ブレワイ&厄黙二次小説
【ラルート大橋での邂逅】
――"彼女"は熱心に一つの唄を奏でていた。
そのどこか楽しげな調べに
カモメ達は思い思いに鳴き
さざ波は緩やかなリズムを刻む。
心地よい汐風がひゅるりと吹いて
奏者の髪を揺らしていた。
海原に浮かぶ名も知らぬ島で……
僕は竪琴を爪弾く少女の背中を
しばらくずっと眺めていた。
◇ ◇
「――あら、どうしました?」
演奏を終えた"彼女"は、こちらを振り向いて柔らかくはにかむ。
先程までの清らかで神聖な空気は潮風に攫われたように失せ、年相応の少女の顔を覗かせた。
(――!)
その時僕の視界が急に揺れ、赤毛の少女の足元に視点が固定される。
――ここでようやく、僕は誰かの記憶を覗き見ているのだと悟った。
「もう、急に俯いてどうしたんですか? 何かご用があったのでしょう?」
少女の可愛らしい笑い声が聴こえてくる。
僕の視界の主はそれに『別に……何も』とどこかギクシャクとしていた。
きっと、この視界の主はあの少女に惚れているのだろう。
もどかしくて、見てる方がむず痒くなる心地だった。
「ほら、勿体ぶらずにちゃんと教えてください」
こちらに近づき優しく諭す彼女に、綺麗な白い花が一輪……緊張気味に差し出される。
「これを……ワタシに?」
記憶の主は目を泳がせて『そう、だけど』とぶっきらぼうに呟く。
「――ありがとう、コモリ様。ワタシ……この花ずっと大切にしますから」
赤毛の"彼女"は幸せそうに微笑んで、もらった花を愛おしげに見つめていた。
◇ ◇ ◇
「――――」
未だ日が昇らぬ夜明け前……リトの英傑の目がゆっくりと開く。
起き抜けのまだ少し眠たそうな翡翠で家の天井をぼんやりと眺めていた。
「夢、か……」
ゆっくり起き上がり、今まで見ていた夢を反芻する。
きっとあれは"彼女"の……風の神獣の記憶なのだと、理由もなく直感する。
「でも、一体どうして……」
急にこんな夢を見てしまったのか。
僕がメドーの繰り手となり、あの神獣と何かしら繋がりを持った為と思われるが……。
色々思考を巡らせていると朝日がようやく顔を出し始める。
「起きなきゃ」
ハンモックから飛び降りて、早々に身支度を始めた。
◇ ◇
―――ラネール地方、ゾーラの里入口
太陽がゾーラ族の住まう谷を明るく照らし出す昼前、深い青を纏った鳥人が里の入口近くに降り立った。
「こんにちは、リーバル。ゾーラの里にようこそ。歓迎するよ」
「こんにちは、ミファー。出迎えありがとう」
王女直々の歓迎に感謝の意を返していたその時……。
―――お帰りなさい―――
突然、そんな声が聞こえた気がした。
「……?」
思わず辺りを見回すが、言った様子のありそうなゾーラ族は見当たらない。
だが気のせいと断じるにはあまりにもクリアな声にしばし戸惑い、立ち止まる。
「……どうしたの?」
「――ああいや、なんでもない。手紙で書いてた通り、ルッタの所まで案内頼むよ」
「ええ、でもまず御父様に挨拶してからね」
「はいはい、分かってるってば」
――ここはゾーラ族の住まう水清き里。
神獣の操作訓練の一環として僕の繰るメドーと向かい合わせになるルッタのことをより知る為にここにやってきたのだが……。
◇ ◇
「この坂を上がれば貯水湖までもうすぐだよ」
ドレファン王への挨拶を済ませ、ミファーの案内で神獣を待機させている貯水湖への通路を上がっていく。
「――――」
もうすぐ上りきるという所で、改めて眼下の里を見渡す。
初めて訪れた筈なのに、やはり……"ようやく帰ってきた"という不思議な安堵感を覚える。
周囲を高台に囲まれた谷あいの立地、水に強い石で築かれた青く美しい流線型の建物、絶えず聴こえてくる涼やかな水のせせらぎ、結構な頻度で降り注ぐ柔らかな慈雨……。
どれも、故郷であるリトの村にはないものばかりの筈なのに……。
「リーバル……?」
また立ち止まってしまった僕を振り返り、ミファーは心配そうに声をかけてくる。
「もしかして、以前プルアさんに話してた"既視感"を感じたの?」
「まあ、そんな所」
「不思議なコトもあるんだね。ここは貴方の故郷 からとても離れているのに」
メドーの繰り手になってからこの手の謎の既視感や不思議な夢を見る頻度が異常に増えた。
プルアが言うには『神獣の繰り手に起こる現象の一つらしい』との事だったが……。
それでも、メドーが発掘されたヘブラ地方で既視感を覚えるのならまだ話は分かる。
だがここは正反対のラネール地方。
リトの村にいる時よりも強い既視感を、まさか故郷から遠く離れたゾーラの里で感じるとは思いもしなかった。
(そういえば……)
今朝、見知らぬ島で嘴を持つ赤毛の少女が竪琴を弾いているのを眺めていた夢を思い出す。夢に出てきた少女は、確かゾーラ族の印の入った服を着ていたような覚えがあったが……。
あの夢も、この既視感と何か関係があるのだろうか。
◇ ◇
ルッタの内部に入ってミファーの説明をあれこれ聞いていたり操作訓練に付き合ったりしていたらすっかり夕方になっていた。
「今日はもう遅いし、里に泊まっていって」
「そうさせてもらうよ。ゾーラ族の魚料理と噂のウォーターベッド、どちらも楽しみだ」
「ふふっ、期待しててね」
皆張り切って準備してるんだよと、ミファーは我が事のように柔らかく微笑む。
「――それにしても……氷の塊を作って武器にするなんて、ルッタも面白い機能が備わってるんだね」
「……姫様のおかげで最近分かったんだけどね。初めて成功させた時はびっくりしちゃった」
「本当にすごいよ、あの機能。アレを弓矢でうち落とすのを繰り返したら良い鍛錬になりそうだ」
「もう、私のルッタに何をさせるつもり?」
ミファーは苦笑いしながら不思議なことを言い出す。
「そんなことさせたら"彼女 "に拗ねられてしまうでしょう?」
「……拗ねるんだ、あの神獣」
先程までその内部にいた水の神獣を振り返る。
なんとなく気位が高そうな感じはあったが、まさかこんなバカでかいカラクリが拗ねるとは……。
「うん、そうなの。ちゃんと構ってあげないと、たまに沢山放水始めたりして大変なんだ」
そういえば、ルーダニアも初めは何をしてもうんともすんとも動かなかったとダルケルが言ってたっけ。
まるで頑固な鍛冶屋の親父みたいだったぜと豪放に笑うのを聞きながら、不思議なことを言うもんだと思っていた。
「そういうの……確か城下町じゃ最近"ツンデレ"って言うんだっけか」
僕のメドーは素直に言うこと聞いてくれるから、皆もそうだとばかり思っていたが違うらしい。
彼らは生物ではない筈なのに、随分と個性が溢れてる気がしなくはない。
「――ツンデレ……。誰かさんと少し似てるかも」
ミファーはふむふむと頷いた後、わざとらしく僕の目をじっと見てきた。
「ちょっとミファー、どうして僕を見ながら言うんだよ」
「ふふっ、なんでもない。ほら、早く里に戻りましょう」
「全く、君も何気に酷いよね」
他愛ないお喋りを交わしながら、湖面を茜色にきらめかせる貯水湖を後にした。
◇ ◇
〜~〜~〜~♪
長い通路を通って里まで降りて来た時、ふいに…赤毛の少女が出てきた夢で聴いた曲と同じメロディが聴こえたような気がした。
「……?」
反射的に音がした方に顔を向ける。
〜~〜~~~~♪
微かにだが確かに聞こえる音色に注意深く耳を傾ける。
音は里の入口よりもっと西の方で鳴っているようだ。夢の中の少女が弾いていたものより幾分か落ち着いた、果てのない祈りのような……そんな音色だった。
「どうしたの? もしかしてまた……」
「いや、既視感とは違うんだ。何か……里の入口の先の方で、竪琴の音が聞こえた気がして……」
「竪琴…? 私には何も聞こえないのだけど……」
僕の言葉にミファーも耳をすましてみるが、何も聞こえないらしい。周りのゾーラ族も何か聞こえているような様子はない。
〜~〜~〜~ 〜~〜~~~~♪
「――――」
未だ僕にだけ聞こえ続ける旋律は明るくて楽しげなのに、泣きたくなるほど懐かしくて酷く胸を締めつけられる。
次第に何故だか海の匂いや漣の音、海鳥の鳴き声まで聞こえ始める。竪琴を爪弾くような音色がその切なさを余計に強調してるようだった。
まるでこちらを呼んでいるような旋律に次第にいてもたってもいられなくなる。
〜~〜~~~~〜〜♪
「……ごめん、ミファー。すぐ戻ってくるから……!」
「ちょ、ちょっとリーバル……?!」
どうしても音の出処が気になって、上昇気流で即座に空に舞い上がる。
里の出入口より西――ゾーラ川に架かる一際大きな橋……ラルート大橋を一直線に目指した。
◇ ◇
「!」
ラルート大橋の上空に辿り着いた時、ゾーラ族の女性が一人…厳かに竪琴を爪弾いていた。
演奏の邪魔にならないよう、少し離れた所で静かに降り立つ。
日没に差し掛かっている為か……立派な橋には他に人の気配は無く、彼女の透けた体から覗く茜空がより寂しさを募らせる。
丁度風も凪いでいて、橋下の川のせせらぎも今はどこか遠い。
件のゾーラ族はどこか浮世離れしていて(確実に生者ではないことはこの際置いておくが)、清らかで神聖な空気をまとっていた。
もし今ここに吟遊詩人がいたのならば彼女を"聖女"とでも詠っていただろう。
赤毛の少女と同じ旋律を奏でるゾーラの聖女は微笑を浮べながら穏やかに、そしてどこか楽しげでもあった。
◇ ◇
〈――"あの子"とは……〉
演奏を終えた薄水色のゾーラの聖女は、持っていた竪琴を大事そうに抱えながらようやく口を開いた。
〈一度だけ、一つの唄を共に弾いた事があります〉
「……」
〈束の間でしたが……"あの子"と心を通わせる事が出来て、私 はとても嬉しかった〉
遥か遠く……リトの巨塔の上空を周遊する風の神獣を見つめながら聖女は懐かしそうに呟く。
「……君、は」
何か声をかけようとしたが、なぜか言葉に詰まってしまう。
初めて会った筈なのに、"ようやくまた会えてうれしい"という喜びが心の何処 かから吹きあがり、置いてけぼりの僕の心をいたずらに掻き乱していった。
〈私 の名前はラルト。――今代の風の神獣の繰り手は、貴方ですね?〉
ひとしきりメドーを眺めていた聖女がこちらに振り向く。
静かだが凛と芯の強そうな深い青の瞳が僕の姿をゆっくりととらえる。その顔はミファーや里にいるゾーラ族とはどこか違った風貌だった。
「そう、だけど」
〈………。やはり、どこか似ています〉
問いかけにおそるおそる答えると、ラルトと名乗った聖女はおかしなことを呟いた。一体誰と比べて言っているのか僕には検討もつかない。
「何が、誰と……」
〈ふふっ、秘密です〉
聖女はいたずらっぽく笑む。無邪気な微笑は夢の中の赤毛の少女やミファーのソレを思わせた。
「――それでどうして、こんな所で」
竪琴を弾いていたのか聖女に問う。
〈貴方が来るのをお待ちしてました〉
「僕を……?」
〈はい、貴方からは"あの子"の風を感じたので〉
「"あの子"……?」
〈ええ……〉
上品に目を細めてメドーの方をまた少しだけ振り返り、聖女は続ける。
〈この橋からは"あの子"がよく見えますが、話をするには遠過ぎますから〉
聖女が言う"あの子"というのは、どうもメドーのことのようだが……ますますよく分からない。
メドーはリト族の守り神と言われている神獣で、ゾーラとは無関係なはずだ。
だのにこのゾーラの聖女は風の神獣をまるで友か何かのように語っていた。
しばらく話をしていたら一際強い風が吹き、聖女の体はいよいよ薄くなり始める。
〈そろそろ刻限のようです。〉
この邂逅の終わりを悟った聖女は僕に背を向け、ポツリと呟く。その声音には言外に名残惜しいという感情が強く込められていた。
〈最後に一つだけ……〉
聖女は再びこちらを振り返り、僕をまっすぐ見つめて口を開いた。
〈――どうか、"あの子"をよろしくお願いします〉
その言葉が…風の神獣の繰り手となった僕だけに向けられた、確かな祈りであり願いなのだと即座に悟る。
「……ああ、分かってる」
このゾーラ族が風の神獣とどんな間柄だったかは知らないし、きっと聞いても理解出来なさそうだ。
だが、それでも……。
「今の僕にとってメドーは…いや、"彼女"は……とても大切な相棒 だからさ」
僕の言葉にゾーラの聖女はうれしそうに目を細める。
〈――ありがとう。貴方のような青年が、"あの子"の繰り手になってくれて本当に良かった……〉
そうして今にも沈みそうな太陽の光に溶けるように、ゾーラの聖女は音もなく消えていった。
「―――」
その様があんまり綺麗で――。
「…………っ……」
気づけば目頭が熱くなっていた。
――"彼女"は熱心に一つの唄を奏でていた。
そのどこか楽しげな調べに
カモメ達は思い思いに鳴き
さざ波は緩やかなリズムを刻む。
心地よい汐風がひゅるりと吹いて
奏者の髪を揺らしていた。
海原に浮かぶ名も知らぬ島で……
僕は竪琴を爪弾く少女の背中を
しばらくずっと眺めていた。
◇ ◇
「――あら、どうしました?」
演奏を終えた"彼女"は、こちらを振り向いて柔らかくはにかむ。
先程までの清らかで神聖な空気は潮風に攫われたように失せ、年相応の少女の顔を覗かせた。
(――!)
その時僕の視界が急に揺れ、赤毛の少女の足元に視点が固定される。
――ここでようやく、僕は誰かの記憶を覗き見ているのだと悟った。
「もう、急に俯いてどうしたんですか? 何かご用があったのでしょう?」
少女の可愛らしい笑い声が聴こえてくる。
僕の視界の主はそれに『別に……何も』とどこかギクシャクとしていた。
きっと、この視界の主はあの少女に惚れているのだろう。
もどかしくて、見てる方がむず痒くなる心地だった。
「ほら、勿体ぶらずにちゃんと教えてください」
こちらに近づき優しく諭す彼女に、綺麗な白い花が一輪……緊張気味に差し出される。
「これを……ワタシに?」
記憶の主は目を泳がせて『そう、だけど』とぶっきらぼうに呟く。
「――ありがとう、コモリ様。ワタシ……この花ずっと大切にしますから」
赤毛の"彼女"は幸せそうに微笑んで、もらった花を愛おしげに見つめていた。
◇ ◇ ◇
「――――」
未だ日が昇らぬ夜明け前……リトの英傑の目がゆっくりと開く。
起き抜けのまだ少し眠たそうな翡翠で家の天井をぼんやりと眺めていた。
「夢、か……」
ゆっくり起き上がり、今まで見ていた夢を反芻する。
きっとあれは"彼女"の……風の神獣の記憶なのだと、理由もなく直感する。
「でも、一体どうして……」
急にこんな夢を見てしまったのか。
僕がメドーの繰り手となり、あの神獣と何かしら繋がりを持った為と思われるが……。
色々思考を巡らせていると朝日がようやく顔を出し始める。
「起きなきゃ」
ハンモックから飛び降りて、早々に身支度を始めた。
◇ ◇
―――ラネール地方、ゾーラの里入口
太陽がゾーラ族の住まう谷を明るく照らし出す昼前、深い青を纏った鳥人が里の入口近くに降り立った。
「こんにちは、リーバル。ゾーラの里にようこそ。歓迎するよ」
「こんにちは、ミファー。出迎えありがとう」
王女直々の歓迎に感謝の意を返していたその時……。
―――お帰りなさい―――
突然、そんな声が聞こえた気がした。
「……?」
思わず辺りを見回すが、言った様子のありそうなゾーラ族は見当たらない。
だが気のせいと断じるにはあまりにもクリアな声にしばし戸惑い、立ち止まる。
「……どうしたの?」
「――ああいや、なんでもない。手紙で書いてた通り、ルッタの所まで案内頼むよ」
「ええ、でもまず御父様に挨拶してからね」
「はいはい、分かってるってば」
――ここはゾーラ族の住まう水清き里。
神獣の操作訓練の一環として僕の繰るメドーと向かい合わせになるルッタのことをより知る為にここにやってきたのだが……。
◇ ◇
「この坂を上がれば貯水湖までもうすぐだよ」
ドレファン王への挨拶を済ませ、ミファーの案内で神獣を待機させている貯水湖への通路を上がっていく。
「――――」
もうすぐ上りきるという所で、改めて眼下の里を見渡す。
初めて訪れた筈なのに、やはり……"ようやく帰ってきた"という不思議な安堵感を覚える。
周囲を高台に囲まれた谷あいの立地、水に強い石で築かれた青く美しい流線型の建物、絶えず聴こえてくる涼やかな水のせせらぎ、結構な頻度で降り注ぐ柔らかな慈雨……。
どれも、故郷であるリトの村にはないものばかりの筈なのに……。
「リーバル……?」
また立ち止まってしまった僕を振り返り、ミファーは心配そうに声をかけてくる。
「もしかして、以前プルアさんに話してた"既視感"を感じたの?」
「まあ、そんな所」
「不思議なコトもあるんだね。ここは貴方の
メドーの繰り手になってからこの手の謎の既視感や不思議な夢を見る頻度が異常に増えた。
プルアが言うには『神獣の繰り手に起こる現象の一つらしい』との事だったが……。
それでも、メドーが発掘されたヘブラ地方で既視感を覚えるのならまだ話は分かる。
だがここは正反対のラネール地方。
リトの村にいる時よりも強い既視感を、まさか故郷から遠く離れたゾーラの里で感じるとは思いもしなかった。
(そういえば……)
今朝、見知らぬ島で嘴を持つ赤毛の少女が竪琴を弾いているのを眺めていた夢を思い出す。夢に出てきた少女は、確かゾーラ族の印の入った服を着ていたような覚えがあったが……。
あの夢も、この既視感と何か関係があるのだろうか。
◇ ◇
ルッタの内部に入ってミファーの説明をあれこれ聞いていたり操作訓練に付き合ったりしていたらすっかり夕方になっていた。
「今日はもう遅いし、里に泊まっていって」
「そうさせてもらうよ。ゾーラ族の魚料理と噂のウォーターベッド、どちらも楽しみだ」
「ふふっ、期待しててね」
皆張り切って準備してるんだよと、ミファーは我が事のように柔らかく微笑む。
「――それにしても……氷の塊を作って武器にするなんて、ルッタも面白い機能が備わってるんだね」
「……姫様のおかげで最近分かったんだけどね。初めて成功させた時はびっくりしちゃった」
「本当にすごいよ、あの機能。アレを弓矢でうち落とすのを繰り返したら良い鍛錬になりそうだ」
「もう、私のルッタに何をさせるつもり?」
ミファーは苦笑いしながら不思議なことを言い出す。
「そんなことさせたら"
「……拗ねるんだ、あの神獣」
先程までその内部にいた水の神獣を振り返る。
なんとなく気位が高そうな感じはあったが、まさかこんなバカでかいカラクリが拗ねるとは……。
「うん、そうなの。ちゃんと構ってあげないと、たまに沢山放水始めたりして大変なんだ」
そういえば、ルーダニアも初めは何をしてもうんともすんとも動かなかったとダルケルが言ってたっけ。
まるで頑固な鍛冶屋の親父みたいだったぜと豪放に笑うのを聞きながら、不思議なことを言うもんだと思っていた。
「そういうの……確か城下町じゃ最近"ツンデレ"って言うんだっけか」
僕のメドーは素直に言うこと聞いてくれるから、皆もそうだとばかり思っていたが違うらしい。
彼らは生物ではない筈なのに、随分と個性が溢れてる気がしなくはない。
「――ツンデレ……。誰かさんと少し似てるかも」
ミファーはふむふむと頷いた後、わざとらしく僕の目をじっと見てきた。
「ちょっとミファー、どうして僕を見ながら言うんだよ」
「ふふっ、なんでもない。ほら、早く里に戻りましょう」
「全く、君も何気に酷いよね」
他愛ないお喋りを交わしながら、湖面を茜色にきらめかせる貯水湖を後にした。
◇ ◇
〜~〜~〜~♪
長い通路を通って里まで降りて来た時、ふいに…赤毛の少女が出てきた夢で聴いた曲と同じメロディが聴こえたような気がした。
「……?」
反射的に音がした方に顔を向ける。
〜~〜~~~~♪
微かにだが確かに聞こえる音色に注意深く耳を傾ける。
音は里の入口よりもっと西の方で鳴っているようだ。夢の中の少女が弾いていたものより幾分か落ち着いた、果てのない祈りのような……そんな音色だった。
「どうしたの? もしかしてまた……」
「いや、既視感とは違うんだ。何か……里の入口の先の方で、竪琴の音が聞こえた気がして……」
「竪琴…? 私には何も聞こえないのだけど……」
僕の言葉にミファーも耳をすましてみるが、何も聞こえないらしい。周りのゾーラ族も何か聞こえているような様子はない。
〜~〜~〜~ 〜~〜~~~~♪
「――――」
未だ僕にだけ聞こえ続ける旋律は明るくて楽しげなのに、泣きたくなるほど懐かしくて酷く胸を締めつけられる。
次第に何故だか海の匂いや漣の音、海鳥の鳴き声まで聞こえ始める。竪琴を爪弾くような音色がその切なさを余計に強調してるようだった。
まるでこちらを呼んでいるような旋律に次第にいてもたってもいられなくなる。
〜~〜~~~~〜〜♪
「……ごめん、ミファー。すぐ戻ってくるから……!」
「ちょ、ちょっとリーバル……?!」
どうしても音の出処が気になって、上昇気流で即座に空に舞い上がる。
里の出入口より西――ゾーラ川に架かる一際大きな橋……ラルート大橋を一直線に目指した。
◇ ◇
「!」
ラルート大橋の上空に辿り着いた時、ゾーラ族の女性が一人…厳かに竪琴を爪弾いていた。
演奏の邪魔にならないよう、少し離れた所で静かに降り立つ。
日没に差し掛かっている為か……立派な橋には他に人の気配は無く、彼女の透けた体から覗く茜空がより寂しさを募らせる。
丁度風も凪いでいて、橋下の川のせせらぎも今はどこか遠い。
件のゾーラ族はどこか浮世離れしていて(確実に生者ではないことはこの際置いておくが)、清らかで神聖な空気をまとっていた。
もし今ここに吟遊詩人がいたのならば彼女を"聖女"とでも詠っていただろう。
赤毛の少女と同じ旋律を奏でるゾーラの聖女は微笑を浮べながら穏やかに、そしてどこか楽しげでもあった。
◇ ◇
〈――"あの子"とは……〉
演奏を終えた薄水色のゾーラの聖女は、持っていた竪琴を大事そうに抱えながらようやく口を開いた。
〈一度だけ、一つの唄を共に弾いた事があります〉
「……」
〈束の間でしたが……"あの子"と心を通わせる事が出来て、
遥か遠く……リトの巨塔の上空を周遊する風の神獣を見つめながら聖女は懐かしそうに呟く。
「……君、は」
何か声をかけようとしたが、なぜか言葉に詰まってしまう。
初めて会った筈なのに、"ようやくまた会えてうれしい"という喜びが心の
〈
ひとしきりメドーを眺めていた聖女がこちらに振り向く。
静かだが凛と芯の強そうな深い青の瞳が僕の姿をゆっくりととらえる。その顔はミファーや里にいるゾーラ族とはどこか違った風貌だった。
「そう、だけど」
〈………。やはり、どこか似ています〉
問いかけにおそるおそる答えると、ラルトと名乗った聖女はおかしなことを呟いた。一体誰と比べて言っているのか僕には検討もつかない。
「何が、誰と……」
〈ふふっ、秘密です〉
聖女はいたずらっぽく笑む。無邪気な微笑は夢の中の赤毛の少女やミファーのソレを思わせた。
「――それでどうして、こんな所で」
竪琴を弾いていたのか聖女に問う。
〈貴方が来るのをお待ちしてました〉
「僕を……?」
〈はい、貴方からは"あの子"の風を感じたので〉
「"あの子"……?」
〈ええ……〉
上品に目を細めてメドーの方をまた少しだけ振り返り、聖女は続ける。
〈この橋からは"あの子"がよく見えますが、話をするには遠過ぎますから〉
聖女が言う"あの子"というのは、どうもメドーのことのようだが……ますますよく分からない。
メドーはリト族の守り神と言われている神獣で、ゾーラとは無関係なはずだ。
だのにこのゾーラの聖女は風の神獣をまるで友か何かのように語っていた。
しばらく話をしていたら一際強い風が吹き、聖女の体はいよいよ薄くなり始める。
〈そろそろ刻限のようです。〉
この邂逅の終わりを悟った聖女は僕に背を向け、ポツリと呟く。その声音には言外に名残惜しいという感情が強く込められていた。
〈最後に一つだけ……〉
聖女は再びこちらを振り返り、僕をまっすぐ見つめて口を開いた。
〈――どうか、"あの子"をよろしくお願いします〉
その言葉が…風の神獣の繰り手となった僕だけに向けられた、確かな祈りであり願いなのだと即座に悟る。
「……ああ、分かってる」
このゾーラ族が風の神獣とどんな間柄だったかは知らないし、きっと聞いても理解出来なさそうだ。
だが、それでも……。
「今の僕にとってメドーは…いや、"彼女"は……とても大切な
僕の言葉にゾーラの聖女はうれしそうに目を細める。
〈――ありがとう。貴方のような青年が、"あの子"の繰り手になってくれて本当に良かった……〉
そうして今にも沈みそうな太陽の光に溶けるように、ゾーラの聖女は音もなく消えていった。
「―――」
その様があんまり綺麗で――。
「…………っ……」
気づけば目頭が熱くなっていた。