藍と群青

 ―――ハイラル城、中庭

「こんにちは、今日も素晴らしい演奏でしたね」
(ゼ、ゼルダ様…っ…⁈)

 日も暮れてきたので公園での練習を切り上げて城まで戻って来た時、中庭でゼルダ様に声をかけられた。

「昨日貴方が倒れてしまったとインパから聞いて心配していたのですが、もう体のほうは良いのですか?」

 中庭の入り口には姫御付の退魔の剣の主がこちらに背を向けて控えている。
 嫉妬の念から、その背中を思わず凝視してしまう。

(この退魔の剣の主も、ゼルダ様に好意を持っているのだろうか……?)

 もしそうであるならば、僕にとっては一大事だ。
 ――ゼルダ様と知り合ったのは僕が先なのに……。
 ――僕のほうが彼よりもずっと古代遺物に詳しいのに…っ…!

(…っ…いけない……。今は姫の御前だ)

 負の感情に支配されそうになる心をグッと律する。

「――ご機嫌麗しゅう、ゼルダ様」

 己の醜い感情をごまかすように、深く一礼して王家の姫に笑みを返した。

「インパ様からいただいた薬が良く効いたおかげでこの通りです。御心配おかけしてしまいましたね」
「いいえ、回復なさったのなら何よりです」

 そう言って、ゼルダ様はうれしそうにふわりとはにかむ。
 やはり、この姫君には笑顔が似合う。
 それを僕に向ける頻度はすっかり減ってしまったのは悲しい限りだが、その可憐さに変わりはなかった。

「身体の具合も良くなったので、今日は森林公園にて久方ぶりにこの竪琴をかき鳴らしていたのです」
「そうだったのですね。珍しく城の外から貴方の竪琴の音色がしてきたものですから、ついつい皆と聴き入っていたのですよ」
「お褒めの言葉、恐れ入ります」
「でも、なにか聴き覚えがあるような気がしたのですが……。今日はどんな曲を弾いていらしたのですか?」
「それは……」

 気恥しさからどうごまかそうかと思いを巡らせて、はたと思い直す。
 今ならゼルダ様にさっき作り直したリーバル様の詩を聴いていただけるかもしれない。
 そもそも彼女に頼まれて作った曲なのだから、修正したのであればなおさら一番に聞かせるのが筋だろう。


「ゼルダ様、一つ――貴女様に聴いていただきたい詩があるのですが」
「まぁ、貴方からそう仰るなんて珍しいですね。どんな詩なのでしょう?」
「以前、披露させていただいたリトの英傑の詩……あれを手直ししまして」
「リーバルの詩を手直し、ですか?」
「はい。今日貴女様が聴こえたと仰られたのもおそらくそれでしょう。しかし、あの詩はゼルダ様からご依頼いただいて私が書き上げた曲――変更の許しを請いたい故、再び清聴を願いたく……」
「そんな、私の許しだなんて」
「どうか、一度聴いていただけませんか?」

 困惑気味の姫様の目をまっすぐ見つめ、真摯に懇願する。

「……え、ええ、分かりました。貴方の演奏、どうかお聴かせください」
「貴重なお時間賜り、恐悦至極にございます。――では、お聴きください。『リトの英傑 リーバル』」

 王家の姫に静かにそう告げ、リトの英傑に初めて詩を披露した時のような緊張感の中、手に馴染んだ己の竪琴を爪弾き始めた。


 ◇


「――以前、聴かせていただいたものより優しい調べでしたね」

 手直ししたリーバル様の詩を演奏し終わると、ゼルダ様は拍手をしながらそんな感想を述べてくれた。

「実は少し前、リーバル様と直接話す機会がありまして」
「直接話す機会、ですか」
「ええ」

 王家の姫は少し考え込むように聡い顔をしばしうつむかせ、その後すぐ得心いったようにこちらに顔を向けた。

「もしかして彼、夜の貴方の演奏を聴きに訪れていたのではありませんか?」
「! どうしてそれを」
「数ヶ月前でしたか――」

 リーバル様が『姫の話は正しかったよ。あのシーカー族の宮廷詩人、リト族でもないのに音楽というものを良く分かってる』と、少しうれしそうに話していたらしい。

(そんなに、僕のことを褒めてくれていたのか……)

 自分にも他人にも厳しいあの英傑が。

「――私などには、勿体なきお言葉です」

 うれしさを静かに噛みしめながら、ゼルダ様に言葉を返す。

「最近になって貴方の話をまったくしなくなったので変だとは思っていたのです。もしかしてリーバルと何かあったのですか?」

 王家の姫はまるで自分のことのように僕を心配そうに見る。

「それ、は……」
「よろしければ、私に教えてくださいませんか? できれば貴方の力になってさしあげたいのです」
「……ゼルダ様」

 彼女の美しい翠玉色の瞳がしがない宮廷詩人である僕の目をまっすぐ見つめてくる。
 ゼルダ様にこんな目で懇願されたら……僕は断れない。

「――」

 ちらと周囲を見やる。
 日暮れが近いためか王家の姫がいるため人払いがなされているのか、中庭は閑散としていた。
 退魔の剣の主も、ここからやや遠いところでこちらに背を向けて控えている。
 ごく小さな声であれば、盗み聞きされる可能性も低そうだ。

「ではゼルダ様、このことは他の者にはどうか内密に……」
「ええ、分かりました」

 王家の姫にそっと耳打ちし、あの新月の夜の話をごく小さな声で申し述べた。


「――――」

 僕が全てを語り終えた時、王家の姫は悲しみや悔しさが入り交じったような表情で口を真一文字に結んでいた。

「ゼルダ様?」
「白翼の戦士の詩の楽譜は、叙任式の前に私が御父様に強く頼んで全て廃棄させたはずだったのに――」

 種族間のいさかいを再び招くようないわく付きの楽譜が何故今も城の図書室に存在したのか少々疑問に思っていたが、色々と根深い事情があるようだ。

「無才の姫の言葉では、やはり……皆の心には届いてはくれないようですね」
「あ、貴女様は何も悪くございません……!」

 ゼルダ様が自嘲の笑みを浮かべるものだから僕も思わず声を荒らげる。

「ですが…っ……」
「私が、いけなかったのです」

 吟遊詩人たる者、本来ならその詩がどんな曲なのかしっかり調べてから聴かせるべきだったのだ。
 リーバル様に喜んでもらいたい自分の気持ちだけが先走り、聴かせる者の事情などあの時の僕には微塵も頭に無かったのだから。

「――貴方はいつも、お優しい方ですね」
「いえ、私は……臆病で、とても弱い人間です」

 悲しげに微笑むゼルダ様に、身勝手な嫉妬と不満を理不尽に溜め込んでいた自分がひどく浅ましく感じ、後ろめたくなって思わずうつむく。
 中庭に夕暮れ時の涼やかな風がふわりと吹き込み、彼女の金砂の髪を厳かに揺らしていた。


「あの、これはまだリーバルにも内緒にしているのですが……」
「?」

 しばらく押し黙っていたゼルダ様のためらいがちな言葉に顔を上げる。

「私、幼い頃に彼のお父上と話す機会があって」
「! そんなことが」


 まだ王国側とリト族の関係が悪化する前、城で行われていた御前試合にリーバル様の父親が参加した際会ったらしい。
 精強な近衛騎士相手に一歩も引かず、空中から苛烈な攻撃をしかける姿に王も他の者達もその健闘に喝采をあげるほどの戦いぶりだったそうだ。

「自分の実力をひけらかしたりせず、寡黙でしたがとてもお優しい方でした。自分の子供の話をする時はとても幸せそうで……」

 意外な事実に驚いていると、ゼルダ様は懐かしそうに目を細める。

「――なのに、あんなことがあって」

 その死を悲しむ間もなく自分の母親が急逝してしまってそれどころではなくなったのだと、王家の姫は十年近く前の話を述懐する。


「厄災討伐への協力を依頼するためにリトの村を訪れることが決まった時、実は私……とても怖かったのです」
「それは何故?」

 インパ様から聞かされた話では、あの戦いにハイラル王家は直接は関わっていなかったはずだったが……。

「確かに、あの戦いにおいてタバンタ村から兵を動かさなかったのは現場の指揮を執っていた軍の指揮官でしたし、理屈で言えば王家は直接的には関与していません。ですがその違いはほんの些末なものです。最悪、私の訪問自体拒絶される可能性も考慮しなければなりませんでした」
「……ゼルダ様」
「御父様もあの件には心を痛まれていたのを知っていましたし、これは己に課せられた大切な使命の一つなのだと言い聞かせて私は少ない共を連れてリト族の村に向かったのです」

 それはどれほどの覚悟だったのだろう。
 その勇気が――城の中でも日陰に暮らし、聞こえてくる陰口にただ耳を塞いできただけだった僕にとっては太陽のように眩しく感じた。

「あの村を訪れた時、やはり一種の冷たさはありました。でも――」

 ゼルダ様は朱色に染まった西の空を翠玉色の瞳に映す。

「城で感じるようなギスギスしたものはありませんでした。それに村の族長にあの戦いの件を王家を代表して謝罪したら、貴女方は何も悪くないとまで仰ってくださって……」

 言葉を一旦切って、ゼルダ様は僕のほうを振り返る。

「リーバルと対面した際、神獣の役割はあくまでも援護で厄災と直接戦うのは退魔の剣に選ばれた騎士の役目だと伝えたら、彼の顔が一気に険しくなってとても冷や冷やしました」

 ハイリア人は僕らリト族をまた自分達の勝手だけで都合良く利用するのかと、当時のリーバル様はそんな顔をしていたらしい。

「彼のお父上の――村を守るために命を落としたリトの戦士達の最期を思えば、そんな反応が返ってくるのは当然でしたから」

 だがそこで心を偽れば余計に不信を招く。
 今にもこちらの依頼を断りそうな若きリトの戦士に自分の正直な気持ちを伝えるしかなかったのだとゼルダ様は語る。

「リーバルのお父上が生前私に誇らしげに仰っていたのです。『この国の生きとし生けるものを守るのが俺の役目だ』と。それがとても眩しくて私もあんな風になれたらと幼心に憧れたことを思い出し、咄嗟に近い言葉で自分の厄災討伐に対する想いを彼にぶつけたんです」

 それがリトの戦士の説得に際して功を奏したかどうかは、既に我々の知るところだ。

「リーバルも、もしかしたら似た言葉を聞かされて育ったのかもしれません」

 返事は保留にしてほしいと告げたリトの戦士の声からはさっきまでの険しさが消えていたので安心して城に帰還できたのだと、ゼルダ様は控えめではあったが誇らしげだった。


 ゼルダ様が過去のリーバル様との話を語り終えた時、日は既に大きく傾いてラネールの空には僅かにだが星空が輝き始めていた。
 そろそろ、日没を告げる鐘が鳴る時刻だ。

「一つ、リトの英傑のことで貴方にお願いがあります」
「なんなりと」
「リーバルは飾らない物言いや態度で誤解されやすいところもあります。そんな彼が貴方のことを手放しで褒めていたのは、それだけ貴方の吟遊詩人としての腕を認め、彼なりに心を許していたからだと私は思います」
「……」
「だから出来れば、リーバルが再び貴方のもとを訪れた際は、その素晴らしい演奏をまた聴かせてあげてくれませんか?」

 気の置けない友が身近にいるのは、きっとあのリトの英傑にとっても悪いことではないはずですから……と。
 ゼルダ様はぎこちなくだが僕の手を取って励ましてくれた。
 初めて触れた彼女の手は、僕のよりずっと小さかったが滑らかで温かかった。

「ゼルダ様……」

 その言葉が、その行動が――この王家の姫の苦しい胸の内にあの退魔の剣の主が寄り添えたからこそ出た言葉のように僕には聞こえた。

「――」
 またちらと、退魔の剣の騎士を見やる。
 かつては抜き身の剣のように愛想の欠片もなかった背中も、今は鞘を纏っているように穏やかだ。


 あの騎士がゼルダ様に恋愛感情を抱いているかどうかは、僕には未だに分からない。
 ただ一つ言えることがあるとすれば、王家の姫があの騎士に心を救われたようにあの騎士もまた、彼女との交流によって漂わせる空気さえ変えるほどに得るものがあったのだろうということだけだった。
 この二人はきっと恋愛の類を超越したところに縁を持っているのだ。
 太古の昔より続く、王家の姫と勇者の――言葉にするにはあまりにも長くとてつもなく重い、ともすれば呪いのようにさえ見える宿命の縁……。
 もし愛する者が互いに他にいるとしても、彼らは宿敵を封じるために共に支え合い力を合わせて戦い、この国に平和をもたらすのだろう。
 その縁の大きさに、一介の吟遊詩人である僕が恋情を抱いて良い相手では無いようにも感じた。

(――これは、敵わないな)

 認めてしまうのはひどく悔しかったが、何故か嫌な気持ちにはならなかった。


「分かっております。その際は先ほどお聴かせした詩をあの英傑にも、必ず」
「お願いしますね」
「ただ……」
「?」
「あれだけ素直でないと、いつになるか分かりませんが」

 イタズラっぽく微笑んで付け加えると、ゼルダ様も柔らかく笑ってくれた。
 それはいつか、プルアから見せてもらった写し絵と同じような穏やかで優しい笑みだった。


 ◇ ◇ ◇


 王家の姫に作り直したリトの英傑の詩を披露した翌日は来賓も多く、仕事が終わった時には既に深夜の一時を過ぎていた。

「――急がなければ」

 日課である深夜の演奏のため、いつもの北の城壁に急ぐ。
 今宵の月はいつかのような冴え冴えとした三日月だった。
 リーバル様に初めて会った時の夜を思い出して、少しだけ悲しくなる。
 ゼルダ様にはああ言ったが、あの英傑がいつ来てくれるかなんて正直僕には皆目見当もつかなかった。
 だがこれは王家の姫の頼みでもある。かくなる上はあの弓矢で射抜かれる覚悟で強引にでもリーバル様に詩を聴かせに行くしかないのかもしれない。
 流血沙汰はできるなら避けたいところだが、僕のことでゼルダ様を気に病ませるのはそれ以上に避けたいところだった。



 お濠際に差し掛かった時、弦を爪弾く寂し気な音色が聞こえてきた。

「――先客…?」

 この詩はゾーラの英傑であるミファー様のために僕が書きおろしたものだ。
 美しい詩だが出だしの旋律はわりかしシンプルで、他の英傑にと作った詩と比べて弾きやすくはあるのだが……。

(……この曲をお手本に楽器の練習でもしているのだろうか)

 音は北の城壁崖際にある近々解体予定の古い見張り塔の辺りからだ。
 水が流れ落ちるような妙なるトレモロで奏でられるミファー様の詩の調べは切なくも清らかで、あの王女の優美さや静謐さをよく体現した演奏であった。
 音色から察するに使われている楽器はリト族がよく使うリュートのようだ。
 しかし現在城にいる宮廷詩人の中でこの楽器を扱う者はいない。
 音も若干ではあるが粗があり、演奏しているのはどうも本職ではないようだ。

(それにしても、一体誰が……)


『――何か気に病むことがあっても心配いりません。きっと今に蒼穹を奏でる羽ばたきが貴方の耳にも聴こえてくるでしょう』

 ふと、お師匠様の言葉が何故か頭に思い浮かび、素直でないリトの戦士の横顔が脳裏をよぎる。
 そういえば、今日は英傑同士の会合も行われていたはずだが……。

(……いや、さすがにまさかな)

 微かに湧いた予感を打ち消すように首を振る。
 変な期待をすれば、後で自分がひどく哀しくなるだけだから。
 宮仕えが決まってすぐの時のように心を固く冷たくして、僕は重い鉄製の扉をゆっくりと押し開いた。



 ――開いた扉の先を見上げると、リトの英傑が古い見張り塔の塀に腰を下ろして同じような色の大きなリュートを奏でていた。

「――――」

 思わず息をひそめて、その様子を食い入るように見つめる。
 いつかのように月明かりに照らされた群青の翼がまるで夜空で染め上げたように深く艶めく。その姿にゾーラの英傑の詩の優しくも儚げな旋律が華を添えているようだった。


「――おや、今日もまた随分と遅かったじゃないか」

 しばらくして、僕に気が付いたリーバル様は演奏を中断して見張り塔から降りて来た。

「時間にルーズなのは感心しないね」
「リーバル様……。どうして、ここに」
「――」

 僕の質問にすぐには答えず、彼は月明かりに照らされたお濠の水面をしばらく眺めた後、ようやくその嘴を開いた。

「……一か月前、家を片付けていたらコレが出て来てね」

 そこまで言ってリーバル様はやっとこちらに振り返り、さっき弾いていた年季の入った群青色のリュートを僕に見せてきた。
 リト族の手のサイズに合わせて作られた大きなリュートと黄色いピックは、吟遊詩人だったリーバル様の母親の形見らしい。

「良い楽器をずっと埃かぶったままにさせておくのがしのびなくてさ。かなり不本意だったけど、養父に頼んで弦を張り替えてもらったりしたんだよ。なし崩し的に弾き方までまたアレコレ言われる羽目になって大変だったけど」
「養父……?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げた。

「そういえば、君にはまだ言ってなかったっけ。僕は幼い頃に親をどちらも亡くしてから、とある吟遊詩人に数年だけ養われてたんだ」
「吟遊詩人にですか?」
「君もよく知ってるやつだよ。最近手紙か何か届かなかった?」
「⁉ ま、まさか……‼」

 そこでようやくお師匠様の顔が思い浮かび、あの手紙の真意を悟る。
 しかし、それにしたって弟子である僕を心配して手紙を書いたのならわざわざ迂遠な言い方をせず普通に伝えてくれても良かっただろうに。
 もしかしてお師匠様――目の前の英傑並とは言わないが、僕が思ってる以上に素直じゃない方なのかもしれない。
 リーバル様の養父だというのも、どこか納得がいくというものだ。


「君もあの面倒臭い吟遊詩人の相手をするのは大変だっただろ?」

 心底うんざりという顔でリーバル様は僕に問いかけてくる。

「え、えぇっと、少々大変でしたね」

 貴方と比べたらそこまでは……という言葉はなんとか言わずに呑み込んだ。

「君とは入れ違いだったみたいでさ。僕はすぐ戦士見習いとしてヘブラ中を飛び回るようになってたからあまり世話になったワケでもないんだけどね」
「そうだったんですか」
「君のコトはあの偏屈を訪ねた時に聞かされたよ。『彼の演奏を聴いて師が私だと分からなかったのですか? 嗚呼、養父として嘆かわしい限りです』って嫌味言われたけど」

 お師匠様の口調を真似て喋った後、リーバル様は疲れたようにため息を吐く。
 それがあまりにも似ていて、少しだけ吹き出しそうになる。

「あー……お師匠様なら言いかねませんね」
「本当に厄介だよ、あの吟遊詩人」

 以前リーバル様が村で退魔の剣の主相手に挑発したことがあったが、それが最近になってお師匠様にバレてしまったらしい。
 その際『他種族の者に空を飛べないことを馬鹿にしてどうするというのですか。しかも古来より伝えられるあの伝説の退魔の剣を抜いた騎士にそのような……なんて大人げない。全く、貴方は一々やることが天邪鬼で血の気が多過ぎです。だから戦士などなるのは止めておけと言ったのに』なんてくどくど言われたそうだ。

「もしかしてお師匠様は貴方が戦士になるのを反対されていたのですか?」
「そうなんだよ。ひどい話だろ?」

 なんでも『血の気が多い者は得てして戦いに呑まれて己を見失い、命を落としてしまうことが多いため』らしいが……。

「仮にも英傑に選ばれたリト族一の戦士であるこの僕にまだそんなこと言うんだぜ? ホント、面倒臭いったらありゃしないね」

 でもそれは多分ただの建前なのだろう。本音はリーバル様に危ない目にあってほしくないとか心配だからとか、そんな至極シンプルな理由に違いない。
 やはり、お師匠様は特にこの英傑に対して素直になれないようだ。

「ま、嫌でも認めさせるために弓術大会でぶっちぎりの成績で優勝できたし。そういう意味では一応、ほんの少しは感謝してやってるさ」

 リュートの弦の緩みを直しながらリーバル様は何でもないコトのように言う。


「僕の父と親友だったよしみで養父を買って出たらしいけど、あんなの友達にしてたのだけは気が知れないよ」
「!」

 リーバル様の『父』という言葉に、忘れかけそうになっていたあの夜のことをようやく思い出す。

「どうしたんだい? 急に暗い顔して」

 リトの英傑がまたここにやってきてくれたことに浮かれていたが、僕はまだあの時の謝罪をきちんとしていないのだ。
 またひどく怒りをかってしまうかもしれないが謝らないわけにはいかない。

「あ、あのリーバル様っ、この間の白翼の戦士の詩の件は……」
「あーもう、そういうのやめやめ」

 おそるおそる謝罪の言葉を紡ごうとすると、リーバル様はひどくうんざりした面持ちで遮ってきた。

「わざわざここで辛気臭い話するの、止めとかない? 僕は君の演奏がまた聴きたくなったからここに来たっていうのに」
「そ、そう言われましても…っ…」

 しどろもどろになる僕に、リーバル様は少しバツが悪そうな顔をする。

「あの時は大人げない真似して……その、悪かったよ。君がリト族について疎いのは分かってたのに、あんな八つ当たりみたいなことしてさ」
「しかし……」

 まだ狼狽える僕に、彼はため息を吐いて更に言い加えてきた。

「――君が僕のことで倒れるほど心を痛めてるって、今日の会合が終わった後にあの姫から耳にオクタができるほど聞かされたよ」
「‼」
「彼女だって今は自分のことで手一杯だろうに、すごく心配そうに君のこと話してくるんだもの」

 本当にドが付くほどのお人好しだよねと、リーバル様はやれやれと肩をすくませる。

「ぜ、ゼルダ様が……⁉ そんなっ、いやまさか…っ…!」

 この英傑と仲良くしてほしいとはお願いされたが、そこまで僕を気にかけてくださっているなんて到底信じられなかった。
 動揺する僕にリーバル様はバカにしたように口元を歪ませる。

「おいおい、君は自分が愛する者の考えているコトも分からないのかい? それでよく吟遊詩人なんてやっていけるね」
「⁉ ど、どどどうしてそれをっ……⁈」

 確かにいつぞや恥ずかしいニヤケ顔を披露してはいたが、自分の想い人が誰かなんて、この英傑に教えた覚えなんてなかったはずなのに……!

「――はぁ。ホントさ、片想いしてるやつらってどうして揃いも揃って周りにバレバレなのが分かんないんだろうねぇ」

 まるで何人も似たような人を見てきたように言う。
 しかし、何故そんなに不機嫌そうに眉間に皺を寄せるのだろうか。


「僕としては、君があの姫をあいつから奪ってくれたら幾分か清々するんだけど?」
「なっ……⁉」

 何か、今サラッと物騒かつ不穏な言葉が聞こえて思わず固まる。

「ま、最近あの姫もあいつのことばかりみたいだし。今更君がつけ入る隙なんてどこにもなさそうだけどねぇ」

 こちらの反応を試すように、リーバル様は愉快そうに目を細めていた。


 ――こんな時は聞かなかったコトにするのに限る。
 いつかプルアも言ってたっけ。『あいつの嘴を閉じさせたいならさっさと話を変えるか、こっちが黙るのが一番手っ取り早い』って。

「えぇっと。リーバル様、今日はどんな詩をお聴きになりたいですか?」
「ちょっと、僕の話を無視する気?」
「えっ? い、いえ、決してそういう訳では……」
「話変えるにしても、もっとうまくやりなよ。しかしまぁ、どこでそんな知恵をつけてきたのやら。ホント、腕の良い吟遊詩人ってのは厄介な連中ばかりで嫌になるよ」

 嫌そうに言うわりに、リトの英傑の声音は明るかった。
 それが何かおかしくて、ついつい余計な言葉を滑らせてしまう。

「……貴方だって、人のこと言えないでしょうに」

 僕が切り返してきたのが意外だったのか、リーバル様は若干驚いたように目をぱちくりとさせていた。

「へえ、驚いたね。君も言うようになったじゃないか」
「ゼルダ様や貴方と出会えたお陰で、私も少しは強くなれたようです」

 感慨深く、そう断言した。


「――そうだ。折角ですし、一緒に演奏しませんか?」

 竪琴の弦の調子を確かめるために二、三音鳴らす。

「本職の君の演奏に僕なんかがついていけるのかい?」
「まさか、リトの英傑ともあろうお方が臆してしまったのですか?」
「……」

 僕の挑発めいた言葉にカチンとしたようにリトの英傑の眉尻がピクリと動く。

「――そんなに難しい曲ではありませんよ」

 リトの者なら誰もが知っているとある唄の出だしを奏でる。
 彼らの間でずっとずっと歌い継がれ、村で演奏されてきたあの曲――古いリトの言葉で『竜の島』という意味をもつ唄を。

「なんだ、この曲か」

 何の曲か分かって僅かにホッとした表情を見せるリーバル様と目が合う。

「くすっ……」

 思わず微笑むと、彼はまたムッとしたように眉間に皺をよせていた。

「チッ、まぁいいさ。君こそ僕が来ない間に腕がなまってないか――細かくチェックしてやるから覚悟しなよ?」

 またすぐに不敵な笑みを浮かべてリーバル様は近くのベンチに座り、僕の演奏に合わせて自分と同じ色のリュートを弾き始めたのだった。


 ◇ ◇ ◇


 ――この時ほど、楽しい夜も無かった。

 母親が吟遊詩人だったためか、はたまたお師匠様の仕込みのお陰か……。
 確かに荒削りではあったが、リーバル様の生みだす音色にはある種の清廉さと美しさがあった。

 お師匠様が彼を戦士にしたくなかった理由もよく分かる。
 純粋に自分の親友の忘れ形見であるリーバル様を危ない目に遭わせたくないという強い想いも確かにあったのだろうと推測するが……。
 それ以上に、この英傑は僕でも惜しくなるほどの音楽の才をも持ち合わせていたのだ。
 自分でこれだけ弾けるのであれば、並の演奏では聞くに耐えないのも頷ける。
 そんな人物に手放しで褒めてもらえた事実が、今更ながら僕をとても誇らしい気持ちにさせてくれた。

 セッション後、手直ししたリーバル様の詩を披露すると、彼は『へぇ、前より格段に良くなってる。まあ、君にしちゃ上出来なんじゃない?』と、出来ばえを褒めてくれた。
『でも、初めからこんな風に作れないってのは……。フン、吟遊詩人としてまだまだ人間観察が足りない証拠だね』と、嫌味は言うもののまんざらではなかったようで一安心だった。

 ――僕はリトの英傑と共に演奏したこの三日月の夜を、何があっても決して忘れることはないだろう。




 箸休め/その三


 君の大伯父さん、リーバル様の養父だったって知らなかったろう?
 彼が戦士になるのを反対されていたことも含めて、随分昔の話だからね。
 知ってるのはカーンや弓職人の親父さんの他は数えるほどじゃないかな。
 ……馴染みの顔がだんだん減っていくのは、中々に寂しいものさ。
 いずれは僕も、インパ様やプルア達にそう思われる時が来るんだろうな。
 ――冗談だって。そんな悲痛な顔をしないでおくれよ、カッシーワ。
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