リーバルと泥の人魚

【看取り】


 ダルケルの救援は他の連中に任せて一人、水のカースガノン――正確には泥の人魚を空から探す。

「いた……!」

 呪いの痛みを頼りに見つけた彼女はミズーダ湖の岸辺の隅でひっそりと身を潜めていた。
 纏っていたカースガノンの殻を脱し、ボロボロの痩躯に瀕死のその身を預けているようだった。
 彼女がもう長くない事をなんとなく理解した。

「ここにいたんだね」
「!」

 近くに降りて声をかければ、彼女はよろよろと身構える。

「トドメを……刺しに来たの?」
「いや、違う。メドーに言われたんだ。君を看取ってやって欲しいって」
「! ……そん…な、どうして?」
「理由は分からない。けど自分の神獣にそんなコト言われたら、頼みを聞いてやらないわけにはいかないだろ?」
「…………」

 泥の人魚は数秒俯き逡巡する。
 やがて顔を上げた彼女は一つの願いを口にした。

「なら、せめてルッタが…あの子がもっとよく見える場所で……」

 結局奪えなかった巨像をその目に収めたいと泥の人魚は懇願する。

「分かった」

 ボロボロの彼女に肩を貸し、ルッタが見える場所まで移動する。
 纏っていた汚泥の殆どが消えかけている為か、それによる痛みは極めて緩やかなものだった。

 しばらく歩いて、岩場の高台に陣取る。
 後ろ姿だがここならルッタがよく見える。
 誰かに見つかる可能性がある為、正面側にこれ以上近づくのは難しかった。

「ここで良いかい?」
「うん、ありがとう……」

 岩場に背中を預けさせ、その隣に座る。

「そういえば……」

 ようやく一心地着いた泥の人魚がおもむろに口を開く。

「あの時の賭け……私、負けちゃったね」
「そういや、そんなこと言ってたっけ」

 確か、彼女の忠告を無視して生き残ったら彼らが何者なのか教えてもらうという賭けだったはずだ。
 この数日で色んな事があり過ぎてすっかり忘れていた。

「自分で言ったのに、忘れちゃってたの?」

 泥の人魚がクスリと笑う。

「し、しょうがないだろ。こっちだって生きるか死ぬかの瀬戸際だったんだからさ」
「……。風のカースガノンは強かった?」

 真剣な顔で、泥の人魚は静かに問いかけてくる。

「あぁ、今まで戦ったどの敵よりも一番手強かった」
「そっか……」

 泥の人魚は悲しそうだがどこかホッとしたように微笑んだ。

「彼も……きっと満足したと思う。貴方達みたいに強い人と戦えて」
「それなら、良いんだけどさ」

 改めて泥の人魚に向きなおる。

「――教えてほしい。君が……いや君達が一体何者なのかを」

 僕の言葉に泥の人魚は頷き、自分達のことをぽつりぽつりと語り始めた。

「――ルッタをあいつに奪われて、私も胸を貫かれて死んだと思った。でも……気が付いたら迷いの森にいたの」

 本物の彼女達は、既に死んでいるらしい。

「死んだ私達の姿と記憶を厄災ガノンがカースガノン経由で情報として取り込み、それらを元に作られたのが私や他の繰り手の幻影達だって言われた」

 僕ら繰り手達の命を奪い国を滅亡させた未来の厄災ガノンの怨念の一部が、時を渡るガーディアンと共にこの時代に渡ってきてしまったらしい。
 彼らの姿形や記憶の情報と共に……。

「貴方が何度も見ているって言ってた悪夢もきっと、私が死んだ時の記憶なんだと思う」

 私のせいで酷いもの見せられてごめんねと、泥の人魚はすまなさそうに僕を見る。

「貴方達と初めて会った時は、まだ今の自分の姿に耐えられなくてちょっとだけおかしくなってたから」
「今の自分の姿……?」
「私の今の体、真っ当なゾーラの体じゃないんだ」

 形を補う為に魔物や動物の骨等が使われているらしい。
 いつか彼女を見逃した時、足の骨の形がゾーラと違ったのはそのせいだったようだ。

「やっぱり、分かっちゃうよね……。それでもゾーラ族の骨が使われるよりずっとマシだから」

 それだけはあの人アストルに感謝してると、泥の人魚は儚く微笑む。

「私達の体には厄災ガノンの怨念に与えられた核があって、それを壊せば終わらせることができる。でも、こっちのガノンも目覚めてしまって、簡単には壊れなくなっちゃったの」

 泥の人魚は悲しげに俯く。
 厄災が封じられるまで、彼らはこれから何度もカースガノンとして僕らと戦わなければならないようだ。

「それならまた僕が君の相手をするさ。何度だって」
「……。それなら、安心……できるかな」 

 貴方は強くて水のカースガノンと相性が良いしと、泥の人魚は力無く目を細めていた。


「あぁ、ルッタ……」

 一通り話し終えると、泥の人魚は水の神獣の背中を愛おしげに見つめ、おもむろに手を伸ばす。
 伸ばす赤黒い指先は既にその殆どが崩れていて、漠然と今の彼女の終わりが近いことを察した。

「やっぱり貴女は、青い方が……かわいい、ね――」

 それだけ呟き、泥の人魚は息をしなくなった。
 残った体が徐々に泥のように溶け出し、骨が露出していく。動物の死体が分解され風化していくのを早送りで見ているようだった。
 リザルフォスや魚の骨が泥の支えを無くしてバラバラと地に転がった時、赤黒い石片のようなモノが姿を現した。

「これが……核、なのか?」

 石片に触れようと手を伸ばすが、すんでで逃げられた。
 まるで意思があるかのように動き回る石片は、やがて中央ハイラルの方へと流れ星のように飛んでいってしまった。
 ゆっくり立ち上がり、禍々しい赤に染まった中央ハイラルの空を見上げる。

「やっぱり、また戦わなきゃならないのか」

 生温い風が頬を撫でる。
 その風は戦いの予感を覚えるような湿り気を孕んでいた。


黒百合が枯れゆくような首筋を
ただただ見ていた鈍色の午後

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