二章、はなれ山の地図【エクステンデッド処理済】
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
テラスにある宴の広間に出ると、既にガンダルフがエルロンド卿と共に待っていた。ネルファンディアは久しぶりに会うガンダルフの面影に懐かしさを感じ、人目も気にせずに抱きついた。
「ガンダルフ!!久しゅうございます。今度は一体どんな冒険を?」
「ははは、そう急かすでない。あまり冒険の話をしすぎるとわしがそなたの父に叱られるのでな」
「…………別に叱ってはいない」
ガンダルフは少しいたずら心を含んだ目でネルファンディアを見た。すぐに何かとてつもなく壮大な冒険に彼が参加していることを察知した彼女は好奇心に輝く瞳ですっかり呆れ返っているサルマンを見た。
「……………仕方がない。分別を持って聞くなら、良しとする。」
「ありがとうお父様!大好きです!」
そう言った彼女はもう二言目には父のいいつけも忘れてガンダルフの話に聞き入り始めた。
「エレボール────はなれ山の話は知っておるな?」
「ええ!ほら、あのスマウグという恐ろしい竜のいる………」
「そうじゃ。元々住んでおったドワーフの王子が、今竜から故郷を取り戻す旅をしておるのじゃ。わしはそれの手伝いを、な」
「あら…………」
ふと、彼女は先ほど再会したドワーフの男性を思い出した。
──あの人も、その旅の一員なのかしら…
すると、丁度首尾よくそこへトーリン一行がやってきた。ガンダルフは笑いながらトーリンを指さした。
「おお!あれが山の下の王スラインの息子、トーリン・オーケンシールド王子じゃ!」
「えっ、あの方が─────!?」
ネルファンディアは目をぱちぱちさせながらガンダルフとトーリンを交互に見比べた。トーリンの方も急に名前を呼ばれたので、何事が起きたのかというような顔になった。見かねたサルマンが、ネルファンディアの名前を呼んだ。
「ネルファンディア、ご客人の一行に挨拶しなさい」
「あ…はい、お父様」
トーリンはさらに目が点になった。
────お父様?この使用人の父親が白のサルマンだと…………?
そこでトーリンはようやく相手が自分をからかっていたということに気付いた。 ネルファンディアはトーリン一行の前で礼儀正しくお辞儀をした。
「初めまして、皆様。私はサルマンが娘、ネルファンディアでございます」
呆然とするトーリンをよそに、ほかのドワーフ達は口々に美しい容姿の彼女に対して感想を述べた。
「へぇ…………」
「綺麗な人…………」
「うん…………」
「うちのカミさんは世界一だと思ってたけどよ、そうでもないかもな…………」
「どんな宝石よりも綺麗な人だ……」
皆の騒ぎが大きくなったところでようやくトーリンははっとし、目で黙れと命じた。
「…………まさか、あの噂のアイゼンガルドの碧き姫君だったとは。」
「…………お互い様ですよ、山の下の王子。」
始めは驚き、次に騙されたという嫌悪感、そして最後に彼らは無性に笑いたくなった。バーリンは、珍しく安心しているトーリンの表情を温かい目で見守っていた。
宴の席が始まると、美しいハープの音色が静かに響きはじめた。しかし、ドワーフたちには質素すぎる食事と宴が性にあわないないようだった。特にトーリンはずっと席を立って少し離れたところで酒を飲んでいる。向き合って座っているエルロンド卿やサルマンたちには目も合わせようともしないのに、時折気になっているかのようにネルファンディアの方をちらっとグラスごしに見てくるトーリンのことが、サルマンはドワーフとかいう以前の問題で特に気に入らなかった。しかし、彼の横に座っているネルファンディア自身もまた、トーリンを見つめて微笑む始末なので、サルマンはとうとう機嫌斜めになってしまった。
─────我が愛娘は山賊まがいの王子なんぞには渡しはせんぞ。
彼は何故このような野蛮な種族を連れてきたのかとガンダルフを睨みつけた。ガンダルフは、殺気を察して黙々と咀嚼を続けた。
「よっしゃ!歌うぜ!」
「よっ!ボフール!!」
突然ドワーフのうちの一人であるボフールが立ち上がり、なんと机の上に立って歌を歌いながら踊り始めた。これには流石のエルロンド卿もガンダルフも驚いて食事の手を止めざるを得なかった。あまりの行儀の悪さに、サルマンなどは、娘の教育のことを思ってネルファンディアの目を覆ってやりたいと嘆いた。それだけではない。食卓の周りを食べ物が乱舞している。トーリンも足でリズムをとっている始末だ(流石に彼は投げ合いには参加しなかったが)。一行の気が済むと、彼らはさっさと用意された部屋へ帰っていった。
トーリンが改めて向かいの席に目をやると、サルマンが既に立ち上がって大股で帰っていくところだった。その後ろを慌ててネルファンディアがついていく。彼女はこの頑固な父が少し離れた回廊に到着したところで目の前に割り込んだ。
「お父様、失礼ですよ」
「奴らの方がよほど失礼じゃ!何なのだ、あの行儀の悪さは。礼節に欠ける!トーリン王子もトーリン王子だ。あのような行為を笑って流せるとは。けしからん、あれは山賊だ」
─────またいつもの頑固が始まったわ。
ため息をついたネルファンディアは、父の手を取り、こう言った。
「………お父様。確かにあの方々の行いは我々から見ると、少し礼節に欠ける所がありましょう。それは否定しません。ですが、長々と詩を論じたり、黙々と野菜ばかり食べるエルフ達は、逆に彼らの目から見れば変わっていると映るのではないでしょうか」
何人も覆せない娘の正論に、サルマンは言葉を失った。彼女は続ける。
「私は人間のように、食事の前に長々と挨拶や話をする者が苦手です。また、エルフのように静かに食事をする者も。」
そして、彼女は満面の笑みで話をこう締めくくった。
「─────私、ドワーフが好きになりました!接待をお任せ下さいな!」
「なっ……………何を言い出すか!お主には……」
だが、サルマンの言葉は既にネルファンディアの耳には届いていない。この親子にとってはいつものことだった。
「あの方々にはあの食事はお口に合わなかったみたい……そうだわ!ねぇ、お父様。あの方々にアイゼンガルドからたまに届くチーズやお肉や、パンを分けてあげてくださいな!」
「なんだと!?」
サルマンは神経質そうな声を裏返らせて目を見開いた。しかし、空腹のドワーフたちにとっては不幸中の幸い。大事な愛娘の願いを無下にするほど彼は冷たい男ではなかった。彼は大きなため息をつくと、面倒くさそうに首を縦に振って一言、好きにせいと言うとそのままどこかへ去っていってしまった。
席に戻った彼女は、サルマン付きの給仕の一人に、帰っていったドワーフ達へ食材を届けるように告げた。既に席にはトーリンとネルファンディアとガンダルフたちしか残っていなかった。予めバーリンにトーリンと彼女を二人きりにしてやって欲しいと頼まれていたガンダルフは、エルロンド卿を連れてそのまま出ていってしまった。
─────席には、二人だけが残された。
「……まだ何も食べてなさらないわね、トーリン王子。」
「……ああ。………良ければ、ご一緒に」
「そのお誘い、お待ちしておりました」
トーリンはネルファンディアの手をとると、優しく席にエスコートした。それからは先程の騒がしさとは打って変わって、和やかな談笑が始まった。本来は出会うはずのなかった立場も種族も違う二人がこうして話をしていることは奇怪に思えた。けれど、どんな話よりもネルファンディアを惹き付けたのは、ほかならないトーリンそのものだった。父にはイスタリ(賢者や魔法使い、サルマンような者の類)、母にはエルフを持つ彼女にとって、限りある命の者との時間など些末なことだった。それにあまり気にすることも無かった。だがトーリンのことにおいては、何故ここに来たのか、何をしようとしているのかなどが無性に気になってしまう。彼女にはトーリンがまだ何か隠しているように思えてならなかった。
けれども、トーリンとの会話はそんな疑問を拭い去ってしまうほどに魅力的なものだった。
「王子様、エレボールはどのような場所なのですか?」
「そうだな……」
トーリンは目を閉じると、在りし日の故郷の姿を思い浮かべた。
「岩肌をくりぬいた宮殿の入り口には、モリアさえも足元に及ばぬ美しい彫刻が施されている。その両端には、偉大なるドワーフ王の巨像がそびえ立っている」
ネルファンディアも目を閉じて、その光景を出来るだけ再現できるように努力した。
「谷を挟んだ向かい側には、デイルという人間の王国がある。各地からの交易品を扱うこの地は、北の地の繁栄を物語っていた」
「デイル?お父様から聞いたことがあるわ!幼い頃に遊んだおもちゃがデイルで作られたものだったの」
「まことか?良い出来だったであろう」
「ええ、とっても。他には?宮殿の中はどんな風なの?」
「大きな柱が何本も立っていて、大広間を抜けると採掘場、我々王族の部屋、民の居住地、加工場、衛兵の詰所、武器庫、製錬場、そして王座へと続く道に分かれている」
ネルファンディアはそれを聞いて、顔をしかめた。
「想像だから違うかもしれないけれど、とても道を覚えられそうにないわ」
「大丈夫。私でも覚えられたくらいだ」
「え?王子様にも苦手なことがおありなんですか?」
トーリンは不思議そうに自分を見ているネルファンディアに、苦笑してうなずいた。
「ああ。私は方向感覚を理解するのが苦手でな」
「そんな。大丈夫ですよ!だってここまで旅をなさってきたんですから」
「いいや、バーリンやガンダルフたちの助けがなければ無理だった」
「どうしてわかるの?」
トーリンは笑いながらも、何か良い話はないかと考えた。そこでビルボの家にたどり着くまでの経緯を、特別にネルファンディアだけに話すことにした。
「ホビットが一人、いるだろう?」
「ええ」
「彼の家にたどり着くまで、私は二度も道に迷ったのだ」
「二度も!?」
「ああ。一度はギャムジーとかいう庭師の家に行ってしまい、二度目は何故か川に出た」
ネルファンディアはしばらく面食らっていたが、やがて明るい笑い声を上げた。トーリンはやれやれと言いたげに失笑している。
「じゃあ、結局どうやって家を見つけたの?」
「そこで私は思い出したのだ。家の扉に魔法で印をつけているとガンダルフが言っていたことを。そこで手当たり次第扉の印を探した。それでようやく辿り着いたのだ」
「へぇ……あなたって、面白い王子様なのね!」
面白い王子とはいったいどういうことなのか。トーリンはもっとネルファンディアの反応が聞きたくて、甥のキーリとフィーリたちに話したことがないことも全て語り始めた。どれも心踊らせることばかりで、ネルファンディアは心の底から会話を楽しんでいた。
そんな二人の様子を見ていたサルマンは、小さくため息をついた。隣にやって来たガンダルフは微笑んでいる。
「なかなか、良い男では?」
「ふん、何が良い男じゃ。さすらいの王子ではないか」
「しかしやはり、腐っても王子ですからな」
「……お主、もしや何か企んでおるのではないだろうな?わしの娘はドワーフ風情なんぞにはやらん!」
サルマンはすっかりへそを曲げてしまった。相変わらずのやり取りに、少し離れているところから見ていたエルロンドも笑っている。
「全く……じゃが、これだけは認めよう」
眩しい笑顔を絶え間なく浮かべている娘を見ながら、サルマンは呟いた。
「……母を失くしたあの子の笑顔が戻ったことだけは、な」
それから彼は踵を返して部屋へ戻っていった。後にはネルファンディアとトーリンの楽しそうな声だけが残った。
ネルファンディアと連れ立って歩くトーリンの表情は、普段のものとは全く別で、春の陽気に包まれていた。彼の姿を見たボフールたちは、妙な寒気を覚えた。
「なぁ、トーリンが笑ってるぜ」
「あのお方も笑うことくらいあるだ……」
ドワーリンはボフールの頭にげんこつを見舞ってトーリンを見た。そして絶句した。
「そりゃ、叔父上だってあんなに綺麗な人と話をしたらそうなるでしょう」
「とは言ってもな、キーリ。トーリンは色々あって大の女嫌いなんだぞ」
トーリンの甥であるキーリの言葉に、彼の兄のフィーリが反論する。トーリンの女嫌いは、エレボールの莫大な財宝と彼の位目当ての女が多かったためだった。バーリンは穏やかな微笑みを浮かべながら、ネルファンディアが皆に与えてくれた食材を調理している。
「あの姫君は我らドワーフに偏見なく接する、純粋で優しい心をお持ちですから。トーリンはそこに惹かれ、心を開かれたのでしょう」
「でもな。何だってあんな偏屈な親父に育てられて性格が曲がらないんだ?」
「サルマンは娘には甘いんじゃよ」
ボフールの最もらしい問いに、その場に現れたガンダルフが答えた。
「わしも疑問に思うたことがあるが、どうやら娘には潰しが効かんようじゃ」
「へぇ……随分意外だな」
ドワーリンが感嘆の声をあげていると、そこに噂の二人が現れた。一同はなにもなかったかのように挨拶をして、食事に取りかかった。だがそんなよそよそしい彼らに、ネルファンディアは自分から声をかけた。彼女は一番声を掛けづらそうなドワーリンの隣にしゃがみこむと、満面の笑みを浮かべながら顔を覗き込んだ。
「ねぇ、その頭には何て書いてあるの?」
ドワーリンは驚きで固まった。近くで見るとより美しい顔立ちが際立つとかいう以前の問題で(もちろんそれもあったが)、単純に話しかけられたことに驚いていた。妙な沈黙がその場を支配する。トーリンはネルファンディアには見えないように、ドワーリンの脛を思い切り蹴飛ばした。痛みで飛び上がりそうになった彼は、ぶっきらぼうに返事した。
「あぁ?俺の頭?」
あまりのぞんざいさに、またしてもトーリンは同じ箇所を蹴った。涙目になりながら、ドワーリンは周りが震え上がるほどに丁寧な説明を始めた。
「この頭にはドワーフの歴史が、ドワーフ語でタトゥーとして彫られているん────」
しかし彼の努力も虚しく、語尾が気に障ったらしいトーリンがまたしても足を振りかぶろうと構えた。すかさずドワーリンは訂正した。
「──でっ、ございます!」
「へぇ……」
ネルファンディアは水面下での攻防が繰り広げられていることも知らず、まじまじとドワーリンの頭を眺めた。髪が触れるほどの距離まで近づいてきたことに、流石の彼も閉口した。だが、彼らの驚嘆はまだ続く。
「……長髭族最初の王朝が開かれしモリアより、第三紀1999年にドゥリン一族のスライン一世、エレボールに山の下の王国を築く。スロール王の治世はこの地に最大の繁栄をもたらし────」
ドワーリンは思わず、目を見開いてネルファンディアを見上げた。とても彼女がドワーフ語に通じているようには思えなかったからだ。それも帝王学を受けた王族のトーリンが驚くほどに、その理解は正確なものだった。
「ど、どこでドワーフ語を……?」
「幼い頃に学びました。とても力強く、素晴らしい言葉です」
秘密主義のドワーフ族は、他の種族には自分の言語を教えることはない。だが、それに敬意を払ってくれるとなると別である。ドワーリンは、主君のトーリンが目をかけているからというだけでなく、心の底からネルファンディアのことに自らの意思で敬意を示した。ガンダルフは賢者の娘に座るように促した。誰も文句は言わない。彼女が大理石でできた長椅子に腰かけたのを見て、トーリンもすかさず自然を装ってその隣に座った。
「皆さん、お食事には満足していただけましたか?」
「ええ、もちろん。姫の格別なご配慮、感謝しております」
常に礼儀を忘れない穏やかな性格のバーリンが、ネルファンディアに一礼した。だが、彼女はまだドワーフたちが満足しきっていないことを知っていた。だからこっそり隠しておいた食材の残りを父に見つからないよう、侍女に持ってきてもらった。
ネルファンディアはバスケットにかけてあった布を取り、一同の中央に置いた。ドワーフたちから歓声が上がる。
「わぁ!塩漬け肉だ!」
「二つありますから、皆さんで召し上がってください」
「これをどこで?」
突然降ってわいたご馳走に、トーリンは疑問を覚えた。ネルファンディアは人差し指を自分の唇に当てると、にこりと笑って答えた。
「父の好物なんです。でも大丈夫。彼は広い心を持っていますから」
広い心、という箇所でウィンクをしたネルファンディアを見て、トーリンは吹き出した。
「なるほど、では早いところ頂こう」
ボフールを初めとして、ドワーフたちは口々に感謝をのべると、塩漬け肉を頬張り始めた。ガンダルフはネルファンディアを見ながら、満足げな微笑みを浮かべた。
誰からも愛される姫。それがネルファンディアだった。それは単にどの種族にも属していないからではない。彼女の性格はおおらかで、いつも温かさと優しさに満ち溢れているからだった。誰にも偏見を持たず、先入観を捨てて接することができるネルファンディアのことを嫌うドワーフなど、もはや誰も居なかった。トーリンはそんな彼女の寛容さに、更に惹かれていく自分を見つけてしまうのだった。
「ガンダルフ!!久しゅうございます。今度は一体どんな冒険を?」
「ははは、そう急かすでない。あまり冒険の話をしすぎるとわしがそなたの父に叱られるのでな」
「…………別に叱ってはいない」
ガンダルフは少しいたずら心を含んだ目でネルファンディアを見た。すぐに何かとてつもなく壮大な冒険に彼が参加していることを察知した彼女は好奇心に輝く瞳ですっかり呆れ返っているサルマンを見た。
「……………仕方がない。分別を持って聞くなら、良しとする。」
「ありがとうお父様!大好きです!」
そう言った彼女はもう二言目には父のいいつけも忘れてガンダルフの話に聞き入り始めた。
「エレボール────はなれ山の話は知っておるな?」
「ええ!ほら、あのスマウグという恐ろしい竜のいる………」
「そうじゃ。元々住んでおったドワーフの王子が、今竜から故郷を取り戻す旅をしておるのじゃ。わしはそれの手伝いを、な」
「あら…………」
ふと、彼女は先ほど再会したドワーフの男性を思い出した。
──あの人も、その旅の一員なのかしら…
すると、丁度首尾よくそこへトーリン一行がやってきた。ガンダルフは笑いながらトーリンを指さした。
「おお!あれが山の下の王スラインの息子、トーリン・オーケンシールド王子じゃ!」
「えっ、あの方が─────!?」
ネルファンディアは目をぱちぱちさせながらガンダルフとトーリンを交互に見比べた。トーリンの方も急に名前を呼ばれたので、何事が起きたのかというような顔になった。見かねたサルマンが、ネルファンディアの名前を呼んだ。
「ネルファンディア、ご客人の一行に挨拶しなさい」
「あ…はい、お父様」
トーリンはさらに目が点になった。
────お父様?この使用人の父親が白のサルマンだと…………?
そこでトーリンはようやく相手が自分をからかっていたということに気付いた。 ネルファンディアはトーリン一行の前で礼儀正しくお辞儀をした。
「初めまして、皆様。私はサルマンが娘、ネルファンディアでございます」
呆然とするトーリンをよそに、ほかのドワーフ達は口々に美しい容姿の彼女に対して感想を述べた。
「へぇ…………」
「綺麗な人…………」
「うん…………」
「うちのカミさんは世界一だと思ってたけどよ、そうでもないかもな…………」
「どんな宝石よりも綺麗な人だ……」
皆の騒ぎが大きくなったところでようやくトーリンははっとし、目で黙れと命じた。
「…………まさか、あの噂のアイゼンガルドの碧き姫君だったとは。」
「…………お互い様ですよ、山の下の王子。」
始めは驚き、次に騙されたという嫌悪感、そして最後に彼らは無性に笑いたくなった。バーリンは、珍しく安心しているトーリンの表情を温かい目で見守っていた。
宴の席が始まると、美しいハープの音色が静かに響きはじめた。しかし、ドワーフたちには質素すぎる食事と宴が性にあわないないようだった。特にトーリンはずっと席を立って少し離れたところで酒を飲んでいる。向き合って座っているエルロンド卿やサルマンたちには目も合わせようともしないのに、時折気になっているかのようにネルファンディアの方をちらっとグラスごしに見てくるトーリンのことが、サルマンはドワーフとかいう以前の問題で特に気に入らなかった。しかし、彼の横に座っているネルファンディア自身もまた、トーリンを見つめて微笑む始末なので、サルマンはとうとう機嫌斜めになってしまった。
─────我が愛娘は山賊まがいの王子なんぞには渡しはせんぞ。
彼は何故このような野蛮な種族を連れてきたのかとガンダルフを睨みつけた。ガンダルフは、殺気を察して黙々と咀嚼を続けた。
「よっしゃ!歌うぜ!」
「よっ!ボフール!!」
突然ドワーフのうちの一人であるボフールが立ち上がり、なんと机の上に立って歌を歌いながら踊り始めた。これには流石のエルロンド卿もガンダルフも驚いて食事の手を止めざるを得なかった。あまりの行儀の悪さに、サルマンなどは、娘の教育のことを思ってネルファンディアの目を覆ってやりたいと嘆いた。それだけではない。食卓の周りを食べ物が乱舞している。トーリンも足でリズムをとっている始末だ(流石に彼は投げ合いには参加しなかったが)。一行の気が済むと、彼らはさっさと用意された部屋へ帰っていった。
トーリンが改めて向かいの席に目をやると、サルマンが既に立ち上がって大股で帰っていくところだった。その後ろを慌ててネルファンディアがついていく。彼女はこの頑固な父が少し離れた回廊に到着したところで目の前に割り込んだ。
「お父様、失礼ですよ」
「奴らの方がよほど失礼じゃ!何なのだ、あの行儀の悪さは。礼節に欠ける!トーリン王子もトーリン王子だ。あのような行為を笑って流せるとは。けしからん、あれは山賊だ」
─────またいつもの頑固が始まったわ。
ため息をついたネルファンディアは、父の手を取り、こう言った。
「………お父様。確かにあの方々の行いは我々から見ると、少し礼節に欠ける所がありましょう。それは否定しません。ですが、長々と詩を論じたり、黙々と野菜ばかり食べるエルフ達は、逆に彼らの目から見れば変わっていると映るのではないでしょうか」
何人も覆せない娘の正論に、サルマンは言葉を失った。彼女は続ける。
「私は人間のように、食事の前に長々と挨拶や話をする者が苦手です。また、エルフのように静かに食事をする者も。」
そして、彼女は満面の笑みで話をこう締めくくった。
「─────私、ドワーフが好きになりました!接待をお任せ下さいな!」
「なっ……………何を言い出すか!お主には……」
だが、サルマンの言葉は既にネルファンディアの耳には届いていない。この親子にとってはいつものことだった。
「あの方々にはあの食事はお口に合わなかったみたい……そうだわ!ねぇ、お父様。あの方々にアイゼンガルドからたまに届くチーズやお肉や、パンを分けてあげてくださいな!」
「なんだと!?」
サルマンは神経質そうな声を裏返らせて目を見開いた。しかし、空腹のドワーフたちにとっては不幸中の幸い。大事な愛娘の願いを無下にするほど彼は冷たい男ではなかった。彼は大きなため息をつくと、面倒くさそうに首を縦に振って一言、好きにせいと言うとそのままどこかへ去っていってしまった。
席に戻った彼女は、サルマン付きの給仕の一人に、帰っていったドワーフ達へ食材を届けるように告げた。既に席にはトーリンとネルファンディアとガンダルフたちしか残っていなかった。予めバーリンにトーリンと彼女を二人きりにしてやって欲しいと頼まれていたガンダルフは、エルロンド卿を連れてそのまま出ていってしまった。
─────席には、二人だけが残された。
「……まだ何も食べてなさらないわね、トーリン王子。」
「……ああ。………良ければ、ご一緒に」
「そのお誘い、お待ちしておりました」
トーリンはネルファンディアの手をとると、優しく席にエスコートした。それからは先程の騒がしさとは打って変わって、和やかな談笑が始まった。本来は出会うはずのなかった立場も種族も違う二人がこうして話をしていることは奇怪に思えた。けれど、どんな話よりもネルファンディアを惹き付けたのは、ほかならないトーリンそのものだった。父にはイスタリ(賢者や魔法使い、サルマンような者の類)、母にはエルフを持つ彼女にとって、限りある命の者との時間など些末なことだった。それにあまり気にすることも無かった。だがトーリンのことにおいては、何故ここに来たのか、何をしようとしているのかなどが無性に気になってしまう。彼女にはトーリンがまだ何か隠しているように思えてならなかった。
けれども、トーリンとの会話はそんな疑問を拭い去ってしまうほどに魅力的なものだった。
「王子様、エレボールはどのような場所なのですか?」
「そうだな……」
トーリンは目を閉じると、在りし日の故郷の姿を思い浮かべた。
「岩肌をくりぬいた宮殿の入り口には、モリアさえも足元に及ばぬ美しい彫刻が施されている。その両端には、偉大なるドワーフ王の巨像がそびえ立っている」
ネルファンディアも目を閉じて、その光景を出来るだけ再現できるように努力した。
「谷を挟んだ向かい側には、デイルという人間の王国がある。各地からの交易品を扱うこの地は、北の地の繁栄を物語っていた」
「デイル?お父様から聞いたことがあるわ!幼い頃に遊んだおもちゃがデイルで作られたものだったの」
「まことか?良い出来だったであろう」
「ええ、とっても。他には?宮殿の中はどんな風なの?」
「大きな柱が何本も立っていて、大広間を抜けると採掘場、我々王族の部屋、民の居住地、加工場、衛兵の詰所、武器庫、製錬場、そして王座へと続く道に分かれている」
ネルファンディアはそれを聞いて、顔をしかめた。
「想像だから違うかもしれないけれど、とても道を覚えられそうにないわ」
「大丈夫。私でも覚えられたくらいだ」
「え?王子様にも苦手なことがおありなんですか?」
トーリンは不思議そうに自分を見ているネルファンディアに、苦笑してうなずいた。
「ああ。私は方向感覚を理解するのが苦手でな」
「そんな。大丈夫ですよ!だってここまで旅をなさってきたんですから」
「いいや、バーリンやガンダルフたちの助けがなければ無理だった」
「どうしてわかるの?」
トーリンは笑いながらも、何か良い話はないかと考えた。そこでビルボの家にたどり着くまでの経緯を、特別にネルファンディアだけに話すことにした。
「ホビットが一人、いるだろう?」
「ええ」
「彼の家にたどり着くまで、私は二度も道に迷ったのだ」
「二度も!?」
「ああ。一度はギャムジーとかいう庭師の家に行ってしまい、二度目は何故か川に出た」
ネルファンディアはしばらく面食らっていたが、やがて明るい笑い声を上げた。トーリンはやれやれと言いたげに失笑している。
「じゃあ、結局どうやって家を見つけたの?」
「そこで私は思い出したのだ。家の扉に魔法で印をつけているとガンダルフが言っていたことを。そこで手当たり次第扉の印を探した。それでようやく辿り着いたのだ」
「へぇ……あなたって、面白い王子様なのね!」
面白い王子とはいったいどういうことなのか。トーリンはもっとネルファンディアの反応が聞きたくて、甥のキーリとフィーリたちに話したことがないことも全て語り始めた。どれも心踊らせることばかりで、ネルファンディアは心の底から会話を楽しんでいた。
そんな二人の様子を見ていたサルマンは、小さくため息をついた。隣にやって来たガンダルフは微笑んでいる。
「なかなか、良い男では?」
「ふん、何が良い男じゃ。さすらいの王子ではないか」
「しかしやはり、腐っても王子ですからな」
「……お主、もしや何か企んでおるのではないだろうな?わしの娘はドワーフ風情なんぞにはやらん!」
サルマンはすっかりへそを曲げてしまった。相変わらずのやり取りに、少し離れているところから見ていたエルロンドも笑っている。
「全く……じゃが、これだけは認めよう」
眩しい笑顔を絶え間なく浮かべている娘を見ながら、サルマンは呟いた。
「……母を失くしたあの子の笑顔が戻ったことだけは、な」
それから彼は踵を返して部屋へ戻っていった。後にはネルファンディアとトーリンの楽しそうな声だけが残った。
ネルファンディアと連れ立って歩くトーリンの表情は、普段のものとは全く別で、春の陽気に包まれていた。彼の姿を見たボフールたちは、妙な寒気を覚えた。
「なぁ、トーリンが笑ってるぜ」
「あのお方も笑うことくらいあるだ……」
ドワーリンはボフールの頭にげんこつを見舞ってトーリンを見た。そして絶句した。
「そりゃ、叔父上だってあんなに綺麗な人と話をしたらそうなるでしょう」
「とは言ってもな、キーリ。トーリンは色々あって大の女嫌いなんだぞ」
トーリンの甥であるキーリの言葉に、彼の兄のフィーリが反論する。トーリンの女嫌いは、エレボールの莫大な財宝と彼の位目当ての女が多かったためだった。バーリンは穏やかな微笑みを浮かべながら、ネルファンディアが皆に与えてくれた食材を調理している。
「あの姫君は我らドワーフに偏見なく接する、純粋で優しい心をお持ちですから。トーリンはそこに惹かれ、心を開かれたのでしょう」
「でもな。何だってあんな偏屈な親父に育てられて性格が曲がらないんだ?」
「サルマンは娘には甘いんじゃよ」
ボフールの最もらしい問いに、その場に現れたガンダルフが答えた。
「わしも疑問に思うたことがあるが、どうやら娘には潰しが効かんようじゃ」
「へぇ……随分意外だな」
ドワーリンが感嘆の声をあげていると、そこに噂の二人が現れた。一同はなにもなかったかのように挨拶をして、食事に取りかかった。だがそんなよそよそしい彼らに、ネルファンディアは自分から声をかけた。彼女は一番声を掛けづらそうなドワーリンの隣にしゃがみこむと、満面の笑みを浮かべながら顔を覗き込んだ。
「ねぇ、その頭には何て書いてあるの?」
ドワーリンは驚きで固まった。近くで見るとより美しい顔立ちが際立つとかいう以前の問題で(もちろんそれもあったが)、単純に話しかけられたことに驚いていた。妙な沈黙がその場を支配する。トーリンはネルファンディアには見えないように、ドワーリンの脛を思い切り蹴飛ばした。痛みで飛び上がりそうになった彼は、ぶっきらぼうに返事した。
「あぁ?俺の頭?」
あまりのぞんざいさに、またしてもトーリンは同じ箇所を蹴った。涙目になりながら、ドワーリンは周りが震え上がるほどに丁寧な説明を始めた。
「この頭にはドワーフの歴史が、ドワーフ語でタトゥーとして彫られているん────」
しかし彼の努力も虚しく、語尾が気に障ったらしいトーリンがまたしても足を振りかぶろうと構えた。すかさずドワーリンは訂正した。
「──でっ、ございます!」
「へぇ……」
ネルファンディアは水面下での攻防が繰り広げられていることも知らず、まじまじとドワーリンの頭を眺めた。髪が触れるほどの距離まで近づいてきたことに、流石の彼も閉口した。だが、彼らの驚嘆はまだ続く。
「……長髭族最初の王朝が開かれしモリアより、第三紀1999年にドゥリン一族のスライン一世、エレボールに山の下の王国を築く。スロール王の治世はこの地に最大の繁栄をもたらし────」
ドワーリンは思わず、目を見開いてネルファンディアを見上げた。とても彼女がドワーフ語に通じているようには思えなかったからだ。それも帝王学を受けた王族のトーリンが驚くほどに、その理解は正確なものだった。
「ど、どこでドワーフ語を……?」
「幼い頃に学びました。とても力強く、素晴らしい言葉です」
秘密主義のドワーフ族は、他の種族には自分の言語を教えることはない。だが、それに敬意を払ってくれるとなると別である。ドワーリンは、主君のトーリンが目をかけているからというだけでなく、心の底からネルファンディアのことに自らの意思で敬意を示した。ガンダルフは賢者の娘に座るように促した。誰も文句は言わない。彼女が大理石でできた長椅子に腰かけたのを見て、トーリンもすかさず自然を装ってその隣に座った。
「皆さん、お食事には満足していただけましたか?」
「ええ、もちろん。姫の格別なご配慮、感謝しております」
常に礼儀を忘れない穏やかな性格のバーリンが、ネルファンディアに一礼した。だが、彼女はまだドワーフたちが満足しきっていないことを知っていた。だからこっそり隠しておいた食材の残りを父に見つからないよう、侍女に持ってきてもらった。
ネルファンディアはバスケットにかけてあった布を取り、一同の中央に置いた。ドワーフたちから歓声が上がる。
「わぁ!塩漬け肉だ!」
「二つありますから、皆さんで召し上がってください」
「これをどこで?」
突然降ってわいたご馳走に、トーリンは疑問を覚えた。ネルファンディアは人差し指を自分の唇に当てると、にこりと笑って答えた。
「父の好物なんです。でも大丈夫。彼は広い心を持っていますから」
広い心、という箇所でウィンクをしたネルファンディアを見て、トーリンは吹き出した。
「なるほど、では早いところ頂こう」
ボフールを初めとして、ドワーフたちは口々に感謝をのべると、塩漬け肉を頬張り始めた。ガンダルフはネルファンディアを見ながら、満足げな微笑みを浮かべた。
誰からも愛される姫。それがネルファンディアだった。それは単にどの種族にも属していないからではない。彼女の性格はおおらかで、いつも温かさと優しさに満ち溢れているからだった。誰にも偏見を持たず、先入観を捨てて接することができるネルファンディアのことを嫌うドワーフなど、もはや誰も居なかった。トーリンはそんな彼女の寛容さに、更に惹かれていく自分を見つけてしまうのだった。