間?この前から何を言っているのだろう。
「お、仰っていることがよく……っ」
「もうお前に用はない。この俺が出向く必要もなかった。」
とても失礼なことを言われた気がする。世界がどうとかよく分からないけれど、その不躾な言葉に私は少しの反論を試みた。
「あの…私は異なる世界なんてよく分かりません。でも私はこの世界が大好きです。みんな優しいもの…あなたも神父さまなのでしょう?」
私の知る神父さまとは異なる印象をもつ彼の法衣に目をやりながら、私は彼の顔を見つめた。彼は冷たく私を見遣り唇を開いた。
「人間の優しさというものなど幻想に過ぎない。皆が我が身可愛さにお前を迫害しても同じことが言えるか……?」
「な、何を言って…」
私が言葉を言い終える前に、彼はいなくなっていた。
数日後、私は森の草木を掻き分けた先にある小屋の扉を叩いていた。今日も編み物を教えてもらうためにおばあさんの小屋を尋ねたが、返事がない。
(どうしたのかしら…お買い物かな?)
いつもこの時間に通っているため彼女が町へ買い物へ出向くことは考えにくかった。それとも体調が悪いのかしらと一抹の不安がよぎり、窓から様子を伺うことにした。しかし窓のそばへ近づいた私は言葉を失った。無造作に転がった毛糸玉に、煮えたぎる鍋…そして倒れた椅子のそばへ散らばった食器。
「ジョイアさん!私です、私よ!夢子です!どうかなされたの?!」
私は大きな声で呼びかけたが、家におばあさんがいる様子は感じられない。その時数人の足音が聞こえた。
「お前も魔女か!修道女のふりをしているようだが魔女なんだな?来い!」
「っ…な、きゃ!」
強く手を引かれ、私は男の人たちに引きずられるようにして歩き出した。
「ま、待ってください!私、私は「黙れ!!!」」
恫喝され恐怖を感じたまま何も言えなくなってしまった。しばらく歩いた後に連れて来られたのは小さな村の広場だった。そこで私の視界に映ったものは人々の憎しみの込められた目に囲まれた戸惑うおばあさんの姿だった。
「……ジョイアさん!!何で?」
「来てはいけないよ!この子は何の関係もないっ。そして私は何も知らないんだよ…信じておくれ!同じ信徒だろう?」
何のことか分からなかった。
「ばあさん…最近俺たちの子どもが森で消えてんだ。このご時世に信じたくはないがよ…あんたのせいだろう」
「そうだ!信徒のふりをしやがって子どもの品定めでもしてたんだろうが!!」
「あんな山奥に住んで怪しいったらないわ。教会にもあの女を潜り込ませていたのね!魔女の手先を!」
「隣町で起きた大火事も関わってんじゃないのか!?」
「あの女は確か神父さまが拾ってきたらしいわよ。神父さまは騙されたに違いないわ!」
指さされた私へ皆の視線が次第に集まり、私は広場へ突き飛ばされた。
「待ってください!!待っ………」
私の言葉は野次に掻き消され、直後鈍い痛みが背中を襲った。
(な、何で…おばあさん!おばあさんは…)
目が覚めた時、私は身体の痛みに顔をしかめた。
「………っ」
ゆっくりと起き上がり辺りを見渡せば、どうやら自分に宛てがわれたいつものベッドに寝かされているようだった。不意に部屋の扉が静かに開き、シスターのお姉様が入ってきた。
「……落ち着いて聞いてね。まずジョイアさんは救えなかった、ごめんなさい。」
「え………」
「そして隣町の大火事が起きた時に……神父さまはそちらに出かけていたの。行方不明なのよ。」
あまりにも衝撃的なことを告げられ、どう返事をしていいか分からない。
(おばあさんはただ子どもを亡くしていたからこそ教会に通って祈っていただけなのに………や、優しい神父さまも……)
人々の悪意に大好きなおばあさんの命が奪われて。優しい神父さままでも……
私は止めるお姉様に「少し風に当たって落ち着いてきます」と告げ、よろよろと教会の方へ向かった。
(やっぱり神様なんていない。優しい神父さまやおばあさんの命がこんな形で奪われるなんて…)
扉を開けると美しい月の光がいつものように差し込んでいた。じわりと溢れる涙を感じながら私は呟いた。
「この世に神様なんていない。もしも神様がいるとしたら…死神だわ。」
信じていた人々の優しさへの猜疑心がさらに自己嫌悪に陥らせ、全てどうでも良くなってくる。
「随分と厭世的になったものだな。」
「…!」
あの青年の声が背後から聞こえた。
「人間の感情など脆いものよ…人間同士で死を与え合うさまなど滑稽だろう?死は全ての人間に神から与えられるものだ。」
「神からの…?死が?」
「本来死が畏れ敬うべきものであることを忘れた人間など愚か。永遠に冥府の間で苦しめば良い。」
青年の優雅で低い声で紡がれる言葉が、私の疲弊した心にじんわりと染み込んでいく。
「………私は夢子と申します。ずっと、思っていたんです。あなたは……あなたは誰、なの?」
自らが「死を司る神タナトス」だと、彼は確かにそう告げた。
「からかって…いるのですか?」
「フ……熱心に祈っていた割には神の存在を否定するのか。」
「…それは…貴方がまさか…」
「俺は人間を好かぬ。だがお前のように毎日神に祈っていた女が絶望する顔を見るのも一興だったぞ。」
美しく含みのある低い声で彼は嗤った。今までの彼と変わらないはずなのに冷たい気配を纏っていて…死を連想させるような…
やはり、彼は死の神様なのだろうか。
「意地悪です…人間くさい、タナトス様…」
その言葉に、彼は眉を顰めた。「人間くさい」という言葉が癪に触ったのだろうか。
「お前達人間にはいずれ死が与えられる。それまで偽りの神にでも祈りながら震えて待つのだな。」
彼が背を向けた瞬間、私は叫んでいた。
「待って……!!」
「何だ」
私は彼の袖に触れた。
「ついて行っては…いけませんか?」
この機会を逃したらもう彼には会えないと感じた。
神父さまもおばあさんも天に召されてしまった。私もいっそ……
「死は畏れ敬うべきものなのでしょう?ならば私は畏れ敬いながら享受します。だから私を」
「自惚れるな。俺がこの場で手を下すまでもない。」
タナトス様は冷たく言い放ったけれど、私はこの美しくおそろしいかみさまの傍にいたかった。
「……お願いします。わたしを…一人にしないでください!」
自分でも口をついて出た言葉に驚いた。「一人にしないで」という言葉に。こんな情けない言葉が出てしまうなんて…。ずっと心の奥底で感じていた寂しさが神父さまとおばあさんの死により弾けてしまったのかもしれない。何よりも人間の反転性に恐怖を感じてしまった。そんな私も、反転しているのかもしれない……こんなに、死の神様に縋っているのだから。寂しいから一人にしないでほしい、と縋ってしまっているのだから………。でもこれが反転だというのなら、一体何が正しいのかしら?だって正しく生きようとしてもそれは曖昧な概念でしかなく、人の優しさは保身のためなら脆くなってしまうのでしょう?
タナトス様は私の顔を綺麗な瞳にしばらく映した後、私へ静かに告げた。
「…良いだろう。お前はどのみち世界に馴染まぬ哀れな魂よ。駒として置いてやろう」
その言葉を聞いた私は、晴れやかな気持ちで彼の袖に頬を寄せたのだった。