五章、隠された闇
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目が覚めたのは、水の冷たさが身に染みたからだった。ネルファンディアは自分が川に浮いていることに気がついた。頭の中が冷たさで真っ白だったが、自分の手を誰かが握っていないことを知り、ようやく全てを思い出したのは岸についてからだった。
「………トーリン…………そうだ………私……」
激しい流れのせいで、手を離してしまったのだ。ネルファンディアは寒さなのか心細さなのか分からなかったが自分の肩を抱いてうずくまった。すると、誰かに背後から声をかけられた。
「おい、そこのお嬢さん」
「誰………?」
そこに居たのは猟師か船頭かとおぼしき男だった。背はトーリンよりずっと高く、彼女は警戒することすら忘れてじっと彼を見ていた。
「……俺はバルド。猟師と船頭をしている。エスガロスの民だ」
「エス……ガロス……」
ネルファンディアは頭のなかで中つ国の地図を描いた。
エスガロス────縦の湖で、北方最大の貿易都市だと彼女は父から聞いたことがあった。その川を登ればすぐ見えてくるのが、その貿易商品を売り買いするデールという巨大都市。そして、その奥にそびえ立つ無敵の天然要塞がエレボール…………
今はどれも失われてしまったと言われているが、彼女は湖の民に出会えたのは幸運だと思った。先を急いでいるトーリンたちにとって、最良の道は湖から川を登ることだからだ。そう思うと急に肩の力が抜けてきて、彼女はそのまま地面に倒れた。
トーリンは岸についてからずっと頭を抱え込んでいた。
「…………杖だけがながれついていました」
「そうか…………ネルファンディア…」
死んだはずがない。彼女が死ぬはずがない。彼は何度も自分にそう言い聞かせていた。
あの時、手を離さなければ。
彼はネルファンディアの杖を握りしめて泣きたい思いをぐっとこらえて河原の石を睨みつけた。
───これからどうすれば良いのだ。
地図と鍵を失くしたことよりも、ネルファンディアを失ったことは彼にとって何よりも辛いことだった。そんな彼が頭を抱え込んだときだった。オーリが叫び声を上げる声が響いた。
「どうした!?」
「船頭が矢を向けてくる!!」
彼が振り向くと、既に矢は彼の頭の近くで構えられていた。男は服こそボロボロだったが長身で、整った顔立ちをしていた。
「何者だ」
「…………貴様には関係ない。」
「ここで何をしている」
「………同行者を失くした……」
失意のトーリンはそういう返事しか出来なかった。すると、ますます怪しむ船頭───バルドの名前をはっきりした声で呼ぶ女性が船から下りてきた。
「バルドさん、やめて。」
その声は、紛れもなくトーリンが想い続けた人の声だった。彼は慌てて声のする方向に振り向き、一刻でも早く自分の妄想でないことを確かめようとした。
その声の主は、ネルファンディアだった。
バルドは彼女に向き直ると訝しげに尋ねた。
「この男達がはぐれた同行者か?」
「そうなの!もう会えないかと思っていたわ…」
今までこれ程嬉しいことがあっただろうか。ネルファンディアは我を忘れてトーリンに飛びついた。彼の胸は暖かく、安心できた。
「ネルファンディア………」
彼女は懐から包を取り出すと、彼の手にそっと握らせた。
「これ……無くて困っていたでしょう?」
「いや、それよりも………」
トーリンはなにか言おうとしたが、いつの間にかバルドと交渉をしていたバーリンによって遮られた。
「行きますぞ、皆さん」
「あ、ああ。………これを返そう」
トーリンは杖をぶっきらぼうに手渡すと、そのままいそいそと船に乗ってしまった。彼女は聞き取れなかった言葉の顛末を知りたかったのが、結局言い出すことができなかった。
エスガロスは湖の上に建てられた街で、その廃墟っぷりからも邪竜の凄まじさが伝わってくる。バルドはネルファンディアに振り返らずに教えてくれた。
「あれはスマウグの仕業だ。あんた、くろがね山脈の親戚を訪れるなら、エレボールには気をつけろよ。」
「あら、どうして?」
「あいつの好物は女だからな」
「ふぅん………その年の人間の猟師にしてはやけに詳しいのね」
トーリンはその会話を聞きながら眉をひそめた。スマウグの話も嫌だったが、何よりもネルファンディアがバルドとすっかり打ち解けていることが煩わしかった。
────私の方が先に彼女を見初めたと言うのに…………!!!
トーリンの心の中で恋情と共に嫉妬心が燻った。無意識に握りしめた手が震える。バーリンはその様子を見逃さなかった。彼は目を閉じて昔のことを思い出した。
──巨万の富を築いたスロール大王は、その富に呑み込まれ、遂には帰らぬ人となった。トーリンはそんな変わりゆく祖父の姿を間近で目にしていた。人々は黄金や財宝に対する異常な執着心と、他人に対する猜疑心を見せるスロールを、密かに"竜の病"と呼ぶことになった。その理由は、スマウグがスロールと全く同じようにエレボールの財宝に執着したからだった。だが、もちろんスロールが初めから黄金に対して執着していた訳では無い。元来からドワーフは金銀財宝に目がなく、割と貪欲な種族だった。しかし、"竜の病"と言われるほどの執着心を持つことはない。
では、何故スロール王はそうなってしまったのか。その理由はトーリンを含め、この旅に参加した若いドワーフ以外は誰もが分かっていることだった。
────山の大御霊、アーケン石。
白銀に輝く美しいその宝石は王の石とされ、玉座に安置された。その宝石がスロールを完全に狂わせたのだ。
その姿を見ていたトーリンは、ずっと自分も祖父のようになることを恐れている。今ももちろん、そうだ。
だが、バーリンは気づいていた。
────スロール王は、アーケン石に。そして今、トーリンはネルファンディアに執着しておる。
エレボールへ近づく度に、トーリンの執着心は明らかに増していた。バーリンは大切な人が変わっていく姿を見ることがこの世で最も辛いことだと知っていた。恐らく、この旅が最悪の形で終わるなら、最も苦しむのはネルファンディアとなる。だからこそ、彼は決意した。
────この旅が終わったら、ネルファンディアにトーリンから離れた方が良いと言おう。お互い、美しい思い出のままで居られるように……
「着いたぞ、エスガロスだ」
バルドの言葉で彼らは一斉に顔を上げた。
彼らの前に現れたのは、水上の貿易都市ではなく、廃墟のような街並みだった。
「………トーリン…………そうだ………私……」
激しい流れのせいで、手を離してしまったのだ。ネルファンディアは寒さなのか心細さなのか分からなかったが自分の肩を抱いてうずくまった。すると、誰かに背後から声をかけられた。
「おい、そこのお嬢さん」
「誰………?」
そこに居たのは猟師か船頭かとおぼしき男だった。背はトーリンよりずっと高く、彼女は警戒することすら忘れてじっと彼を見ていた。
「……俺はバルド。猟師と船頭をしている。エスガロスの民だ」
「エス……ガロス……」
ネルファンディアは頭のなかで中つ国の地図を描いた。
エスガロス────縦の湖で、北方最大の貿易都市だと彼女は父から聞いたことがあった。その川を登ればすぐ見えてくるのが、その貿易商品を売り買いするデールという巨大都市。そして、その奥にそびえ立つ無敵の天然要塞がエレボール…………
今はどれも失われてしまったと言われているが、彼女は湖の民に出会えたのは幸運だと思った。先を急いでいるトーリンたちにとって、最良の道は湖から川を登ることだからだ。そう思うと急に肩の力が抜けてきて、彼女はそのまま地面に倒れた。
トーリンは岸についてからずっと頭を抱え込んでいた。
「…………杖だけがながれついていました」
「そうか…………ネルファンディア…」
死んだはずがない。彼女が死ぬはずがない。彼は何度も自分にそう言い聞かせていた。
あの時、手を離さなければ。
彼はネルファンディアの杖を握りしめて泣きたい思いをぐっとこらえて河原の石を睨みつけた。
───これからどうすれば良いのだ。
地図と鍵を失くしたことよりも、ネルファンディアを失ったことは彼にとって何よりも辛いことだった。そんな彼が頭を抱え込んだときだった。オーリが叫び声を上げる声が響いた。
「どうした!?」
「船頭が矢を向けてくる!!」
彼が振り向くと、既に矢は彼の頭の近くで構えられていた。男は服こそボロボロだったが長身で、整った顔立ちをしていた。
「何者だ」
「…………貴様には関係ない。」
「ここで何をしている」
「………同行者を失くした……」
失意のトーリンはそういう返事しか出来なかった。すると、ますます怪しむ船頭───バルドの名前をはっきりした声で呼ぶ女性が船から下りてきた。
「バルドさん、やめて。」
その声は、紛れもなくトーリンが想い続けた人の声だった。彼は慌てて声のする方向に振り向き、一刻でも早く自分の妄想でないことを確かめようとした。
その声の主は、ネルファンディアだった。
バルドは彼女に向き直ると訝しげに尋ねた。
「この男達がはぐれた同行者か?」
「そうなの!もう会えないかと思っていたわ…」
今までこれ程嬉しいことがあっただろうか。ネルファンディアは我を忘れてトーリンに飛びついた。彼の胸は暖かく、安心できた。
「ネルファンディア………」
彼女は懐から包を取り出すと、彼の手にそっと握らせた。
「これ……無くて困っていたでしょう?」
「いや、それよりも………」
トーリンはなにか言おうとしたが、いつの間にかバルドと交渉をしていたバーリンによって遮られた。
「行きますぞ、皆さん」
「あ、ああ。………これを返そう」
トーリンは杖をぶっきらぼうに手渡すと、そのままいそいそと船に乗ってしまった。彼女は聞き取れなかった言葉の顛末を知りたかったのが、結局言い出すことができなかった。
エスガロスは湖の上に建てられた街で、その廃墟っぷりからも邪竜の凄まじさが伝わってくる。バルドはネルファンディアに振り返らずに教えてくれた。
「あれはスマウグの仕業だ。あんた、くろがね山脈の親戚を訪れるなら、エレボールには気をつけろよ。」
「あら、どうして?」
「あいつの好物は女だからな」
「ふぅん………その年の人間の猟師にしてはやけに詳しいのね」
トーリンはその会話を聞きながら眉をひそめた。スマウグの話も嫌だったが、何よりもネルファンディアがバルドとすっかり打ち解けていることが煩わしかった。
────私の方が先に彼女を見初めたと言うのに…………!!!
トーリンの心の中で恋情と共に嫉妬心が燻った。無意識に握りしめた手が震える。バーリンはその様子を見逃さなかった。彼は目を閉じて昔のことを思い出した。
──巨万の富を築いたスロール大王は、その富に呑み込まれ、遂には帰らぬ人となった。トーリンはそんな変わりゆく祖父の姿を間近で目にしていた。人々は黄金や財宝に対する異常な執着心と、他人に対する猜疑心を見せるスロールを、密かに"竜の病"と呼ぶことになった。その理由は、スマウグがスロールと全く同じようにエレボールの財宝に執着したからだった。だが、もちろんスロールが初めから黄金に対して執着していた訳では無い。元来からドワーフは金銀財宝に目がなく、割と貪欲な種族だった。しかし、"竜の病"と言われるほどの執着心を持つことはない。
では、何故スロール王はそうなってしまったのか。その理由はトーリンを含め、この旅に参加した若いドワーフ以外は誰もが分かっていることだった。
────山の大御霊、アーケン石。
白銀に輝く美しいその宝石は王の石とされ、玉座に安置された。その宝石がスロールを完全に狂わせたのだ。
その姿を見ていたトーリンは、ずっと自分も祖父のようになることを恐れている。今ももちろん、そうだ。
だが、バーリンは気づいていた。
────スロール王は、アーケン石に。そして今、トーリンはネルファンディアに執着しておる。
エレボールへ近づく度に、トーリンの執着心は明らかに増していた。バーリンは大切な人が変わっていく姿を見ることがこの世で最も辛いことだと知っていた。恐らく、この旅が最悪の形で終わるなら、最も苦しむのはネルファンディアとなる。だからこそ、彼は決意した。
────この旅が終わったら、ネルファンディアにトーリンから離れた方が良いと言おう。お互い、美しい思い出のままで居られるように……
「着いたぞ、エスガロスだ」
バルドの言葉で彼らは一斉に顔を上げた。
彼らの前に現れたのは、水上の貿易都市ではなく、廃墟のような街並みだった。