リーバルと泥の人魚

【見逃し】


 ゴングル山での魔物達の急襲を退けた後、何か予感がして周辺を哨戒していたら意外な人物を発見した。

「こんな所に潜んでいたとはね」
「……!」

 急襲を受けた地点にほど近い高台に降り立つと、近くの林で潜んでいた手負いの泥人魚が驚きの表情を浮かべた。
 今回の戦いで再び現れてあいつによってまた倒された筈だったがどうにか逃げ仰せていたようだ。

(けど……)

 だが満身創痍。
 泥も大部分を祓われてしまったその姿は呪いの悪夢でいつも見るようなボロボロのミファーとよく似ていた。

「どうして…ここが……」
「どうしても何も、どこにいるのか分かるみたいなんだよ。君からもらった呪いのせいでね」
「……っ…」

 言いながら弓を構えると、泥の人魚もまた素早く赤黒い槍を構え僕の出方を警戒する。
 今日の彼女の目は焦点が合っている。
 迷いの森や今回の襲撃で退魔の剣によって祓われている影響なのかもしれない。

「君らは一体何なんだ? 何度倒しても蘇ってるみたいだけど、あのアストルとかいうやつのおかげだったりするのかい?」
「…………」
「ふぅん、黙秘か。ま、いいけど」
「……!」

 番えていた矢を引絞れば泥の人魚も警戒の色を強める。頬の傷がまた激しく痛みだしたが無視した。

「君が消えれば厄介な呪いも消える。弱ってる間にここで完全に倒させてもらうよ」
「!」

 言って即刻、矢を放つ。
 必殺ではなく様子見の一矢。
 泥の人魚はそれを避けようとして……。

「………っ…」

 小さな悲鳴が聞こえた。
 片方の足首が突然斬られたようにボトリと落ち、泥の人魚はその場に崩れるように転ぶ。
 退魔の剣によって祓われた影響か、泥が少ない箇所から崩壊し始めたようだ。

「…ぁ……足………」

 崩れた足首から骨が覗く。あの悪夢と同じように。
 骨はゾーラのものとは微妙に違う形をしていた。

「…っ……だめ、動いて………」

 泥の人魚は恐怖の表情を浮かべる。
 再び同じ目に遭ったような顔をして。

「…………」

 今ならトドメを刺すチャンスだと、冷静にして残酷な戦士としての己が胸の内で囁く。
 退魔の剣によって身に纏った汚泥を祓われた今なら完全に倒せるはずだろうと。

「――――」

 その言葉に従うように、再び静かに弓を構えた。
 泥の人魚の表情に更に恐れの感情が増し、彼女はまた目元に沢山の黒い涙を溜めていく。
 まるであの呪いの悪夢の焼き直しのようだった。

(――だめ、だ)

 あまりにも痛ましい姿に躊躇いが生まれ、矢を番える指が震えて狙いすら定まらない。
 迷いに迷って結局弓を下げた。
 一度倒すと定めた獲物を射れなかったのは、これが生まれて初めてだった。

「どう、して……」
「……ふん、さぁね」

 同情なのか憐憫なのか。そのどちらも正解ではない気がした。

「僕にもよく分からない」

 ただ嫌だった。
 毎夜見させられる悪夢の中で、傷付き怯える王女に惨いトドメを刺す魔物と同じモノにはなりたくない……。
 そんな不思議な気持ちが芽生えていた。

「今回は特別に見逃してあげる。だから代わりに教えてくれ、君は一体何者だ? ただの偽物にしては本物のミファーとは雰囲気が微妙に違うというか……」
「私は……その」

 そこで素直に質問に答えようとする辺り、本物も偽物も人の好さに関しては大差ない気がした。

「あのミファーとは違う私で……」
「違う私……?」
「それは、えっと……」

 更に深く話に踏み込もうとした時……それは起こった。

「! …ア、…っ…グ…ゥ…!」

 突如として耐えられないような激痛が頬の傷に奔り、膝をついた。
 呪いをもたらした泥が元凶への窮地に怒り狂うように体の中を暴れまわる。

「! リーバル……っ…」
「……っ!」

 痛みに耐えて前を見上げた僕の眼前にあったのは、僕そっくりの泥の戦士が泥の人魚を担ぎ上げる姿だった。
 もう一人泥の魔物が接近してきたことで呪いの力が強まったようだ。本当に厄介な呪いである。

「――――」

 こちらに振り向いた泥の戦士は一切言葉を発さず僕を哀れむように一瞥して嗤ってきた。
 その仕草の一挙一動が僕に酷似していて正直ひどく気味が悪い。

「くそ待て……! まだ聞きたい事が…ぅあっ……?!」

 びゅるりと赤黒い風が吹き荒れる。
 カマイタチのようなソレは周囲の木々をバキバキと折り倒しながら、泥の魔物達を上空高く舞い上げていく。
 あそこまで飛ばれてしまったら、いくら僕でも追いつけない。

(ちく、しょう…っ…)

 重要な話を聞きそびれ逃げられたことを理解し、僕は呪いの激痛によって意識を失ったのだった。

 幸い僕と同じく周辺を哨戒中だったインパとミファーに助けられて事なきを得た。
 だが僕の頭の中には、泥の人魚の骨の形と彼女の僕の偽物への呼び方がずっと残り続けることになった。


  さん付けをしないあの子の偽物は
  骨さえ彼女と違うカタチで

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