ゼノブレ二次小説

【矢羽根のハンカチと英雄】


「アデルさん、夕飯の支度ができました」

 よそわれたルーシチの温かくも美味しそうな香りが名もなき夜の野営地に広がる。
 一口食べてみればホロホロになったバニットの肉とホクホクとした野菜達が夜風に冷えた体に沁み入るようだった。

「口に合えば、良いんですが……」
「ああ。これ、とっても美味しいよ!」

 ヒカリが生み出した別人格の赤い少女――ホムラが遠慮がちに料理の出来栄えを聞いてきたので、僕は笑顔でそう答えた。

 数時間前、野営の準備をし始めてすぐに料理を作るとホムラが言い出し際は一体今度はどんな奇天烈なものが出てくるか正直肝を冷やした。

 だが、彼女が食材を前に立った時、それが杞憂であることに気付かされる。
 手際よく食材を切り分け、下拵えも調理法も間違いなく淀みなくこなしていく様子には舌を巻いた。

 手慣れた所作に野営の際は毎回のように食事当番を請け負っていたシンやワダツミの背中が浮かぶようで、懐かしささえ感じるようだった。

 引き続きホムラの料理に舌鼓をうっていると、ふと……昔のことが思い出された。
 ヒカリが作った料理と呼んで良いか判断に迷うシロモノをミルトと食べて、二人仲良く気絶して大騒ぎになったのだ。

「――――」

 少し前なら笑い話にもなっていたはずの楽しい思い出も、今では胸の底深くに沈んでしまって戻り得ない過去の一つだった。
 膨れっ面で自分は悪くないと言い張る天の聖杯も、そんな彼女に詰め寄る従者も、今は……もう……。

「?! アデルさん、どうされました?」

 突然こぼれた涙にホムラが心配そうに僕を見つめる。

「あぁ……すまないね。昔から涙脆くてさ」

 懐をごそごそと探り、しわくちゃになった青い矢羽根模様のハンカチを取り出して自分で涙を拭った。

「――いやぁ、君の料理が美味しすぎて感動のあまり涙がね」

 不安げな顔を覗かせる彼女にカラリと笑ってみせる。

「メツと戦った時、僕らのチームには料理が得意なのが一人もいなくてさぁ」
「そう、だったんですね」
「ちなみにヒカリも料理が好きだったんだけど、僕らにはちょっと……早過ぎる代物で――」

 いたずらっぽくウィンクする。
 まだ不安そうな赤い瞳を安心させたくて、僕はヒカリの料理についてのエピソードをホムラにいくつか聞かせた。

「――ふふっ、ヒカリちゃんったら料理苦手だったんですね」
「いやいや、僕は決してそうは言っていないんだけど……」

 話を聞き終わる頃にはホムラの表情も和らいでいた。
 その様子に内心ホッとしながら、よそってもらった料理の残りをかきこんだ。


 ◇ ◇


 深夜になり、一人寝ずの番をする。
 向かいで横になって眠るホムラを見遣ると、静かに寝息を立てていた。
 ホムラは嫌がったが、可能な限り彼女を戦わせる訳にはいかないのだ。

「さっきのは、ユーゴがいたらたしなめられてたかな」

 さっきとは、ホムラの前で涙をこぼしたことだ。
 周囲の者が自分の立ち振る舞いを見てどう思うのか、常に気を配っていたかつての親友が厳しい顔で僕を諭す様子が目に浮かぶようだった。

「……ユーゴ、やっぱり僕はまだ君のようにはなれないみたいだな」

 言いながら、おもむろに先程自分の涙を拭ったハンカチを再び取り出した。

「ミルト……」

 メツとの決戦に向かう際、ミルトが『これを自分だと思って持って行って下さい』と、カスミと一緒に作ったというイーラの紋章が入った護符と一緒に渡して来たのだ。
 『これなら僕がいなくても涙を拭えますよね』と、ミルトはいつになく真面目な顔だった。
 それに僕は『縁起でもない事言わないでくれ。これは借りるだけだ。後で返すからサタと良い子にしてるんだぞ?』と言って、彼のくせっ毛をくしゃりと撫でて別れたのだ。

「…………」

 今やミルトの形見となってしまったハンカチをギュッと握る。
 喪った者達の事を――僕を護って倒れた親友を忘れない為に……。

「僕に覚悟が足りなかった……のかもしれない」

 確かにイーラが沈んでしまう可能性は考えてはいたけど、ミルトが死んでしまう事態を僕は想像すらしていなかった。
 それはきっとヒカリも同じだったのだろう。
 御座船の中、サタが抱き締めていたミルトの頬に触れるヒカリの表情は痛々しくて見ていられなかった。

 メツを追う道中、憎まれ口を叩き合う二人は表面上はどうあれ仲は良かったと思う。
 まるで年の離れた姉と弟のような……。
 妾の子で仲の良い兄弟の類いがいなかった僕にとって、二人のやり取りがいつも微笑ましかった。

 護るべき国も民も……頼りにしていた親友も相棒も、そしてミルトを喪ってしまったのは自分が弱かったからだ。
 覆しようのない事実が重くのしかかる心地に、息を吸う事さえたまに苦しくなる。

 ――それが許されるワケがないことくらい、分かったつもりではいるが。


 ◇ ◇


「しかし……夜は長いな」

 二人きりの野営はやけに夜が長く感じる。

「ラウラ達は今、どの辺りだろうか」

 スペランザに避難した抵抗軍に伝言を頼んだ彼らを想う。
 御座船で別れた際、ミノチが『アーケディアの動きに気をつけろ』と、とても渋い顔をしていたが……。

「今アーケディアにはゼッタがいる筈だ。妙な事にはならないと願いたいものだが」

 ――本当に大丈夫なのだろうか。

 ミノチにも無理を言ってラウラ達に付いて行ってもらうべきだったかもしれない。
 そもそも剣とヒカリを封ずる前に抵抗軍の事を自分でどうにかするべきだった可能性は?

 ――座っているはずなのに、足元が大きくぐらついた気がした。

「いや、しかし……っ…」

 僕は一刻も早くヒカリとホムラを人の手が簡単に及ばないところに眠らせなければならない。
 アーケディアが怪しい動きを見せるなら尚更早くそれを完遂しなければならないのだ。

 それにラウラにはシンやカスミがいる。
 彼らがそう簡単にやられるわけが……。

 ――だがそうやって少なからず楽観視していたからイーラが……ミルトがああなったのではないか。


(……っ…)

 自問自答の言葉が容赦なく僕の罪を責め立てる。
 言い知れない不安が胸の中で渦を巻き、呼吸の仕方すら忘れそうになっていく。

 もしかして僕は今なおヒカリが暴走した時のように、重大なミスを犯しているのではないのか……?

 こんな時、ユーゴならどう考える?

 ――まだ護るべきものが沢山あった親友の命を無残に散らせた奴が……何を、言っているのか。

 喉がカラカラする。
 もはや息さえ、うまく継げない。





 やはり、僕は……僕では………
   何も、護れないのか…………。






「……っ!」

 後悔と不安という名の闇に引きずり込まれそうになったその刹那、バチンと、焚き火の薪が弾けた。
 ――それでなんとか、持ちこたえられた気がする。
 正直、とても助かった。

「やれやれ、大所帯でキャンプするのに慣れ過ぎて臆病になってるのかもしれないな」

 わざとらしく声に出して肩を竦める。
 これでは寝ずの番の意味がない。
 こんな状態ではホムラを、ひいては彼女の中で眠ってるヒカリを護れない。

 ――また自分のせいで大切な者を喪うのか……?

「……悪い冗談だ」

 ハンカチをポケットに戻し、新しい薪をくべた。


 ◇ ◇


 だいぶ辺りが明るくなってきた。
 日の出はもうすぐだろう。

「――それにしても、遠い遠い未来……か」

 ヒカリが暴走した時、変化した剣を介して頭に流れ込んできた不思議な走馬灯のような映像――あの少年こそが遠い未来ヒカリの傷付いた心を救うのだろう。
 今の僕に出来るのは彼らが出会うまで天の聖杯を封じ、未来に託すのみだ。
 人一人がやれるコト、護れるモノなんてたかが知れてる。
 なればこそ、これから僕がしようとしている事には確かな意味があるはずだ。
 自分の想いを、後悔を……別の誰かに託して世界を繋いでいくのだ。

「だから、それまでの辛抱だ。ヒカリ……」

 僕ではもうおそらく二度と見ることの無い彼女の意地っ張りな表情を記憶から手繰り寄せ、思い浮かべる。
 不思議ともう涙は出なかった。
 真の意味で覚悟が決まったのかもしれない。

「はは……。ようやくハンカチが必要なくなったかもしれないよ、ミルト」

 今は亡き従者がそこにいるかのように一人呟くと、流れ星が煌めいた。
 頼りなかっただろう主を優しく励ますように。

「――ありがとう。今まで僕を、支えてくれて」

 きっと、もう……迷わない。
 いや、迷える時間は既にない。

 僕が選び取った道の先でどんな事が起きても、それを受け入れるしかない。
 たとえそれが血反吐を出すほどに恐ろしく苦しいことでも。

 我々はちっぽけな人間で、一生に為せることはごく僅かなのだから。

 火花が舞い上がる先には、遥か昔からアルストの中心にそびえる世界樹が翠玉の光を湛えて静かに揺れていた。
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