箱庭~話の花束~Episode1〜
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『綿あめ』
町内会で祭りがあった。
自治会主催の、町のひと隅でやるような小さな祭りだ。
慣れない手つきで役員会のお父さんやお母さんが、嬉しそうに瞳を輝かせて自分の番を待つ子供達に、綿あめを作ったり、焼きそばを焼いたりしている。大きなお祭りのように風船釣りやくじ引き、スーパーボールすくいもある。
ただ、1回の値段が50円や高くても100円止まりなのが子供には嬉しいことだ。
練習帰りの樺地がそこを通りかかったのは、街灯から街灯に渡された祭り提灯が楽しげに揺れ、賑やかな声と屋台から流れる匂いに活気づいている頃だった。
「……」
樺地は足を止め、ふわふわと雲のような綿あめが割り箸の先に出来上がっていくのをじっと見つめた。
キャラクター物の袋に入って売られているのとは違って、一人並ぶと機械にザラメを入れひとつずつ丹念に絡げて作られていく。
「食べるかね?」
綿あめ係のおじさんが、ずっと見ていた樺地に声をかけた。
遠くから見ていたはずの樺地は、いつの間にかくるくると巻き上げて出来上がる、綿あめのすぐ前まで来ていた。
「ウス…」
身体と反比例した小さな動作でうなずくと、樺地はポケットを探り小銭入れを取り出した。
ほどなくして、樺地の指先に真っ白な雲がひとつ手渡された。
「……」
「……」
応対に出た跡部景吾は、無言で差し出された綿雲にただ目を奪われた。
「…何だ、樺地」
「…跡部さんに…」
「…そう、か。わざわざ…すまねぇな」
なぜ自分に…?
樺地がくれる理由も何もわからず受け取ると、樺地は黙って頭を下げ、閉まるドアの向こうに消えた。
「…俺様に食えと言うことか。しかし…」
やはり理由はわからない。
ただ、懐かしいなとは思った。
「そういや、いつだったか…」
ふと、跡部の瞳に昔を思い起こす光が宿った。
まだ5歳だか6歳だか、そんな頃だ。イギリスにはいたが、時々日本へは帰省していた。
それは風が強い祭りの日だった。
祭り自体が物珍しく、会場を隅から隅まで何度も行ったり来たりした。樺地もおとなしくただひたすら跡部の後をついて回っていた。跡部は好奇心の赴くまま眺めてはいたが、特に何かを買ったりはしなかった。
貰ったお小遣いをずっと握り締めていたその手を、綿雲がふわふわくるくると出来上がる機械の前で初めて開いた。
目を輝かせて綿雲を受け取ると、吹いてくる風に向かって歩き出した。
ところが、風は綿雲をどんどん吹き飛ばしていくのだ。
『あっ…』
綿雲が消えていく。
焦って手で囲うが間に合わない。風が来るたび小さく溶けて、地面にポタポタ滴り落ちていく。
『くそーっ』
猛然と綿雲にかぶりついた。それはすぐさま跡部の舌先で甘く溶けて消えた。
『……』
甘くてとろける雲。
頬が紅潮し、瞳の輝きは増した。
だが、風の威力が跡部を押しのけ見る間に指先の割り箸には、ほんのわずかの綿雲がしがみつくだけになってしまった。
『あ…あ…』
『……』
ため息にも似た残念そうな跡部の声と姿。何も出来ないまま、ただ傍らに立っていた樺地。
「そうか…あの時の」
今日は風がなかったのだろう。綿雲は出来たばかりのふんわりとした形のまま、割り箸に乗っている。
「ふ…樺地の奴…」
10年も前の苦い思い出が、新しい思い出に切り替わる。
そっと綿雲を口に含んでみた。
甘さと香りは広がったと同時にすっと消えた。
「甘いな…」
穏やかに目が細まり、その柔らかな形を愛しむように眺めた。
明日もやっているなら、樺地を誘おうと思った。
もう一度、会場の端から端まで幾度でも歩き回ろう。
窓のカーテンを開け、夜空に散らばる星を見つめた。
「今度は俺様がお前に綿雲を買ってやるぜ」
fin.