リーバルと泥の人魚

【別離】


 ――封印は成った。

 太古の神話で語られるように騎士が退魔の剣でガノンを両断し、王家の姫巫女の封印の力でかの厄災はこの国の彼方へと消えた。
 厄災のせいで戦乱続いたハイラルに、ようやく平和が訪れたのだ。


 ◇ ◇


(――っ!)

 それを察知したのは丁度、厄災ガノンを封印し未来の助っ人が元いた世界に帰った直後だった。
 城内で今一度倒し厄災が封印されてかき消えたはずの水のカースガノン――泥の人魚の気配が、迷いの森方面に向かって行ったのを確かに感じた。

(――でも)

 厄災封印を為して静かにその喜びを噛み締めている皆の水を差すのは躊躇われた。

 だが気配というにはあまりにも弱々しいソレに次第にいてもたってもいられなくなる。
 すぐにでも迷いの森の方へと飛んでいってしまいたいのをなんとか堪えているとミファーがおずおずと声をかけてきた。

「もしかして……私の偽物のこと、考えてる?」
「! どうしてそれを」
「なんとなく、そんな気がして」
「ミファー……」
「行ってあげて。きっとそれで貴方の呪いも解けそうな気がするの」
「け、けど……」
「なーに躊躇ってんだい」

 躊躇う僕の肩をガシリと掴むものがあった。

「こっちのことは私らにまかせて行ってきな。ヴァーイを待たせるなんて言語道断だからね」
「ウルボザまで」

 女傑は僕に顔を近付けて真剣な声音で耳打ちする。

「……死に水を取りに行くなら早い方が良い。後悔しないようにな」

 言い終わったと同時に背中をバシンと叩かれる。
 彼女自身の何かしらの後悔がその手に滲んでいた。

「――分かった。恩に着るよ」

 翼につむじ風を纏わせ厄災封印に湧く皆に背を向ける。
 気配が向かった先――迷いの森サリヤ湖へ進路を向けた。


 ◇ ◇


 ―――迷いの森、サリヤ湖

 霧の湖にゆらりと赤黒い痩躯が舞い降りる。
 なるべく水や土を汚さないように湖の岸辺に降り立ち、崩れかけのカースガノンの殻から外にはい出た。

「はぁ……はぁ……、ふ……っ……」

 遠巻きにコログ達がこちらを心配そうにカラコロと音を立てながら見つめているのが見えた。
 私を追い出したいわけではなさそうだ。

「……ありがとう。邪険にしないでくれて」

 優しい森の精霊達に小さくお礼を言って、カースガノンの残骸にその身を預ける。

「――――」

 他の皆が厄災封印の余波で次々と完全に消えていく中、どうしてもこのまま消えたくなくて無我夢中で逃げた。
 そうして最後の力を振り絞って辿り着いたのは、あのリトの戦士と初めて出会った小さな湖だった。

(――あぁ)

 我ながら潔くないなと、自嘲する。
 あの人に一度看取ってもらった事で他の皆と共にひっそり消える覚悟が揺らいでしまったようだ。

「そう……いえば……」

 本当の私が倒された時もすごく静かで、独りぼっちだったことを思い出す。

(あの時と、また同じになっちゃうなんて)

 少しだけ目に泥の涙が滲んだ。

 ガノンが封印されたことにより、体の核となっていた石片も既に砕けた。
 そのせいかもう目も見えない。
 体の崩壊は少しずつだが確実に進んでいるのが手に取るように分かった。

「リンク………」

 段々それがひどく悲しくなってきて幼馴染の名前を呟き、空に向かって手を伸ばす。
 意味のない行動だとわかっていても、止める事は出来なかった。

(……? あれ……?)

 その伸ばした手に、触れたものがあった。
 柔らかいふわふわの羽毛は森を覆う霧の水分を僅かに含んでいてひんやり心地良い。

「…ぁ……」

 思わず声が漏れた。
 その感触で誰だか分かってしまったから。
 ここまで来てくれた事が、厄災が封印された後でもなお自分を気にかけてくれた事が、とても嬉しかった。
 それでも、心のどこかでリンクじゃないことを残念に思う自分の正直さに苦笑いした。

「大丈夫、ミファー?」
「!」

 発せられた声は予想していたものと大きく違っていた。
 あの人の……大好きな幼馴染の声に酷似した――いや完璧に似せた声音。
 こんな器用な事も出来るんだなって感心した。

がここにいるから」

 残骸に寄りかかっていた頭を彼の膝にそっと移される。
 そのフワフワの感触に崩れかかった体が幾分かラクになったような気がした。

「だから、安心して眠って」
「うん……」

 しばし言葉を交わさない時間が過ぎていく。
 霧深い湖にはコログの小さなカラコロ音と私達の呼吸音だけが静かに響いていた。
 こんなに心地よい沈黙を経験したのは初めてだった。

「リン、ク……」

 ここにはいない幼馴染の名前を再び呼ぶ。

「私ね、貴方のこと……好きだったの……」

 あの夕暮れの貯水湖で結局言えなかった言葉がするりと出てきてくれた。
 もしかしたら聞いてくれてるのがリンクじゃないから、言えたのかもしれない。
 その皮肉に仮初の記憶以外は空っぽの胸が弱く痛んだ気がした。

「……うん」

 それを彼はリンクのフリをして頷いてくれる。
 否定も肯定もしない、ただの頷きが今は嬉しかった。

「ずっと、一緒にいたかった……」
「うん」

「貴方を、助けたかった……」
「うん」

 伝えたかったことを吐き出している間も、体の崩壊は止まらない。
 足は既にどちらも落ちた。
 指も何本か崩れてしまったようだし、お腹の感覚はもうない。
 口と舌が壊れず動かせる時点で既に奇跡だった。

「あの子に……ミファーに伝えてほしい」

 そっとまた手を伸ばす。
 伸ばした手がリトの戦士の頬の傷に触れた。

「気持ちをちゃんと伝えないと、きっと……後悔するって」

 先延ばしにしたことを後悔するのは偽物の私だけでいい。

「……あぁ、分かった。必ず伝えるよ」

 そこだけは真似た声音ではなく、彼自身のやや低く伸びやかな声だった。

「いま、まで……あり、がとう…リー、バ…る……」

 今までの感謝と謝罪を込め、今にも壊れそうな唇でリトの英傑の頬に触れた。

「…っ…ミファー……っ……!」

 すると感極まったらしい彼に初めて名前を呼ばれ、強く抱きしめられた。
 嬉しかったのだろうか、それとも悲しかったのだろうか……。
 どんな感情から抱きしめられたのか、その判断が出来る程の余力はもう一欠片も残っていなかった。
 やわらかな羽毛に抱かれたまま、ここまでなんとか繋ぎ止めていた私の意識はついに闇へと落ちていった。


 ◇ ◇


 そうして、なごり雪が春の日差しに溶けるように。
 泥の人魚は元からそこにいなかったかのように何の痕跡も遺さず消えていった。

「――――」

 この前のオルディンと同じ。
 だがもう二度とない。本当の最期別れ

「傷、消えてる……」

 頬の傷もいつの間に消えていた。
 もう二度と、あの酷い悪夢に悩まされることも無いだろう。
 それをどこか残念に思う自分がいた。

「君達の……君のことは……絶対に忘れないよ」

 だってあの悪夢は惨かったが、確かに彼らの最後の命の輝きであったことには変わりないのだから。


なごり雪のように消えゆく君の背に
置いていかれた霧の湖

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