藍と群青

※このお話には若干のリバミファ要素を含みます。
 苦手な方はごめんなさい。




 英傑たちのバラッド――あの作りかけのについてなんだけど、命名したのはリーバル様だって話は君にもうしていたっけ?
 ああ、やっぱりしてなかったか。……ふふっ、ごめんごめん。
 あの英傑にも年相応に微笑ましいところがあったのを思い出してね。 
 もう時効だろうから、君にだけはあの時の話を教えてあげる。
 でも、このコトはくれぐれも『ミンナニハナイショ』だよ?


 藍と群青/十三夜月


 ―――ハイラル城、北側の城壁付近の花畑


 リトの英傑がシーカー族の宮廷詩人の演奏を再び聴きに訪れるようになって一ヶ月ほど経ったある日……。

「――へぇ、叙任式の後のことを詩にねぇ」

 この日はいつものように演奏をお聴かせした後、これから新たに作ることになった曲について話をさせてもらっていた。

「ええ、叙任式後の皆様の歓談の話をゼルダ様とプルアに聞かされまして。それを一つの詩にするのはどうかと提案したのです」
「でも君、神獣繰りの試練の詩の作曲も頼まれてただろ? あの姫が関わると君はすぐ無理をするよね」
「そ、そんなに無理しているわけでは」

 確かに近頃やや過労気味なのは否めないが、十分な睡眠時間も偏りのない食事も摂れているから問題ないはずだ。

「――目の下に、クマができてる」
「!」

 だがリトの英傑は僕の目元を指差して嬉しくない事実を告げる。

「宮廷詩人ともあろう君がそんな顔して人前で演奏なんてしていたら、今に君の師あの偏屈から説教が目いっぱい綴られた分厚い手紙が届くぜ?」

『――宮廷詩人は常に見目にも気を遣わなければならない――』

 宮仕えが決まった際、お師匠様に何度も念を押されてそう忠告されていたのを思い出す。このままでは確実にお叱りの手紙を受け取ることになりそうだ。

「……ごもっともです」

 最近、逐一僕の様子をお師匠様に報告してる誰かさんがいるようだし、この英傑の言うことを聞いておいたほうが良いだろう。

「惚れた姫のために頑張るのも結構だけど、君は僕と違ってひ弱なんだからあまり無茶するなよ」
「はい。ご忠告、感謝します」
「ふん、今はそう言ってるけど君のことだ。どうせあの姫に何か言われたら、僕の言葉なんてすぐに忘れてしまいそうだけどねぇ」
「うっ……」

 図星を指されて口ごもると、リーバル様はやれやれと肩をすくめる。

「全くさ、ミファーといい君といい、恋は盲目とはよく言ったものだよ」
「……。――そういえば、ふふっ」

 リーバル様の口からゾーラの英傑であるミファー様の名前が出て、プルアから聞かされた話を思い出してつい頬が緩んでしまう。

「どうしたんだい? いきなりニヤニヤし始めて」

 リーバル様は突然小さく笑い始めた僕を怪訝そうに見やってくる。

「いえ、プルアから話を聞いた際、貴方にも微笑ましいトコロがあるのだなぁと思ったのを思い出しただけですよ?」
「ちょっと君、プルアから何聞いたのさ」
「あれ、覚えていませんか?」

 素直じゃないリトの英傑に、僕はとびっきりの笑顔で答える。

「あの時、貴方がとある姫君に熱烈な視線を送っていたとプルアから聞かされたのですが」
「なあっ……⁈」

 僕の言葉にリーバル様は目を見開き、持っていたリュートのピックを危うく落としかける。
 少し大げさにカマをかけてみただけだったのだが、なんとまあ……予想よりだいぶ面白い反応だった。

「だからいつか、私に退魔の剣の主からゼルダ様を奪えなんて物騒なこと仰っていたんですか?」

 そうすれば、とある姫君の恋も――もしかして叶うかもしれないから。

「…っ……」

 リーバル様は半眼で僕を睨みつけてくるが、顔が微かに赤くなっていて全然怖くない。
 むしろ、いつもなら目にする機会のないリトの英傑の年相応の微笑ましい様子にこちらが耐えられなくなる。

「――――くすっ。貴方も案外、分かりやすい反応するんですね」

 僕が耐えられず吹き出すと、リーバル様は今まで見たこともない面白い顔をして怒鳴ってきた。

「ぷ、ぷぷプルアが言った話は全部デタラメだ‼ とある姫君をジロジロ見てたのはっ……そ、そう! あの朴念仁だよ⁉ ぼっ、僕のコトなんかじゃ絶対にないからねっ⁈」
「そう――なのですか? 同席されていたウルボザ様もたいそう愉快そうに同意されておりましたので事実なのかと」
「……‼」

 僕の言葉にリトの英傑は頭を抱えて呻き始める。

「――くそ、お節介なゲルドの族長め……っ!」

 何かあるとすぐ雷撃ってくるし、もうやだあのゲルド族……と。
 珍しく弱音を吐くリーバル様が微笑ましくて仕方がなかった。


「な、なぁ君……」

 しばらく頭を抱えて黙り込んでいたリーバル様が弱々しく嘴を開く。

「なんでしょう」
「今の僕の話も……う、詩の一節に加える気なのかい?」

 いつも堂々としているリーバル様には珍しく、酷く焦った面持ちで僕を見つめてくる。あまり良くない例えだが、まるでヘビに睨まれたカエルのようだ。
 彼がリト族でなければ頬を冷や汗が伝っていそうである。


「――貴方がよければ。その和やかな空気を一番表現したいものですから」

 あの時の話を作曲することについて、既に他の英傑全員に了解を取ってある。
 あとはこの英傑の了承を得るだけなのだが……。

「…………」

 真摯に自分の曲作りへの想いを伝えたつもりだが、リトの英傑の表情はみるみる渋いものになっていく。
 少し、からかい過ぎてしまったのかもしれない。

「あの、やはりだめでしょうか?」
「…………はぁぁあ。分かった、分かったよ。君の好きにすればいいさ」

 不安になって再度おそるおそる訊ねると、リーバル様は深々とため息を吐いてどこか投げやりに了承の返事をしてくれた。

「あ、ありがとうございます! これで本格的に作曲に取りかかれ――」
「 た だ し !」
「!」

 唐突に長い人差し指を眼前に突きつけられ、言葉を遮られた。

「一つ、条件がある」
「条件……ですか」

 またどんな難題を押し付けてくるのかといつかのような緊張の中、リトの英傑の言葉を待っていると彼は思いがけないコトを言い出した。

「――その詩の作曲、僕も一枚噛ませてもらうよ」
「……は? え、えぇっ⁈」

 意外過ぎる条件に今度は僕が叫ぶ番だった。

「なんだよ。そんなに驚くこと?」
「い、いえだって……!」
「べつに君の曲作りに口を挟む気はサラサラないって。ただその――僕のことを詠う箇所の言葉をチェックさせてほしいだけさ」
「し、しかし」
「君がもしその詩に露骨な言葉を足してしまったら、城の連中がくだらない邪推をし始めるだろ?」
「! それは……」

 正直、しまったと思った。
 僕は危うく、この英傑をまた傷つけてしまうところだったのだ。

「僕だけじゃなく、他の英傑の沽券にも関わることだからね」
「――申し訳ございません。私は、また」
「分かってくれればそれで良いって。辛気臭い話はナシって前も言ったろ?」
「…………」

 言い淀みうつむく僕に、リトの英傑はコホンと一つ咳払いをして少しだけ照れ臭そうにその嘴を開く。

「僕はさ、あのお姫様が単に微笑ましくて……羨ましかっただけなんだよ」

 幼い頃から弓の腕と飛行技術を必死にみがいていた僕には、あんな風に人を想う暇なんて無かったから――と。
 そこまで言って、リトの英傑は持っていた群青色のリュートのブリッジを気恥しげに撫でる。
 いつも僕の演奏を聴いている時のような柔らかな空気を纏っていた。


「リーバル様、貴方は……」

 同じ英傑に対して抱くような感情では決してないけれど、何か名前を付けるにはあまりにも淡い。

「本当に……ただ、それだけなんだ」

 リーバル様と和解出来たあの日……ゾーラの英傑の詩を弾いていたのは、もしかしていつか彼女に聞かせたいと思ったからなのかもしれない。
 でもそれはきっと、純粋に最近どことなく元気のないあの王女の笑顔が見たいだけなのだろう。


 ――それ以上でも、以下でもない。
 凪いだ湖面のように、ひたすら静かな感情……。

「今の話、こればっかりは他の連中には絶っ対に内緒だからね」
「ええ、分かっております。このことは内密に……」
「……。君が口の固いシーカー族で、本当に良かったよ」

 僕のいつもと同じ返事に、リーバル様もいつものような安堵の表情を浮かべていた。


 ◇ ◇ ◇


「――あ、ちょっと待ってよ」

 そろそろ城内に戻ろうかとベンチから腰を浮かせようとした時、リーバル様が何か思い立ったように僕を呼び止めた。

「どうしたのです?」
「例の写し絵撮った時の詩なんだけど、アレ……もう名前は決めてあるのかい?」
「いえ、まだそこまでは。あの、まさかとは思いますが」

 もしかして曲の命名をしたいのでしょうかと、自信なく続ける。

「そのまさかさ。今パッと頭に浮かんだんだけど、我ながら会心の出来でね。これならきっと君も気に入るはずだよ」

 自分の技の名前にもこだわるこの英傑がそこまで言うのだから、とても良いものが思い浮かんだのだろう。

「どんな名前を思いついたのですか?」
「ふふっ、君も知りたい?」

 リーバル様は僕の返事に機嫌を良くしたようで楽しげに目を細める。

「はい、是非とも」
「ははっ、さすが君はあの吟遊詩人が師なだけあってセンスあるよ」

 そうして勿体ぶるように仰々しく咳払いをした後、リーバル様は人差し指を指揮棒のように振り上げて高らかにその名を口にした。


「――名付けて、『英傑たちのバラッド』……!」


「バラッド……」
「どうだい? いささかシンプルかもしれないけど、良い名前だろ」

 確かに良い名前だと、吟遊詩人として音楽家としての僕は思う。
 だが、バラッドというのは華々しい英雄譚であると同時に破滅に向かう結末を詠うものだ。
 未だ王家の姫巫女が力に目覚めぬ今の状況では、いささか縁起が悪過ぎるのではないだろうか。

「――良い名前だと、思います。ですがリーバル様、バラッドというのは」
「縁起が悪いって言うんだろ」
「……ええ」
「君の言いたいことは理解してるつもりさ。周りの反応が気になるんなら、厄災が討伐されるまでは単に『うた』と読んでおけば誰も気づかないって」
「それは、そうですが」
「それに……」
「それに?」

 リトの英傑は一呼吸置いて、やや神妙な面持ちで再び嘴を開く。

「――その詩、厄災ガノンが討伐されたら後世までずっと詠い継がれていくんだろう?」
「おそらく、そうなるかと」
「だったら敢えて意味深な名前を付けて、その時何があったのか後の時代の連中の頭を目一杯ひねらせてやるのも面白いと思うんだよ」

 とても良いアイディアだと思わない?と、リーバル様はまるで悪いイタズラを思いついた子どものようにイキイキした表情を僕に見せる。

 ――果てしなく、不謹慎なコトこの上ない。
 ただ、これは厄災討伐を必ず成功させられるという確固たる自信があればこその言葉とも言える。
 口には決して出さないが、王家の姫や他の英傑達のこと――無論あの退魔の剣の主も含めて彼らを無自覚に信頼している心の現れでもあるのだろう。

 でも、今はそれより何より……。

「……ふふっ」

 リーバル様がとても楽しそうに笑うから、僕もつられて吹き出してしまう。

「相変わらず、貴方は人をからかって困らせるのがお好きなんですね」
「なんだよ、不服?」
「いえ、私も面白そうだなぁと」
「分かってもらえて何よりさ。でもまあ、君がそんなこと言うなんてね。だんだんあの偏屈に似てきたんじゃない?」
「……」

 まずそれを提案したリーバル様こそ、お師匠様と思考が似ているのではなかろうか。

(全く、この方は本当に……)

 皮肉って言ったはずの彼の言葉がひどく微笑ましくて、僕の胸に温かいものが去来する。

「――いえいえ、貴方様ほどではありませんよ」

 そうして、今まで喉元で呑み込んでいた言葉がとうとう今日……するりと口からこぼれ落ちていた。

「⁉ ちょっと、ソレどういう……っ…!」

 近くのかがり火がパチリと音を立てたのを合図に、僕は今度こそベンチから立ち上がる。

「ほら、そろそろ戻らないと明日の英傑同士の会合に寝坊しますよ?」

 驚きうろたえるリトの英傑の返事を待たず、少し早歩きで歩き出した。
 この英傑が体調には気を遣えと言ったのだ。なら余計早めに戻るべきだろう。


「――明日の会合が終わったら、さっきの言葉……理由をじっっっくり聞かせてもらうからね」

 同じように立ち上がり、僕の後ろをついてくるリーバル様の声はひどく憤慨しているようだった。
 お師匠様に戦士になるのを強く反対されたことを未だに根に持っているらしいのだが……。
 そろそろ、ちゃんと仲直りしても良い頃だろうにと思ってしまうのは僕だけだろうか。

「はいはい、分かりましたって」

 ジト目で睨んでくるリトの英傑を尻目に城の内部に通じる鉄扉を押し開く。

「最近、君も可愛げなくなってきたよねぇ」

 知り合ってすぐの頃はもっとからかい甲斐があったのにと、リトの戦士は嘆くように呟く。

「それは多分、誰かさんのお陰ですよ」

 背後を振り返って強く微笑んでみせればリーバル様は一瞬だけ面食らった顔をしたが、すぐにそっぽを向いて舌打ちしていた。

「チッ……言ってなよ」
「ぅわ……っ!」

 大きな翼で軽くだがぼすんと背中を押される。
 まるで気の置けない友人にするような、気安くもぶっきらぼうな羽の感触がとてもくすぐったかった。

「さっきの曲、ある程度形になったら僕に真っ先に聴かせくれよ?」

 別れ際、リーバル様は僕に念を押すように言う。
 なんだかんだ言ってはいたが、僕が作るものを楽しみにしてくれているようでうれしくなる。

「ええ、勿論ですとも」
「楽しみにしてるからね」

 僕の答えに満足したようにリーバル様は微かに笑み、いつものようにつむじ風を翼に纏わせて夜空に飛び上がっていった。

 まだ少しだけ欠けた月の下、城の旗達がぶわりと翻り木々達は真夜中の突風に起こされたようにザワザワと囁き合っている。
 以前より更に鋭さの増した風の残滓がエールを送るように、シーカー族の装束で包まれた僕の肩を爽やかに通り抜けていった。
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