藍と群青

 リーバル様とはどんな風に知り合ったのかって?
 そういえば、今の今まで君にはあの人とのコトをちゃんと話していなかったね。
 ――良い機会だ。
 少し長くなるかもしれないけど年寄りの昔話を聴いてくれるかな、カッシーワ……。
 ああでも、この話は退魔の剣の主にはくれぐれもナイショだからね……?


 ◇ ◇


 あのリトの英傑との出会いはとてもひどいものだったよ。
 勘違いしていたとはいえ、彼に武器を投げつけてしまったんだからね。
 大きな騒ぎにならなかったのは、あの人のおかげさ。
 ――意外かもしれないけど、リーバル様はわりとお優しい方だったんだ。
 とてつもなく素直じゃない方であったことも、確かだったけどね。


 藍と群青/三日月


 ―――ハイラル城、北側の城壁付近

 天頂を迎える月が夜のハイラル城を静かに照らす午前零時――。
 城内で最も月が美しく見える北側の城壁付近の花畑に青年が一人、細身の竪琴を持ってたたずんでいた。
 纏っている服はシーカー族の装束とよく似ているが、髪を結っているかんざしは彼らがよく使う朱ではなく濃い藍であった。

「――やはり、ここから見える月は格別に美しい」

 うっとりと細められた瞳は紅玉のように麗しく、銀に近い灰の髪は月の光に淡くきらめいている。
 この青年の目鼻立ちはおそろしく良く、もし城下の娘が彼に数秒見つめられでもすればたちまち恋に落ちてしまうだろう。

 ――彼は数年前、最年少で宮仕えに抜擢されたシーカー族の吟遊詩人である。
 麗しい容姿と類まれなる音楽の才で城の者達や王家の者達をもたちまち魅了し、度々王や姫直々に作曲を依頼されるまでになった。
 これは、宮廷詩人であればたとえ一度だけであっても生涯誇れるほど非常に栄誉あることである。
 彼が手がけた数々の曲はどれもすばらしい出来で、多くの民に広く親しまれた。
 最近であれば、英傑に叙任した四人のために作られたうたが人気を博したのが記憶に新しい。
 また、多くの貴婦人達がこの美青年に恋情を抱き、沢山の恋文を寄越した。
 彼はそれらをあからさまに無下にはしなかったが、なびくことは一切なかった。
 美しい音楽を愛する宮廷詩人にとって、それを真に理解できぬ者達の愛の言葉などうっとおしいだけの雑音でしかなかったのかもしれない。
 城の貴族達にはそれが理解し難かったようで次第に色んなうわさが飛び交った。
 宮廷詩人というのは表向きの姿で裏では夜な夜な王家やシーカー族に叛意を抱く者どもの息の根を止めて回っているのだとか、実は王の裏の小姓として人には言えない奉仕をさせられているだとか……。
 様々な憶測が飛び交い、ごく一部ではあったがそれらの話題が宮中を騒がせた。
 根も葉もないうわさを立てられ、時に貴族や他の宮廷詩人からもあからさまな嫌がらせをされるようになった彼は次第に心を閉ざしてしまう。その代わり以前にも増して熱心に曲作りや演奏の腕磨きに没頭していったのである。

 そんな美しき宮廷詩人にも、実は心に秘めた想い人がいるのではとさえ囁かれているが真実は未だ定かではない。


「さて、今宵は何を弾くべきか……」

 宮廷詩人は持っていた竪琴を見つめ、芝居がかった所作で軽く弦を指ではじく。
 それだけで木々のざわめきはすぐさま失せ、虫は鳴くのを止めてしまう。
 まるで今からこの者の指より奏でられる美しき旋律を彼ら自身が心待ちにしているようだった。

「――よし、そろそろ始めよう」

 しばらくして、シーカー族の宮廷詩人は微かに頬を緩ませて今宵の月に捧げる詩を奏で始めた。
清き水が滔々とうとうと流れるような透明なアルペジオが厳かに曲の始まりを告げる。

 ――曲は水のセレナーデ。
 太古の昔よりこの国で奏でられ受け継がれてきた美しい旋律にのせ、ゾーラ族にまつわる二つの切なき愛の逸話をうたい上げる。
 一つは、時の勇者に惹かれるもその思慕を昇華させ賢者としての使命を全うしたゾーラ族の始祖とも呼ばれている気高き水の賢者の話。
 そしてもう一つは、黄昏に潜む影に命を奪われてもなお、同胞と最愛の息子を救うために勇者を導いた王女の話だ。

 ――今宵は三日月。
 おいしそうに見えるという学者もいるが、このシーカー族の宮廷詩人はその鋭く冴え冴えとした三日月を特に好んでいるようだった。
 今夜は風もほとんどない。
 城の外堀を流れる川の水面はかすかに揺らぎ、月の光を静かに返していた。


 ◇ ◇ ◇


 僕が古の水の賢者の切なき恋心と決意を詠い上げて間奏に差し掛かろうとした時、後方の茂みから何者かの気配がした。

(――こんな夜更けに? 何者だ?)

 気取られないように演奏を続けながら相手との距離や方向を測る。
 気配の主は茂みから動こうとせず、こちらの様子をうかがっているように見える。
 どうも、僕が演奏を始めてしばらく経ったあたりからずっとそこに身を隠しているようだ。
 ――とてつもなく、怪しいことこの上ない。
 木の陰にコソコソ隠れているような人物が、純粋に演奏を聴きに訪れたとも思えない。
 今はじっとしているが、いつ急に動きだしてくるか――。

(不安は残るけど、こちらから先にしかけるしかない、か)

 緊張でじわりと首筋に冷たいものが伝っていくのを感じながら、密やかに呼吸を整える。

 間奏が丁度良く途切れた瞬間、僕は竪琴から手を離した。

「何者だ! そこにいるのは分かっている!」

 隠し持っていたクナイを数本取り出し、気配のした方向に即座に投擲する!

「っ⁉」

 竪琴が僕の足元にカラリと転がった時クナイは気配のした先……後方の茂みに生えていた木に深く刺さっていた。同時に茂みからガサガサと騒がしい音がし始める。
 ――どうやら、アタリだったようだ。

(なんとか、相手の手鼻はくじけたみたいだ)

 身体が弱く戦士としての適性は低いが僕だってシーカー族の端くれだ。
 術こそ扱えないが、有事の際は我が身に代えても王家の姫を御護りできるよう一通りの訓練は村で受けている。
 幸か不幸か、今まで一度も実戦経験がないのは不安の種ではあったが……。

「――――」

 不安を気取らせないように息を殺し、護身用の小刀を構えながら慎重に相手の様子をうかがう。
 相手は誰だ? イーガの者か?
 それとも昨今のシーカー族の優遇を妬む輩の手の者だろうか?
 油断なく警戒して気配のした茂みににじり寄ると、木の陰から意外な人物が姿を現した。

「――こんばんは。美しい音色が聴こえてきたから立ち寄ってみたんだけど、これまた随分な挨拶だねぇ」

 月明かりに照らされた群青の翼が夜空の色で染め上げたように深く艶めく。

「あ、貴方はリーバル様……⁉」

 リトの英傑リーバル――。
 稀代の弓の名手であり、厄災討伐の一端を担う英傑の一人だ。

(マズい……‼)
「も、申し訳ございません! 暗がりだったといえ、このような無礼な真似を‼」

 すぐさま彼にひざまずいて深々とこうべを垂れる。
 故意ではないにしろ、国の重要人物に刃を向けてしまったのだ。
 ――これは、結構な不祥事スキャンダルである。

 厄災討伐のために現在国を挙げて推し進められている古代遺物の研究における昨今のシーカー族の活躍は目覚ましく、王家から技術を捨てさせられ追放されて以降はずっと里で隠れ暮らしていた今までを考えれば非常に喜ばしいことだった。
 だが一方で僕達は多くの貴族達や軍上層から妬みの対象となっているのだ。
 そんな状況下で僕がこんなオオゴトをしでかしたと公になれば、色々とまずい事態になる。
 インパ様がうまくやってくれるだろうから一族全体に迷惑をかけることはまずないとは思うが、問題は僕のほうだ。
 最悪ここでの地位を失い、聡く麗しき王家の姫――ゼルダ様に二度と会えなくなる可能性さえあった。
 今思えば隙だらけの演奏中であるにも関わらず動かないと分かっているのであれば、もっと時間をかけて相手の出方を観察するべきだったのだ。
 不慣れなことをやろうとして、まさかこんな失態を招いてしまうとは――。

(慣れぬことなどするべきではなかった……)

 後悔だけが、僕の頭にもたげていた。

「――へぇ、この投げナイフ……とても軽くて鋭い。使い勝手が良さそうだ」

 暗い未来を想像して憔悴している僕とは反対に、刃を向けられたリトの英傑はそれを気にする様子もなく木に刺さったクナイを手に取って興味深げに眺めていた。
 この方は、一体何がしたいのだろうか……?
 行動の意図が全く読めない。

「実物を近くで見るのは初めてだけど、さすが隠密を得意とするシーカー族ならではの武器ってところだね」

 感心するように呟きながら、リーバル様は僕に振り向いて近づいてくる。

「演奏中にも関わらずこの僕の気配を察知するなんて、君も中々やるじゃないか」
「……えっ?」

 予想外の言葉に思わず顔を上げる。

「ま、君も吟遊詩人の端くれなら、いついかなる時も楽器はもっと大切にするべきだと僕は思うけどね」
「は、はぁ」

 呆気にとられていると、リーバル様は自分目掛けて投げられたクナイを僕に返してきた。

「はいコレ、君のだろ? 曲がりなりにも武器を扱ってるんなら、後でちゃんと手入れしておきなよ」
「あ、ありがとう……ございます」

 返されたクナイを懐にしまいながら、僕はたまらず疑問を口にする。

「――あの、お怒りにはならないのですか?」
「別に怒ってなんかないけど。そういえば君、どうしてそこで跪いてるんだい?」

 クナイに夢中で僕の謝罪にも気が付いていなかったようだ。
 僕が武器を投げつけたことも、この英傑は特段気にしていないようだが――。
 それでもやはり、自分のやったことを謝らずに知らぬふりをするのはばかられた。

「それは、私が先ほど貴方様に……や、刃を……」

 僕が正直に自分のしたことを白状しようとすると、リーバル様は何か察したように少し悪い顔をしてくる。

「ああ、そういうコト。……フフッ、不祥事スキャンダルって言葉――僕も最近知ったけど、本当に嫌な言葉だよねえ」

 よく動く黄色い眉を大げさに上下させ、その翡翠の瞳が試すように僕を見ていた。

 ――リト族の戦士というのは、すぐに人を試そうとする癖がある。
 特に自分達の得意な――例えば弓の腕であったり、唄の上手さであったりするとその傾向は途端に強くなる。彼らにとってこの習慣はほとんどの場合が相手を理解するための挨拶代わりのようなものらしいのだが、僕にはあまり理解できなかった。
 リーバル様も宮廷詩人である僕に何か試すおつもりなのかもしれない。
 この方の場合、相手を本当にやり込めたいときも似たようなコトをすると方々で聞くが……果たして実際どうなのだろうか。
 今の状況では僕はどんな無理難題も断るのは不可能だ。
 一体、何をしろと言われるのか……。嫌な汗が、こめかみを通り過ぎていく。

「――そうだな」

 こちらの不安を知ってか知らずか、リーバル様は何か思案するように顎に手を添え、数秒ほどして僕に向き直る。

「さっきの曲、続きを聴かせてくれない? そしたら君のしでかしたコト、黙っててあげてもいいけど?」

 断る理由はないだろうと、近くの城壁にもたれかかり演奏の続きを催促してきた。
 裏があるようには見えないが……。

(しかし、本当にそんなことで良いのだろうか……?)

 真意が掴めずに返答に困っていると、リトの英傑は少々イライラした口調で僕を急かし始めた。

「ほら、早くしてくれよ。僕ってせっかちだからさ、ボーッとしてたら君のしたこと誰かに言い付けに行っちゃうよ?」

 この方の考えはよく分からないが、背に腹は代えられない。
 ゼルダ様に二度と会えなくなる事態だけはなんとしても阻止しなければならない。

「――しょ、承知しました。準備致しますのでしばしお待ちを……」

 リトの英傑の半ば脅しじみた要望に一縷の望みを託して、僕はさっきから地面に落としたままだった竪琴を拾い上げる。
 丁寧に土埃を払い音の調子をしっかり確かめて、中断していた演奏を再開した。


 ◇ ◇ ◇


 ――黄昏の勇者 小さき影の助けにより
    凍えた里に 救いをもたらさん
   彼らの前に 亡きゾーラの王女の魂
    現れ 願いを託す

 ――同胞のこと…… ハイラルのこと……
    そして 傷つき倒れた
         最愛の息子のことを――


 演奏を続けながら、リーバル様をチラと見やる。
 彼は静かに目を閉じていて、僕の演奏に聴き入っているようだった。

 ――英傑リーバル。
 翡翠の瞳に群青の翼……。風を操るかのごとく自在に空を舞い、疾風の速さで狙った獲物はどんな相手でも確実に射落とす。
 リト族としてはまだ若輩ながら最強の戦士の名をほしいままにする彼を、こんなに間近で見るのも会話をするのもさっきが初めてだった。
 この英傑の故郷であるリトの村には修行で二年ほど滞在していたが、おそらく僕の存在など知りもしないだろう。
 村の広場からヘブラの大空へと優雅に飛び立つリト族一の戦士の背中を、修行の合間に眺めるのがせいぜいだった。

 一方で、リーバル様は若さ由来の気性の激しさや癖のある性格でも有名だ。
 他の英傑――特に最近姫御付きとなった退魔の剣の主とうまくいってないらしい。
 あの騎士が王家の姫に伴われてリトの村に赴いた際、リーバル様が彼に対して行った挑発行為は今も城内で密かな語り草となっている。
 他にもゾーラの英傑であるミファー様の治癒を拒否して口論になっていたとか、ダルケル様に怒りの形相で何やら食ってかかっていたのを見かけた等々――。
 彼の話を聞く度、あまりお近づきになりたくないと思っていたのだが……。
 今、僕の演奏を静かに聴いている姿は聞いた話からは想像もつかないほど穏やかな空気を漂わせていた。
 もしかしてこの方も僕と同様、うわさが独り歩きしがちな方なのかもしれない。
 そう思うと、リトの英傑に少しだけ親近感が芽生えたような気がした。


 ◇ ◇ ◇


 ――命救われたゾーラの王子
     母の死 静かに受け入れん
   やがて王子は 一族が待つ里へ
     力強く足を踏み出す
   その胸に 亡き母への愛と感謝を
     静かに湛えて――


「――私めの演奏を御清聴給わり、感謝の極みにございます」

 演奏を完璧に終わらせ、深々と礼をする。
 月は更に西に傾き、雲がその光を遮り始めていた。

(――い、一日中演奏したときよりも疲れた…っ…)

 礼をした状態で、密やかにだが大きく息を吐く。
 唄と生きるとも言われているリト族に、更に言えばあのリーバル様の御前で演奏を披露したのだ。少しでも音を外すようなことがあればたちまち機嫌を損ねてどこかに去ってしまいそうで、とてつもなく緊張した。
 しかしそれが良い方向に作用したようで、今回の演奏は自分でもかなり手応えのある出来だった。
 これだけ完璧に演奏すれば、約束を反故されることはおそらくないだろう。
 ゼルダ様とお会いできなくなる最悪の事態もなんとか避けられそうだ。

 ――心底ホッとする。
 あの姫君と会えなくなることは、自分にとって厄災が復活するのと同じくらいの絶望だったから。
 宮仕えになってすぐ、僕以外の宮廷詩人は全てハイリア人であったのも影響したのかその多くに無視されたり、一族の優遇をよく思わない貴族達は聞こえよがしに陰口を叩かれていた。
 確かに恋文を受け取ることも多かった。だが相手の話を聞く内、シーカー族に取り入ろうとする打算が見え隠れすることが多く、次第に相手にするのも面倒になって遠ざけるようになっていた。
 それが良くなかったようで、裏で暗殺稼業をやってるだとか王族や有力な貴族に取り入るために男娼めいたことをやっているなどのひどいうわさが城内であっという間に広まってしまったのだ。
 そのせいで一部の心無い者達の奇異の目にさらされた時は、僕でもさすがに殺意を覚えたほどだ。

 ――そんな針のむしろのような毎日を過ごしていた僕に、常に優しくお声がけくださったのが他でもないゼルダ様だった。
 彼女は古代遺物やその他の学問だけでなく太古から伝わる詩や音楽に関する造詣も極めて深く、初めて話をした際はその知識量に僕でさえ舌を巻いた。
 その後も、ゼルダ様は何度も僕を重用してくださった。
 作曲を依頼いただいたり、ごくたまにではあったが古代遺物の調査への同行を許されることさえあった。
 それが僕に対する嫌がらせに更に拍車をかけることになったが、周囲の雑音などその時の僕にとっては既にどうでもいい些末事となっていた。
 演奏をお聴かせした際や、新たな知識を得た際に見せるあの優しい笑顔が、城での僕のたった一つの癒しとなっていたから。

(そういえば、あの時のゼルダ様もたいそう可憐だったな……)

 四人の英傑のために僕が手がけた曲を披露した際の彼女の飾らない微笑をすみずみまで思い出し、じんわりと心が温かいもので満たされていく。

「おーい君、僕のコト……すっかり忘れていやしないかい?」
「⁉」

 大きめの咳払いに、驚き振り返る。
 リーバル様が城壁にもたれかかったまま、ひどく呆れた顔で僕を見ていた。

(――し、しまった――――‼)

 ゼルダ様の笑顔で頭がいっぱいで、自分の顔がとてつもなくニヤけてしまっていることに今になって気付く。

「村にいる吟遊詩人の連中もかなりの曲者揃いだけど、君も相当だね」

 うわぁ……と、リトの英傑は聞こえよがしに呟いて眉をひそめる。
 ――訂正しよう、呆れるどころかドン引きだった。

「……あ、こ、これはっ…その…っ…!」

 目の前が、真っ暗になりそうだ。
 あまりの恥ずかしさにうまく言葉が出てこない。
 さっきといい今といいどうして今日の僕はつまらないミスばかりするのだろう!

「おっと、君があまりに愉快な姿を披露してくれたせいで肝心なことを忘れてた」

 僕の慌てる様を生温かい目で見ていたリーバル様だったが、何か思い出したように壁にもたれていた体を正して僕に向き直った。

「な、何でしょうか……?」
(――今度は一体何をするつもりなのだろうか)

 予想がつかずハラハラして、思わず軽く身構える。
 だが彼は何を喋るわけでもはなく、僕に向かって拍手をし始めた。

「……は、拍手?」

 羽毛に包まれた手にしてはよく鳴る心地良い音が夜の花畑に響く。
 退魔の剣に選ばれた天才剣士にさえ、不遜な態度を崩さないリトの若き戦士である彼が、僕の演奏に……拍手――?

「えぇっと……」

 面食っているとリーバル様の顔が少しムッとしたものに変化する。

「良い演奏を聴かせてもらったら、ちゃんと拍手するのが礼儀だってずっと言い聞かされてきたんだけど……何かおかしい?」

 彼なりの称賛にこちらがすぐ反応できなかったからか、やや棘のある口調だった。

「い、いえっ……、そのようなことは決して…っ……!」

 意外でしたなんて言葉が出てきそうになったが、すんででグッと飲み込んだ。
 これ以上変なコトを言ってリーバル様の機嫌を損なわないように、さっさと約束の件を話したほうが良さそうだ。

「――あの、それで先ほどの私との約束は守っていただけるのでしょうか?」
「ああ、あれほどの演奏を聴けたんだ。約束通り黙っておくよ。リトの英傑であるこの僕の名に誓ってね」

 満足げにそう言われてホッとする。それと同時に普段あまり人を褒めないだろうこの英傑の称賛の言葉に、なにか温かいものが胸にこみ上げてくるのを感じた。

「あ、ありがたく存じ上げます!」
「ま、今後も精進しなよ。……そういえば」

 感激する僕に興味がなさそうに、リーバル様は何か言いたげに言葉を続ける。

「どうかなさいました?」
「さっきの詩、二番があったなんてね。今の今まで全然知らなかったよ」
「一番目の水の賢者の悲恋話は昔から人気がございますからね。私個人としてはどちらも良い詩だと思うのですが、どうしてもそちらの陰に隠れてしまうようです」
「ふぅん。別に興味はないけど、君が言うんならそうなんだろうね」
(……! しまった、ついゼルダ様に話す時と同じ勢いでっ……)

 曲の解説は普段ゼルダ様くらいにしかしないので、嬉しくてつい脊髄反射で答えてしまう。また何か口を滑らしてリーバル様の機嫌を損ねないか心配でしょうがなかった。

「――二番の詩の王女ってさ、自分の息子を知らない人間によく託せたよね。里を救ってくれたとはいえ、自分の命を奪った敵と似たようなのを連れてたのに」

 僕だったらためらってしまいそうだと、思ったことを率直に言葉にしていた。

「そう、ですね。王女として人を見る目があったとも、他に頼れるものがなかったとも考えられますが……。どちらにせよ大変勇気ある女性であったと私は解釈しております」

 僕の言葉が面白くなかったようでリトの英傑は憮然とした顔で鼻を鳴らしていた。

「フン、僕にはただのお人好しにしか見えないけどね。息子にしてもそうだ」
「えっ、ラルス王子も……ですか?」
「だってそうだろ? 命は助かって里も元には戻ったけど、死んでしまった母親とはもう二度と会えないんだからさ」
「それは」

 そんな切り口でこの話を語る人は初めてだったので少しばかり面食らう。

「ちょっとくらい、何かに八つ当たりしても許される年だったろうに」

 健気過ぎて今後が心配だと語る彼の瞳はどこか寂しげだった。

「リーバル様……」

 その時、ちょうど天気の変わり目だったようで分厚い雲が完全に月を覆ってしまう。大きな光源を失い、僕らのいる北側の城壁付近は一気に暗くなっていく。
 だいぶ夜も更けてしまったようだ。

「おっと、つい話し込んでしまったね。……何か腑に落ちないって顔してるけど、僕に訊きたいことでも?」

 普段、自分の考えていることを周りに悟らせないよう常に気を払っているのだが、このリトの英傑にはあまり効果がないらしい。

「あの、どうして貴方様あのような場所に身を潜めておいでだったのですか?」

 隠してもしょうがないので思っていることを正直に訊ねる。

「ああ、なんだ。そのことか」

 するとリーバルは僕の問いになるほどといった風に手をポンと叩いて嘴を開いた。

「姫が以前、君の演奏の腕をとても褒めていてね。それが一体どれほどのものなのか……試しに聴いてみたくなったんだよ」

 今日は偶然僕がここで演奏しているのを見かけて、試しにこっそり聴いてみようと思ったらしい。
 ――けど、それって……。

「まさか、私の演奏のや腕前を隠れて試しておいでだったのですか?」
「ちょっと、人聞きの悪いコト言わないでくれない?」

 僕の言葉にリーバル様は眉間に皺を寄せて言い返してきた。

「急に声をかけたら君だって思うように演奏できなくなるかもしれないだろ?」

 せっかく気を遣ってあげたのに刃物を投げつけられたのは完全に想定外だったよと、少しばかり皮肉気に僕を見てくる。
 この英傑にクナイがかすりもしなくて本当に良かったと改めてホッとした。

「……その、リーバル様」
「なんだよ、君に僕のアレを責められる謂れはないんだけど?」
「英傑である貴方様があのようなことをなさっては、私も含め下々の者はひどく肝を冷やします。少々、お控えていただけると我々も非常に助かるのですが」

 リーバル様の機嫌を損ねない程度に、皆が思っているであろうことを伝える。

「――フン、それはすまなかったね」

 本人にもうっすら自覚があったようで、やや投げやりな口調でぼやいていた。

「他の宮廷詩人の演奏も聴いてやったんだけど、あの連中、自信満々のくせに揃いも揃って下手くそばかりでうんざりしていたんだ。今回だけは大目に見てくれよ」

 そう言ってリーバル様は僕に背中を向ける。城の自室に戻るつもりなのだろうか。

「あ、あのっ、リーバル様!」

 すぐにでも飛び立ちそうな背中に、思わず声をかけた。

「何だい? 手短に頼むよ」
「毎晩……深夜零時を迎える頃、いつもここで竪琴を演奏するのを日課としているのです。もし、貴方様がお暇な時はまた聴きに来ていただけたらと……」

 この方とは仲良くなれそうだと、音楽について様々な話ができそうだと……。
 ゼルダ様と初めてお会いした時と似た予感をこのリトの英傑から感じたのだ。

「全く、何を言い出すかと思えば」

 一方のリトの英傑は僕の突然の懇願にひどく怪訝な顔をしていた。

「城には月に数回くらいしか来ないし、そもそもそんなに暇じゃないんだけど?」
「で、ですから本当にお暇な時に気が向いたらで一向に構いませんので……」

 困惑気味の翡翠の瞳をまっすぐ見てそう言えば、彼は仕方なさそうにため息を吐いて肩をすくませた。

「ま、君はずば抜けて音が良いし、忙しくない時は聴きに来てあげてもいいよ」
「あ、ありがとうございますっ……!」
「ただしそこまで言うんなら、僕が聴きに来ない時も気の抜けた演奏なんて絶対するんじゃないよ?」

 リーバル様はそう言い切り、おもむろに翼を広げようとして……。

「――」

 ふと何かに気付いたように視線を地面に落とし、その動きを止める。
 視線の先――淡い燐光を纏ったしのび草が彼の足元で揺れているのが見えた。

「やれやれ」

 リーバル様は軽くため息を吐き、そこから五~六歩離れた所で改めて翼を広げる。
 そこで一度だけ大きく羽ばたいたと思ったら、一瞬でその場から姿を消していた。

「!」

 即座に空を見上げる。
 さっきまでここにいたはずのリトの英傑は、あっという間に本丸の鐘楼と同じ高さまで飛び上がっていた。

「あの技は……」

 ――うわさに聞く彼の大技のようだ。
 猛き風を纏い瞬時に空へ舞い上がる、リト族の中でも彼のみが扱える特別な技。
 空の支配者と呼ばれるリト族において、芸術品と称えられる風の奥義……。
 先ほどのしのび草に目をやると、巻き起こされた風の残滓にまるで微笑むようにうつむいた花弁を可憐に揺らしていた。


 ◇ ◇ ◇


 リトの英傑が起こした上昇気流も徐々におさまり、ハイラル城北側の花畑に再び静寂が訪れる。

「はあぁぁ……。おおごとにならなくて本当に良かったぁ……」

 一人になって、ようやく身体にたまった緊張を追い出すように大きく息を吐く。
 今夜はいっぺんに色々なことがあり過ぎて、ひどくくたびれてしまった。
 城内の小さな自室に戻る気持ちにもまだなれず、既に日の出が近い空をしばらくぼんやりと眺めながらリーバル様との先ほどのやり取りを反芻する。

『ま、君はずば抜けて音が良いし、忙しくない時は聴きに来てあげてもいいよ』

 ここを去る直前、リーバル様はそんな風に言ってはいたがなんとなくすぐにでも演奏を聴きに来てくれるような気がした。
 野に咲く花にさえ散らさぬように気遣える人なのだ。
 そんな人が僕のような者の頼みでも、理由なく無下にすることはないと不思議とそう信じられた。

「――けど、明日から今後一切気の抜けた演奏はできなくなったな」

 リト族は他の種族より抜きんでて聴力が優れている。
 リーバル様が僕のもとまで聴きに訪れなくても、もしひどい演奏をしてしまえばすぐさまどこからともなく矢が降ってきてもおかしくはない。
 実際、飛び立つ前のリーバル様はそういう目していた……。

「……っ」

 急に背筋が寒くなってくる。
 自分の発言を少しばかり後悔し始めるが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

「――これも、修行の一環だと思うしかないかな」

 言い聞かせるように呟いて、城内のほうに踵を返す。
 どんよりと曇った空とは正反対に、清々しい気持ちでその場を後にした。




 箸休め/その一


 これはまだ戦士見習いだった頃のカーンにも教えてあげたんだけど、
 リーバル様はあの技リーバルトルネードを使われる際、極力草花の近くを避けていたんだ。
 本人は『単なるゲン担ぎだよ』といつか仰ってたけど……。
 あれは多分、半分本当で半分は嘘だったんじゃないかと僕は思ってる。
 きっと綺麗に咲いた花を自分の風で無意味に散らせたくなかったんだろう。
 ――別に隠す必要なんてなかったのにね。ホント、素直じゃない方だろ?
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