三章、明かされる真実
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サルマンが離れたセオデン王は、次第に元の姿を取り戻し始めていた。瞳には生気が宿り、髪は黄金色の息吹を帯び始めた。
彼は立ち上がると、辺りを見回した。
「ずっと、自分でない何かが居た気がした……」
セオデンはガンダルフに礼を述べると、依然ギムリに踏まれているグリマを睨み付けた。
階段から蹴りおとされたグリマは、無惨に黄金館を追われた。だが、彼は噛みつくように叫んだ。
「私が裏切り者だと仰るなら、あの女はどうなのですか!?あの女もサルマンの娘ですよ!魔女だ!」
ネルファンディアは無言でグリマに鋭い視線を投げ掛けた。彼は自身の主人に生き写しの瞳に何も言えず、そのまま萎縮した。
「切り殺してやる、グリマ!」
セオデンは剣を抜き、裏切り者を斬り捨てようとした。だが、その手をアラゴルンが止めた。なんと彼はグリマに手を差しのべ、解放したのだ。だが卑怯者はその手に唾を吐きかけ、逃げるようにその場を後にした。
ネルファンディアは魔術でその足を引き留め、グリマに告げた。
「────そなたの主人に伝えよ。貴様の娘は既に死んだと」
彼は何も答えず、平原の彼方へ姿を消した。ネルファンディアはアラゴルンに向き直ると、厳しい視線を送った。
「私が言うのも何ですが、あなたは子孫として初めて行った選択を誤りましたね」
「……そうかも知れないな」
ようやく怒りが収まったセオデンは、アラゴルンを押し退けてネルファンディアと対峙した。彼女はひざまづくと、心の底からセオデンに謝罪した。
「陛下、我が父の罪は我が身の罪。お気が晴れるのであれば、私をここで斬首に処してください。そして、父の罪を私に償わせてください」
ネルファンディアの両目には涙が宿っていた。セオデンは彼女を取り囲む兵を退かると、しゃがんでこう言った。
「……そなたは、私一人に対する罪だけを償うのか?」
「陛下……」
「中つ国を守るのだ。それがそなたに出来ること。ここで老いぼれの手にかかって死ぬことではない」
セオデンは微笑みかけ、手を差しのべた。不信感に包まれる中、誰もが固唾をのんで見守っている。ネルファンディアは深くうなずくと、王の手を取って立ち上がった。
「はい。背信した父を持つ身でも許されるのであれば、この中つ国を守る使命、命を懸けて果たしたく存じます」
そう言うネルファンディアの瞳は、本心からの言葉だと証明していた。そしてこの日から、誰も彼女の背信を疑うものは無くなった。
皆が再会を喜び合う中、エオウィンだけは納得がいかない顔をしていた。ネルファンディアもずっと彼女の様子を気にかけている。
そして我慢ならず、とうとうエオウィンがネルファンディアの肩を掴んで問い詰めた。
「ねえ!あなたは一体誰なの?」
「……私はラエルではなく、ネルファンディア。許してちょうだい、嘘をついたことを」
「何のために嘘を?」
「私の正体を知れば、どうしていた?」
それを聞いて、エオウィンは急に言葉の覇気を失くした。
「……裏切り者の娘に、あんな風に接してくれた?」
ネルファンディアは哀しげに笑うと、愛馬のレヴァナントの荷物として隠していた杖と剣を取り出した。エオウィンはすっかり困り果てると、今度は質問攻撃を始めた。
「じゃあ、本当のあなたを教えて」
「本当の私?」
他の仲間たちも興味があるようで、アラゴルンたちもネルファンディアを見た。渋々彼女は、食堂の長椅子に座って語り始めた。
「名前はネルファンディア。父は白の魔法使いのサルマンで、母はロスロリアンのエルフであるガラドリエルの妹、エルミラエル。私自身も蒼の魔法使いの称号を持つイスタリで、特技は古文書解読。産まれたのは第二紀の中頃で……」
「ち、ちょっと待って!」
エオウィンは立ち上がると、物珍しいものを見るような顔でネルファンディアを見た。
「あなた……何歳?」
「4019歳」
これには隣で黙って聞いていた流石のセオデンも、ビールを吹きそうになる。アラゴルンも口を開けている。
「……すごく、長生きなのね」
「ええ。あなたよりずっと先輩なのよ、エオウィン姫」
ネルファンディアはにこりと笑うと、楽な格好をするために上着を脱ぎ始めた。エオウィンの質問は続く。
「じゃあ……それだけ生きていたら、きっと素敵なロマンスもあったのよね?」
その問いに、ガンダルフの動きが止まる。その場が妙な静寂に包まれた。上着を脱ぎ終わったネルファンディアの胸元に、重厚な造りの青い指輪が光っているのがギムリの目に留まった。彼は目を凝らしてしばらく経ってから、短い悲鳴をあげた。
「そっ……それは……!ドゥリン一族であることを示す指輪ではないですか!!なっ、何故あなたがお持ちなのですか?」
ネルファンディアはしまったと思いながら、トーリンから貰った指輪を見た。もはや言い逃れも隠し事もできない。彼女は一度大きく息を吸って、深く吐いた。
「……そう。これはドゥリン王朝トーリン二世こと、トーリン・オーケンシールド王子から頂いたもの」
トーリン・オーケンシールド。懐かしい名前だった。この名を口にする度に胸が刺されるような痛みに苛まれるせいで、ずっと呼ぶのを躊躇っていた。ネルファンディアは六十年間の思慕を滲み出すように、皆が見守るなかでゆっくりと語り始めた。
「邪竜スマウグに奪われた王国を取り戻す旅に出たトーリン王子一行は、ワーグの追撃を逃れるために裂け谷へ来た。私は丁度、父の希望で裂け谷に留まっていた。そして王子と出会い、共に旅に出ることを決めた」
ネルファンディアは指輪を撫でながら、その時の一言一句を思い出していた。
──ついてくるがいい、ネルファンディア殿。特別待遇は無しだ!
と言いながら、いつだって危険なときは手を握ってくれていた。ファンゴルンの森で遊んで育った彼女にとって、難なく通れる場所であってもトーリンは手を離さなかった。
「遠征が終わりに近づくにつれて、私はこの心に許されない思いが芽生えていることに気づいてしまった」
「彼を……トーリン王子を、愛していたのね」
「ええ。そもそも、初めからお慕いしていたのかもしれない。だからあの旅に同行したのかも」
ネルファンディアは遠い目をしながら、走馬灯のように過ぎていく過去を追った。
「私は旅が終われば、あの人の元から去るつもりだった。──けれど、あの人の方が先に去ってしまった」
いつもこの指輪をみると、どうして自分を置いていったのかと尋ねたくなった。自分だけ想いを置いて、一人で去ってしまうのは卑怯だと。
「故郷で起きたオーク軍との戦いで命を落とす直前に、王子は私に求婚した。エルフにもイスタリにもなりきれない半端な存在の私を受け入れてくれたことが、とても嬉しかった。……けれども私が王子の手を次に握ったのは、勝利を祝う凱旋の宴ではなく、雪に伏した最期のときだった」
ネルファンディアは涙をこらえて、指輪を通している紐を首から外してギムリに渡した。
「王子は、私にドゥリン王朝の者の証となるこの指輪を贈ってくれた。受け取れないと言う私に、彼はいつか役に立つからと言って……」
彼女はトーリンのことを思い出し、静かに笑みを溢した。
「でもね、あの人は決してその指輪を婚約の証だとは言わなかった。自分を忘れて、生きて欲しいと」
ネルファンディアは溢れそうな涙を何事もなかったかのように拭うと、エオウィンに笑いかけた。
「これが、私のロマンス。4000年も生きてきて、たったのそれだけよ」
ネルファンディアは少々自分のことを話しすぎたかもしれないと思った。だがそんな不安を吹き飛ばしてくれたのは、意外にもギムリだった。彼はネルファンディアの手を取って、その掌に指輪を返してこう言った。
「……父が何故、あなたをご存じなのかをようやく理解しました。そして、バーリンやオーリの死を兄弟のように悲しんでいた理由も全て」
アラゴルも近寄って、彼女に微笑んだ。
「本当のあなたを、私たちはようやく知ることができた。これであなたも本当の仲間だ」
「おかえり、ネルファンディア」
レゴラスが満面の笑みで手を差しのべている。ネルファンディアはその手を掴み、久しぶりに心の底からの笑顔を浮かべた。
「まぁ、前から俺は仲間だと思っていたけどな」
「もちろん私たちもそう思ってるよ、ギムリ」
四人は顔を見合わせて笑うと、肩を叩きあって再会を喜びあった。その様子を眺めながら、ガンダルフは微笑んだ。だが、隣にいるセオデンは悲しそうな顔をしている。
「……どうしたのですか?叔父上」
「あぁ、いや……何でもない」
ガンダルフはエオウィンに手招きをすると、セオデンをちらりと見ながら耳打ちした。彼女の表情が笑顔に変わる。
「ガンダルフ、何を話した」
「いえ、何も」
セオデンは軽くため息を漏らし、再びネルファンディアたちに視線を戻した。誰もがこの僅かな休息のひとときを、心から堪能していた。
ネルファンディアは夕暮れの中でエレボールの方角を見ていると、背後に気配を感じて振り返った。そこには穏やかな笑みを浮かべているセオデンが立っていた。
「……隣に行っても?」
「ええ、どうぞ」
隣に行くと言ったものの、セオデンは距離を開けて座った。その様子を遠目から見て、アラゴルンはパイプ草を燻らせるガンダルフに尋ねた。
「ガンダルフ、何故セオデン王はあれほど怒り狂っておられたのにネルファンディアを許したのですか?」
煙を見ながら笑みを溢したガンダルフは、目を細めて語りだした。
「昔のことじゃ。セオデン王が王子じゃった頃に、ネルファンディアとの婚約を父のセンゲル王が提案した。だが、実際のところはセオデンの希望で勧められたものじゃった。それを知りつつも、ネルファンディアは丁重に断った」
「トーリン王子を、愛していたからですか?」
「もちろん。あの子の人生に於いて、後にも先にもトーリン・オーケンシールド以上の男は現れんじゃろうし、あの子も彼以外に心動かされることは無かろう」
アラゴルンは戸惑いの表情を見せながら、自分の首にかかっているペンダントを撫でた。ガンダルフはそちらを見ずに続けた。
「────お主も、心の底ではトーリンの行動を羨んでおるな?」
「いえ。種族も生きる年月も違う相手に、側にいて欲しいと言った彼が理解できないのです」
アラゴルンは旅に出る前に、アルウェンからペンダントを受けとることさえ拒もうとしていた。そして、自分を置いて西方の地へと帰るように約束させていたのだ。だからこそ、トーリンの気持ちがわからなかった。
「トーリンは孤独な男でな。じゃが、それでいて思慮深い男じゃった。離れ難い程に強い思いは、逆らえんもの。お主も逆らえなかったから、そのペンダントを貰っている。違うか?」
アラゴルンからの返事はない。ガンダルフは不思議な含み笑いをすると、その場から離れようとした。だが、何かを思い出したように付け足した。
「お主も、自分を支えてくれる人を側においておくのが懸命じゃ。特にその人を心から欲しているのであれば尚更じゃ。王座への道は、とてつもなく長くて険しい。そして疑心に満ちているもの。独りで歩むことは難しいぞ」
今からでも間に合うのであれば、と思いながらガンダルフは本当に歩き去ってしまった。
草原の大地に沈む夕焼けを見ながら、アラゴルンは心のどこかでアルウェンが去っていないことを祈る自分が居ることに気づいた。そして会ったこともないトーリン・オーケンシールドという男の勇気と決意に、僅かながらも尊敬の念を抱くのだった。
彼は立ち上がると、辺りを見回した。
「ずっと、自分でない何かが居た気がした……」
セオデンはガンダルフに礼を述べると、依然ギムリに踏まれているグリマを睨み付けた。
階段から蹴りおとされたグリマは、無惨に黄金館を追われた。だが、彼は噛みつくように叫んだ。
「私が裏切り者だと仰るなら、あの女はどうなのですか!?あの女もサルマンの娘ですよ!魔女だ!」
ネルファンディアは無言でグリマに鋭い視線を投げ掛けた。彼は自身の主人に生き写しの瞳に何も言えず、そのまま萎縮した。
「切り殺してやる、グリマ!」
セオデンは剣を抜き、裏切り者を斬り捨てようとした。だが、その手をアラゴルンが止めた。なんと彼はグリマに手を差しのべ、解放したのだ。だが卑怯者はその手に唾を吐きかけ、逃げるようにその場を後にした。
ネルファンディアは魔術でその足を引き留め、グリマに告げた。
「────そなたの主人に伝えよ。貴様の娘は既に死んだと」
彼は何も答えず、平原の彼方へ姿を消した。ネルファンディアはアラゴルンに向き直ると、厳しい視線を送った。
「私が言うのも何ですが、あなたは子孫として初めて行った選択を誤りましたね」
「……そうかも知れないな」
ようやく怒りが収まったセオデンは、アラゴルンを押し退けてネルファンディアと対峙した。彼女はひざまづくと、心の底からセオデンに謝罪した。
「陛下、我が父の罪は我が身の罪。お気が晴れるのであれば、私をここで斬首に処してください。そして、父の罪を私に償わせてください」
ネルファンディアの両目には涙が宿っていた。セオデンは彼女を取り囲む兵を退かると、しゃがんでこう言った。
「……そなたは、私一人に対する罪だけを償うのか?」
「陛下……」
「中つ国を守るのだ。それがそなたに出来ること。ここで老いぼれの手にかかって死ぬことではない」
セオデンは微笑みかけ、手を差しのべた。不信感に包まれる中、誰もが固唾をのんで見守っている。ネルファンディアは深くうなずくと、王の手を取って立ち上がった。
「はい。背信した父を持つ身でも許されるのであれば、この中つ国を守る使命、命を懸けて果たしたく存じます」
そう言うネルファンディアの瞳は、本心からの言葉だと証明していた。そしてこの日から、誰も彼女の背信を疑うものは無くなった。
皆が再会を喜び合う中、エオウィンだけは納得がいかない顔をしていた。ネルファンディアもずっと彼女の様子を気にかけている。
そして我慢ならず、とうとうエオウィンがネルファンディアの肩を掴んで問い詰めた。
「ねえ!あなたは一体誰なの?」
「……私はラエルではなく、ネルファンディア。許してちょうだい、嘘をついたことを」
「何のために嘘を?」
「私の正体を知れば、どうしていた?」
それを聞いて、エオウィンは急に言葉の覇気を失くした。
「……裏切り者の娘に、あんな風に接してくれた?」
ネルファンディアは哀しげに笑うと、愛馬のレヴァナントの荷物として隠していた杖と剣を取り出した。エオウィンはすっかり困り果てると、今度は質問攻撃を始めた。
「じゃあ、本当のあなたを教えて」
「本当の私?」
他の仲間たちも興味があるようで、アラゴルンたちもネルファンディアを見た。渋々彼女は、食堂の長椅子に座って語り始めた。
「名前はネルファンディア。父は白の魔法使いのサルマンで、母はロスロリアンのエルフであるガラドリエルの妹、エルミラエル。私自身も蒼の魔法使いの称号を持つイスタリで、特技は古文書解読。産まれたのは第二紀の中頃で……」
「ち、ちょっと待って!」
エオウィンは立ち上がると、物珍しいものを見るような顔でネルファンディアを見た。
「あなた……何歳?」
「4019歳」
これには隣で黙って聞いていた流石のセオデンも、ビールを吹きそうになる。アラゴルンも口を開けている。
「……すごく、長生きなのね」
「ええ。あなたよりずっと先輩なのよ、エオウィン姫」
ネルファンディアはにこりと笑うと、楽な格好をするために上着を脱ぎ始めた。エオウィンの質問は続く。
「じゃあ……それだけ生きていたら、きっと素敵なロマンスもあったのよね?」
その問いに、ガンダルフの動きが止まる。その場が妙な静寂に包まれた。上着を脱ぎ終わったネルファンディアの胸元に、重厚な造りの青い指輪が光っているのがギムリの目に留まった。彼は目を凝らしてしばらく経ってから、短い悲鳴をあげた。
「そっ……それは……!ドゥリン一族であることを示す指輪ではないですか!!なっ、何故あなたがお持ちなのですか?」
ネルファンディアはしまったと思いながら、トーリンから貰った指輪を見た。もはや言い逃れも隠し事もできない。彼女は一度大きく息を吸って、深く吐いた。
「……そう。これはドゥリン王朝トーリン二世こと、トーリン・オーケンシールド王子から頂いたもの」
トーリン・オーケンシールド。懐かしい名前だった。この名を口にする度に胸が刺されるような痛みに苛まれるせいで、ずっと呼ぶのを躊躇っていた。ネルファンディアは六十年間の思慕を滲み出すように、皆が見守るなかでゆっくりと語り始めた。
「邪竜スマウグに奪われた王国を取り戻す旅に出たトーリン王子一行は、ワーグの追撃を逃れるために裂け谷へ来た。私は丁度、父の希望で裂け谷に留まっていた。そして王子と出会い、共に旅に出ることを決めた」
ネルファンディアは指輪を撫でながら、その時の一言一句を思い出していた。
──ついてくるがいい、ネルファンディア殿。特別待遇は無しだ!
と言いながら、いつだって危険なときは手を握ってくれていた。ファンゴルンの森で遊んで育った彼女にとって、難なく通れる場所であってもトーリンは手を離さなかった。
「遠征が終わりに近づくにつれて、私はこの心に許されない思いが芽生えていることに気づいてしまった」
「彼を……トーリン王子を、愛していたのね」
「ええ。そもそも、初めからお慕いしていたのかもしれない。だからあの旅に同行したのかも」
ネルファンディアは遠い目をしながら、走馬灯のように過ぎていく過去を追った。
「私は旅が終われば、あの人の元から去るつもりだった。──けれど、あの人の方が先に去ってしまった」
いつもこの指輪をみると、どうして自分を置いていったのかと尋ねたくなった。自分だけ想いを置いて、一人で去ってしまうのは卑怯だと。
「故郷で起きたオーク軍との戦いで命を落とす直前に、王子は私に求婚した。エルフにもイスタリにもなりきれない半端な存在の私を受け入れてくれたことが、とても嬉しかった。……けれども私が王子の手を次に握ったのは、勝利を祝う凱旋の宴ではなく、雪に伏した最期のときだった」
ネルファンディアは涙をこらえて、指輪を通している紐を首から外してギムリに渡した。
「王子は、私にドゥリン王朝の者の証となるこの指輪を贈ってくれた。受け取れないと言う私に、彼はいつか役に立つからと言って……」
彼女はトーリンのことを思い出し、静かに笑みを溢した。
「でもね、あの人は決してその指輪を婚約の証だとは言わなかった。自分を忘れて、生きて欲しいと」
ネルファンディアは溢れそうな涙を何事もなかったかのように拭うと、エオウィンに笑いかけた。
「これが、私のロマンス。4000年も生きてきて、たったのそれだけよ」
ネルファンディアは少々自分のことを話しすぎたかもしれないと思った。だがそんな不安を吹き飛ばしてくれたのは、意外にもギムリだった。彼はネルファンディアの手を取って、その掌に指輪を返してこう言った。
「……父が何故、あなたをご存じなのかをようやく理解しました。そして、バーリンやオーリの死を兄弟のように悲しんでいた理由も全て」
アラゴルも近寄って、彼女に微笑んだ。
「本当のあなたを、私たちはようやく知ることができた。これであなたも本当の仲間だ」
「おかえり、ネルファンディア」
レゴラスが満面の笑みで手を差しのべている。ネルファンディアはその手を掴み、久しぶりに心の底からの笑顔を浮かべた。
「まぁ、前から俺は仲間だと思っていたけどな」
「もちろん私たちもそう思ってるよ、ギムリ」
四人は顔を見合わせて笑うと、肩を叩きあって再会を喜びあった。その様子を眺めながら、ガンダルフは微笑んだ。だが、隣にいるセオデンは悲しそうな顔をしている。
「……どうしたのですか?叔父上」
「あぁ、いや……何でもない」
ガンダルフはエオウィンに手招きをすると、セオデンをちらりと見ながら耳打ちした。彼女の表情が笑顔に変わる。
「ガンダルフ、何を話した」
「いえ、何も」
セオデンは軽くため息を漏らし、再びネルファンディアたちに視線を戻した。誰もがこの僅かな休息のひとときを、心から堪能していた。
ネルファンディアは夕暮れの中でエレボールの方角を見ていると、背後に気配を感じて振り返った。そこには穏やかな笑みを浮かべているセオデンが立っていた。
「……隣に行っても?」
「ええ、どうぞ」
隣に行くと言ったものの、セオデンは距離を開けて座った。その様子を遠目から見て、アラゴルンはパイプ草を燻らせるガンダルフに尋ねた。
「ガンダルフ、何故セオデン王はあれほど怒り狂っておられたのにネルファンディアを許したのですか?」
煙を見ながら笑みを溢したガンダルフは、目を細めて語りだした。
「昔のことじゃ。セオデン王が王子じゃった頃に、ネルファンディアとの婚約を父のセンゲル王が提案した。だが、実際のところはセオデンの希望で勧められたものじゃった。それを知りつつも、ネルファンディアは丁重に断った」
「トーリン王子を、愛していたからですか?」
「もちろん。あの子の人生に於いて、後にも先にもトーリン・オーケンシールド以上の男は現れんじゃろうし、あの子も彼以外に心動かされることは無かろう」
アラゴルンは戸惑いの表情を見せながら、自分の首にかかっているペンダントを撫でた。ガンダルフはそちらを見ずに続けた。
「────お主も、心の底ではトーリンの行動を羨んでおるな?」
「いえ。種族も生きる年月も違う相手に、側にいて欲しいと言った彼が理解できないのです」
アラゴルンは旅に出る前に、アルウェンからペンダントを受けとることさえ拒もうとしていた。そして、自分を置いて西方の地へと帰るように約束させていたのだ。だからこそ、トーリンの気持ちがわからなかった。
「トーリンは孤独な男でな。じゃが、それでいて思慮深い男じゃった。離れ難い程に強い思いは、逆らえんもの。お主も逆らえなかったから、そのペンダントを貰っている。違うか?」
アラゴルンからの返事はない。ガンダルフは不思議な含み笑いをすると、その場から離れようとした。だが、何かを思い出したように付け足した。
「お主も、自分を支えてくれる人を側においておくのが懸命じゃ。特にその人を心から欲しているのであれば尚更じゃ。王座への道は、とてつもなく長くて険しい。そして疑心に満ちているもの。独りで歩むことは難しいぞ」
今からでも間に合うのであれば、と思いながらガンダルフは本当に歩き去ってしまった。
草原の大地に沈む夕焼けを見ながら、アラゴルンは心のどこかでアルウェンが去っていないことを祈る自分が居ることに気づいた。そして会ったこともないトーリン・オーケンシールドという男の勇気と決意に、僅かながらも尊敬の念を抱くのだった。