ブレワイ&厄黙二次小説

【リトの英傑と初日の出】


 未だ夜の明けぬヘブラの空に今年初めての雪が舞い落ち始める。
 小さな六花は夜風にあおられ、リト族が住まう村の柱たる巨塔頂上に鎮座する風の神獣近くまで飛ばされていく。
 そのまま機械じかけの大きな鳥の頭の上に着地する筈だった雪は、突如現れた群青の羽毛に捕まりじわりと湿り気に変わっていった。


 ◇ ◇


「――降ってきたね」

 羽毛の主は英傑であり風の神獣ヴァ=メドーの繰り手でもあるリト族の戦士リーバルその人だった。

「新年早々、今日もまた一段と冷えそうだ」

 掌に残った湿り気を静かに払うと、どこか待ち遠しそうに東の空に視線を戻す。

 リトの英傑の背中にはいつものように彼の愛弓であるオオワシの弓が背負われている。
 しかし矢筒には一本の矢しか入っておらず、その一本というのがはたから見れば槍と見紛う程巨大な矢であった。

《…、………?》
「……ん?」

 神獣ヴァ=メドーが囁くようにきゅるりと鳴く。
 “彼女”も矢筒からはみ出た槍のように大きな矢が気になるようで、己が繰り手にその矢の事を遠慮がちに問うていた。

「……メドーはこの矢が気になるのかい?」

 神鳥が沈黙でもって肯定を意を示すと、リーバルはどこかうれしそうに謎の大きな矢を矢筒から取り出した。

「この矢のやじり……君の頭を模して作られてるんだけど、中々悪くないだろ?」

 リーバルが取り出した矢は大きさだけでなくその見た目もかなり特殊なものであった。
 通常より大きな木製の鏃はメドーの頭を象った形をしており、矢羽根にはシマオタカのものであろう青紫の羽根が使われている。
 他にも色とりどりの細長い布が矢に沢山巻きつけられていて、風が吹く度に鮮やかな色の布達がふわふわと揺れていた。

「この矢は、もうすぐ昇ってくる初日の出に射掛ける為のものなんだ」

 ――リト族は新しい年に初めて昇る太陽に特別な装飾と祝福を施した矢を射掛ける事で、その年の村の安寧を祈願する慣わしがある。

「弓術大会で優勝してからずっと、これは僕の仕事なんだよ」

 タバンタにリト族が定住してからずっと続けられている歴史ある神事で、その時村で一番と認められた戦士がこの大仕事を任されるのだ。

「鏃に仕掛けがあってね。矢を放った時それがちゃんと動かなきゃこの神事は成功とは言えないんだ。だから僕みたいに弓が上手い戦士でなきゃ話にならないのさ」
《……、………?》
「――どんな仕掛けなのかって? それはまぁ……見てのお楽しみだ」

 リーバルは含みを持たせて悪戯っぽく微笑む。

「百聞は一見に如かずって言うだろ。実物を見た方が早いし、その方が君も楽しめる筈だぜ?」

 メドーが己が繰り手の答えに少々不服そうにした時、夜の静寂を破るように一番鶏の鳴く声が初日の出の到来を告げていた。

「おっと、危うく出遅れる所だった」

 リーバルは矢を急いで矢筒に戻して、翼につむじ風を纏わせる。

「じゃ、ちょっと行ってくる。僕の年に一度の晴れ姿……目に焼き付けておいてくれよ?」

 不敵に微笑みながら、リーバルはようやく白み始めた空に軽やかに飛び立った。

 もうすぐ一年の始まりを告げる太陽が顔を出すのを待ちわびるように、冷たくも清廉な風が未明のヘブラの空に吹き渡っていた。


 ◇ ◇


 初日の出がリトの巨塔の頂上を照らし出した時、風の英傑が機械じかけの神鳥から天高く舞い上がった。
 翡翠の瞳が陽光を弾き、王家の姫から賜った浅葱色のスカーフが冷たい風を受けて激しくはためく。

 リーバルは自身が生み出した上昇気流で上へ上へと翔け上がっていく。
 ある高さまで到達すると彼は慣れた手つきで一本の大きな矢を愛弓につがえ、昇り始めた日輪に狙いを定めた。

 つがえた矢は遠くから見ても槍と見紛う程の大きさだった。
 長い木製のやじりはメドーの頭に似て、矢柄には色とりどりの細い布が沢山巻き付けられている。
 それらの装飾はどこか神聖さを漂わせており、この矢が特別にこしらえられた矢である事は明白であった。

 ヘブラ山脈を彩る白銀が朝陽を受けて一際煌めくと、リーバルはつがえた大きな矢で今年初めての太陽を狙い穿った。

「……ハッ…!」

 メドーの頭を模した大きな矢が、空を裂くように勢いよく飛んでいく。

 矢が大きければそれだけ飛ばすのにも相当の腕力と弓の腕が必要なのだが、リーバルの放った矢は一切失速せずに真っ直ぐ太陽へと突き進む。
 鏃に仕掛けられた細工が空気に振動し、風の神獣の鳴き声に似た甲高い音がヘブラの空に鳴り響いていた。


 ◇ ◇


「母ちゃん! リーバルさまが射った矢が鳥みたいに鳴いてるよ!」

 神獣が鎮座する巨塔の頂上の遥か下方……リトの英傑の名を冠した広場にて、リト族の子供達の驚く声がこだまする。

「これ、もう少し静かになさい。矢が消えるまでが日の出の神事なのですよ」

 リーバル広場には早朝にも関わらず、神事の様子を見守る多くのリト族の姿があった。

「――今年の矢も、良い音色で鳴いたようですな」

 族長や一部の老齢なリト族などは矢の発する音で神事の成否を悟ったようで、皆一様に柔らかく目を細めている。

「……音が昨年よりずっと冴えておる。また腕を上げたか」
「新年の神事はあやつ以外に任せられる気がせんわい」

 老齢なリト族達は振る舞われた麦酒を小さな盃でちびりながら、若き戦士への賛辞を訥々とつとつと口にしていた。


 ◇ ◇


 村の皆々が空の神事を見守っている間も、放たれた巨大な矢は鳥のように鳴きながら巻き付けられた色とりどりの布をたなびかせて飛んでいく。
 だがやがて鏃がパンと音を立てて弾け、大きな矢は金色の光を放って燃えカスも残さず消えていった。

「やった、矢が光って消えた……!」

 戦士見習いのリトの少年がその様子に声を弾ませる。
 太陽に放った矢が黄金に光って消えるのは吉兆の証だ。
 村の広場からすぐさま大きな拍手と歓声が上がり、吟遊詩人は祝いの旋律を奏でて場を賑やかせる。
 元々、鏃に仕込まれていたごく少量の火薬が仕掛けが壊れた拍子に弾けるように設計されていたようではあったが……。
 もっとも、あの音の鳴る仕掛けが限界までずっと動く程に勢いよく矢が放たれなければ起こらない現象だ。
 この神事を通して、凄腕の弓手が在ればこそ村の安寧が保たれるという考えがリト族の根底にある事がうかがえるだろう。
 時間にして数分にも満たないリト族伝統の新年の神事はしかし……村の皆に見守られながら大成功のうちに幕を降ろした。
 今年初めて昇った太陽は、新年の賑やかな空気を纏ったリトの村を見守るように暖かな光で雲一つないヘブラの空を照らしていた。


 ◇ ◇


「――あけましておめでとう、メドー。僕の晴れ姿……ちゃんと見ていてくれたかい?」

 新年初めての大仕事を終えたリーバルはいの一番に巨塔の上に鎮座する風の神獣の下へ飛び、“彼女”と新年の挨拶を交わしていた。

《……、……》

 己が繰り手を労うようにメドーが小さくさえずる。

「ふふっ、ありがとう。リト族伝統の神事を君に披露出来て、僕も鼻高々ってもんさ」

 リーバルは嬉しそうに頬を緩ませ、足取りも軽やかにメドーの頭に着地する。

「あの矢が飛んでいく様は優美だったろう? やじりに細工がされててね。『鏑矢かぶらや』って言うんだけど、勢い良く飛ばすととても良い音が鳴るんだ」

 うちの弓職人も器用なものだろ?と、我が事のように得意気である。

「オオワシの弓も、実は元々この神事の為の弓だったんだよね」

 リーバルはメドーの頭に座り込んでポカポカ草の実を口に放り込みながら愛弓を手にしたきっかけを語る。

「この弓を実戦でも使えないか族長や弓職人の連中を僕が説き伏せたんだ。槍みたいに大きな矢を放てる程の剛弓があるんなら、使わない手はないからさ」

 ようやくオオワシの弓を使う許可が降りてすぐ、リーバルは村で開催された弓術大会でぶっちぎりの成績で優勝を果たした。
 ――実はこれは、彼がまだ戦士見習いだった頃の話である。

「何事も第一印象は大事だって言うだろ?」

 それが今でもリト族の間で語り草となっている事を、リーバルは誇らしげにしていた。


 ◇ ◇


 しばらく自分の数ある武勇伝をメドーに語って聞かせていたリーバルだったが、ふと何かに気づいたように翡翠の瞳をハイラルの東の方に向ける。

「――そういえば」

 言いながら、リーバルは遥か遠くにあるハイラル城を見やる。

「予言の通りなら今年はいよいよ厄災ガノンが復活するらしいって噂だけど……」

 未だ朝靄あさもやに包まれて静けさの中にあるハイラル城だが、どこか年始の晴れやかさと気忙しさに満ちているようだった。

 姫や退魔の剣の主はあの城で堅苦しそうな年始の催事をこなしているのだろうか。
 あの姫の事だ、元旦早々に封印の力の修行の一環としてみそぎなんぞやってそうだ。

 ――無理をして倒れたりしていなければ良いのだが。

「…………」

 難儀な事だと、リーバルは肩を竦ませる。

「やれやれ」

 かぶりを振って城から視線を外そうとしたその時、お城の形が一瞬揺らぎ、すっかり廃墟となってしまったソレが目に飛び込んできた。

「!?」

 思わずギョッとするが、改めて目を凝らすとお城は元の堂々とした佇まいのまま朝の光にさらされている。
 一瞬だけ垣間見えたおどろおどろしい廃城はどこにも見当たらなかった。

(――また、か……)

 最近、今のような現実味溢れる幻を見ることが異様に増えた。
 正確にはメドーの繰り手になってからではあるのだが……ここの所、特に良くない未来を暗示しているような内容ばかりで気が滅入ってしまうのだ。

《………?》

 心配そうに鳴くメドーの声にリーバルはハッとし、同時に安堵する。

「……あぁいや、何でもないんだ」

 少し掠れた声で“彼女”に言葉を返す。

 ――暗い考えに囚われるのはあまりよろしくない。
 そんな思いを胸の内に抱える位なら訓練場でもっと弓の修練を重ねた方がよっぽど建設的である。

「――例え何があったとしても、僕とメドーなら…きっと上手くやれるさ」

 己に言い聞かせるように呟くと、風の神獣もその言葉に同意するように力強く[[rb:嘶 > いなな]]いた。

「メドー……」

 先程吉兆を示した矢と似た音で鳴くメドーに、リーバルもようやくいつもの調子を取り戻す。

「――ははっ、君も気合い十分……って所かい? 僕らって案外気が合うのかもしれないね」

 食べていたポカポカ草の実の残りをポーチにしまい、リーバルは腰掛けているメドーの頭を柔らかく撫ぜる。

「――改めて、今年もよろしく、メドー。厄災討伐の際は頼りにしてるから」

 硬い材質である筈の神獣の体躯はどこか温かく、正体不明の恐れに惑いそうになる戦士の心を優しく包むようであった。
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