箱庭~話の花束~Episode1〜
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『Believe』
卒業式も間近になると在校生達も予餞会の準備や練習に余念がない。それはテニス部でも例外ではない。
「いよいよなんですね」
「あーん? 何がだ、鳳」
日々テニス部に顔を出す3年の元レギュラーであり、元部長の跡部に鳳は話かけた。
「…卒業です」
「ああ、そうだな」
「一応テニス部でも、3年生達の送別会を予定していますから、ぜひ出席して下さいね」
「ああ、そうさせて貰う」
卒業に対してあまり反応がない跡部に、鳳はいささかな疑問を感じたが、高等部への進学に向けて何かと気ぜわしいのだろうと思い、詮索はしなかった。
だが、当の跡部は
(青学はいいな…)
などという、氷帝のカリスマキングにしてはあるまじき思考をぼんやりと巡らせていたのだ。
氷帝にはあの少女がいない。自分達3年生を送る在校生のどこを探しても、あの少女の面影は見つからない。
(……さっき鳳は何と言った…)
ふと、それまでの思考が途切れ新たな思考が生まれた。
(テニス部の送別会か…)
さすがに学校行事の予餞会に呼び出すのは無理だろうが、テニス部なら充分可能ではないか。他校生とはいえ、まったく我が氷帝テニス部と無縁ではないのだし、こじつけはいくらでも出来る。
ぼんやりしていた跡部の瞳に急に光が差した。
『はい? 青学の予餞会ですか?』
携帯から少女の声が聞こえる。それだけでわけもなく唇が微笑んでしまう。
『クラスの歌や演劇がほとんどですよ。後は有志でマジックショーやダンスもやるみたいです』
跡部の問いに少女は答える。
「お前は何をするんだ?」
『あたしはクラスで歌います。ビリーブという曲ですが、ご存知ですか?』
「ビリーブ…? いや知らねぇな」
跡部は曲名から色々と考えてみたが、クラシック以外はあまりわからない。普段は練習に明け暮れているせいか、テレビやラジオもほとんど見ていないし、聴いていない。
『あたしも歌うまでは知らなかったんですが、合唱曲では割に歌われているって、友達が言ってました』
「ほう…。合唱曲ならピアノ伴奏だな」
『はい。クラスで習っている人がやってます』
跡部は何かを考えるように、自分の知りたい項目を少女から引き出していく。
「そうか、じゃあまたな」
ひとしきり会話を続けた後、名残惜しくもあるが耳に少女の声を残したまま跡部は電話を切った。
「さて、どうするかな」
軽くあごに指を添え腕組みをして跡部は考えた。
空には春先の月がぼんやりとむら雲に包まれて、ぼやけて映る。
青学の予餞会のあった日、在校生達の帰りは早い。
少女が校門を出ると、その車は静かに少女に近づいた。
「え…」
「お待ち致しておりました」
またなの…と思ったが、時すでに遅く、手慣れた運転手に少女はいつの間にやら黒塗り高級車の後部シートに座りどこかに向かっていた。
「よう」
(やっぱり…)
着いた先の邸宅玄関口で、あきらめにも似た眼差しを少女は跡部に向けた。
「あの、今日は一体…」
「今日は俺様の予餞会だ。無論、招待者はお前一人だがな」
「え…」
愉快そうに笑う跡部に少女は焦る。
「あの、予餞会の招待者って…あたしが跡部さんを送るんですか?」
目を白黒させて少女が戸惑う。
「そうだ。お前一人で充分だ」
「でも、あたし何も持っていませんよ。せめて何かあるって言って下されば…」
跡部の視線の先で少女は所在なげに落ち着かない。
「構わねぇ。何もなくてもお前は練習して来ただろう?」
「は…?」
跡部は少女を招いた部屋にあるグランドピアノの蓋を開けた。
「歌ってくれればいい」
(俺のためだけに…)
跡部の奏で始めた伴奏は、ついさっき青学の卒業生のために歌って来た曲だった。
なぜ、と思う間もなく歌い出し部分になり、さんざん練習して来たせいもあり、もう習慣的に声が出た。
伴奏者と一対一の合唱曲だなんて、歌のテストと同じだ。
(やっぱり跡部さん上手いな…)
歌いながら、跡部のピアノの音にそう思った。
テニスに生徒会に忙しいだろうに、いつ練習しているのだろう。少女が考えても答えを知るのは跡部のみだ。
これからも自分の傍には、この少女にずっと居て欲しい。跡部の想いはそれだけだ。
その未来を信じたい。
少女の澄んだ声とピアノの織り成すその先に…。
fin.