暗闇に手を伸ばしてみても、部屋には私ひとり。慌ただしく過ぎる毎日についていくのがやっとだ。せめて静かな夜だけは、何も考えずに眠りたい。私はそっと眠りの神の名を呟いて、眼を閉じた。

｢ヒュプノス様…｣
｢…眠れぬ夜に私を呼びつけるとは。随分贅沢なのだな、お前は。｣

穏やかに諭す声に、私は目蓋を開けた。金色の瞳で私を見下ろす眠りの神の姿があった。

｢…ごめんなさい。｣
｢謝る必要はない。直接私が眠らせてやろう。お前だけの特権だと思え。｣

頬に厚い手が優しく置かれ、じんわりと温かい熱が流れ込んでくる。

｢フフ、このまま永遠に眠らせて私のものにしてしまおうか。｣

彼の形の良い唇がそっと弧を描く。まるで熱を孕むような声で彼が囁くものだから、私の心臓がどきりと跳ねた。

｢そ、それは駄目です！｣
｢…それで良い。お前が日々生きながら足掻く姿を見ていて飽きないからな。人間はそうでなくては面白くない。｣

まるで揶揄うように笑った後、ヒュプノス様の美しい指は私の目蓋にそっと触れた。

｢だが疲れていては何もできぬだろう。……今は眠れ。それに、｣

私の名を形作る唇と甘く優しい金色の瞳が、霞んだ視界に滲んでゆく。

｢…"眠り"に堕ちている間、お前は完全に私だけのものなのだから。夢子、｣

そっと耳を食むように囁かれた言葉は、"眠りの神"としての支配欲を孕んでいた。