藍と群青

 どんなに美しいうたでも、必ずしも人を喜ばせるとは限らない……。
 ――僕は以前、君にそう教えたことがあったよね。
 実は一度、僕は演奏した詩でリーバル様をひどく怒らせたことがあったんだ。
 あの時の彼はこの上なく恐ろしい形相で僕は生きた心地がしなかった。
 彼の父親の生き様を偽る内容であれば、当然の怒りだったんだけどね。


 藍と群青/朔月

  
 ―――ハイラル城、北側の城壁付近の花畑

 かそけき繊月せんげつがようやく天頂を迎えた時、シーカー族の宮廷詩人が今宵もまた夜空を眺めて静かにたたずんでいた。
 月のかすかな光に照らされ、彼が腕に抱えた細身の竪琴は白銀に煌めき、頭の藍のかんざしもほんのりと明るい。
 そこに突如、一陣の突風が吹き荒れ始める。

「――風、か……」

 激しい風が宮廷詩人のゆったりした外套をバタバタと騒がせるが、当の本人は特段驚く様子はない。
 むしろその風を心待ちにしていたように彼は頬を緩ませる。
 やがて花畑の向こう――つむじ風が吹き荒れる城のお濠より青い影が飛び上がり、宮廷詩人の前にしなやかに降り立った。

「――やあ、今夜も暇だったから遊びに来てあげたよ」

 群青の翼を艶めかせ、リトの英傑が射抜くようにシーカー族の宮廷詩人を見ていた。

「リーバル様、今宵もご機嫌麗しゅう……」

 優雅に翼を閉じるリトの英傑に、彼もまた優美に頭を下げる。

「そういうのはいいから、早く君の演奏を聴かせてくれよ。僕はそのためにここまで来てあげてるんだから」

 リト族というものは他の種族と比べてややせっかちなきらいがある。
 この英傑も例外ではないようで、来て早々形式的な挨拶さえ面倒と言わんばかりに宮廷詩人を急かし始める。

「ええ、承知しております」

 その様子を微笑ましげに見つめながら、宮廷詩人は唄うように口を開いた。

「――今宵も、あの繊月に相応しい詩を貴方様のためにご用意して……」
「あのさ」

 急に、リトの英傑が宮廷詩人の言葉を遮る。
 なぜだかとてつもなく居心地が悪そうな表情だ。

「いかがなさいました?」
「その無駄に仰々しくて堅っ苦しい喋り方、そろそろどうにかなんない? 背中の辺りがムズムズしてしょうがないんだよね」
「……」

 リトの英傑の意外な申しつけに、宮廷詩人は驚いたように紅い瞳をぱちくりとさせる。

「普段特に意識していないのですが、そんなに仰々しいでしょうか?」
「ああ、さっきの君の勿体つけた大仰なお辞儀なんかは特にね。他の連中がいる時は仕方ないかもしれないけど、今くらいもっと気楽にしたら?」
「……リーバル様」

 その言い分に宮廷詩人は困惑の表情を浮かべるが、口元はどこか柔らかな弧を描いていた。

「善処致し――いえ、そうします」
「そうそう、そのくらいがちょうどいい。君はこの城の宮廷詩人の中じゃ腕はピカ一なんだから、僕みたいにもっと堂々としておけばいいのに」
「そう、ですね……」

 いかにもリトの英傑らしい言葉に宮廷詩人は憂いを含んだ笑みを浮かべて僅かにうつむく。
 銀に近い灰の髪に隠れた紅い瞳にはやや暗いものが覆っていた。

「いつかそうできる日が訪れると良いのですが……」
「城の連中にとやかく言われるのが怖いのかい? 君も意気地がないねぇ」
「――シーカー族というのは遥か昔からひたすら忍ぶもの。それが私も骨身に染みついていますから」
「ふぅん。ま、君がそれで構わないんなら別にいいけど」

 宮廷詩人のかたくなな態度に、リトの英傑はやれやれと肩をすくめていた。


 ◇ ◇ ◇


 ――あのアクシデントのような遭遇の後、時たまリーバル様が僕の深夜の演奏を聴きに訪れてくれるようになった。
 初めの内は演奏が終わった後に弾いた曲の注釈をポツポツと話す程度の会話しかなかったが、次第に彼も自身の話を僕にこぼすようになったのはうれしい誤算であった。

 この間は英傑同士の会食の際、ダルケル様にナッツ炒めを特製岩ロース炒めにすり替えられて食べさせられそうになって激怒した話だったか――。
 デスマウンテンに生息するオルディンダチョウには消化のために小石を定期的に飲み込む習慣がある。それでてっきり、リト族もそうだと思ったダルケル様がリーバル様にお節介を焼いた結果起こった小さな悲劇である。
 確かにリト族にもごくたまに小石を飲み込む習慣はあるにはあるが、あの食欲旺盛なダチョウのソレに比べれば量も少ないしサイズももっと小さいものだ。
 ましてゴロン族の考える小石サイズでは、彼らが飲み込めるようなシロモノではないのは当然で……。
 その辺りの配慮もなくしかもこっそりすり替えられたことに堪忍袋の緒が切れたらしいのだが、ダルケル様にどんなに怒りの丈をぶつけても『やっぱりリト族も岩食えるんだな! おめぇも俺や相棒と一緒とは嬉しいぜ!』と目をキラキラと輝かせるだけで埒が明かなかったのだと大いに愚痴られたのである。
 リーバル様には申しわけないが、あの話はお腹がよじれるほど面白くて無理に笑いを我慢したおかげで翌日ひどい筋肉痛になったりして大変だった。


「――でね、治癒なんて必要ないって僕はあのお姫様に再三言ったんだよ」

 今日の話はゾーラの英傑に対するちょっとした愚痴だった。

「なのに彼女、ムキになって全く引く気がないときた。……あの時はさすがの僕も城の窓から戦略的撤退を余儀なくされたよ」

 その後、城から脱出した自分になぜかゲルドの英傑の雷が目いっぱい飛んできて大変だったのだと、大げさな身振り手振りで当時の状況を心底げんなりとした顔で語っていた。
 数週間ほど前、城周辺を揺るがす大きな雷が終焉の谷付近に落ちて大騒ぎになったのだが、まさか裏でそんなことが繰り広げられていたとは……。

「あの落雷騒ぎはウルボザ様によるものだったのですね」

 失礼にならないよう忍び笑い程度に笑いを抑えつつ、相槌をうつ。

「なんだ、君も見てたのかい? 本当におっかなかったよね……アレ」

 あの雷が直撃して本気で死ぬところだったのだとリーバル様は口を尖らせる。

「さ、さすがにあの方でも手加減はされていたでしょう?」
「いーや、あれは本気だったね。最後の雷を落とす直前のあの族長、遠くからでも分かるくらいとびっきりの笑顔だったんだぜ?」

 まるで神話に謳われる伝説の魔王の雷みたいだったよと、彼は顔をげっそりとさせて空を仰いでいた。


 あまり仲がよろしくないと城内でうわさされていた他の英傑とも、話を聞く限りでは特段険悪ではないようだった。
 リーバル様は他の英傑のほとんどが自分より年上であることを気にしているようで、彼らに侮られたくなくてついそっけない態度をとってしまうようだ。
 ただ、退魔の剣の主とだけは聞く通りのようで内心実力は認めてはいるものの、仲良くなるには至っていない――そんな印象を持った。
 かの剣士に反発していることに親近感を持ったのは内緒である。


「――あれ、もうこんな時間か」

 リーバル様の話を聞いていたら、いつの間に月がだいぶ西に傾いていた。

「演奏のついでに僕の愚痴を聞いてもらって悪かったね。こんな話、他に話せそうなのはお城には君以外いなくてさ」
「分かっております。内密にしておきますのでご安心ください」

 僕が貴族でも騎士でもリト族でもないからか、他の英傑との話も気兼ねなくできるようだった。


 ◇ ◇ ◇
 ―――ハイラル城、図書室

 城の中で最も静謐だと呼ばれる場所に足を踏み入れる。
 国内外から集められた沢山の書物が収められた広い図書室の石壁を蝋燭の灯火が厳かに照らしていた。

(――相変わらず、ここは雑音が少なくて良い場所だ)

 ここで聞こえてくる音といえば、本が繰られる音と目当ての本を探す者の靴の音くらいだ。
 最近だと城内での遺物発掘のために駆り出されたであろう黄色いヘルメットをかぶったゴロン族の集団が迷い込んだりすることもたまにはあったが、基本的には騒音とは無縁な場所であった。


 今日、僕がここを訪れたのはまだ見ぬ新しい楽譜探しのためだ。
 このところお城では英傑同士の会合がひんぱんに行われており、それに伴って結構な頻度でリーバル様が僕の演奏を聴きにやってくるのでレパートリーが不足し始めていたのだ。
 あの英傑は一度演奏した曲を再び弾いても全く構わないと言っていたが、それを肯定するのは宮廷詩人である僕のプライドが許さなかった。

(僕でも知らない曲があれば良いのだが……)


 分厚い楽譜集がみっちり収められた本棚が並ぶ区画に陣取り、片端から手に取ってはすべて目を通していく。
 だがしばらく何冊か目を通してみても、どれも修行時代までに弾いた覚えのあるものばかりで目新しいものは中々見つからない。
 三、四曲ほど見つかれば御の字と思っていたがそう簡単にはいかないらしい。
 その後も何十冊と楽譜集を開いては嘆息するのを繰り返していたら、次第に日も傾き始めて若干の焦りを感じ始める。

「っとと……!」

 最後の望みを託して一番古そうな書物を本棚から取り出していると、突然背後から声をかけられた。

「よっ、珍しいな。お前ほどの奴が今更楽譜集を引っ張り出してるなんて」
「……貴方は」

 声の主は城内の宮廷詩人でも僕と同じ年くらいの若いハイリア人だった。
 宮廷詩人の中では唯一僕とまともに会話してくれる奇特な人物なのだが、彼の纏う空気にどこか不穏なものを感じていて、正直苦手な手合いでもあった。

「あ、さては最近逢引きしてるってうわさのリトの英傑のために新しい詩でも探しにきたんじゃないか? お前も隅に置けないねぇ」
(逢引き……)

 ひどく語弊のある言いように閉口する。
 こういうタチの悪い冗談をあくびれもせず言い放つところも苦手なゆえんだ。
 それにしても、この言い方から察するに僕の深夜の演奏をリーバル様がたまに聴きに訪れていることも城の一部の人間には既に筒抜けのようだ。
 ギリと、つい奥歯を強く噛む。相変わらず、彼らは他人の動向に異様に興味を示すがその理由が僕には未だに全く理解できない。

(理解したいとも、思えない)

 僕だけでなく、それが王家の姫を苦しめている一因になっているのであればなおさらだった。

「はははっ、そんなに睨まないでくれよ。美人は怒ると余計怖く見えるんだぜ?」

 カラカラと明るいがどこか耳に障る笑い声が図書室に小さく響く。
 ――思っていることが顔に出てしまっていたようだ。気をつけなければ。

「ああでも、逢引きは冗談が過ぎたな。悪かったよ、嫌な気持ちにさせて」
「別に……一々気にしておりませんから」

 もう用はないとばかりにそれだけ彼に言って、僕はさっき本棚から取り出した古めかしい楽譜集を開いて目を通し始める。

「――それ、何冊目だ?」

 ハイリア人の宮廷詩人はここから立ち去ろうとせず、本を調べる僕を興味ありげに見おろしていた。

「これで最後です」

 気が散るからそろそろどこかに行って欲しいものだが……。

「他の書物も目を通しましたが、すべて覚えのあるものばかりでしたので」
「す、すべて覚えがあったってお前、本棚数台分の譜面が全部頭に入ってるとでもいうのか……⁈」
「……。そうですが、何か」

 何度も話しかけられていよいよ集中できなくなり、ため息を吐いてハイリア人の宮廷詩人を見上げる。

「貴方だってここに仕えている宮廷詩人なのですから、古典である勇者の伝説を詠う詩のほとんどを網羅されているんじゃありませんか?」
「そりゃあ、そうだが……。ここには各種族に伝わる古い民謡や唄に関する本も沢山あったはずだ。それをすべてって言うから俺ぁ驚いたんだよ」

 やっぱお前たいした奴だなと、感心したように呟いていた。

「――修行時代、私の師には随分としごかれましたから」

 起き抜けに突然見たこともない古いリトの言葉で書かれた譜面を束で渡され、一週間で全部仕上げてきなさい……なんて言われて四苦八苦したのが懐かしい。

「ひえぇ、おっかない吟遊詩人もいたもんだな」

 他にも『今後きっと必要になると思いますから』と竪琴以外の楽器に関しても、その扱い方や弾き方相当厳しく指導され、当時は専門外のことまで学ぶ必要があるのかとお師匠様の指導に疑念を抱いたこともあった。
「厳しさはまあ、それなりでしたが得るものも大きかったですよ」

 けれど、おかげで作曲の際にその経験が大いに役立ったし、様々な楽器に関する豊富な知識は王家お抱えの楽団員達と良い関係を築くことができたのだ。

「ところで、貴方はここの蔵書に随分と詳しいのですね」
「おうよ。俺の家は代々ここの書庫番やってる家系でな。その辺は頭にしっかりと叩き込まれてるよ」

 中身まで知らなくとも、どんな書物があるかは網羅しているようだ。

「なるほど、それでさっきあれだけ驚かれていたのですか」
「…………」

 僕の言葉に、急にハイリア人の宮廷詩人が黙り込む。
 何か思案しているようだが……。

「どうしました?」
「なあ、さっきの詫びと言っちゃなんだが俺も一緒に楽譜探してやろうか?」
「――はい?」

 予想外の申し出に目を丸くする。

「さっきも言ったが俺の家は代々ここの書庫番でさ。俺も宮廷詩人とそれとを兼任しているんだ。役に立てると思うぜ?」
「し、しかし」

 返事に困っていると彼は急に僕の肩に寄りかかり、ごく小さな声で耳打ちしてきた。

「――知ってるか? ここに集められた書物の中には上の判断で表の本棚には並べられずに裏で埃かぶってるものも結構多いんだよ」
「――――」

 初耳ではあった。
 だがこの国の歴史の長さと図書室の蔵書量を鑑みれば、きっとそうなのだろうと以前から薄々思っていたことだったので驚きはしなかった。

「その手の書物は裏から持ち出すのにもお上の許可がいるんだが、書庫番ならある程度なら許可なく自由に扱うことができるんだよ」

 そこまで言って、ハイリア人の宮廷詩人は近づけた顔を離す。
 何か――砂のような乾いた残り香が彼からした気がした。

「お前の探してる楽譜もあるかもしれないだろ? 奥のほう探してくるからちょっと待ってな」
「あ、ちょっと…っ…」

 呼び止めようとしたが、ハイリア人の宮廷詩人はあっという間に奥の区画に消えてしまった。

「全く……」

 その強引さに少しばかり辟易するが、僕にとって彼の提案がとても魅力的なのは確かだった。
 それに上辺だけで人を判断できないことをリーバル様の一件で学んだはずだ。
 特にあのハイリア人の宮廷詩人に関して言えば、あまり得意な手合いではないが以前から僕をそこそこ気にかけてくれていたではないか。
 もっと彼を信用しても良いはずだ。

(僕も、人の親切を素直に受け入れることを覚えるべきかもしれない)

 考え方を少し変えてみると、今まで顔を見るだけで嫌な気持ちにしかなれなかった他の宮廷詩人に対しても前よりかは真摯に向き合えるような気がした。


 ―――数十分後。

「一応、お前でも知らなさそうなのが一つあったぞ」

 しばらく古い楽譜集を読み込んでいたら件の宮廷詩人が戻ってきた。
 その手に楽譜が握られているのに気づき、思わず椅子から立ちあがる。

「これなんだが、どうだ?」

言いながら、彼は一つの譜面を机に拡げた。

「これは……」
「昔活躍したと伝えられているリトの戦士を詠った詩だそうだ。作者は不明だが曲の美しさは折り紙付きだ」
「リト族の?」

 僕はリトの村で修行していたのに、そんな詩があるだなんて今の今まで知らなかった。

「――――」

 珍し気にその楽譜に目を通す。詩の内容は昔いたであろう勇猛なリトの戦士の勇ましさと哀しきその最期を詠ったものだった。
 とても短い曲ではあったが、切ない旋律に悲劇の詩という組み合わせは僕の好みとするものでもある。
 リーバル様も過去活躍した同族の戦士の詩であれば喜んでくれそうだ。

「どうだ、よさそうか?」
「はい、気に入りました」
「へぇ? なら良かったよ」
(……?)

一瞬だけ、何かよくない感情の念を強く感じたが――。
 いや、親切にしてもらったのだ。疑うのはよそう。

「わざわざ私のために楽譜を探していただいて、ありがとうございます」
「いいって、いいって。困った時はお互い様だ」
「あの、これ持ち出し不可ですよね? 代わりに紙に書き写してもよいでしょうか?」
「それにも諸々の手続きが必要なんだが……。ま、俺がどうにかしとくさ」
「何から何まで、本当にすみません」

 書庫番でもある彼の許可のもと、早速この楽譜を持ってきた紙に書き写す。
 それを終わらせた時、ちょうど午後五時を知らせる鐘が鳴った。


 今夜は他国の者を招いた晩餐会があり、僕もそこで演奏を披露するよう陛下直々に仰せつかっている。
 そろそろ戻らなければ……。

「では、私は仕事がありますのでこれで失礼します」
「おう、さっきの詩をあの英傑に早く聴かせられるといいな」

 ハイリア人の宮廷詩人に改めて礼を言い、楽譜の写しを持って図書室を急いで後にする。
 結局一曲しか見つけられなかったのは残念だが、早速練習してなるべく早くリーバル様に披露しなければ。

 ――見送るハイリア人の宮廷詩人の口元が密かにだが確かに邪悪に歪んでいることに、この時の僕は愚かしくも気付けぬままであった。


 ◇ ◇ ◇


 ―――数日後、ハイラル城北側の城壁付近の花畑

 この日は新月で空は晴れてはいたが強い光源もないため、北側の城壁付近はいつもより薄暗かった。
 ハイラル城では夜警用に外にも多くのかがり火が焚かれていて真夜中でも出歩くのに困らないほど明るい。
 とは言え、この辺りは城の外れに位置するため新月の日だけはどうしても薄暗くなる。
 当たり前の話だが、リト族は鳥目なので今夜のようにここまで暗い夜であればリーバル様もさすがに来ることはないだろう。
 例の詩をもう少しだけ練習したかったので正直とても助かった。


「――やあ、今日はいつもより遅かったね」
「り、リーバル様……?」

 そう思っていつもの場所に赴くと、来ないと思っていたリトの英傑の姿が既にそこにあった。

「なんだい、ナミバトが米ぶつけられたような顔して」
「その、リト族は夜目はききにくかったはずではありませんでしたか?」

 思わず訊けば、リーバル様は途端に呆れたように黄色の眉をハの字にさせる。

「あのねぇ、リトの戦士になるには夜目を鍛えるのも必須事項なんだよ」

 村の入口で一日中見張りをしているリトの戦士を見たことないのかと、彼は続ける。

「何かあった時に暗くて戦えません、なんて言い訳できないだろ? 夜には村の前までサンゾクオオカミやハチクイグマが来ることだってあるんだから」
(そういえば――)

 この英傑が風の神獣の繰り手になる際に挑んだ試練の一つに、深夜に龍の角を射抜くというものがあったとゼルダ様から教えていただいたのを思い出す。
 僕が思っているよりもずっと、彼らの夜目はきくようだ。

「……言われてみれば、そうですよね」
「全く、君は村に修行に来てたらしいのに、そんなコトも知らなかったの?」

音楽のことばかりでそういう所に目を向けていなかった己が恥ずかしかった。

「あの時は修行についていくのに精一杯だったもので……」

 うつむく僕にリーバル様はまたやれやれと肩をすくませる。

「ま、僕だってこの城がこんなに明るくなかったら、さすがに新月の夜はあまり見えないよ。鍛えたところで、所詮は後天的なものだしね」

 言ってすぐ、リーバル様は少しバツが悪そうに僕に一言付け加えてくる。

「おっと、今の話――他の連中には言わないでよ?」

 少しでも弱みになりそうなことが広まってしまうのを一々気にしてしまう辺り、やはり何か――このリトの英傑は憎めないのである。

「ええ、ええ。心得ておりますとも」

綻びそうになる頬をなんとか抑えてそう返せば、リーバル様は僅かにホッとしたような表情を浮かべていた。


「――それで、今日は何を聴かせてくれるのかい?」
「今晩はあるハイリア人の宮廷詩人から教えてもらった詩を披露しようかと」

 そう僕が言うと、リーバル様は途端に嫌そうに目をひそめる。

「いつもは君を露骨に無視してる連中がか……?」

 この英傑はどうも、ハイリア人という人種が少しばかり苦手なようだ。

「いえ、その方は私にもそこそこ話をしてくれる奇特な方でして」
「へぇ、初耳だね。僕はてっきり、あいつら全員に裏で嫌がらせでもされてるのかとばかり思ってたよ」
「まぁ、確かにその方もとても良い方とまでは言えませんが――」

 一旦言葉を切って、リーバル様に向き直る。

「それでも、今回色々と親切にしていただきましたし、悪い方ではないと私は信じたいのです」
「――お人好しも程々にしないと、いつか後悔しそうだけど」

 リーバル様が小さな声で何か呟いたような気がしたが、どうしたのだろうか。

「何か、仰いました?」
「なんでもない。ただの独り言だよ」
「は、はぁ……」

 首を傾げる僕を渋い顔で見ながら、彼は小さく息を吐いていた。

「ほら、その親切なハイリア人の宮廷詩人とやらから教えてもらったっていう詩――早く僕にも聴かせてよ」

 そう言って、リーバル様は定位置である城壁に背中を預ける。

「えぇ、分かりました」

 いつもとは違う態度を少々怪訝に思いながら、僕は竪琴を爪弾き始める。
 昔いただろう勇猛なリトの戦士の哀しき最期を詠った詩を――。
 本当はこの詩の出処について更に下調べしたかったのだが、今夜この英傑が訪れてくれたのであれば早く聴かせてやりたかったのだ。


 ―――気高きリトの戦士
    その強さ 白き雷獣の如く
     その心 晴れたヘブラの蒼穹の如く――


(――……あれ…?)

 その時、演奏中はいつも目を閉じているはずのリーバル様の瞳がスッと開かれたことに気付き、妙な違和感を覚えた。
 もしかして既に聞いたことがあったのかもしれない。
 だが今更演奏を止めることはできない。
 しかしなにか――よく分からない胸騒ぎを覚えた。

(――っ! いけない……演奏に集中せねば)

 指の動きを誤りそうになり、よくない予感を振り払うように演奏を続ける。


 ――数多の戦 華麗な弓の技にて 魔物を屠り
    近衛の騎士さえ翻弄し
      王国にその名 広く知らしめん
  しかしその強さ 魔物どもに 酷く恨まれた

 ――ある時 己の強さに驕った戦士
    魔物どもの謀略に落ちる
   奮闘の末 討ち果たすが
     自身の命運も 同じく尽きる――

 ――戦士の命 果てるとも その武勇
    その魂は永く語り継がれん
   ヘブラの雪の如く 白く輝く翼
     空に満ちる 風の如き翡翠の……


 もうすぐ詩を詠い終える直前……突然、耳元で風が裂ける音がした。

「――――っ⁈」

 自分の顔の真横スレスレを大きめの刃物がかすめていく。
 咄嗟に避けて事なきを得たが、演奏を中断する他なかった。

「な、何者っ……⁉」

 即座に背後を振り向くと、僕の後方にあった木に小振りな両刃の片手剣が柄まで深々と刺さっていた。

「これ、は……っ」

 柄の先端にあしらわれた彼らの弓にもある特徴的な凹凸の形状は、確かにリーバル様が護身用に持ち歩いていた風切羽の剣だった。

「リーバル……さま――?」

 壁にもたれて詩を聴いていたはずのリトの英傑におそるおそる視線を向ける。

「君の真似をしてみたかったんだけど……。手が滑っちゃったみたいだね」

 なぜそのようなことをと、訊きたかったが声にならなかった。
 風を閉じ込めたような彼の瞳が、ヘブラで吹き荒れる吹雪を思わせるほどに冷たく僕を見ていたから。

「己の強さに驕った――か。村の連中から聞いてはいたけど、まさかこんなにも醜い詩だったとはね」

いつもより一段と低い声で吐き捨て、ゆらりと近付いてくる。

「この僕をここまで怒らせるなんて――。ハッ、そのハイリア人の宮廷詩人とやらも大したやつじゃないか」

 こんなに怒りをたぎらせているリトの英傑を、おそらくあの退魔の剣の主でさえ見たことはないだろう。
 彼とすれ違った時、あまりにも強いその怒気に僕の身体が僅かにだが震え始める。それをどうにか隠したくて、持っていた竪琴を両手で強く抱いていた。

「……フン」

 そんな僕を見て、リーバル様は少しだけ怒気を抑えて皮肉げに口元を歪める。

「君はもっと人を疑うことを覚えるべきだよ。こっちに良い顔して近寄ってくる連中が心の中で何を考えているかなんて、分かるワケないんだからさ」

 リーバル様は木に深々と刺さった剣を乱暴に引き抜き、こちらを振り向くことなく言葉を続ける。

「一つ忠告だ。君が今弾いた詩――今後一切リトの戦士がいる前では弾くなよ。文字通りのボロ雑巾になりたくなかったらね」
「リーバル様、私は…っ…!」
「君が何も知らないのは分かってる、分かってるさ」

 思わず叫ぶ僕にリトの英傑は静かに息を吐いて引き抜いた剣を鞘に収めた。

「でもその詩は、その詩だけは…っ……。一人のリトの戦士として、僕はその存在を認めるワケにはいかないんだ」

 そう言って、リーバル様はタバンタ辺境の方角を悲しげに睨み付けていた。

「僕だってソレを弾いたのが君じゃなかったら――」

 リトの英傑の周囲に強い風が集まり始め、城壁付近の木々や草花をゴウゴウと激しく騒がせる。

「――そこの外堀に蹴り落として、二度と浮かんでこないように念入りに沈めていたところだっ……‼」

 リーバル様は巨大な竜巻と見紛うほどの轟風を纏って一瞬で空へと飛び去ってしまった。


「……リーバル、様」

 眼前には木さえ薙ぎ倒す勢いで轟く上昇気流の渦が立ち昇っていた。
 リトの英傑のともすれば殺気さえこもった怒りの形相に足がすくみ、己の竪琴を抱えてその場でしばらく膝を折るしかなかった。


「――あれ、は」

 少し離れた所で小さな紙片のようなものが淡い光を放っているのが見えた。
 すくんだ足を無理に引きずって近づくと、いつかリーバル様が避けたあのしのび草の花が刃のように鋭い風に無残に裂かれて細切れになっていた。

(あぁ、そんな……)

 あの英傑が巻き起こす猛々しい風を小さな花が至近距離で浴びればこうなってしまうのは当然だった。
 だからこそ、リーバル様は自分の起こした風で無為に花を散らさないように、なるべくそれらの近くであの技を使うのを避けていたのだ。
 彼なりのとてつもなく繊細でほのかな優しさを一瞬で奪うほどの憤怒を、よりにもよって己の手で湧き上がらせてしまったことを強く悔いる。

(なんて、ことを……僕は…っ…‼)

 その罪深さに叫び出しそうになる声を必死に殺した。
 月明かりのない深夜の宵闇は僕の慟哭をただただ静かに見守るようであった。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、いてもたってもいられなくて僕はインパ様の執務室に向かった。
 僕にリトの村への修行を勧めたのは彼女だ。当時のリト族の事情について何か知っているはずだ。
 執政補佐官に任命されているインパ様の執務室を訪れると、朝から忙しそうにしていたにも関わらず僕のためにわざわざ時間を割いてくれた。
 もしかしたら僕はひどく情けない顔をしていたのかもしれない。
 彼女の気遣いが今の僕にはとても胸に沁みた。


「――私も、昔村の族長様からお聞きしただけなのですが……」

 例の楽譜を渡した上で昨晩のことを話すと、インパ様が重い口を開く。
 詩に出てきた昔のリトの戦士というのが、今からおよそ十年前に亡くなったリーバル様の父親のことだった。
 随分昔の話であることや羽毛の色が正反対なお陰でその事実を知る者は今の城内でも数えるほどらしい。リト族の間でもこの話を声高にする者がいないことも、それに拍車をかけているようだ。


 曲中は魔物の謀略のせいで孤軍奮闘してなお勇敢に戦い力尽きたような美談にされていたが、事実とは随分かけ離れているらしい。
 リト族の砦に大量の魔物が攻めてきた際、事態を重く見たリトの族長の要請により王がすぐ援軍を向かわせたまでは良かった。だがリト族が魔物と共謀して国家転覆を企んでいるという出処不明の情報が彼らの間で流布されたせいで、助けに向かったはずの王国軍がタバンタ村から一向に動かなかったそうだ。
 頼みの綱だった援軍が来ず数に押され劣勢に立たされたリトの戦士達は、砦の先にある村を魔物達から護るために最後の手段に出たのだという。
 なんでも籠城していた砦の扉を開け放ち、何も知らずに攻め込んできた魔物達を閉じ込めて大量の火薬でもって砦ごと自爆したそうだ。敵の全滅と引き換えにリトの戦士達もまた砦の崩落に巻き込まれてその多くが果てたのだと……。
 この戦いのせいで、ただでさえ少数民族であるリト族の熟練した戦士の多くが戦死してしまったらしい。


「――砦が崩落してすぐのあの周辺はその、とても酷い状況だったそうです」
「――――」

 インパ様は言葉を濁したが、きっと使われた火薬の量が過剰で亡くなった戦士達の遺体の検分さえままならない惨状だったのだろう。
 そこまでの覚悟でリトの戦士達が死したことを知っていれば、『驕った』などという言葉がどれだけ彼らの矜持を傷つけるか想像に難くなかった。

 この話の裏にはイーガ団の影が見え隠れしているそうだが、シーカー族の間でも確証に至る証拠がなく真相は未だに闇の中らしい。
 魔物との共謀疑惑はシーカー族の諜報活動で得られた情報や一人だけ生き残りがいたお陰でどうにか解消されたが、今なおハイリア人に対して良い顔ができないリト族も多いのだとか。
 王国軍側も誤情報に惑わされた事実が明るみに出るのを嫌い、この白翼の戦士の話題は今もなおタブー扱いなのだと。

「その詩は国の後ろ暗い内部事情をごまかすために作られた、云わば偽物の詩なのです」


 その戦いで肉親や友を亡くしたリトの戦士の前で弾けば、命がいくつあっても足りないという――恐ろしい曰く付きの詩だったのだ。

 ――どうやら僕は、ゼルダ様やリーバル様と懇意にしているのを密かに妬んでいただろうあのハイリア人の宮廷詩人に嵌められたようだった。

「……っ……」

 あの時、僕があの者に安易に気を許さずにいれば、まずこんなことにならなかったはずなのに……。
 自分の不手際と不注意を呪う。


「純粋に音楽の修行のためにリトの村に向かう貴方に、余計なことは言わない方が良いと思って皆で黙っていたのですが」

 此度の件は私達の浅慮のせいですと、沈痛な面持ちで詫びるインパ様に僕は何も言えず黙っているしかなかった。
 王国軍側との軋轢あつれきが未だ解消されていない時期にあの村で修行し得たのは、僕がハイリア人ではなくシーカー族だったからだそうだ。
 そんなリト族やリーバル様が今、厄災復活という未曽有の危機に王国と協力しているのはひとえに王家の姫の尽力のお陰なのだとインパ様は語る。


 ――そして、あの退魔の剣の主にリーバル様がどうしても歩み寄れない原因の一つもここにあるようだ。

「リーバル殿も、リンク殿に対する感情が半ば八つ当たりに近いものだと、おそらくご自分でも理解していらっしゃるのでしょう」

 リーバル様は幼くして父という最大の師を亡くした後、自力で弓の腕と飛行技術を磨いた上にあの大技を編み出したのだ。
 確かに血筋や才はあったのだろうが、それ以上に血の滲むような努力と研鑽があったのだろう。
そうまでして王国内でもその実力が認められ始め神獣の操り手候補に選ばれた彼の前に、退魔の剣に選ばれたあのハイリア人の天才剣士が現れたのだ。

「姫様とはまた違うコンプレックスをあの剣に抱えているのではないかと、私は思っています」

 あの退魔の剣を見る度、国を護るために戦っていたはずの父親や他のリトの戦士達が、その護ろうとした国に理不尽に切り捨てられた事実をどうしても考えてしまうのだろうとインパ様は推測する。


 ――太古の昔から魔を退け邪を払ってきたはずの伝説の退魔の剣は……そしてそれを作り給うた女神は、どうしてリト族を……父親達を救ってくれなかったのかと――。
 それはあの退魔の剣の主にも、リーバル様にも、そして女神ハイリアでさえ今更どうしようも出来ない、既に十年前に終わった悲劇だった。

(――リーバル様……)

 太古の昔、高度過ぎる技術を持ったが故にハイラル王家から恐れられ、国を護るために編み出したモノを捨てざるを得なかった古代シーカー族の子孫である僕としては――その気持ちが何となく分かるような気がした。

「もしあの方に今の話をしても、きっと強く否定されるのでしょうけどね」
 我々にももう少し心を開いてくれたら何か力になれることもあるはずなのにと、インパ様は寂し気に仰っていた。


 もしかしたら今の話、軍属である退魔の剣の主は知っているのかもしれない。
 だからこそ、同じ英傑となったリトの戦士とどう接すべきなのか分からずにいるのであれば、徴発を受けた際のあの騎士の無反応も不可解ではない。
 一度くらい派手に喧嘩でもすれば少しは変わりそうだけど、それを今の二人に求めるのも酷なのかもしれない。


 ◇ ◇ ◇


「――…………はぁ」

 インパ様の執務室を辞去し、割り当てられた小さな自室に戻った僕は時計の針が今日を通り過ぎて次の日を指してもずっとベッドに寝転んでいた。
 宮廷詩人の仕事も体調不良を理由に無理矢理休みをもらい、毎晩日課にしていた深夜の演奏さえサボってしまった。
 昨晩のリーバル様の怒りの形相が未だに脳裏に浮かび、楽器を触ろうという気力さえ出てこないのだ。


『――二番の詩の王女ってさ、自分の息子を知らない人間によく託せたよね』

 ふと、リーバル様に初めて演奏を聴かせた時の言葉が頭をかすめる。
 あの英傑は水のセレナーデの二番の詩を知らなかったと言っていたが……。
 村のリト族が彼の境遇を思って詠わないようにしていたのかもしれない。

『――ちょっとくらい、何かに八つ当たりしても許される年だったろうに』

 あれはやはり、自分に重ねて発せられた言葉だったのだろうか。
 あの時、もう少しだけリーバル様の話を詳しく聞いておけばこんな事態にならなかったのだろうか。

(いや、あの人のことだ)

 すぐにはぐらかして、イジワルな表情を張り付かせていたに違いない。
 あの退魔の剣の主は鉄面皮のような無表情が顔に張り付いてしまっているが、リーバル様はきっと意識的にあの余裕然とした表情の仮面をかぶっているのだ。
 自身の心に渦巻く様々な感情を、決して他人には悟らせたくないから。


 ――素直じゃないと言えば、あのリトの英傑は怒るだろうか。


「はぁ……」

 狭い寝台の上でもぞもぞと弱々しく寝返りをうつ。
 こんなにもやる気が出ない日というのも生まれて初めてだ。
 窓の近くでつむじ風が吹いたような気がしたが、確認しようとも思わずに僕はそのまま眠りに落ちてしまった。




 箸休め/その二


 君の推測通り、この話は兄弟岩北の岩場の慰霊像と関わりが深いんだ。
 ――君は聡いね、カッシーワ。僕も師として鼻が高いよ。
 そうだ、今度そこへ二人で墓参りに行こう。
 大厄災後は魔物も増えて、あそこを訪れるリト族も減ったようだし……。
 そうそう、お供え用のポカポカ草の実と麦酒も忘れずにね。
 僕のお師匠様もそうして彼らをずっと供養していたんだよ。
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