｢へーえ、やっぱりキミは人間なんだ。｣
｢……？｣

いつものように座りながらお花畑で遊んでいると、楽しそうな青年の声が聞こえた。辺りを見回しても、誰もいない。

｢フフ、ここだよ、ここ。木の上からキミを見てる｣

頭上を見上げると、引き締まった肉体に少しばかりの白布を纏った端正な顔立ちの青年が微笑んでいた。
誰だろう？…神様かな？
目のやりどころに困りながら視線を泳がせれば、青年はすとんと私の前に降りたった。私に歩み寄った彼は、ぐっと顔を近づけて見つめてくる。

｢あれ？まだタナトスのお手つきじゃないんだね…｣

不穏な気配を感じその場を離れようと立ち上がれば、青年は私の両肩にぐっと手を置いた。

｢待ちなよ。僕は怖いことなんてしない。ただ人間であるキミの力になってあげたいだけさ、寛容な神としてね…。｣

彼の瞳は私をじっと映している。その瞳は穏やかではあったが、底を感じさせない程の不思議なものを抱いていた。

｢私、いま充分に幸せなの。タナトス様の傍にいられるから大丈夫！｣
｢馬鹿な人間だなァ…。僕ら神々は殊恋愛においては自由でね。ましてや人間がずっと愛される保証なんてない、そもそもその自信がどこからくるんだ？｣

彼の言葉は恐ろしいほどに私の心に流れ込んでくる。大切なものをぐちゃぐちゃにかき乱されるような感覚に陥り、少しむっとなった。

｢べ、別にそんなの分からないけど！でも私はタナトス様と自分の気持ちを信じてるから！｣

私は無理やり彼の手を払いのけ、立ち上がった。早くこの場を離れたい！彼の言葉を聞いてはいけない気がする。

｢チッ…馬鹿な人間のくせに｣

瞬間、ゾッとするほど刺々しい声音が聞こえ、身体が地面へ投げ出された。痛みを耐え起き上がろうとしても、身体が言うことを聞かない。

｢や、やだ！何でっ……？｣

後ろから足音が近づいてくる。

｢聖闘士でもない人間なんてこんなもんか。キミがエリシオンにいる理由がよく分からないよ…だから、さ｣
｢このエリシオンで勝手な真似は許さんぞ。たとえ人間如きウジ虫に対しても、だ。｣

…大好きな神様の声が聞こえた。ゆっくり見上げれば、黒と銀の美しい艶を放つ冥衣を纏ったタナトス様が立っている。

｢………タ、タナトス様…｣

安心感から自然と涙が溢れ、視界が滲んでしまった。

｢…嗅ぎつけてきちゃったか。ほんっとうに冥界の神様ってやつは｣
｢去れ。｣

タナトス様が冷たく言い放つと、青年の気配は消えていったように感じられた。タナトス様は私を見遣ると、ため息をついた。

｢いつまで無様に寝転がっている、夢子。もう身体は動くだろう？｣
｢……あ、った、タナトス様っ。ありがとうっ！｣

ふらふらと立ち上がった私は、たまらなくなってタナトス様に抱きついてしまった。いつものように引き剥がされず、タナトス様の大きな手が私の背中に添えられる。

｢神殿に戻るぞ。手間をかけさせるな。｣

淡々と言い放つ彼の表情はいつも通りの端正なものであったけれども…。背中から伝わるタナトス様の手からは温かさを感じられた。