箱庭~話の花束~Episode1〜
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『待ち合わせ』
「まず…っ、間に合うか…!」
駅へ走りながら鳳長太郎は何度も腕時計を見た。自宅から駈けっ放しで息も上がる。
走りながら駅のホームが見えた。待ち合わせの相手が自販機の傍に立つ姿も視界に入る。同時に『電車がきます』の電飾文字が点滅を開始したのも…。
鳳はもう一度、必死に振り上げている片手の腕時計を確認した。
この時間までに来なければ先に行く…その約束の時間の電車が今ホームへ来る。焦る。
文字が点滅を始めるのは、おおよそホーム到着二分前だ。あと二分で電車が来てしまう。
陸上部のダッシュのように、地面をさらに蹴った。
大柄な身体で小刻みに人混みを縫い、駅への階段を駈け上がり、カードを叩きつけるようにして自動改札を抜け、エスカレーターを三段跳びで駈け降り、すでにホームへ到着し、降りる客も乗る客もいなくなった電車に勢いのまま飛び込んだ瞬間、ドアは鳳の後ろで閉まった。
間に合った…その安堵から、一気に力が抜けるかと思った。汗が吹き出て、心臓が早鐘のようにあわただしいリズムを打ち鳴らしているのがわかる。
「遅いんだよ。何やってやがる」
「ほら鳳」
「…え…」
不意に笑顔と一緒に差し出された飲料水のペットボトルに、息も荒いまま鳳は目をぱちくりさせた。
「ホームから鳳が走って来るんが見えたん。あの勢いや、喉も渇くやろ?」
「あ、ありがとうございます…」
額の汗をぬぐいながら鳳は忍足からボトルを受け取った。キャップを開け、ごくごくと一気に半分ほどを喉に流し込むと冷たい飲料水が身体に染み渡る感じがした。
「ま、間に合ったことは褒めてやるが、次からは遅れるんじゃねぇぜ?」
「あ、はいっ! 跡部部長」
「…ったく、先輩待たせるなんて激ダサだぜ」
「すみません、宍戸さん」
次々と声をかけてくるテニス部のレギュラーメンバーに、苦笑いと一緒に頭を下げる。
「でも凄いですね。あたし、鳳さんは間に合わないかと思っちゃいました」
最後にその人が笑った。
ああ、俺はこの人に逢いたくて走って来たんだと、その時鳳は思った。
笑顔を見たくて…。
声を聞きたくて…。
その姿を見たくて…。
一緒にいたくて…。
そのわずかな時間のためにひた走って来たのだと、思った。
車内アナウンスは次の停車駅や乗り換え案内を伝える。
ようやく冷房を感じるようになりひと息ついた。
窓の外はビルにまぎれて葉を生い茂らせた木々が見える。
「次、乗り換えやで」
「たまに電車に乗るのも悪くはねぇな」
「せやろ?」
乗り換え線の案内に従い、電車を降りた面々はゾロゾロと進む。
鳳は何となく樺地と並びメンバーの最後尾からついて行く。前を歩く一同が見渡せるが、忍足と跡部に両脇を挟まれて歩くその人の後ろ姿につい見とれる。
髪が揺れて、時折のぞく横顔が微笑ましい。
自分の目も細まる。
それだけで幸せに浸れる自分はかなり単純かな、とも思う。が、同時にそれ以上望んではいけない、とも思う。
みんなが想うその人も、いつか一人だけに微笑む時が来る。
だから今はこのままでいいとも思う。
悩みは尽きぬ中二の夏は始まったばかりだ。
fin.