食べたくなる病

【食べたくない心】


「どうしたんだいミファー、僕をじっと見たりなんかして」

 最近、ミファーの僕を見る眼が怯えているように感じることがある。

 心当たりは……一応、あるにはある。
 この所、時折彼女が■■しそうに見えてしまうのだ。

 理由はよく分からない。
 急に赤い魚を無性に食べたくなったのがきっかけだったように思う。

 激しい飢餓感からポカポカマスやマックスサーモンを沢山食べるようになったが、この餓えが収まる気配は一向になかった。

 何かおかしいと思いながら英傑同士の会合でミファーと顔を合わせた時、一際強い『■べたい』という謎の渇望がこの身を焦がしたのである。

 姫かプルアに相談した方が良いのかもしれないが、つまらないコトで多忙な彼らの手を煩わせるのも己のプライドが許せず中々行動に移せずにいた。

「ご、ごめんなさい。何でもないの」
「本当に? なんだか怪しいね」

 でも、だからこそ余計に……僕はミファーを怖がらせるような真似なんて誓ってしていない。
 むしろ最近は努めてミファーに優しく接しているし、それを彼女にも裏表なく喜んでもらえてる筈なのだ。

「ほ、本当だって。嘘じゃ……ないよ」

 お姫様の声音は弱々しく、全く覇気がない。
 相変わらず、彼女は本当に嘘が下手だ。
 もしかして自分が密かに何を思っているのか、既に悟られているのかもしれない。

 急浮上したよくない可能性に心がざわざわと騒ぎ出し、いてもたってもいられなくなる。

「相変わらず、君は嘘が下手だよね」
「きゃっ……!」

 怯えを帯びた視線にこめられた本当の意味をどうにか知りたくて、近くの壁にやんわりと追いやり――。

「ほら、言いたいことがあるならはっきり言ってよ」

 そうして、ミファーを翼の中に閉じ込めた。

「りっ、リーバル…さん……」
「これなら言いにくいコトも多少は言いやすいだろ?」

 水に濡れた黄水晶のような美しい瞳を驚いたように見開いて、お姫様は僕を見る。
 リト族と似た形の瞳孔が少しだけ丸みを帯びる様子になぜだか背中がゾクリとした。

「うぅ…っ……」

 ミファーはまるで親とはぐれた小鹿のように身を震わせる。
 その姿を心のどこかでまた『■■しそう』だと思う自分に言いようのない嫌悪が湧いた。

「か、からかわないでって……」

 前にも、近い事をした覚えがある。
 幸いな事にこのお姫様は今回もあの時と同様にからかわれていると思っているようで少しだけホッとする。

「からかっちゃいないさ」

 自分で言うのもなんだが、吐く息はやけに熱っぽく、声音はどこか余裕がない。
 自分で自分を止めることができない。
 何かタチの悪い病にでもかかってしまったみたいだ。

「君が思っている事を僕に素直に言わないから、こうしてるだけで」

 このお姫様をじっと見ていると何故だか熱いものが体中を這い回り、その細身の赤い肩や腕にかぶりつきたい衝動に駆られる。

 強いて言うなら、猛禽が小動物や魚を狙う時のような――生きる為の糧を欲する本能が剥き出しになる刹那と同じものを感じていた。

「最近…貴方に見つめられると、その…た、食べられて…しまいそうで…っ…」

 追い詰められて絞り出されたミファーの声はひどく怯えていて、今にも泣きそうだった。

(――――)

 それでもう、悪い予感が的中したのを理解してしまった。
 言い逃れもごまかしも出来ない。
 今後はきっと、ずっと避けられてしまうのだろう。
 顔には出さずに済んだが、ズンと重いものが落ちてきたように胸が苦しかった。

(でも……)

 せめて簡単に事情を話して怖がらせた事を謝っておきたい……。
 そう思って嘴を開こうとした時、それは起こった。

「――君は、そういうの鋭いよね」
「えっ……?」
(えっ……)

 自分の意思とは違う独り言が唐突に僕の嘴からポツリとこぼれ落ちる。

(……っ!)

 そうして今までとは比べ物にならない『■べたい』という恐ろしく激しい衝動に体の全てが支配されていく。

 心臓は早鐘を鳴らし、喉には唾液が溢れ始める。
 両の目はミファーに釘付けで逸らす事さえ出来ない。
 彼女を閉じ込めている腕や脚にも強い力がこもり、鉤爪は石畳をガリガリと深く削っていた。

(これ、はっ…まず、い…っ…!)

 思えばミファーに対して妙な飢えを覚えて以降、何を食べても喉を通らない日がずっと続いていた。
 そんな状態でお姫様に急接近するような馬鹿な真似をした為に、体が本格的におかしくなってしまったようだった。

「ねぇ、ミファー」
「……!」

 喉は酔ったような甘い声でさえずり、指は狩りをするように素早くミファーの顔側面を覆うヒレに触れる。
 その柔らかさに一弾と強い飢えが襲い、今すぐ■いちぎってしまいたくなる自分にゾッとした。

「もしここ最近、ずっとずっと君を食べたくて苦しくてたまらなかったなんて言ったら……」

 言わなくて良い、言っては余計怖がらせる事実が歌うように紡がれる。
 喉や手は今や僕の意思ではなく耐えようのない飢餓によってのみ突き動かされていた。

 頭の方も大半が飢えに侵され、さてヒレの次はどこを■いちぎるのが一番ラクか算段を始めている始末である。
 このままでは冗談なんかじゃなく、ミファーを本当に頭から文字通り■べてしまいそうで、ますます血の気が引いていく。

(止めろ! お願いだから止めてくれ!)

 心の中でどんなに叫んでも、体はこちらの言うことを聞こうとしない。

「ぁ……」

 震える声音。
 ミファーの目が先程より更に明確な恐怖を帯びて僕を見る。
 タスケテと、言われたような気がした。

「やっぱり、僕のコト……嫌いになっちゃうかな」

 そうしてパクリと、僕の大きな嘴がお姫様のヒレを食む。
 舌に触れたソレは柔らかくて甘くて、良い香りがした。
 彼女と同じ、優美で可憐な――甘く澄んだハスの香り。

 愛しくも遠い赤い人魚姫の肌の感触と香りに、異常な飢餓感が少しだけ軽くなり同時に心が安らいでいく。
 なんとなく、なぜこんなにもミファーを■べたくなったのか――原因が分かった気がした。

「…っ……」

 ヒレを食んで数秒後、急に体から力が失われていくのを感じた。
 嘴がヒレからズルリと離れ、石畳に倒れ込む。
 極度の興奮で熱を帯びた体が石畳の硬さと冷たさによって冷静さを取り戻していくようだった。

 きっと、飢餓状態がずっと続いていた僕の体に限界が訪れたのだろう。

「! リーバルさん!!」

 薄れる視界の中、彼女の顔を見上げるとヒレは無事だった。
 幸いにも食いちぎらなくて済んだらしい。

(良かっ…た……本当、に……)

 ミファーの怪我の無い様子に胸を撫でおろし、辛うじて保っていた意識もまた徐々に薄れていく。

 もしかして僕はこのまま飢えて死ぬのかもしれない。
 それでも、同じ英傑であるミファーを食べる事になるよりずっとマシだった。

 食いちぎらなくて良かったという理性安堵も、食べられなくて残念だという本能悔いも次第に薄れやがて消えていった。


赤いヒレ食んだ嘴優しくて
美味しそうだあいしていると言われた気がした

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