コログとアストル

【コログとアストルその1】


 ―――ハイラル大森林、コログの森


 薄紅色の花びらが大樹からこぼれてはらはらと舞い散る。
 夜が明けてすぐの清々しい光を受けながら音もなくゆったりと地に落ちゆくソレらはひどく儚く、存在そのものが幻のようだ。
 早朝の森の中をそよぐ風は一際心地よく、木々に集った小鳥達は競い合うように麗しくさえずる。
 森の主な住人たるコログ達も以前より若干数を減らしてはいるものの、木々の間をデクの葉で無邪気に飛び回ったり、木の枝を振り回して"ユウシャサマごっこ"なる遊びをしてカラコロとはしゃぎ回っていた。

「…すぅ………」

 退魔の剣が納められている台座前の広場に程近い木陰で、男が一人眠っていた。
 纏っているローブは宵闇から抜け出たような色をしており、装飾は豪奢な黄金だがどこかくすんでいる。
 深く被ったフードから僅かに覗く顔は痩け、その肌は青白く病的だった。

 この男こそが、退魔の剣が安置されているコログの森と周囲に広がる迷いの森を自身が造り出した魔物達に襲わせ占拠した張本人なのだが、それを知る者はごく一握りだ。
 眠っている男の足元には天球儀が転がっていて、その中心の水晶は仄かに禍々しい光を放っている。
 この者が闇に――厄災ガノンに与する側の人間である証左であるように妖しく揺らめいていた。

 清純な空気に満たされた森の中心において彼の存在というのは淀みであり陰りであり、異質そのものだ。
 だが広場に慈雨の如く降る桜の花は眠っている男のローブにも等しく落ち、彼の持つ淀み陰りをその薄紅で柔らかく包みこむ。
 宵闇の如きローブに降るソレは夜空を彩る星のようにも見える。
 例えこの先更に世界に害を為すであろう存在であったとしても、この世に無駄なものなど一つもないのだと……散りゆく花びら達が暗に語っているようでもあった。


 ◆ ◆


「―――っ―」

 薄紅色の花びらが頬を撫でるようにひたりと触れ、まどろんでいた意識が浮上する。

(もう、夜明けか……)

 薄く開いた目には上空の朝焼けと淡く光る木々の新緑と舞い散る桜の花びらがうつる。

 ここを発つ予定より大幅に早く目が覚めてしまった。
 昨晩は長く星見をしていて寝付くのも遅かったから、もう少しだけ眠っていよう。

「――――」

 また緩くまぶたを閉じて、これまでの事を反芻する。

 ――イーガとの協力体制は思いの外早く整いそうだ。
 彼らの根城を突き止め頭領やその右腕と対面までこぎつけるのにはかなり骨が折れたが、それ以後はすんなり話が進んでいるのは僥倖だった。
 イーガという集団が厄災ガノンの為というよりあのコーガとかいう頭領の為に行動している傾向が強いのは私としてはとても遺憾だったが、使える駒は多い方が良い。

 王国軍と戦う為の手足となる魔物の方もイーガと協力しながら少しずつ準備を始めている。
 そろそろまとまった数をこの森に移動させ、幻影達に戦い方を指導させれば戦力として更に盤石になるだろう。

 ――地盤固めは今のところ順調だ。

 厄災の復活によってこの国が滅亡する、避けようのない避けるべきでない正しい未来が訪れるまであと数年……。
 神獣やガーディアンが復活した厄災に寝返り、あの平和ボケで塗りつぶしたような白い王城が土塊の如く崩れ去り、この王国の隅々まで滅ぶ様を想像するだけで胸は高鳴り口端には自然と笑みが浮かぶ。

 あと数年後がひどく待ち遠しい。
 王家にまつろわぬ者、理不尽に切り捨てられた者が復讐を果たす時がもうすぐやって来るのだから。


 ◆ ◆


「……ねェ」
(……!)

 服の裾を僅かに引っ張られる感触に、内側に向いていた意識を一気に外界に引き戻された。
 害を与えてくるような気配はないが、万が一ということもある。
 ゆっくりと相手に気取られないよう僅かに目を開けた。

「オニーサン、ネてる?」

 目深にかぶったフードの隙間から垣間見えたのは、瑞々しい若葉が貼り付いたコログのとぼけた顔だった。

(またコログか)

 思わず、心の中で大きなため息を吐く。

 この森の主たる住人であるコログは身に宿した精気も希薄な精霊の一種で、敬愛する厄災に捧げる贄に相応しいものではない。
 無垢な子供のような彼らは基本的に無害ではあるが、困ったことに皆一様に遊びたい盛りで目新しいものへの興味も非常に強いのだ。
 一々相手をしていては時間がいくらあっても足りない――ある意味、王国軍の兵士や騎士よりうんと厄介な存在なのである。

「…………」

 ここでバカ正直に起きてしまっては、きっとコログの思うツボだ。
 再びひっそりと瞼を閉じた。

 大方予想はついてはいたが実際彼らの顔を見るとひどく気が滅入り、先程まで未来の王国の滅び果てる姿を想像して高揚していた心も一瞬で萎えてしまう。

 森を占拠させた際、幻影達に命じてコログを全て排除させておけばよかったと内心強く歯噛みした。


 ◆


 数カ月前、厄災の御力でもって未来の神獣の繰り手達を模した四体の幻影達を造り出した。
 彼らは正しい未来で死んだ神獣の繰り手達の魂を厄災がそっくりそのまま写し取ったものを核として造りあげたからか、強さは折り紙付きだが中々の曲者揃いだ。
 彼らの依代となる体の方にこちらの命令に背かないよう厄災の汚泥で強制の呪いをかけて使役しているが、中々うまくいかないのである。

 彼らに迷いの森の占拠を命じた時、私は森の住人たるコログをも排除するよう暗に含んで命令したつもりだった。
 だというのに彼らはコログを森から追い払うこともなく、あろうことか(一定の距離を置いてはいるが)話相手をしていたのだ。

 一体どういうつもりかと、私はあの四人に詰め寄った。
 すると偽の女傑が『あんたがはっきり命じたのは森の占拠だけで、コログのことは何も言わなかったじゃないか。今更言われたって私らも困っちまうよ』としゃあしゃあと屁理屈を捏ねたのである。

 ならば今すぐ全てのコログを森から排除しろと言ったら今度は偽のリトの戦士が『へぇ、占い師殿は無害なコログの為にそんな途方もなく無駄な事を僕らに命じるのかい? 運命さだめがどうのとか言って忙しそうにしてるけど、案外暇なんだねぇ』と嫌味を言ってきて、有耶無耶になってしまったのだ。

 だがそこで有耶無耶にしたのが大きな間違いだった。
 確かにコログ達は厄災の汚泥をまとった幻影達にこそ一定の距離を保ってはいたが、そうでない私は大丈夫だと判断したらしい。
 森の中をただ移動する時でさえ近くから遠くから沢山のコログ達の視線が矢のように刺さり、退魔の剣を調べたり星見する際もいくら追い払っても目の端でちょろちょろカラコロ動き回られてやむなく中断したことも多い。
 要するに彼らのせいでこの森の中では何をやるにもひどく気が散るのだ。
 昨日だってそのお陰で星見に時間がかかって睡眠時間を削る他なかったのである。

 森を占拠して以降、良く言えば天真爛漫――悪く言えば傍若無人なコログ達に散々苦労させられた私が唯一学んだのは、彼らが新しいものを好むのと同じ位とても飽きっぽいということだけだった。


 ◆


 ――嫌な事を思い出してしまって更に気が滅入ってしまったが、話を戻そう。

 コログが近付いてきた時はいつもなら天球儀を使って追い払っている所だが、今は足元にあって微妙に手が届かない。
 仕方なく、眠ったフリをしてやり過ごすことにした。
 しばらく寝たフリしておけば飽きっぽいコログの事だ。
 きっとすぐどこかに行ってしまうだろう。

「ネェネェ、オニーサン」

 だがこのコログは無反応な私の前を去らないどころか、持っていた木の枝で体をどこそこをつつき始める。

「………っ…」

 そのうち枝の先が脇腹に触れて、声が出そうになったがどうにか耐えた。

「オキテ、オキテ」
「オニーサン、オキテってば」
「オキテよー」

 その後もこのコログは飽きもせず、私の周りを回りながら木の枝で何度も突付いたり服を引っ張ってくる。
 仮眠にはならないし、とてもくすぐったい。

(ええぃ、しつこ過ぎる……!)

 心の中で思わず悪態をつく。
 一度や二度ならまだしも、ここまでしつこいと仮眠以前に体が参ってしまう。

(くそ…っ……天球儀が手元にあったら即刻追い払ってやるというのに…っ!)

 既に体の方の限界も近い。
 もはや何か軽めの修行や試練の域である。

「ウーン、オキないネ……」

 それからしばらく意地だけで耐えしのんでいたら、件のコログも流石に飽きたようで葉を取り出して上空に飛び上がっていった。

「はぁ……」

 葉がカラカラ回る音が遠ざかっていくのを聞き、密やかに息を吐く。
 改めて仮眠を取ろうと少し体勢を変えようとしたその時――。

(ん? またコログの葉音……?)

 再びカラコロ陽気な葉音が上空より聞こえてきて、嫌な胸騒ぎを覚える。

 思わず顔を上げた。

「オーギ! シタヅキ!」
(なっ?!)

 件のコログが持っていた木の枝を下方に構えながら頭上から降ってきたのが見えた。

「デャア……!」
「ぐあ……っ!」

 不幸なことにコログが持っていた木の枝は見事に私の鳩尾に命中し、思わず呻き声が漏れる。

「あ、やっとオキた〜♪」
「貴様…っ…! ゲホッ…ゲホッ……!」
「オハヨー、オニーサン! あのね……」

 コログは咳き込む私を見て心配しようともせず、何か言いたげにパタパタと近寄ってくる。
 その残酷なまでの無邪気さに、強い怒りが一気にこみ上がってきた。

「〜〜っ!」

 もう我慢ならない。
 このふざけたコログには追い払うなんて生ぬるい。
 贄になってもらう。精気が少なかろうがなんだ。

「この…っ…!」

 即刻起き上がって足元に転がっていた天球儀を引っつかみ、赤黒い光球を作り出してコログ目掛けて投げつけた。

「ワワッ! オニーサン、アブないヨ!」
「うるさいっ! 人を散々コケにしおって!」

 今まで溜まりに溜まっていたコログ達への苛立ちと鬱積が爆発する。

「貴様どうしてあそこまでしつこく私をつつき回した! その上このふざけた仕打ちはなんだ! 返答次第ではここで木屑になってもらうぞ……!」
「あわ、アワワ……っ…!」
「フン、震えてる暇があるなら弁明の一つでもしたらどうだ。遺言くらいなら聞いてやらんこともない」
「ヒーッ!」

 コログはカタカタと小刻みに音を鳴らし、その場に縮こまって震えていた。
 実にいい気味だ。
 また一つ光球を作り出し、震える小さな妖精に一歩近付く。
 今度こそ光球をぶつけてやろうと構えた時、小さなコログは怯えながら叫び出した。

「アノアノ……! こ、ココのキ、コワいケムシがタクサンすみついてて……!!」
「! 毛虫、だと?」

 予想外の答えに怒りを大きく削がれ、作り出した光球は手の中で霧散する。

「この虫は」

 コログが震えながら木の枝で差し示したのは赤くて大きな毛虫だった。
 確か、毒は持っていないが動物や人間の血を吸う有名な種だ。

「あのケムシ……アサになってオニーサンとこにアツマりはじめてるの、ミえたカラ……」

 今まで仮眠を取っていた所に生えていた木の幹や枝を改めて見ると、それらが沢山身を寄せ合っているのが見えて体にぞわりと冷たいものがはしった。
 寝入ったのが深夜だったからか、気付けなかった。

「では、お前は先程から私に近づこうとしていた厄介な毛虫達を追い払っていたと……?」
「ウン。ホントはオニーサンとオハナシしてみたかったダケだったんだケド……」

 きっかけはコログらしい好奇心だったようだが、毛虫に気付いてからは純粋に私を助けようとしていたらしい。

「普通に事実を言って起こせば良かったのではないか?」
「ネテるヒトにいきなり、ケムシいる!ってイッタら、オドロかせちゃうかなッテ」

 オニーサン、ボクらのことニガテみたいだし……と、コログは弱々しく俯く。
 見当違いな気遣いではあったが、今までコログに取っていた己の態度を省みれば致し方ない行動かもしれない。

「――――」

 天球儀に魔力を込めるのを止め、震えながら話すコログをまじまじと見下ろす。

「ケムシもだんだんフエテきて、ボクひとりじゃテにオエなくなってきちゃっテ……」

 私を起こす最後の手段として、頭上から降って来たらしい。

「――なるほど。それで、私に木の枝を叩きつけなければならなかった必要は?」
「その、"ユーシャさまゴッコ"するトキのクセで……つい」

 誉めてもいないのに、コログはテヘヘとはにかんだ。

「……」
「ヒィッ! ひつようナかったデス! イタイことしてゴメンナサイ〜!」

 無言で天球儀に再び少しだけ魔力を込めると、コログはまたコロコロと震えていた。

「……全く」

 震えるコログに近づき、その隣に腰を下ろす。

「お、オニーサン……?」
「その……急に攻撃して、悪かった。お前のお陰で毛虫の餌食にならずに済んだことは礼を言っておこう」

 このコログがいなければ毛虫に血を吸われて体調を崩していたかもしれないし、今後の予定にも支障をきたしていたかもしれない。
 鳩尾に少なくないダメージを負わせた者を恩人とまでは言いたくないが、助かったことには変わりない。
 私が寝たふりなどせずさっさと起きていればこのような事態にならなかったのだから。

「お前は私と話をしたかったのだろう? 少しの間で良いのなら話相手くらいなってやろう」
「わー! ヤッター!」
「もうあまり時間もない。聞きたい事があるなら手短にな」
「えっと、えっと……! ソノ、さっきのこれ……ナニ?」

 話を促すとコログは持っていた木の枝で天球儀を恐る恐るツンツンと突つく。

「天球儀と呼ばれるものだ」
「テンキューギ……?」
「……。星見をする為の道具のことよ」

 コログは星見という言葉を噛みしめるように呟き、何事か考えるように体全体をかしげる。
 このコログは他と違ってやや思慮深い質のようだ。

「ホシミ……ホシをミるってコト?」
「そう。星の現在の配置を観測し今後の動きを調べ予測して先々起こるだろう未来を読むのだ」
「えぇッ?! オニーサン、ミライがわかるノ?!」
「ま、まぁ大雑把に言えばそうだが……」
「スゴイ、スゴイよオニーサン!」

 コログは突然はしゃぎ出してカラコロと踊りだす。
 ――意味が分からない。

「……どうしてそこで踊りだす必要がある」
「だってミライがワかるなんて、オオムカシのヒメミコさまみたいだもん!」

 ホシミスゴイ!オニーサンスゴイ!と唄いながらコログは奇妙なステップで私の周りを回りながらクルクル踊り始める。

(私は一体何の茶番に付き合されているのだ……)

 コログの謎が過ぎる行動に頭を抱える。
 厄介な虫を追い払ってくれたのは確かに助かったが、それの礼で話相手をしようと考えたことを早々に後悔し始める。

 ――ただまぁ、こんな風に手放しにすごいと言われるのも気分は悪くない。
 話相手云々は私自ら言い出したことだ。
 ここは少しだけ我慢してこのコログに付き合ってやることにした。
 

 ◆ ◆


「――じゃあじゃあ、ホシミがデキルようになったら、さっきみたいなヒカリのタマもダせるようになるノ?!」
「いや、あれはまた違う力を使っていてだな……」

 しばらく件のコログに仕方なく付き合っていたら、天球儀が何もしていないのに妖しい光を放ち始めた。

「!」

 ――おそらくガノン様だ。
 ガノン様は退魔の剣のあるこの森にあまり入ろうとしない。なので私が森に用がある時は別行動を取り、何かあれば天球儀で連絡していただくようになっている。

 ――森ノ入口デ待ツ。
 光の明滅パターンから読み取ったメッセージはとても端的だった。

 どうも、私を呼びに来たようだ。
 あの方を待たせるわけにはいかない。
 早く森の外に向かわなければ。

「! オニーサン、どうしたの?」

 急に話を中断して立ち上がった私をコログが不思議そうに見上げていた。

「もう時間だ。これからすぐ森を発たねばならん」
「……そっかー。オニーサン、いそがしいんダネ」

 引き止められるかと思っていたが、コログはあっさり引き下がった。

「えっとォ、こんどいつクル?」
「……。またいつかな」
「"またいつか"キテくれるんだネ!」

 答えをわざとらしく濁したのに、コログは嬉しそうに飛び跳ねる。
 どうにも調子が狂う。

「またね! ホシミのオニーサン!」
「……」

 コログの言葉に反応せず、台座前の広場を去る。
 コログが木の枝をカラカラ振る音は私が迷いの森に入るまでずっと鳴り止まなかった。

「せっかく仲良くしてくれたのに、あんたも冷たいヴォーイだねぇ」

 血のような色をした髪を風になびかせながら、広場と迷いの森の境の番をしていた偽の女傑はやや残念そうな声を漏らす。
 あのコログと私のやり取りに、ここから密かに聞き耳を立てていたようだ。
 つくづくこの女は耳聡い。

「あんなもの、ただの気まぐれよ」
「そうかい? あんたも存外楽しそうにしていたように聞こえたけどね」
「チッ……あれのどこがだ。それより私がいない間も命令通りこの森に一切人を通すなよ」
「はいはい、分かってるよ。あんたも道中気を付けてな」

 まるで子を送り出す母親だ。
 辟易する。

「――――」

 返事をするのも面倒になって無言でその場を去る。
 件のコログの枝を振る音がまだ聞こえている気がしたが、振り返らずに森の出入り口まで急いだ。

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