箱庭~話の花束~Episode1〜
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『早春譜』
「寒っ!」
暖かかった教室から一歩外ヘ出ると、冷たい空気に思わず首がすくむ。
それでも風さえなければ、この季節でも陽射しは充分なぬくもりを届けてくれる。
「しみじみと遠赤外線」
自分の足元に出来る、コートにマフラーを巻きつけ寒がる影を見ながら少女は小さく微笑む。
「あ、オオイヌノフグリ」
小さな瑠璃色の花を見つけると、嬉しそうに道端にしゃがみ込んでそっと花びらに触れる。
「もう咲いているんだ」
愛しむように目を細めてその小さく可憐な花を眺める姿を、同じように眺める姿があった。
「どうした、何かあるのか?」
「手塚先輩!」
声をかけられた少女は、手塚に気がつくとその場から慌てて立ち上がった。
「…花、か」
手塚も少女が今まで見ていたものに視線を落とした。
「はい、あたし、そのイヌフグリの花が大好きなんです」
昼下がりの陽射しと、少女の少しだけ恥ずかしそうな笑顔に手塚の眼差しも柔らかくほどける。
小柄な少女と、その瑠璃色の小さな花はどこか似ている。
二人はごく自然に並んで歩き始めた。
「今日はテニス部は見ていかれないんですか?」
手塚達3年生は、秋の始まる頃にテニス部も名目上引退はしているが、後輩指導の名のもとにちょくちょく練習に顔を出していた。
「ああ、覗いてみたが桃城がやる気満々だったのでな、任せて来た」
眼鏡越しの手塚の瞳が、部長だった頃の厳しさとは違う穏やかさで応えた。
「……よかったら」
「はい?」
言いあぐねていた言葉を見つけ、ようやく決心したかのように手塚がつぶやいた。
「この後時間があるなら、どこか寄って行かないか?」
「あ、はい、構いませんよ」
手塚から誘うのは珍しいことだが、今日は5時間授業で帰りも少し早い。
しかし、誘ったはいいが、二人で寄るような気の利いた場所など手塚には思いつかない。
「……」
困った。どうしよう。嬉しいのに、情けない。
「先輩、クレープ食べませんか? 駅前に美味しいクレープ屋さんがあるんですよ」
少女が屈託なく笑った。
並んで歩く。ただ黙々と。時折少女が立ち止まり、空を見上げ、木々を指差し、手塚に話し掛ける。
手塚はわずかにうなずいたり、ただ穏やかに少女を見つめる。
駅前の賑やかさの中にも、静かな空気が二人を包む。
ずっとこんな風でありたいと、少女の指先に延びた飛行機雲を見上げながら手塚は思った。
fin.