1、雪解草の手紙
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【山の下の王国とデール並びにエスガロス再建に取りかかり始められた我らが王は、今日も忙しそうに現場を飛び回っている。陛下の心休まる時間は、たった一つだけ。それは姫様との手紙を読み返し、返事をお書きになるときだ。だが、文才のない我が王にとって、それはある意味困惑の時でもある。ほら、また兄に検閲を頼んでおられる……
ドワーリン】
山の下の王改め、トーリン・オーケンシールドは部屋の石造りの机に向かって何やら書き記していた。隣にはバーリンが、またかと言いたげな顔で控えている。
「……今日も、明日も、変わらず愛しておる……と」
聞いているこちらが恥ずかしくなりそうなこの手紙は、トーリンの最愛の人であるネルファンディア姫に贈るものである。そしてバーリンはその手紙の内容を検閲する役目を任された。検閲というよりもはや代筆に近いところがあり、実を言うと手紙の半分以上が既にバーリンの提案と訂正によってなんとか体をなしている。
そして極めつけは何と言っても────
「ああ!駄目だ!次!」
「トーリン、紙の無駄です」
人に頼る割には、その完成度にこだわりすぎるところがある。書きかけの紙を投げた彼に、もっともな言葉をバーリンが投げかけた。
「わかっておる。だが……だが、一体どうしてネルファンディアはあれほどに美しい文を書けるのだ」
すっかり頭を抱えてしまってトーリンに、キーリが最初に捨てた手紙を見ながら言った。
「いいじゃないですか、叔父上。一発目の勅書みたいな手紙よりは俄然ましです」
その言葉にトーリンが鋭いにらみを入れる。
「……貴様、城壁から投げられたいか?」
「あっ……いや……大丈夫……です」
もちろん彼は本気で言ったつもりではない。だが冗談にしてはあまりに凄みがあったので、キーリは口をつぐんで後ろにさがった。
すると、隣でさも興味がなさそうに外を眺めている赤髪の女性エルフ──キーリの恋人、タウリエルが珍しく会話に入ってきた。
「あの、陛下。提案なのですが、エレボールの景色や様子を書いてみては?きっと姫様もお喜びになるかと」
「……なるほど」
「それから、手持ち無沙汰な部分には詩でも引用しておくんです。そうしたら幾分かは見映えがすると思われます」
トーリンは静かに頷くと、うむと一言返事をして再び執筆に戻った。その場にいた一同は皆、果たしてこれはトーリン直筆の手紙である以外に何の価値があるのだろうかと首をかしげるのだった。
毎度の手紙にそんな労力が払われているとは知らず、ネルファンディアは今日も鳥を待っていた。父のサルマンは半ば呆れながら、窓の外ばかり見ている娘の足を杖で叩いた。
「おい!」
「わっ!!びっくりするじゃない!何するのよ!」
「ちょっとは手紙のことを考えずに過ごせんのか?全く。大体お主とドワーフの王との交際を認めた覚えはないし、文通などこの父は許可してはおらん!勝手にクレバインも使いおってからに、わしの箱まで勝手に持ち出して手紙を溜めだす始末じゃ。それとな、読み返してにやけるな。もう一度読んで文章が変わるわけもないのだから、このような無駄なことは即刻止めにして…………」
と、まだまだサルマンのお小言はこの調子で続くのだが、そのような話がネルファンディアの耳に入るわけもなかった。かれこれ10分ほど話を聞き流していると、特徴的な鳴き声がアイゼンガルドにこだました。父の話を無視していたことを悟られないように配慮することもせず立ち上がると、ネルファンディアは一目散に駆け出した。
「これ!ネルファンディア!さては聞いておらんかったな!?」
「手紙が来たの!トーリンからよ!」
父の怒声を背に受けながら外に出ると、彼女は空に向かって大きく両手を振った。手紙を携えているクレバインが、急旋回してネルファンディアの手に留まった。
「今日もご苦労様。ゆっくりファンゴルンの森で羽を休めるのよ」
クレバインは一鳴きすると、ネルファンディアの言葉を理解したかのようにファンゴルンの森へと飛び立っていった。はやる気持ちを抑えて、彼女は手紙を開けた。便箋には一輪の花が添えられている。その花に見覚えがあるのか、塔から下りてきたサルマンは興味深げに眺め始めた。
「ねぇ、お父様。これ何かわかる?」
「ああ、もちろん。これはエレボールにしか咲かぬもので、雪解草という名の花じゃ」
「へぇ……綺麗ね」
咲いているときならもっと綺麗なのにと、語尾にわずかな落胆を見せた娘の気持ちに気づいたサルマンは、少し考えてから自分の手を差し出した。
「ほれ、萎れかかっておるじゃろう。貸してみよ」
「え……?」
言われるがままに差し出された花を受けとると、サルマンは無言で歩きだした。
「えっ?ちょっと!お父様?ねぇ!ちょっと?どこ行くのよ!」
慌てて後を追ったネルファンディアが辿り着いた先は、ファンゴルンの森のエント水が涌き出る場所だった。そこには既に木の髭が居て、ゆったりとした声で二人に挨拶をした。
「おぉ…………賢者殿の…………親子ではないか………ご機嫌………いかがかな……」
「悪うない。見てわからんか」
「わかりませんな…………して、こちらには何用で……」
木の髭は機嫌が悪くはないらしい森の守護者が手に持つものを見て、瞬時に何をしたいのかを悟った。サルマンはネルファンディアが見守るなか、雪解草の切り口をそっとエント水につけた。すると萎れていた花が、瞬時に再び地面に咲いている時と同じ姿に戻った。その場に甘く香しい花の薫が溢れる。
「わぁ……すごい!」
「全く……世話の焼ける王じゃの。子供ではあるまいし」
「ありがとう、お父様」
ネルファンディアは不満げな父に抱きつくと、花を包むように受け取ってから急いで家に戻った。花瓶に花をさして、彼女はそれを母の小さな絵の横に置いた。
「お母様、見て。私の世界一大好きな人から、故郷のお花が贈られてきたの。素敵でしょう?」
そんな様子を後ろからみていたサルマンは、何か言おうとしたがすぐに微笑みを溢して口を閉じると、静かに自室へと戻っていった。ネルファンディアは花の香りに満たされた部屋の空気を一度吸い込んでから、手紙の中身に目を通し始めた。出だしは相変わらず、いかにもトーリンらしかった。
『我が最愛のネルファンディア殿
息災か?このエレボールに三度目の春が来た。同封した雪解草は気に入ったか?着くまでに萎れてしまうとは思うが、どうしても私と同じように春の訪れを見てほしいと願ったことを、どうか許してほしい。その花は雪解けの中から現れる、純白の香り高い花だ。きっとそなたも、本物を見ればもっと気に入るだろう。
甥たちは相変わらず、ひよっこ共だ。フィーリは執政として私を支えてくれている。キーリは闇の森を出たタウリエルと共に、エレボールで衛兵長をしている。バーリンは復興に尽力してくれているし、ドワーリンは私の側近として生活している。他の者たちも元気だ。
エレボール周辺の再建は順調だ。スランドゥイル王もデール周辺の援助をしてくれたため、再建については今年で終わるであろう。
そなたに逢いたい。再建が完了したら、一度皆でアイゼンガルドに行っても良いであろうか?サルマン殿にも宜しく頼む。
では、返事を楽しみにしている。
北の大地からそなたを想う
トーリン・オーケンシールドより』
ネルファンディアは読み終わって、話を整理するのに暫く戸惑った。だがすぐに事を理解すると、慌てて父の部屋にノックもせずに駆け込んだ。
「お父様!大変!」
「こら!馬鹿者!ノックをせんか!何じゃ、エレボールへ来いという誘いか。ふん。馬鹿馬鹿しい。わしは行かんぞ。絶対に行かんぞ!」
「違うわよ!その逆よ!」
椅子にふんぞり反って腕を組んでいたサルマンの目が点になる。慌てて座り直すと、彼は娘の話を真面目に聞こうと身構えた。ネルファンディアは大きく息を吸って深呼吸すると、自分なりに整理した言葉をはいた。
「────トーリンが……陛下が、再建の目処がついたら仲間と一緒にアイゼンガルドにお越しになるって」
「な……何?」
サルマンは自分の耳を疑った。そして次に自分の屋敷が、あの裂け谷で見たドワーフの蛮行で満たされることに青ざめた。だが最後に、彼は最も恐ろしい事実に気づいた。
「……ねぇ、お父様。天下の賢者様も、陛下の願いは無下に出来ないわよね?」
娘の言葉に呪いをかけたい思いをおさえ、サルマンは机に頭を伏した。そしてこの事態を改善するには誰が適任かを思い巡らせるのだった。
その日のうちに唯一の友────ガンダルフに連絡を取ると、サルマンは場所も構わず出向いた。場所はブリー村の酒場だったが、そんなことはどうでもよかった。いつにも増して不機嫌なサルマンに眉を潜めながらも、ガンダルフは笑顔で挨拶した。
「早いお出ましで。魔法を使いましたな?」
「うるさい!魔法使いは遅すぎもせず早すぎもせん、とか何とか言うて遅刻の言い訳するお主とは違う」
「またどうされたのか……」
ガンダルフは店員にビールを二杯頼むと、一番端の席についてサルマンに話すよう促した。
「わしはとにかく反対じゃ。ありえん」
「何がですか?トーリン王との交際ですか?」
「そうじゃ!あの傲慢な王め、特権を濫用しおって!ええい!」
そう言うと、いつもなら「ビールなど飲まん。ワインじゃ」とわめくところを、サルマンは運ばれてきたビールをひったくって一気に飲み干してしまった。これには流石のガンダルフも開いた口が塞がらない。彼の話は続く。
「トーリン・オーケンシールドめ……わしがちょっと甘いかおをしておったら、すぐに付け上がりおって。許せん!言語道断!わしの娘には断じて会わせん!」
彼のよく響く威厳ある声は、端の席に居るというのに店中に聞こえていた。客はそれぞれの考えを述べながら、サルマンの怒りっぷりに失笑している。ガンダルフは恥ずかしさのあまり、苦笑いしてもう少し静かにするようにとなだめた。
「さすがに恥ずかしいので、もう少し声を小さくしていただけませんかの……」
「なんじゃ。これで普通じゃ」
「もう少しだけ小さく……」
「これでよいか」
「ええ、そのくらいです」
世話の焼ける男じゃ。ガンダルフはそう思いながらビールを一口飲んだ。かなり辛口だった。
「で、何があったんですか?あなたらしくない。話の筋道が滅茶苦茶ですぞ」
「あぁ、そうじゃ。つまりこういうことでな……」
それからサルマンの話をすべて聞いたガンダルフは、先程の客たち同様に失笑しながら返事を考えた。もちろん真剣な悩みを笑われたことに、サルマンは口をへの時に曲げてしまった。
「なんじゃ。お主も馬鹿馬鹿しいと思うておるのか」
「いやはや……ネルファンディア殿も随分、エルミラエルの奥方様譲りの知恵が付かれた」
「のぅ、ガンダルフ、我が友よ。何とか断る方法を考えてはくれぬか?わしはやっぱり無理だ!あのように食べ物を投げて、机で踊るような輩……」
「安心してくだされ。あれはまだましな方ですぞ。別の者など、食料庫にあった一年分の食料を空っぽにされたことが────」
それを聞き、サルマンはアイゼンガルドの食料貯蔵庫がドワーフたちに荒らされる様子を想像して青ざめた。頭を押さえて倒れそうになるのをこらえ、彼は震える声で答えた。
「ごっ……言語道断!!やはり断る!例えわしが手紙の中で危篤になろうが死のうが構わん!無理だ!」
「慣れれば楽しい輩です」
「楽しくない!!」
彼はため息をつくと、再びビールをあおった。ガンダルフはハッシュドポテトをサルマンの口に押し込んでから、妙案を思い付いたような振りをして手を叩いた。
「そうじゃ!わしも行きましょう。そして中つ国で一番、ドワーフの扱いに慣れている小さき者と共に手伝いに向かいます。そうじゃ、それが一番じゃ。よしよし。では乾杯ですな!ビールをもう二杯頼む!」
「うむ、流石は我が友じゃ」
サルマンは今日一番の笑みを浮かべて、ガンダルフに頷いた。やはり頼るべきは友であることよ、と感激していた彼は不意に我に返った。
「……待てい。お主、何の解決にもなっとらんぞ!?おい!!?聞いておるのかっ!?ガンダルフっ!!!!」
ガンダルフはその後のことは馬耳東風と言いたげな顔をしてそっぽを向いた。
結局、アイゼンガルドにトーリン一行を歓迎するという方針で話は強制的に決着がついた。もちろんトーリンたちには煩雑な経緯と心情は一切省略された内容で、ただ一言「山の下の王一行をアイゼンガルドへ歓迎いたす」という文言で、サルマンからの親書は届いたのだった。
ドワーリン】
山の下の王改め、トーリン・オーケンシールドは部屋の石造りの机に向かって何やら書き記していた。隣にはバーリンが、またかと言いたげな顔で控えている。
「……今日も、明日も、変わらず愛しておる……と」
聞いているこちらが恥ずかしくなりそうなこの手紙は、トーリンの最愛の人であるネルファンディア姫に贈るものである。そしてバーリンはその手紙の内容を検閲する役目を任された。検閲というよりもはや代筆に近いところがあり、実を言うと手紙の半分以上が既にバーリンの提案と訂正によってなんとか体をなしている。
そして極めつけは何と言っても────
「ああ!駄目だ!次!」
「トーリン、紙の無駄です」
人に頼る割には、その完成度にこだわりすぎるところがある。書きかけの紙を投げた彼に、もっともな言葉をバーリンが投げかけた。
「わかっておる。だが……だが、一体どうしてネルファンディアはあれほどに美しい文を書けるのだ」
すっかり頭を抱えてしまってトーリンに、キーリが最初に捨てた手紙を見ながら言った。
「いいじゃないですか、叔父上。一発目の勅書みたいな手紙よりは俄然ましです」
その言葉にトーリンが鋭いにらみを入れる。
「……貴様、城壁から投げられたいか?」
「あっ……いや……大丈夫……です」
もちろん彼は本気で言ったつもりではない。だが冗談にしてはあまりに凄みがあったので、キーリは口をつぐんで後ろにさがった。
すると、隣でさも興味がなさそうに外を眺めている赤髪の女性エルフ──キーリの恋人、タウリエルが珍しく会話に入ってきた。
「あの、陛下。提案なのですが、エレボールの景色や様子を書いてみては?きっと姫様もお喜びになるかと」
「……なるほど」
「それから、手持ち無沙汰な部分には詩でも引用しておくんです。そうしたら幾分かは見映えがすると思われます」
トーリンは静かに頷くと、うむと一言返事をして再び執筆に戻った。その場にいた一同は皆、果たしてこれはトーリン直筆の手紙である以外に何の価値があるのだろうかと首をかしげるのだった。
毎度の手紙にそんな労力が払われているとは知らず、ネルファンディアは今日も鳥を待っていた。父のサルマンは半ば呆れながら、窓の外ばかり見ている娘の足を杖で叩いた。
「おい!」
「わっ!!びっくりするじゃない!何するのよ!」
「ちょっとは手紙のことを考えずに過ごせんのか?全く。大体お主とドワーフの王との交際を認めた覚えはないし、文通などこの父は許可してはおらん!勝手にクレバインも使いおってからに、わしの箱まで勝手に持ち出して手紙を溜めだす始末じゃ。それとな、読み返してにやけるな。もう一度読んで文章が変わるわけもないのだから、このような無駄なことは即刻止めにして…………」
と、まだまだサルマンのお小言はこの調子で続くのだが、そのような話がネルファンディアの耳に入るわけもなかった。かれこれ10分ほど話を聞き流していると、特徴的な鳴き声がアイゼンガルドにこだました。父の話を無視していたことを悟られないように配慮することもせず立ち上がると、ネルファンディアは一目散に駆け出した。
「これ!ネルファンディア!さては聞いておらんかったな!?」
「手紙が来たの!トーリンからよ!」
父の怒声を背に受けながら外に出ると、彼女は空に向かって大きく両手を振った。手紙を携えているクレバインが、急旋回してネルファンディアの手に留まった。
「今日もご苦労様。ゆっくりファンゴルンの森で羽を休めるのよ」
クレバインは一鳴きすると、ネルファンディアの言葉を理解したかのようにファンゴルンの森へと飛び立っていった。はやる気持ちを抑えて、彼女は手紙を開けた。便箋には一輪の花が添えられている。その花に見覚えがあるのか、塔から下りてきたサルマンは興味深げに眺め始めた。
「ねぇ、お父様。これ何かわかる?」
「ああ、もちろん。これはエレボールにしか咲かぬもので、雪解草という名の花じゃ」
「へぇ……綺麗ね」
咲いているときならもっと綺麗なのにと、語尾にわずかな落胆を見せた娘の気持ちに気づいたサルマンは、少し考えてから自分の手を差し出した。
「ほれ、萎れかかっておるじゃろう。貸してみよ」
「え……?」
言われるがままに差し出された花を受けとると、サルマンは無言で歩きだした。
「えっ?ちょっと!お父様?ねぇ!ちょっと?どこ行くのよ!」
慌てて後を追ったネルファンディアが辿り着いた先は、ファンゴルンの森のエント水が涌き出る場所だった。そこには既に木の髭が居て、ゆったりとした声で二人に挨拶をした。
「おぉ…………賢者殿の…………親子ではないか………ご機嫌………いかがかな……」
「悪うない。見てわからんか」
「わかりませんな…………して、こちらには何用で……」
木の髭は機嫌が悪くはないらしい森の守護者が手に持つものを見て、瞬時に何をしたいのかを悟った。サルマンはネルファンディアが見守るなか、雪解草の切り口をそっとエント水につけた。すると萎れていた花が、瞬時に再び地面に咲いている時と同じ姿に戻った。その場に甘く香しい花の薫が溢れる。
「わぁ……すごい!」
「全く……世話の焼ける王じゃの。子供ではあるまいし」
「ありがとう、お父様」
ネルファンディアは不満げな父に抱きつくと、花を包むように受け取ってから急いで家に戻った。花瓶に花をさして、彼女はそれを母の小さな絵の横に置いた。
「お母様、見て。私の世界一大好きな人から、故郷のお花が贈られてきたの。素敵でしょう?」
そんな様子を後ろからみていたサルマンは、何か言おうとしたがすぐに微笑みを溢して口を閉じると、静かに自室へと戻っていった。ネルファンディアは花の香りに満たされた部屋の空気を一度吸い込んでから、手紙の中身に目を通し始めた。出だしは相変わらず、いかにもトーリンらしかった。
『我が最愛のネルファンディア殿
息災か?このエレボールに三度目の春が来た。同封した雪解草は気に入ったか?着くまでに萎れてしまうとは思うが、どうしても私と同じように春の訪れを見てほしいと願ったことを、どうか許してほしい。その花は雪解けの中から現れる、純白の香り高い花だ。きっとそなたも、本物を見ればもっと気に入るだろう。
甥たちは相変わらず、ひよっこ共だ。フィーリは執政として私を支えてくれている。キーリは闇の森を出たタウリエルと共に、エレボールで衛兵長をしている。バーリンは復興に尽力してくれているし、ドワーリンは私の側近として生活している。他の者たちも元気だ。
エレボール周辺の再建は順調だ。スランドゥイル王もデール周辺の援助をしてくれたため、再建については今年で終わるであろう。
そなたに逢いたい。再建が完了したら、一度皆でアイゼンガルドに行っても良いであろうか?サルマン殿にも宜しく頼む。
では、返事を楽しみにしている。
北の大地からそなたを想う
トーリン・オーケンシールドより』
ネルファンディアは読み終わって、話を整理するのに暫く戸惑った。だがすぐに事を理解すると、慌てて父の部屋にノックもせずに駆け込んだ。
「お父様!大変!」
「こら!馬鹿者!ノックをせんか!何じゃ、エレボールへ来いという誘いか。ふん。馬鹿馬鹿しい。わしは行かんぞ。絶対に行かんぞ!」
「違うわよ!その逆よ!」
椅子にふんぞり反って腕を組んでいたサルマンの目が点になる。慌てて座り直すと、彼は娘の話を真面目に聞こうと身構えた。ネルファンディアは大きく息を吸って深呼吸すると、自分なりに整理した言葉をはいた。
「────トーリンが……陛下が、再建の目処がついたら仲間と一緒にアイゼンガルドにお越しになるって」
「な……何?」
サルマンは自分の耳を疑った。そして次に自分の屋敷が、あの裂け谷で見たドワーフの蛮行で満たされることに青ざめた。だが最後に、彼は最も恐ろしい事実に気づいた。
「……ねぇ、お父様。天下の賢者様も、陛下の願いは無下に出来ないわよね?」
娘の言葉に呪いをかけたい思いをおさえ、サルマンは机に頭を伏した。そしてこの事態を改善するには誰が適任かを思い巡らせるのだった。
その日のうちに唯一の友────ガンダルフに連絡を取ると、サルマンは場所も構わず出向いた。場所はブリー村の酒場だったが、そんなことはどうでもよかった。いつにも増して不機嫌なサルマンに眉を潜めながらも、ガンダルフは笑顔で挨拶した。
「早いお出ましで。魔法を使いましたな?」
「うるさい!魔法使いは遅すぎもせず早すぎもせん、とか何とか言うて遅刻の言い訳するお主とは違う」
「またどうされたのか……」
ガンダルフは店員にビールを二杯頼むと、一番端の席についてサルマンに話すよう促した。
「わしはとにかく反対じゃ。ありえん」
「何がですか?トーリン王との交際ですか?」
「そうじゃ!あの傲慢な王め、特権を濫用しおって!ええい!」
そう言うと、いつもなら「ビールなど飲まん。ワインじゃ」とわめくところを、サルマンは運ばれてきたビールをひったくって一気に飲み干してしまった。これには流石のガンダルフも開いた口が塞がらない。彼の話は続く。
「トーリン・オーケンシールドめ……わしがちょっと甘いかおをしておったら、すぐに付け上がりおって。許せん!言語道断!わしの娘には断じて会わせん!」
彼のよく響く威厳ある声は、端の席に居るというのに店中に聞こえていた。客はそれぞれの考えを述べながら、サルマンの怒りっぷりに失笑している。ガンダルフは恥ずかしさのあまり、苦笑いしてもう少し静かにするようにとなだめた。
「さすがに恥ずかしいので、もう少し声を小さくしていただけませんかの……」
「なんじゃ。これで普通じゃ」
「もう少しだけ小さく……」
「これでよいか」
「ええ、そのくらいです」
世話の焼ける男じゃ。ガンダルフはそう思いながらビールを一口飲んだ。かなり辛口だった。
「で、何があったんですか?あなたらしくない。話の筋道が滅茶苦茶ですぞ」
「あぁ、そうじゃ。つまりこういうことでな……」
それからサルマンの話をすべて聞いたガンダルフは、先程の客たち同様に失笑しながら返事を考えた。もちろん真剣な悩みを笑われたことに、サルマンは口をへの時に曲げてしまった。
「なんじゃ。お主も馬鹿馬鹿しいと思うておるのか」
「いやはや……ネルファンディア殿も随分、エルミラエルの奥方様譲りの知恵が付かれた」
「のぅ、ガンダルフ、我が友よ。何とか断る方法を考えてはくれぬか?わしはやっぱり無理だ!あのように食べ物を投げて、机で踊るような輩……」
「安心してくだされ。あれはまだましな方ですぞ。別の者など、食料庫にあった一年分の食料を空っぽにされたことが────」
それを聞き、サルマンはアイゼンガルドの食料貯蔵庫がドワーフたちに荒らされる様子を想像して青ざめた。頭を押さえて倒れそうになるのをこらえ、彼は震える声で答えた。
「ごっ……言語道断!!やはり断る!例えわしが手紙の中で危篤になろうが死のうが構わん!無理だ!」
「慣れれば楽しい輩です」
「楽しくない!!」
彼はため息をつくと、再びビールをあおった。ガンダルフはハッシュドポテトをサルマンの口に押し込んでから、妙案を思い付いたような振りをして手を叩いた。
「そうじゃ!わしも行きましょう。そして中つ国で一番、ドワーフの扱いに慣れている小さき者と共に手伝いに向かいます。そうじゃ、それが一番じゃ。よしよし。では乾杯ですな!ビールをもう二杯頼む!」
「うむ、流石は我が友じゃ」
サルマンは今日一番の笑みを浮かべて、ガンダルフに頷いた。やはり頼るべきは友であることよ、と感激していた彼は不意に我に返った。
「……待てい。お主、何の解決にもなっとらんぞ!?おい!!?聞いておるのかっ!?ガンダルフっ!!!!」
ガンダルフはその後のことは馬耳東風と言いたげな顔をしてそっぽを向いた。
結局、アイゼンガルドにトーリン一行を歓迎するという方針で話は強制的に決着がついた。もちろんトーリンたちには煩雑な経緯と心情は一切省略された内容で、ただ一言「山の下の王一行をアイゼンガルドへ歓迎いたす」という文言で、サルマンからの親書は届いたのだった。
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