リバミファ二次小説

【城の中庭にて】


 ―――ハイラル城、中庭。

「はいじゃあ、撮るよー。笑って〜、チェッキー☆」

 それが起こったのは、プルアが写し絵を撮ろうとしたまさにその瞬間だった。

「ぐぇッ……?!」

 突如背後から強い衝撃を受け、斜め前方に大きく押し出される。
 大岩にぶつかったようなヒノックスのパンチに似たそれは、どうも一番後ろに陣取っていたダルケルの仕業のようだった。

(…くそ…っ…一体何してるんだあのゴロン族…!)

 ふざけるにしてもタイミングを考えてほしい。
 もしかして何も考えていないのかもしれない。
 僕より年上なのに大人げないにも程がある。

「きゃあっ……!」

 前方に目を向けると僕と同様に押し出され、つんのめっているゾーラの英傑の姿。そのまま顔面から地面にぶつかりそうな良くない体勢である。誰かが助けてやらないと、面倒な未来が待っているのだけは火を見るより明らかだ。

(ちょっとこれは、マズそうだな)

 叙任式当日にゾーラの王族の姫が頭から地面に突っ込むような事態になれば、姫だけでなく英傑である僕らだってゾーラ族に何を言われるか分かったもんじゃない。
 そういったトラブルに巻き込まれるのは願い下げだ。

 ちなみに一番助けやすいミファーの隣にいたはずの退魔の剣の主は、ダルケルの腕の中にがっちり捕まってしまって身動きが取れないようだった。
 完全に油断していたとでも言いたげな、ナミバトが米をぶつけられたような情けない目をしていた。

(フン、退魔の剣の主とやらもこれじゃ型無しじゃないか)

 つい、心の中で嫌味を漏らす。
 この僕を差し置いて厄災討伐の要として選ばれたはずの騎士がこれでは先が思いやられる。と同時に、あのゾーラのお姫様は僕がどうにかするしかないことを悟る他なかった。

(チッ、しょうがない……!)

 思考は一瞬だったが、もう時間がない。
 お姫様が地面とぶつからないよう体を捻って彼女を抱きとめる体勢をとる。土埃が派手に舞う中、目を瞑って人が上から降ってくる衝撃に耐えた。

「――っ!」

 受け止めた体は想像よりうんと軽く、ふにゃりと柔らかい。リト族のように羽毛のないゾーラ族のお姫様の肌はつるりと滑らかだった。
 それに加え、花か果実のような上品で仄かな香りが鼻孔をくすぐる。このお姫様も村の年頃のリトの女性のように香水か何か嗜んでいるのだろうか。

(――っ――?)

 甘やかな香りを吸い込んだせいか、胸の鼓動がいつもと違うリズムで鳴った気がしたが無視した。

「きゃあ…っ……!? ふ、二人とも大丈夫ですか……?!」

 程なくして王家の姫の慌てた声が頭上から聞こえてきた。
 目の前で土埃が舞ったと思ったら人が倒れ込んできたのだ。無理もない。

 土埃が邪魔でまだ目は開けられないが、ゾーラのお姫様をしっかり抱きとめられた手応えはあった。
 とりあえずゾーラ族のお偉方が激怒するような事態にはならなかったようで一安心だ。

「!? リーバルさん……っ?! その、大丈夫……?」
「あ、あぁ。なんとか平気」

 顔の近い所からミファーの不安げな声が聞こえてくる。
 叙任式が始まる直前に僕はこのお姫様に『さん付けは気持ち悪いから止めてくれ』って確かに伝えたんだけど、彼女は人の話をちゃんと聞いてたんだろうか……。
 面倒この上ないが、なるべく早めに再度言っておく必要がありそうだ。

「ありがとう、かばってくれて。背中に痛みはない? 言ってくれたら私が治すよ」
「いいよ、別に。ちょっと土が鎧に付いただけさ」

 土埃が収まり始めたので返事をしながらゆっくり目を開けると、僕を心配そうに見つめるお姫様の顔が眼前にあった。

「――――」

 不安げに潤んだ眼は夕日の光を弾いてきらめき、白磁のように透き通った彼女の頬や首筋を美しく彩る。
 絵画か何かのような美しいソレに数秒目を奪われてしまう。

 ついでに言うと転びそうになったのを庇って抱きとめたのだから当然ではあるのだが、ミファーは半ば馬乗りになった状態で僕を心配そうに見つめていた。
 端的に言うと、色々な所が接触してるし、息がかかる程に……顔同士が……その、とても……近い。

「えっと、リーバルさん?」
(……っ!)

 間近に迫った潤んだ黃水晶色の瞳と眼があった刹那……さっきから様子のおかしい心臓が一際ドキンと強く悲鳴をあげた。

「ぅわっ……?!」

 体が謎の動揺を起こして背中が反り返り、その反動で急に上を向いた嘴がミファーの顔をかすめる。

「キャッ……!」

 ーーその時丁度、嘴の先端がよりにもよってお姫様の唇をかすってしまい……。

「!!!!」

 一瞬……甘くて柔らかい感触が嘴に伝わり、反射的に体が硬直する。息をした途端、情けない声が出そうで必死で嘴を食いしばった。

(い、今のって……まさか…)

 ――俗に言う、口付けというやつを、してしまった……らしい。

「――っ」

 羞恥と動揺から鼓動は若干速まり、顔が幾分熱くなるのを感じた。
 嘴の先端がかすっただけのほんの僅かな接触であったとしても、触れた事実には変わりがない。

(なんでまたこんなことに…っ…)

 よりにもよってハイラル城の中庭で初対面のお姫様との事故によってソレを経験する羽目になるとは……。
 今日はなんて厄日だ。

 英傑には選ばれたが直接厄災を倒す役目は与えられなかったことといい、あの技の練習中に派手に宙を投げ飛ばされたのを姫に盗み見られた時といい、僕はつくづく……ここぞという時に運がないらしい。


(っ! それよりミファーは…っ…?!)

 動揺を可能な限り押し殺して、目の前のお姫様に即座に視線を向ける。
 もしミファーが今起こってしまったハプニングに気付き、周囲にこの事が露呈すれば更なる受難が僕を待ち受けているのだ。
 ゾーラ族に知られれば当然激怒されるだろうし、娯楽の少ないリトの村ではきっと僕が死ぬまで……いやおそらく子どもや孫の世代になっても延々語り継がれてしまうだろう。

 ――考えただけでも恐ろしい。
 熱くなっていた顔から一気に血の気が引いていく。
 周りにバレるのだけは絶対に御免被りたい。

「……」

 迅速にミファーや周囲の様子を伺う。
 接触がほんの一瞬だった為か、幸いにも彼女も他の連中もこのことに気付いたような様子はない。
 ひとまずは安心できそうだ。
 ホッと、小さく息を吐く。

 ――これは、ただの事故だ。

(そう、こんなのただの事故なんだ。もっと冷静にならないと)

 心の中で何度もそう繰り返して、未だ嘴に残る柔らかな感触に混乱しかけている頭を無理矢理切り替えた。


「……きっ、君の方こそ、怪我はない?」
「え…っ? えぇ、大丈夫」
「なら良かった。……はぁ」

 お姫様の返事を聞いた後、まだ硬直したまま突っ立っている周りを見回して大げさにため息を吐いた。

「ちょっと、あんた達いつまで突っ立ってるのさ。少しは僕らの手助けしてくれない?」

 僕が語気を強めて言えば、他の連中もようやく動き出してくれた。
 皆もっとしっかりしてほしいものだ。

「ダルケルも急に人を押したりしないでくれよ。僕らが怪我でもしたらどうするつもりだったのさ」
「いやぁ、悪ぃ悪ぃ! 皆が皆堅っ苦しい顔してたんで、つい手が出ちまってなぁ」

 ついでに今回起こったトラブルの元凶であるダルケルにきっちり抗議するが、肝心の下手人は僕の棘のある言葉にあくびれる様子もなく豪放に笑う。

「でも、お陰で皆いい感じに砕けた表情になっただろォ?」
「そりゃそうかもしれないけど……」

 ダルケルはいい仕事をしたと言いたげにニカリと笑う。 
 はっきり言って反省の「は」の字もないようだった。

「……全く。こういうの、今後は勘弁してよね」
「へいへい、わーってるって」

 これ以上何を言っても響きそうにないので、追求は早々に諦めざるを得なかった。

 ――前途多難だ。
 こんなんで本当に厄災ガノンを打ち倒せるのか不安は増すばかりだった。


 ◇ ◇


「ミファー、立てる? 手を貸すよ」

 ダルケルの豪腕からようやく開放された退魔の剣の主は、立ち上がろうとしているゾーラのお姫様に静かに近づき手を差し出していた。

(……自分の言葉で喋れたんだな、あいつ)

 とりあえず、そういった気遣いは出来るらしい。
 まぁまぁ……及第点だ。

「?! だ、だだっ、大丈夫だよリンク…っ…! 自分でた、立てる、から…っ…!」

 けれどミファーはあいつの手を取るのが恥ずかしいのか、フラフラしながらどうにか自力で立ち上がろうとしていた。
 良いチャンスだと思ってあいつに甘えればいいのに、じれったいお姫様だ。

(やれやれ……)

 ちょっとしたイタズラを思いついて、まだフラついている彼女の細い足をこっそりひっかけてやる。

「!? ひゃあ……っ!!」

 すると案の定、ミファーは再びつんのめって目の前にいたあいつに抱き留められる形で腕の中に収まった。

「り、リンク……?! あ、そっ…そそそその…っ……!」

 だがしかし、このひどく照れ屋なゾーラのお姫様はリザルフォスもかくやという素早さでするっと退魔の剣の主の胸元から脱出する。

(いやいや、どうしてそこで逃げるのさ)

 彼女の行動は、僕にはちょっと理解が難しい。

「えぇっと……その、あ、ありがとう、リンク……」
「? あ、あぁ……」

 そうしてあいつからしっかり距離を取った後、ミファーは頬をイチゴのように真っ赤にしてあの朴念仁に俯きがちに微笑を浮かべていた。

(ふぅん……)

 さっきの僕の時とはえらい違いだ。
 そのあからさまな差に小さくない苛立ちを覚える。
 けどまぁ、あのお姫様の恋路に少しながら貢献出来たんなら結果オーライだと思うことにして不満は飲み込んだ。

(……とはいえ)

 退魔の剣の主の方に僅かに視線をずらす。
 あいつは相変わらずの無表情で、ミファーの一連の行動に首を傾げてキョトンとしていた。

(彼女の想い人ってのがあれじゃ、ねぇ……)

 こちらもこちらでかなり前途多難ではないのだろうか。
 他人事ではあるが、今後あのお姫様が直面するだろう数々の苦労をしのんだ。


 ◇ ◇


「――よっと」

 ミファーが上から退き、僕もようやく立ち上がる。

「何か拭く物を持ってこさせましょうか?」
「いやいい。もらったスカーフは幸い汚れてないし、こんなのはたけばすぐ取れるよ」

 姫の提案を断って、皆から少し離れた所で羽毛や鎧についた土埃をはたいて落としていく。

「ほら、背中がまだ汚れてるよ」
「おっと、助かるよウルボザ」

 しばらく一人で羽毛や鎧についた汚れをはたいて落としていたら、ゲルドの族長でもあるウルボザが手伝いに来てくれた。
 
「さっきのは中々良いヴォーイっぷりだったよ。フフッ、アンタ……これから苦労しそうだねぇ」
「一体何の話?」
「なに、こっちの話さ。気にするな」

 僕の背中の土埃を軽快に払い落としながら、彼女はまだどこか微笑ましそうにこちらを見つめてくる。
 何か……その視線が地味にイラッとする。
 ニヤけた顔で見おろされるのは正直愉快なものではない。

「ねぇ、僕を見おろしてニヤニヤしないでくれない? ちょっと気分良くないんだけど」
「見おろしてなんかいないよ。一々自信過剰だねぇ」
「――――」

 ――絶対に嘘だ。
 あの妙に柔らかくてむず痒くなる眼差しには覚えがある。
 村の高齢なリト族が僕を褒める時と同じ、結果に関わらず頑張った子どもに向けるような――個人的にはやや苛立ちを覚えるあの視線と同種のものだ。

 同族の高齢者ならまだ受け入れられるが、同じ英傑である僕に向ける眼差しとして不適切ではなかろうか。
 せめて目線の高さが同じ位であればここまで気にはならなかったのだろうが……。

(――そうだ)

 王家の姫はたいそう聡明で薬効のある植物にもとても詳しいのだと、以前村の族長から聞かされた覚えがある。
 今度、あの姫にすぐ身長が伸びるクスリでもないか聞いてみるのも悪くないかもしれない。


 ◇ ◇


 先程の騒動も落ち着き、英傑叙任記念の晩餐会が開かれる時刻が少しずつ近づいてきていた。

「なぁ姫さん、その"バンサンカイ"って奴ァはウメェのか?」
「えっ? ええっと、ダルケルが大好きな特上ロース岩や特上ヒレ岩も、ゴロン族の方々から直々に提供いただいてますよ」
「おぉっ! そりゃ本当か?」

 王家の姫の言葉に、ダルケルは瑠璃のような青い目をパッと輝かせる。

「はい、本当です。楽しみにしていてくださいね」
「ヘヘッ、うちの連中も気が利くじゃねぇか…! おい、相棒! 後で味比べしようぜ!」
「――」

 ダルケルの言葉に退魔の剣の主が静かに頷くのが見えた。

(……は?)

 その一見和やかなやり取りを思わず二度見する。
 いくら何でもただのハイリア人が、ゴロン族みたいに岩を美味しそうにガリガリ噛りだしたら僕だって卒倒する自信がある。

 リト族にも消化の為に時たま小石を飲み込む習慣はあるにはあるが、飲み込む小石はとても小さいしあれはあくまでも消化の為だ。
 間違ってもあんなバカでかい岩は口に入れないし、味比べなんて論外もいい所である。

 恐ろしいことに、ダルケルやあいつが嘘や冗談であんなやり取りをした様子は全くなかった。
 となると、あの退魔の剣の主は岩を食べることが出来るという、この上なく荒唐無稽で理解不能の結論に行き着くしかなくなる訳だが……。

(――あの騎士……本当にハイリア人なのか?)

 退魔の剣の主を凝視する。
 あいつがゴロン族のような図体ならまだ納得いくが……。
 残念ながらそこには平均的なハイリア人よりもやや小柄な青年しかいないのである。

 本気で意味がわからない。

「チッ……」

 脳の理解が追いつかない。
 軽く目眩を覚えて、僕はあいつからこっそり目をそらした。

「デスマウンテンで採れる岩は本っ当に美味ェんだ。いやァ、"バンサンカイ"が今からすげぇ楽しみだぜ!」
 
 先程姫の口から晩餐会に自分の大好物が出ると知らされてから、ダルケルはとてつもなく上機嫌だ。

「ロース岩は強火で一気に焼いて少し休ませると岩の中で固まってたマグマがいい感じにドロッと溶け出すんだがよ、噛むとそれが口ン中いっぱいに広がるのがまた美味ェのなんのって……!」
「マグマ……私が食べたら口の中火傷しちゃうかも」
「熱いのは大したことねぇって。何事も経験だぜ、ミファー」
「……」

 ダルケルの返事に、ミファーは若干憂いと不安を含んだ表情を浮かべる。
 岩は食べられそうにない事をやんわりダルケルに伝えようとしたがうまくいかなかったようだ。

「あと、ヒレ岩も手間はかかるがじっくり焼いたやつの程よい堅さと岩汁が最高なんだ。今日は皆にもその違いってやつを是非味わって欲しいぜ!」
(……なんで僕らも食べる前提で話をしてるのさ)

 聞くだけで堅そうな岩を僕らにまで食べさせる気満々のようである意味とても恐ろしい。

「ダルケル、ゴロン族とそれ以外の種族じゃ食べられるものも全然違うんだ。くれぐれも御ひい様や私達にそれらの岩を食わせようとするんじゃないよ?」

 ウルボザも同じような危惧を感じたのか、上機嫌に岩の美味さを語り続けるダルケルに口を挟む。

「そんな言い方ねぇだろ、ウルボザ。別に俺に遠慮しなくていいんだぜ? 俺はゴロンシティに帰りゃたらふく食べられるが、オメェさん達はウメェ岩を食べる機会なんて早々ねぇと思うからなァ!」

 肝心のダルケルには残念ながら意味が全く通じていないようだったが……。

「はぁ……。あんたが何を勘違いしてるか知らないけど、これは遠慮じゃなくて正真正銘の忠告なんだけどねぇ」
「あ、あははは……」

 王家の姫も頬を引きつらせて苦笑いしている。
 どうも、あの姫も既にダルケルに岩を押し付けられた経験があるようだ。

(うわぁ……)

 流石に同情を禁じ得ない。
 この後の晩餐会は自分の料理に岩を混ぜられやしないか逐一注意しておかないと、色んな意味でマズいことになりそうだ。


 ◇ ◇


 それからまたしばらく時が過ぎ、そろそろ日も暮れて来たと思ったら城下の大聖堂の鐘が日没を告げた。
 同タイミングで城の侍女らしき人物が静かに姫に近づき、何やら耳打ちして去っていった。どうやら、晩餐会の準備が整ったようだ。

「皆さん、晩餐会の準備が整ったようなので食堂に移動しましょう。私について来て下さい」

 姫の言葉に従って皆が食堂に移動を始めた時、何やら思い詰めた顔をしたミファーがコソコソと僕を呼び止めてきた。

「あ、あのっ……リーバルさん」
「――リーバル」
「えっ?」

 予想していた通り、お姫様は僕が言った事をすっかり忘れているようだ。
 肩をすくめて、ミファーの方に振り返る。

「さん付けは止めてくれって、僕は君に言ったよね?」
「あっ……! ご、ごめんなさい、つい……」
「次からは気をつけてよ。で、何か用?」
「えっと、その……」

 用件を聞くと、ミファーは若干言いづらそうに俯きながら口を開く。

「さっき助けてくれた時、貴方の嘴が、わ…私の…く、口に触れたような気がして……」
「――――」

 本当に一瞬の出来事だったから気付いてないと高を括っていたのだが、ミファーも存外に鋭いようだ。
 もしかしてこのお姫様、僕ほどではないだろうがかなり腕が立つのかもしれない。

 ゾーラ族は槍を得意としている種族で、その槍さばきは水のように流麗かつ優美であると聞く。繰り手に選ばれるのであれば槍の腕も並以上なのは確かだろう。
 僕も槍なら多少心得はある。暇が出来たらいつか手合わせしてみたいものだ。

「――その、リーバルには心当たりないかなって」
「僕はそんな覚えないけど? 君の気のせいだよ、絶対」

 ミファーの問いに平然と嘘をつく。
 たとえこれが事故で触れたのがほんの一瞬だったとしても、初対面の奴から唇を奪われてたなんて知ったらこの大人しそうなお姫様が本当に泣いてしまいそうだったから。
 ま、知らぬが何とやらってヤツだ。

「ほ、本当に……?」
「本当に決まってるじゃないか。こんな事で嘘言う必要なんかないだろ?」
「そ、そうだよね……! 気のせいだよね!」

 彼女は僕の嘘を信じたようで、大いに胸を撫で下ろして安堵の笑みを浮かべる。

「あぁ、本当に良かったぁぁ……」
(………………なんだよ、それ)

 そこまで大げさにホッとしなくていいだろうに。
 少しカチンとしたので嫌味ついでにからかってやることにした。

「君も一々大げさだね。あ、もしかして初めての口付けってのを僕に奪われたとでも疑ってたのかい? ゾーラのお姫様も意外とそういう事気にするんだねぇ」
「!! ち、ちち違うよ……っ! そ、そそそんなんじゃないんだって……っ!」

 僕の言葉にミファーは白い頬をみるみる首の付け根まで紅潮させ、まるでポカポカマスみたいに真っ赤になっていた。

(ーーなんて、分かりやすい……)

「でも、さっきの君なんてまるで初めての口付けをあげる人が既に決まってるような口ぶりだったじゃないか」
「!! ほ、ほほ本当にほんのちょっとだけ、ただ気になっただけなんだって……! 嘘じゃないんだってばっ……!」

 更にミファーをからかえば顔を真っ赤にしたり青くしたりを繰り返して、まるでリザルフォスの擬態のようだ。
 少し前の写し絵を撮る際の深呼吸並に面白いものを見てしまい、思わず顔が綻びそうになる。

(いや、でも待てよ)

 そもそも皆で写し絵を撮ろうと言い出したのはこのお姫様だ。
 あの騎士の隣をそれとなくキープしていたのも、緊張でカチコチになってプルアに注意されたのも、その後いじらしく深呼吸していたのも、今だって口付け云々の話でわざわざ僕に確認しに来たのも……。

「――――――」

 ――そう、全部あいつに繋がるのだ。

「えっと、もしかして私のコトからかってない……?」
「…………バレちゃったか」

 上の空になっていたのを、誤魔化すように呟いた。

「いやぁ、ごめんごめん。君の反応が楽しくて、ついね。君に他意がないのは理解してるつもりさ」
「うぅん、分かってくれてるなら良いの。よく考えたら誤解されても仕方ない質問だったし……。私の方こそごめんね、声荒げちゃって」
「気にしなくていいって。こっちこそ悪かったよ」
「! あっ、ちょっとまだ待って……!」

 話を切り上げてさっさと食堂の方に向かおうと踵を返すと、またミファーが僕を呼び止めてきた。
 
「今度は何さ」
「あの、お願いなんだけど、今の話、他の皆には……特にリンクには内緒にしてほしくて……」

(またあいつのコト、か……)

 どれもこれも全てあのイケすかない退魔の剣の主につながるのを確信し、何故だか急激にとてつもなく不愉快な気持ちが沸々と湧き上がっていた。

「――善処するよ」
「ありがとう!」

 ミファーは無邪気に礼を言い、スキップでもしそうな足取りで僕を追い抜いていく。

「…………相手が僕で悪かったな」

 その背中にボソリと、聞こえないように小さく悪態をついた。

「? 何か言った……?」
「フン、何でもない。ほら、君も早くしないと晩餐会に遅刻しちゃうよ?」

 こちらを振り返って不思議そうに首を傾げているお姫様を早足で追い抜いた。

 空が少しずつ夜闇に包まれていくのを横目で見ながら、何となく嘴に指を添わせる。

「――っ」

 嘴に微かに残った柔らかな感触は僕の胸によく分からない甘い痛みをもたらしたが、それが一体なんなのかは食堂に辿り着いても結局分からずじまいだった。

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