箱庭~話の花束~Episode1〜
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『四月の雨』
「やあ…桜はもうおしまいなんだな…」
幸村精市は勢いよく伸び始めた新緑をまぶしそうに見上げた。木漏れ日がきらきらと輝いている。それでもほんの少し前までは、葉陰にわずかながらしがみつくように桜も咲いていたのだ。
「大丈夫か、精市?」
「ああ、心配性だな蓮二は。大丈夫だよ。外は久し振りだし、気持ちがいい。シャバの空気は美味い…ってとこかな」
冗談のように振り返って笑ったが、気持ちは囚われの身と変わらない。自分の身体なのに思うに任せず、日に日に衰えていく手足の力…。歯がゆさばかりが募っていく。
幸村は、入院先の病院から近くの公園へと車椅子で散歩に来ている。
ここ数日体調もよく、付き添いとポータブル呼吸器のお供付きなら…という条件で外出が許可されたのだ。
車椅子を押すのは立海レギュラー、柳蓮二。見舞い方々散歩のお供を買って出た。
「ソメイヨシノは終わりだが、八重桜は今が盛りだし、他の花も次々と咲いている」
「本当だね…」
柳がゆっくりと押す車椅子からの風景は、整備された公園の植え込みの高さに相当する。
「もう、ドウダンツツジが咲いているのか…初夏のイメージなのに…」
傍らに、鈴なりに咲く小さな白い花の群を目にした幸村はつぶやくように言った。
「ソメイヨシノが散れば一気に景色は新緑へと変わる。晩春も初夏もそう変わらない」
柳も幸村の体調を気遣い、木陰を選びながらゆったりとした歩幅で車椅子を押す。
「あ、小手毬(こでまり)だ。山吹と並んで可愛いな」
黄色い山吹の花の間に、小さな白い花が丸く固まって咲いている姿に幸村は目を細めた。
「曇って来たかな…」
木々の間からこぼれていた日差しが陰り始め、少し残念そうに幸村は視線を上げてそう言った。
「予報では降るとは言っていなかったが…少し早いがそろそろ戻るか」
柳も灰色の雲が広がり始めた空を見上げた。
「…あ」
幸村が小さな声を出した。見上げた頬に冷たい滴がひと粒当たったのだ。
「…と、ひとまず東屋に避難しよう」
ぽつぽつとレンガの歩道に雨粒が落ちていく中、柳は車椅子を大股で押した。
煙るような雨のカーテンが、東屋にたどり着いた幸村の視界をさえぎる。
「寒くはないか?」
わずかに濡れた幸村の髪や身体をタオルでぬぐいながら柳は尋ねた。
「大丈夫。四月の雨は暖かいから…」
「そうだな。穀雨の時期は、大地を潤し育む優しい雨だ」
柳の言葉を聞きながら、幸村は誰もいない公園に降る雨をただぼんやりと眺めていた。
やがて辺りから雫の音がしなくなると雲間から明るい日差しが差し込み始め、鳥達のさえずりも戻って来た。
「よし、戻るか精市?」
柔らかい日差しが公園の遊歩道に木立ちの影を作ると、柳も東屋のベンチから立ち上がりながら言った。
「…もう少し…花を見せて」
雨に洗われ、より鮮やかになった新緑達に眼差しを向けたまま、幸村は答えた。
「花水木だ…もう咲いているんだね」
白い花びらを広げる木を憧れるように見上げた。
「向こう側の藤棚も咲き始めていたぞ」
「藤も? 行こう蓮二。見たい、好きなんだ藤も」
はしゃぐように言う幸村に、柳の目もさらに細まる。
遊歩道の角を曲がるとすぐに、紫の房がいくつも連なる姿が見えた。
「綺麗だな…」
「見事なものだ」
思わず見上げた。自然の醸(かも)し出す美にただ、見とれる。
「…今年は無理だが来年のこの時期、精市がよければ白藤を見に行かないか? それは見事な白藤が咲く所がある」
柳が紫の藤を見つめたまま幸村に尋ねた。
「ほんと? それはいいな。見てみたい」
幸村もまた同じ花を見つめたまま答えた。
「さて…午後の回診になってしまう。そろそろ戻るとしよう」
「もう…? このまま脱走したいな…」
藤から視線を変えた柳に、幸村はため息混じりにつぶやいた。
「ともかく今は治すことに専念しろ。治療に近道はないぞ。全国制覇の暁には好きなだけ花を見て歩けばいい。どこへでも付き合ってやるから」
柳は、車椅子をゆっくりと藤棚から遊歩道へと押し出した。出来たての水たまりが風にそよぐ葉と青い空を映している。
「約束だよ、蓮二」
「ああ、夏の花は…ひまわりか」
「露草(つゆくさ)が好きだな」
「そうか」
「…全国前には退院するよ。リハビリも要るし、握力も筋力も戻さないと…」
何かを決意するかのように幸村は、己の力のない手を握り込んだ。柳はそれには答えず、黙々と車椅子を押した。
「あ、ツツジも綺麗だな」
彩りも鮮やかなツツジの植え込みを脇に見ると、厳しい表情を浮かべた幸村にも自然と笑顔が戻る。
季節は確実に春から初夏へと移っている。
fin.