薔薇を贈り合う二人

【剣先のごと赤薔薇】


 ――ラネール地方、セラの滝

「――ごめんなさい。気持ちはすごく嬉しいのだけど、貴方の求婚を受け入れる気は私にはないから」

 セラの滝の水しぶきが夕暮れの光を浴びて優美にきらめく中、プロポーズしてきたリトの戦士に私ははっきりとそう告げた。

 滝つぼから離れた岸辺を泳いでいた小さなヨロイゴイが水面から飛び出し、パシャリと涼し気な音を立てる。
 そうして生まれた小さな波に、近くに咲いていたゴーゴーハスの花が私達を見守るようにゆったり揺れていた。


 ◇ ◇


 厄災ガノンがリンクと姫様の手によって封印されておよそ半年以上経った。
 厄災復活によって荒れ果てたハイラル城や被害にあった各地の村や橋等の復興も徐々に進んでいる。
 私達の里でも魔物やガーディアン達の襲撃によって壊れされた建物の再建やダムの修繕作業の終わりがようやく見え始め、皆でホッと一息ついた所だ。
 ハイラル王国は平和だった頃の面影を少しずつ取り戻しつつあった。

 そんな折、リーバルさんから突然手紙が届いた。
 『君に大事な話がある』と……。

 数日後の今日、手紙で指定された日時にセラの滝を訪れた彼に一輪の大きな赤い薔薇を差し出され、『僕と結婚してほしい』と告げられたのだ。


 ◇ ◇


「……はぁ」

 一気に最後まで言い切って、一息で終わらせた。

 相手が決して自分に振り向かないのが分かっている片想い程、辛くて苦しいものはない。 
 その苦しみから彼を早く開放してあげたかった。
 私にも理解できる痛みだったから。

 心の傷は私では癒せない。
 私に出来るのはその傷がこれ以上広がらないように、化膿したりしないように、一思いに彼の想いを終わらせてあげることだけだった。


 息を整えて、改めて目の前にいるリーバルさんの方を見る。

「――――」

 リトの英傑は上等な薄紅色の紙に包まれた一輪の大きな赤薔薇を剣のように構えたまま、ただ真っ直ぐと私を見つめていた。

 彼が持ってきた薔薇はハイラル丘陵の花農園で奇跡的に被害を免れたものが咲いた内の一輪らしいが、それを感じさせない瑞々しさがある。
 剣先に似た花びらが黄昏の光に艶めく様はまるで炎が揺らめいているようだ。

 そんな薔薇を剣のように構え、今生の別れを惜しむような、あるいは刃でも交えているようなリトの戦士の強い眼差しに少しだけ気圧されてしまいそうになる。

 でも、ここで彼に負けてはだめだ。
 真剣な想いから真摯に告げられた言葉なら、私も嘘偽りない言葉と態度で接しなければ失礼だろう。

「――っ――」

 リーバルさんと同じように、私も彼を真っ直ぐ見つめ返す。
 今言った言葉を撤回するつもりはないと、彼の翡翠のような瞳に自分の意志をぶつけるように目にギュッと力を篭めた。

 私達の間にはしばらく土砂降りのような滝の音だけが響いていた。

「はぁ……」

 二人の影が先程より少しだけ長くなった時、リーバルさんは一旦目を伏せて軽く息を吐く。
 そうして再び私を射抜くように真っ直ぐ見てから、おもむろに嘴を開いた。

「ハッ……まさかここまで気持ちよく、この僕をすっぱり振ってくれるとはね」

 完敗だと、リトの英傑は清々しそうに告げる。
 さっきまで私の目の前にあった赤い薔薇は今は彼の胸元で寂しげに佇んでいた。

「ごめんなさい、私……」
「いいって」

 罪悪感から思わず漏らした言葉はすぐ遮られてしまう。

「結果は最初から分かってたことだし。お互いにさ」
「――」

 同じ英傑として選ばれて僅かばかり共に過ごすことが増えたある時、お互いに互いの想い人が誰なのか気付いてしまった。
 気付かれたことをすぐ悟り、逆に彼にも気付いたことを早々に勘付かれていた。

「僕は君が好きだけど、君は君の幼馴染がずっと好きだった……。悔しいけど、今も変わりようのない事実だからね」
「リーバルさん……」
「今日は単に、君への気持ちにけじめをつけたかっただけなんだよ」

 だからこれは形だけのプロポーズ(告白)なのだと、リーバルさんは私の顔を見ずに言う。
 その声音には失恋の痛みが淡く溶け混ざっていてひどく儚く聞こえた。

 今のはきっと、半分は本当だけどもう半分は嘘なのだろう。
 私が彼のことで気に病まない為の、自分がこれ以上傷付かない為の……優しくてズルい上手な言い訳。
 そっけない言葉の裏に、分かりにくい優しさと仄かなズルさをこっそり忍ばせる所が実にこの人らしい。

「――ふふっ」

 なんだかそれがいじらしくて微笑ましくなって、つい小さな笑みがこぼれる。

「ちょっと、そこ笑うところ?」

 間髪いれずにツッコミが入るのも、水面を軽快に飛び跳ねる魚みたいな小気味良さがあって心地良い。

「ごめんなさい。その、リーバルさんは良い嘘のつき方を知っているんだなって」
「良い嘘って……言ってる事めちゃくちゃだよ。君ってホント、たまに何考えてるのか分からなくなるね」

 呆れた顔をしていたけど、声には嘘がバレた子どものような諦めを孕んでいた。


 ◇ ◇


「――そういえば」

 私に背を向け、はるか遠くリトの村上空を悠々と飛行するメドーを眺めながらリーバルさんがまた嘴を開く。

「あの鎧、いつ渡すつもりなのかい?」

 ゾーラの鎧のことはリーバルさんには一言も言ってなかった筈なのに、これもいつの間にかバレていた。
 鎧を作っている娘の為にと御父様が匿名で嘆願したらしい依頼をリンク経由で知り、誰の事なのかすぐ分かってしまったらしい。
 その時は彼にバレた事にもバレた経緯にも目眩がしそうだったが、今となってはそれも良い思い出だ。

「――今度、里にリンクが遊びに来るからその時にって」
「ふぅん……」

 自分から訊いてきたのに、リーバルさんの相槌はどこか物憂げだ。

「やっぱり、気になる?」
「……そりゃねぇ」

 私の問に彼はこちらをゆっくり振り返り、ぼんやりと肯定する。

「本音を言ってしまえば、今だってあいつには君の鎧なんて受け取って欲しくはないよ」

 いっそ盗んじゃダメ?と、リーバルさんは本気にも聞こえる声音で物騒なことを言い出す。

「ぜっ、絶対にだめだってば……っ!」
「……ブフ…ッ……! 冗談だよ。そんな不粋なこと僕がする訳ないじゃないか」

 半ば反射的に声を荒げたら、思いっきり吹き出された。

「ふふっ、ごめんごめん。まさか本気だと受け取られるなんて思わなくて」

 謝りながらリーバルさんは口元を翼で隠し肩を微かに揺らして笑う。
 たとえ冗談だとしても言われた私の気持ちも少しは考えて欲しい。

「……もう、冗談でもひどい」
「僕だって君に振られた直後なんだぜ? この程度の負け惜しみ、多めにみてよ」

 私が少し頬を膨らませると、彼はおどけるようにそう言って軽く肩をすくめていた。

「ま、結果はどうあれだ。君の気持ち、あいつにちゃんと伝えられるといいね」

 この僕を振ったんだから君にはその義務があるのだと、リーバルさんは大袈裟に言う。
 イマイチ納得はしかねるけど、応援してくれるのは純粋にうれしかった。

「うん、悔いが残らないようにするつもり」
「そこまで言い切れるなら大丈夫さ」
「……ありがとう」

 普通なら隠しておきたい恋敵への本音をあっさりひけらかした上で、リーバルさんは私の背中を押してくれる。
 彼のそんな所が仲間として好ましくて憧れを抱いたし、想われる側としてとても救われていたと思う。
 そこに至るまでにあっただろう葛藤を考えれば、尚更そう思えた。
 

 ◇ ◇


「あ、そうだこれ……良かったらもらってくれない?」
「えっ、これを?」
「ああ」

 去り際、リーバルさんは何か思い出したように私に振り返り、持っていた赤い薔薇をまた差し出してきた。

「この薔薇は流石に受け取れないよ……」

 プロポーズは断ったのだからこの赤い薔薇だって受け取れない。そんなこと、彼だって分かってるはずなのに……。

「実は村を出る時、リトの子ども達にこの薔薇を持って行こうとしてるの見られちゃってさ」

 理由をしつこく聞かれてつい大事な人に渡しに行くと口を滑らせてしまったのだと、リーバルさんは少しバツが悪そうに首の後ろをかく。

「持ち帰ったりなんかしたら、格好がつかないんだよ」

 確かに、この薔薇を村に持ち帰ったことが子ども達にバレたらまた質問攻めに遭いそうだ。
 リーバルさんも彼らには少しくらい見栄を張りたいみたいだった。

「女神像にお供えしたら?」
「それも違う気がしてさ。だからといって花農園の主人に頼み込んでまで手に入れたこの薔薇をその辺に捨てるのもしのびないし、君がもらってくれた方が花も喜ぶ」
「で、でも……」
「あぁもう、まどろっこしいね…!」

 返事に躊躇していたら、リーバルさんがしびれを切らしてずいっと距離を詰めてきた。
 この人がせっかちな質だということをすっかり忘れていた。

「君がこれを受け取ったからってのぼせ上がれる程僕は愚かじゃないよ。花には何の罪もないだろ? いいからほら、手を出してって」
「! ち、ちょっと…っ……」

 半ば強引に、真っ赤な薔薇の根本の方を握らされた。
 薔薇は厚めの上等な紙にしっかり包まれていたので、幸い手に棘が刺さったりはしなかった。
 だけどやっぱり受け取れないものは受け取れない。

「リーバルさん、やっぱりこれ……」

 受け取れないと、言おうとした。
 けどそう口に出す前に、彼は薔薇を持つ私を柔らかく見つめて感慨深げに頷いていた。

「――ああ、やっぱり君は赤い薔薇がよく似合う」

 それは普段見ることのない彼の心の透明な部分をすくいあげたような、そよ風にも似た穏やかな微笑だった。

「……っ…」

 そんな優しい眼で見つめられたら、押し付けられた薔薇だって返しづらくなるのに。
 この人は嘘も上手いし意地悪な上に、時々……とてつもなくズルい。

「リーバルさんって、お世辞も上手いんだね……」
「お世辞じゃないよ。僕は単に美しいものは美しいんだなって言いたかっただけさ」
「……」

 今度は臆面もなく真顔で言い切られた。
 気恥ずかしくなって思わず俯く。

「……もう」

 薔薇の甘やかな香りが微かに熱くなった頬を撫でるように仄かに漂っていた。

「私だってこんなに綺麗な薔薇を里に持って帰ったら、それこそ皆から質問攻めにされちゃうんだけど……」
「そこはほら、君が意味深に微笑みでもすれば皆深くは訊かなくなるさ」

 質問攻めはなくなるかもしれないけど、それでは逆効果じゃないだろうか。

「余計変な噂が立っちゃうよ」
「良いじゃないか、噂になっても。少し位あの朴念仁を慌てさせた方がいい。君も諭すべきなんだよ、いつまでもあいつの姉代わりじゃないんだって」

 そこまで言って、リーバルさんは私に背を向けて軽やかに翼を広げる。
 猛風が彼の周囲に集まり始めれば、周囲の草木はざわざわ騒ぎ出し水面も緩やかに波打つ。
 押し付けられた薔薇と共にそれらを見守った。

「じゃあね、君の健闘を祈っておくよ」

 一瞬だけこちらを振り返ったリトの英傑の瞳は悲しみを断ち切ったような力強い目をしていた。
 予想通りだったとは言え求婚を断られてすぐなのに、リーバルさんはとても強い人だ。
 今度リンクに告白した時にもしも振られてしまっても、私もこんな顔が出来たらいいなと思った。

「うん、ありがとう。貴方も気をつけて帰ってね」
「ふん、この僕を誰だと思ってるんだか」

 リーバルさんはいつもより少し強めに羽ばたいて、一瞬でセラの滝の滝口よりも高いところまで飛び上がる。
 その後あっという間にタバンタの方に飛び去っていった。

「すごい……」

 本当に一瞬だった。
 最近また腕を上げたみたいだと噂には聞いていたけど、まさかここまでだったなんて。
 相変わらず、努力を惜しまない人だ。

 そのブレない姿にも勇気をもらえた気がした。

「リーバルさん……ごめんね。でも、ありがとう」

 もらった薔薇をそっと抱きしめる。
 呟いた言葉は彼が残した風の残滓に溶けるように消えていった。


 ◇ ◇


剣先のごと赤薔薇を突きつけて
 君の返事をただ待つ黄昏

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