箱庭~話の花束~Episode1〜
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『Thank you』
車のドアが開くと、ほんのかすかにビッグベンの時報が聞こえた。
「一時か…」
「景吾様、今日はどちらに参られますか?」
車から降り立ち、どんよりと曇る空を見上げた跡部に、付き添いの執事が尋ねた。今日はクリスマスイブだというのに、うっかりカードを用意するのを忘れていたのを思い出し、あわてて買いに出たのだ。
とりあえず最初に目についた文具屋に入ってはみたものの、種類も枚数も少なく覗いただけですぐに店を出た。
「デパートならあるか?」
車に戻りながら跡部は執事に聞いた。
「ええきっと、行ってみましょう」
跡部をガッカリさせないように執事は朗らかに答えた。
「ピカデリーサーカスかリージェントストリート辺りを見てみましょうか」
執事の言葉を聞きながら跡部が窓の外を眺めていると、赤い二階建てのバスが通り過ぎて行く。
「あ…」
「どうなさいました?」
「帰りに大英博物館へ寄ってもいいか?」
何か思い出したように跡部が言うと、執事は懐中時計を胸元から取り出し、素早く時間の計算をした。
「小一時間くらいでしたら大丈夫ですよ。ご覧になりたい場所を絞って頂くことにはなりますが…」
執事はまた穏やかに微笑んだ。
車から降りると跡部は通り沿いに立ち並ぶ建物も見上げた。どれも大きく立派で、道幅も広いためか、まるで自分が縮んでしまったかのような錯覚に陥る。
しかも、賑やかで市内の中心部の通りだというのに、クリスマスの飾り付けは至ってシンプルだ。
だが、派手さもない代わりに年末の押し迫ったあわただしさもない。
デパートに入ると、跡部はたくさんのカードを買った。両親といつも世話になっているメイドや執事達への分だ。
「お持ち致しましょう」
「いい、これは俺が持つ」
執事の申し出に、カードの入った袋を大事そうに抱えて答えた。
家に帰ったらすぐにメッセージを書かねば…。そう思うが、博物館での楽しみにも心が弾む。
大英博物館、それは平たく言えば広大なダンジョンである。行きたい場所へ行けない、見たい物が見られない。そんな話を観光客から聞くことがある。
ひとつの広い部屋に、前後左右の四ヶ所に出入り口があり、その四ヶ所それぞれからさらに部屋が続き、そのそれぞれにも四ヶ所の出入り口があり……。
つまり、どこまで行っても部屋があるのだ。展示物をずっと見ながら部屋から部屋へ移動していると、気づいた時には自分が一体どこにいてどう戻ればいいのかわからなくなるのだ。
「ですので、見たい物があるのでしたら、脇目もふらずひたすらその部屋を目指して行くのが一番いいのですよ」
「わかった」
執事の説明に、跡部は入り口で貰ったパンフレットの案内図をじっと見ると、目的地を見つけたのかすぐに歩き出した。
だが、跡部が目指したのは観光土産のある部屋だった。
「景吾様…?」
てっきり何か観たい物があるのだろうと思っていた執事は、いささか驚いたように跡部を見た。
「ああ、来たかったのはここなんだ」
それだけ言うと案内図のパンフレットもカードの入った袋に入れ、早足で目的のグッズを探し回り始めた。
家に帰った跡部が、買って来たカードを机の上に広げ、片っ端からメッセージを書き込み最後の一枚を先ほど見つけた大英博物館の土産物に貼り付けると、ベッドにひっくり返って大きく伸びをした。
そしてパーティが始まると、忙しく立ち働くメイド達を回り、エプロンのポケットにカードを差し入れて『Thank you』と一人一人に笑いかけた。
やがて、大英博物館の袋を両手に持つと、いつも自分について来る樺地に手渡した。
「この間、学校で見学に行った時に買いそびれたって言ってただろ?」
「…ありがとうございます…」
驚いたような照れたような、そんな表情が樺地に浮かんだ。
「その…俺からも…跡部さんに…」
樺地からそっと差し出された包みも大英博物館の袋だった。
「…え…」
大きさは違うが、同じ大英博物館の袋に入ったそれぞれのプレゼント。
(そうか…)
跡部は気がついた。俺様宛てのプレゼントを探したりするから、樺地は自分への土産物を買いそびれたのだと。
二人で笑った。
このクリスマスが終わったら、来年は日本でのクリスマスだろう。
その時も『Thank you』と笑って言えたらいいなと、跡部は思った。
fin.